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雪の重み

登場人物一覧

夜乃 幻(p3p000824)
『幻狼』夢幻の奇術師
ジェイク・夜乃(p3p001103)
『幻狼』灰色狼

●雪の夜に
「やみそうにありませんね」

 雪は音もなく、ただひたすらに空から舞い降りて豊穣郷を白で埋め尽くしていく。
 軽やかで儚い雪も集まれば人々の生活を脅かすことを、夜乃ゆめはこの地方に来て初めて知った。

 障子窓から外を覗いていると不意に後ろから抱きしめられる。
 ジェイク・夜乃は纏った夜着を開いて愛しい女を包み込んだ。

「この分じゃ二・三日ここに足止めだな。まったく、毎日毎日よくもまあこんなに降りやがって」
「おや、ジェイク様は雪がお嫌いですか? 雪はこんなに美しいものなのに」

 彼のぬくもりに守られながら、顔だけ振り向けて幻が問う。
 背中の翅を潰さぬように気を配る、彼の優しさを感じながら。

「見ている分には綺麗だが、そこで暮らす者にとっちゃ雪は難儀なものだ。時として雪は白い悪魔にもなる」

 歩みを止めて家の中に閉じ込めるもの。
 視界を奪って命の灯火を吹き消すもの。

 時を止める冷たい檻──それが雪。

「ジェイク様と一緒ならこの宿に留め置かれるのも悪くは御座いません」
「俺もおめえがいるなら何処だって構わない。ちょっと寒いけどな」
「寒いときは暖め合うものだと聞きました。僕達も暖め合いませんか?」

 腕の中から幻が誘いかける。自分もこの身で暖め返すのだと。
 ジェイクは彼女の衣に手を掛けながら、彼女の言う事に他意はないと言い聞かせた。

「服を脱ごう。うんと寒い北のほうでは直接肌と肌で暖め合うものらしい。その方が早く熱が伝わる」
「溺れる人を助けるときにもそうすると聞きました。それと同じで御座いますね?」

 凍てつく空気に晒した肌を夜具の中で暖め合えば、心までもが暖まる。
 抱き合い、触れ合うだけの行為は、やがて男の身の内に熱を呼び覚ました。

「幻……」

 ただ側にいてくれるだけいい。
 ただ抱きしめられるならいい。

 そう心に誓った女は、今一糸纏わぬ姿で男の腕の中にいる。
 荒々しく押し付けた口唇からは酒の残り香。
 酔いが情欲の堰を切り、むしゃぶりついて口を荒らす。
 覆い被さるジェイクの下で、幻が苦しげに身じろいだ。

「……すまない!」
「ジェイク様」
「俺は……今……」

 詫びて男が身を起こすのを、女の腕が待てと留める。

「止めないでください。穢すだなんて考えないで。今宵はジェイク様の求めるままに」
「だがそれじゃおめえが」
「ジェイク様、貴方は自分の『本当』を僕に見せていない。貴方が何を望み、僕をどうしたいのか、僕はそれが知りたいのです」

 背を撫でる腕は宥めるように優しいのに、下から見上げる眼差しは射貫くように隠し事を許さない。

 教えてください。
 そう強請る口唇からも酒の香りが漂い、眼差しは仄かな熱を孕んで潤んでいた。

●雪の軽さ
 掌で受けとめれば重さを感じさせず、ぬくもりに触れれば儚く消える。
 夢というものは空から舞い落ちる雪にも似て、捕らえられぬものとジェイクは思っていた。

 握った拳を開いてみれば、そこには虚空しかなくて。
 掴んだと思った幸福に代わり、孤独が隣り合っている。

「幻、俺はおめえが好きだ。おめえを何処にも行かせたくない。その綺麗な翅をもぎ取って、一生俺の元に繋ぎ止めておきたい」

 野性の爪は黒き真珠の輝き放つ髪ごと引き裂いて、情欲の牙は青き胡蝶の艶麗たる翅をも噛み砕くだろう。
 劣情の剣は白き陶磁の滑らかな肌をも深く貫いて、飢餓の心は赤き口唇の漏らす息さえ吸い尽くすだろう。

 口唇でなぞる愛は沸き上がる衝動を戒めるようでもあり、獣が獲物を味見するのにも似ていた。
 喰らってくれと哀願し、幻が蛹から女へと孵化していく。

「奪ってください。ジェイク様にならこの翅を失うことになっても本望で御座います」

 幻が告げたとき、ジェイクの掌が背へと触れた。
 肩甲骨の下、翅の付け根、人と蝶との境目を。

「ジェイク様……っ……」

 牙にこの身は噛み砕かれ、翅は粉々に砕かれようとも構わない。
 彼の元にいられるのなら、この翅ごと無垢を脱ぎ捨てればいい。

 身を強ばらせて背が撓り、仰け反る胸にジエイクが顔を埋める。
 無骨な手が掴む膨らみは、母の胸に抱かれた記憶を甦らせた。

「幻、おめえは女だ。俺の女だ」

 人として生まれながら親に捨てられた哀れな子どもは、雌狼の毛に包まれてぬくもりを知った。
 群れから離れて一人夜に凍えれば、女はいつだって群がり、一匹狼を暖めてくれもしたけれど。

 炎は一夜のうちに燃え尽きて、朝になれば消えてしまう。
 心はいつまでも寒いまま、ぬくもり求めて曠野を彷徨う。

「《混沌》に来て幻を見たとき、俺の中にあったかいもんが生まれた。それはどんどん熱くなって俺を焦がす。幻、おめえだけだ。おめえが欲しい」

 群れの中で自分だけが違うと泣いていた頃、夢の中で慰めてくれた蝶がいた。
 そして一匹狼となった自分の前に再び現れ、何故泣くのかと問いかけてきた。

 それは目覚めれば忘れるはずの夢の残滓。
 或いは朝になれば溶けるはずの雪の名残。

 美しい奇跡を口唇で確かめて押す検印は、柔肌に赤い鎖の軌跡を綴り上げていく。

「ジェイク様、僕は……おかしくなったんでしょうか?」

 ジェイクの掌が触れるたび白魚の身は緊張に跳ねた。
 初めての感覚に戸惑いながら幻が彼の頭を胸に抱く。

「おかしくなんてないさ。男も女もこうやって狂っていく。だが俺が狂うのは幻にだけだ」
「僕も……ジェイク様だけです。だからジェイク様、全部、僕に」

 弾む息も、荒む手も。
 切な声も、灯る熱も。

「ああ、溶けて消える時は一緒だ」

 朝の日に溶ける雪ならいっそ諸共にと。

◆雪の重み
 彼は幻を儚い雪のようだと言い、触れることさえ躊躇うと言った。
 幻は自分を軽い雪のようだと思い、己の存在を実感出来ずにいた。

 けれどカムイグラという土地に来て、雪が人々の営みを封じるもの、重さも圧もあるものだと知った。

 覆い被さる彼の身は雪のようで、その重みに押し潰されそうになる。
 中に含めた彼の身は炎のようで、その熱に焼き尽くされそうになる。

 痛みと苦しみ。
 違和感と異物感。

 それは夢から夢へと渡る胡蝶が知らぬ肉の咎。
 侵蝕されて自分が自分でなくなっていく感覚。

 叫ぶことしか出来ない口唇を荒々しく塞がれると、叫びも喘ぎも全てを彼に飲まれた。
 舌と舌とを絡めて掻き回せば、唾液は雪代のように口から溢れて隙間から漏れる。

 融けていく
 溶かされていく。
 男と女が混じり合って。

 融けていく。
 解かされていく。
 男と女が重なりながら。

「ジェイク様……僕……僕……」

 僕の中に貴方はいるのですね。
 僕は今ここにいるのですね。

 この世界に来るまで、幻は痛みを知らなかった。
 傷付いてもそれはまやかしで、傷が残ることも死に至ることもなかったから。

 この世界に来てから、幻は足掻くことを知った。
 有限の生を精一杯藻掻き苦しんで、わずかな幸福を掴もうと必死になるのを。

 雪の重みに堪え、わずかな熱で寒さを凌ぎ、長い冬をやり過ごす雪国の人達。
 それはなんと力強く、なんと眩しい命の輝きなのだろう。

「感じるか、俺を」
「感じます、ジェイク様がいます。僕の中に貴方がいます」

 ジェイクの鼓動も熱も全てが幻の中にあった。
 それは次第に絆されて自分の感覚になった。

 縋り付いて回した彼の背は汗ばんで滑り、爪を立てると彼が吠えた。
 褥に敷いた翅が千切れそうになると、鱗粉を散らして幻が啼いた。

「俺も、おめえを感じてる。熱くて、絡んで、今にも意識ごと持っていかれそうだ」
「ジェイク様は消えるなら一緒だと言いました。僕が消えるなら人と同じように何かを残していきたい」

 生きたという証。
 愛したという証。
 自分が消えても、形は変わっても、そこにいたのだという確かな証もの。

「僕にも証を残させてください」

 潤む瞳が訴えるのは女の本能。
 眦を口唇で拭って男が応える。

「幻」

 愛している、と──

●雪の宿り
「幻……」

 骨張った指の背が頬を撫で、親指は眦の涙を拭う。

 それは熱に溶かされて溜まった雪解けの水。
 滲む朝露は肉の鎧の上を滑って滴り落ちる。

「ジェイク様……僕は」
「おめえは此処にいる」

 ジェイクのその一言が恍惚と漂う幻の意識を現し身へと引き戻す。

 疲れ果て、残骸のような身は重く、まるで地に縫い止められるようだった。
 見えない鎖があるとすれば、それは愛しい人と繋ぎ合わせた手、そして身体。

 幻が瞼を擡げると心配げに見下ろすジェイクの顔がそこにあった。

「ジェイク様」

 呼んだからとて特に意味をなさない言葉、だけど何より愛しい名を口唇は紡いだ。
 幽かに音を伴い、紛うことなく愛を伝えて。

「よかった……おめえが消えてなくならないでくれて」
「僕は消えなかったんじゃなく、生まれ変わったのです。蝶から女に」

 自分の中に他人を感じること。
 溶け合いながら確かめること。

 身の中に愛を閉じ込めること。
 混ざり合いながら生み出すこと。

 胡蝶の翅を脱ぎ捨ててれば二度と夢は渡れないかもしれないけれど、不思議と幻に未練はなかった。
 あるのは彼と熱を分かちあい、互いを求め合った後の気怠く甘い幸福感だけだ。

「おめえがそれでいいならいい。俺の側にいてくれ。もう何処にも行かせない」
「嬉しいです。僕は貴方に愛されるただの女ですから」

 ジェイクの口唇が額に触れ、抱き寄せる掌が幻の背、翅の生え際に触れる。
 忽ちに歓喜は呼び起こされ、弛緩した身に緊張が走った。

「ジェイク様……!」
「ここが感じるのか? やっぱりおめえは蝶だな」

 ジェイクの指先にこの身は熱くなる。
 幻に触れた瞬間にこの身は疼き出す。

 愛に奮えれば羽ばたいた日は時の向こう。
 かつて蝶であったことさえも夢のまた夢。

 熱に溶けても雪はまた降り積もり、朝が来ても愛は消えずに根付いている。

  • 雪の重み完了
  • GM名八島礼
  • 種別SS
  • 納品日2021年02月27日
  • ・夜乃 幻(p3p000824
    ・ジェイク・夜乃(p3p001103

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