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運命を越えて契る愛
登場人物一覧
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「それで、睦月の容体はどうなんだい?」
沈黙は雄弁に語る。『浮草』秋宮・史之(p3p002233)の様子に、秒速で散った恋敵こと『境界案内人』神郷 蒼矢は眉をハの字に寄せた。
――愛してるよ、しーちゃん。
あの日、史之の腕に抱かれながら『今は休ませて』冬宮・寒櫻院・睦月(p3p007900)は意識を何処かへ手放した。
風邪でも引いたんじゃないのか。最初の頃、史之はそんな風に思っていた――いや、感じた違和感よりも自分の心を優先し、守るべき人の大事な変化に気づく事が出来なかったのかもしれないが。
何にせよ、異世界から秋之宮に連れ帰った後も睦月は眠り続けたままで、未だに目を覚まさない。
「熱は引いたけど、いい情報はそれくらいかな」
「状況は思ってたより深刻みたいだね。大変な時期にわざわざ報告に来てくれてありがとう」
「いえ。アパートには千尋や日向も居ますから。看病には困りませんし」
などと説明する史之の目元には疲労が濃く滲んでいた。この後もすぐに睦月の元へ戻るつもりなのだろう。報告を終えるなり席を立ち、椅子にかけていた上着を抱え上げる。
「一日でも早く目覚める事を祈ってるよ。史之も身体に気を付けてね」
「お気遣いありがとうございます。……あの。帰る前に、ひとつだけ聞いてもいいですか?」
「なぁに?」
「あの時、カンちゃんが告白を受け入れたら、本気で付き合うつもりだったんですか」
史之の問いに、蒼矢はしばし考え込む素振りを見せる。だが、それは告白の答えを悩んでいるのではなく。
「問うべき相手が違うんじゃないか? 睦月の気持ちはもう決まってる。
――秋宮・史之。君は睦月の告白を受け入れて、本気で付き合う覚悟はあるのかい」
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その感情が何処から来たかは分からない。もう随分、幼い頃の冬の日だ。
「しーちゃん、ぎゅってして!」
「はいはい、抱っこね」
きっかけは何気ない事だったと思う。長く一緒に過ごす中で、カンちゃんの身体は他の誰よりも冷たくて。
(俺が側に居続けてあげないと、カンちゃんは凍えきってしまうかも……それならずっと、傍に居よう)
子供ながらに秘めた好意は"呪い"というに他ならず。
やがて月日が経ち、背が伸びて。今まで見たことのない景色が見える様になるにつれ、見たくない現実まで突きつけられた。
身分の違い、背負うものの違い。それは世界を超えても変わらずに、俺の前に大きな壁となって立ち塞がった。
「しーちゃん、ぎゅってして!」
「あのね、カンちゃん。俺たちもう子供じゃないんだから」
どうしてそんな不思議そうな
俺は当たり前の事を言ってるだけなのに。
――どうして真っ直ぐ、俺だけを見るの?
「本当は平和が一番だけど、こうやってしーちゃんと肩を並べて戦えるのは嬉しいな」
「何言ってんだよ。カンちゃんは後ろにさがって」
「守られてるだけじゃ嫌なの! 僕はしーちゃんと一緒がいい」
――どうして俺と歩幅を合わせるの。
カンちゃんを守るために揃えられた、無数の刃のうちの一振り。そう……たった一振りに過ぎない存在なのに。
『愛してるよ、しーちゃん』
「……ッ!」
思いを伝えてくれたあの時の、あの笑顔が今もまだ胸の奥に焼き付いて。
その思いに答えられない、自分の全てが恨めしい。
「カンちゃん……」
境界図書館から秋之宮に戻る頃には日が傾き、茜の空が部屋の中を赤く染めていた。
看病していた千尋と日向は買い出しに出かけたのだろう。
後には静かに眠る睦月と、傍らに立つ史之が居るだけ。ふたりぼっち。ふたりきりだ。
熱が下がった睦月はただ、寝息も立てずに眠り続けている。まるで死の口づけを受けたかのようで、見つめるほど史之の心はキリキリと痛んだ。
「俺さ。カンちゃんの気持ちにはずっと気づいてたんだ。あそこまで熱烈にアピールされて気づかない……なんて事はあり得ないと思うけど」
睦月の方へ手を伸ばし、瞼にかかった前髪をさらりと横に避けてやる。陶器のように汚れひとつない綺麗な色白の肌。触れれば柔らかな頬。どれを取っても睦月は完璧で、その完成された美しさは全て祭神のものだった。
祭神に選ばれし冬宮の一族。その最たる恩寵の証は人並みならざる神通力だ。代わりにその命は短く、性別もあやふやで。
それでも睦月はしたたかに、力を得たまま冬宮の名を背負い続けてきた。礼儀正しく、義に尽くし。
睦月自身がその苦労を語る事はなかったが、蒼矢は史之にこう語った。
『睦月はね、自分の事が嫌いだって僕に言ったんだよ。完璧だから崇められる。完璧だから……ひとりぼっちだって』
「分かってた。カンちゃんが寂しい事も。けど、俺はずっと逃げてた。秋宮としての務めを投げ出すのも辛いけど、何より怖かった。
神様でいるために、カンちゃんが今まで積み重ねてきた頑張りを……俺の我儘で壊していいのかなって」
『蒼矢さん、俺はカンちゃんの運命の人じゃないんですよ。いずれ戻る世界の祭神様が――』
『たとえ史之が運命の人じゃなくても、睦月と史之が幸せなら……そういう運命もあるんじゃないかな』
「カンちゃんは今までの努力を投げ捨てでも俺を選んでくれたのに、応えない訳にはいかないよ。
だから決めた。たとえ俺が運命じゃないとしても……もう、逃げない」
物言わぬ唇に、
触れるだけの優しいキスをして、史之は――睦月と目が合った。
「しーちゃ……」
「カンちゃん」
「えへへ。やっと教えてくれたね」
「いつから聴こえて――っ」
問いかけは新たに重ねられた唇に塞がれ、二人は思いを確かめ合うように抱き合う。
愛しい人も愛する心も、両方失わずに済んだ。その安堵と幸せを、共に深く噛みしめる。
「そういえば、カンちゃん……あのさ」
「なに? しーちゃん」
「凄く言いにくいんだけど、その……胸」
おむね。予想の斜め上の言葉に一瞬、睦月が動きを止めた。
言われるがまま寝巻の懐を指で摘まんで中を覗けば、そこには確かにはっきりとした
「えっ。じゃあ僕、女の子になれたって事? しーちゃんが僕の運命の人!?」
「……元の世界に帰ったら、打ち首獄門レベルじゃ済まされないな」
「しーちゃんの部屋にいっぱいあるフィギュアの首を差し出しちゃえばいいよ!」
「あのなぁ……。まぁ、神様をただの人にした責任はちゃんと取るよ」
「そういう建前じゃなくて、僕は本音が聞きたいんだけど」
むっすりと頬を膨らませて上目遣いに見つめる睦月に、史之の頬が熱くなる。いつもの様に視線を逃そうとさ迷いかけて――彼は、しっかりと睦月を見つめ返した。
「カンちゃん、愛してる」
すい、と己が指を首元に滑らせ、切り落とす仕草。
「血も肉も骨も、意思も心も魂も、すべてあなたの御随意に。友にも敵にも家族にも望むすべてになりましょう。
影になり日向になり空気になり刃になり、省みられぬとしても、伏拝み讃え弥栄を願います」
首を差し出すその動きは、二人の世界に古くから伝わる『隷属の宣言』――
「どうしよう。僕、死にそうなくらい幸せだよ」
「死ぬな死ぬな。これからは俺が守るんだから」
「そうだね。折角しーちゃんのものになったんだから勿体ないよね。この心も、この身体も――」
睦月の胸元がするりとはだける。玉のような白い肌に美しい曲線を描くふくらみ。ごくり、と史之は唾をのみ、そして――。
「あいたっ!」
脱ぎかけた睦月の額にピンッと軽いデコピンを放つ。
「~っ、何するのしーちゃん!」
「あのさ、カンちゃんはまだ子供だよね?」
「そんなでもないよ!? 今年で17歳になったし!」
「だめ。せめてカンちゃんが18歳になるまでは清い関係でいないと」
睦月は悟る。こういう時の幼馴染は何があっても頑として意見を変えない。それこそ今まで猛アプローチを躱し続けた逸らしのプロだ。
「しーちゃんの潔癖症! ばか真面目!」
「褒めてんのか貶してんのか、どっちなんだよ」
ようやく恋が成就したのに、また一年のお預けである。すっかり機嫌を悪くして、睦月は枕を抱えてふて寝した。
(我慢はあるけど……やっと一歩踏み出せたね。これから一緒の時間をいっぱい過ごそう、しーちゃん)
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「その時、しーちゃんが真っすぐ僕の目を見て言ってくれたんですよ。『カンちゃん、愛してる』って!」
「ヒューッ! やるねぇ史之、男気あるなぁ!」
「待って、待ってよカンちゃん。迎えに来るなり、何でこんな羞恥プレイに晒される訳?」
境界図書館で新たな依頼を睦月が受けた事も、その依頼を持ち込んで来たのが蒼矢だったというのも分かる。
だからといって、迎えに来るなりプロポーズの惚気をいきなり食らうなんて……不意打ちにも程がある!!
「しーちゃんが来るまで、蒼矢さんがお話しようって誘ってくれたから」
ねー、と仲良さげに首を傾げて同意しあう睦月と蒼矢。この元恋敵、秒速で散った癖に意外としぶとい奴である。
「助言をもらったのは感謝してるけど、カンちゃんは渡しませんよ」
「過保護だねぇ」
「過保護で結構」
もはや定番と化したやり取りに、史之は微笑み、蒼矢はクスクスと可笑しそうに笑った。
「さて、史之が迎えに来るのを待ってたのは訳があってね。実は……二人に引き受けて欲しい依頼があるからだったんだ」
頼まれてくれるかい? と本を取り出しひらひらと揺らして見せる蒼矢の様子に、史之と睦月は思わず顔を見合わせる。
睦月は性別が定まった後、その身に宿した神通力の、かなりの量を手放した。混沌肯定により積み上げてきたレベルの数だけ力はあるが、今までのように万全とはいきそうもない。それでも二人に迷いはなかった。
「大丈夫、僕がしーちゃんを守るから!」
「構いません。僕がカンちゃんを守りますから」
史之と睦月、幼馴染で恋人の二人。その歩みはまだ、始まったばかり。