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Separar
登場人物一覧
●Separación
さよならは、甘い味がした。
●Dulce
「ねえ母さま、わたし、その……」
「あら、ふふ、どうしたの」
「今年のグラオ・クローネこそは、……ともに、チョコレートを作ることは、叶いますか?」
「……」
「ごめんなんさいね、フィー。またあなたに悲しい思いをさせてしまうわ……」
「いえ。いいえ。いいのです、母さま。フィーは……フィエスタは、母さまさえいてくれれば、それで。それだけでいいのです」
「……ごめんなさいね」
フィエスタと呼ばれた少女の頭を撫でるのは、今にも折れてしまいそうなほど細い腕をした母親、アモレ。『ああ母さま、大丈夫だと言っているのに!』と桃のようなまんまるなほっぺを膨らませたフィエスタを慈しむような手で撫で続ける。お菓子づくりが大好きな娘とキッチンに立てなくて歯がゆい想いを隠すように、撫でて、撫でて。
「だって、前も、その前の年も。もうずっと、あなたとなにもできていないのよ」
「……だって、それは、」
「だから、ごめんなさい、なのよ。だって、あなたの願いを叶えてあげられないんだもの」
「…………」
「ね?」
そんなことない。
ちがう。
だって、かあさまは、
そんな言葉も言葉になることすら叶わず、フィエスタは小さく首を横に振るばかり。しまいにはほろほろとしょっぱい涙がこぼれおちるものだから、困ったように笑いながらアモレはフィエスタの頭を撫でた。
「ことしも、たのしみにしていていいかしら?」
「はい……とってもおいしいものを、つくりますね」
「ええ。たのしみにしているわ」
嬉しそうに微笑んだフィエスタは頷いて、母親の部屋を飛び出した。嗚呼、何にしようか。もうすぐ
「……あなた」
「アモレ、体調は?」
「あまり。そろそろのようよ」
アモレは寝台の近くに備えられた引き出しをあける。そこにはぎっしりと宝石が詰まっていた。
「……早いな」
「ええ。進行しているみたいなの。もう、そろそろみたい」
「……すまない」
「あなたまで謝ることじゃないのに。わたしのほうこそごめんなさい。あなたにしてあげられること、何もないのに、何も残してあげられない……それに、あの子にだって、まだ何もしてあげられていないのに。
「…………天義に仕事で向かっただろう」
「? ええ、そうと聞いているわ」
「土産だ」
アモレの夫、ペンサミエントは懐から剣を取り出した。全長は1mにも満たないシンプルなデザインのブロードソードをアモレに手渡した。
「これは?」
「厄除けになるらしい。ヴェルグリーズという銘だそうだ」
「へぇ……これなら、砕けるかしら」
「……わからない。ただ、お前を守ってくれるだろうとおもう」
「ふふ、そうね……守ってちょうだいね、ヴェルグリーズ。どうか、あの子の誕生日をひとつきすぎるまでは」
「細かいな、ふふ」
「そうね、あはは!」
アモレは奇病を患っていた。
身体の内側が少しずつ宝石となりやがて大粒の宝石を残して死んでしまうという病気だ。旅人であるが故の運命なのだろうか、元の世界の病気であると告げられた時、ペンサミエントは酷く落ち込んだものだ。彼女がこちらに呼ばれなければ治ったのかもしれない、と。
大きな布団をかぶることで足元は隠しているものの、アモレにはもう下半身は存在しない。それをフィエスタに隠すために重篤な病気ということ、あまり布団から動けないことを伝えている。
発病の日は五年前の
医者も匙を投げることしかできない奇病。故に二人は願うのだ。
どうか、三人でいられる日々が少しでも長く続きますように、と。
願って、いた。
「ッ、ごほっ、ごほ、うっ、おぇ!!!?」
「!? すまない、誰か、医者を――!!!」
どうか。
みんなでいられるひが。
ずっと。
ずっと。
とわに、つづきますように。
「ねえ、あなた」
「っ、喋るんじゃない、身体に響く……」
「もう、まにあわないから。代わりに、最後のお願い。いいかしら?」
「…………ああ」
「あのこに、わたしの宝石を、あげて頂戴。みんなで指輪にして、おそろい、しましょ――」
●Deseo
淡い願いの声が聞こえる。
『三人で長く居られますように』
『二人が永遠に幸せになれますように』
俺に、叶えることができるだろうか。
俺が、護ることは叶うのだろうか。
願われたのならば。俺は、其れを――
●Derretir
「あれ、今日はうまくできないなあ……うーん」
チョコレートを溶かす。が、ボールの水をふき取り忘れていたのだろうか、運が悪かったのだろうか。
はたまた生クリームを入れすぎてしまったのだろうか。レシピとにらめっこしてもレシピが何かを応えてくれるはずもなく。もっちゃりとしたチョコレートと油分が混ぜれば混ぜる程に分かれて、別れて、わかれて。
どうしてだろう。
せっかく母さまががんばってって言ってくれたのに。
生チョコを作ろうかと思っていた。あれならアモレも食べやすいと考えたのだろう、フィエスタは真剣に、のめりこむようにチョコレートを混ぜていた。
故の失敗。
火にかけてあたためて混ぜて、を繰り返していく内に艶やかになっていく。
ああ、こんな失敗をしてもこうやって混ぜて、諦めなければいいのだ。
そうして、母さまに、美味しいチョコレートをあげよう――
試行錯誤しているうちに、時計の針はスピードを上げていった。だから、何が起こっていたのかも、知らなかった。
集中していると夕日が窓から差し込んできた。結局完成には至らなかったが、クッキーが完成したしいいとしよう。布にいくつか包んで、また別のものを作ることにしたフィエスタは、ひとまずチョコレートを溶かすことにしたのだが。
ガチャ、と扉の開く音がした。はいってきたのは、ペンサミエントだった。
「フィー」
「? 父さま?」
「こっちへおいで」
「はい」
椅子から降りて、エプロンをつけたまま、チョコレートのボウルは置いて。珍しく弱った様子の父を不安げに思いながらも、フィエスタは父の元へ駆けよった。
「どうしたのですか?」
父は何も語らない。娘の旨に不安が押し寄せた。
そっと。肩に手が置かれる。それから、空いた手でフィエスタの手を握って。
「母さまが、危篤だ」
「きとく、って、なに」
「……今日でさいごになるかもしれない、ということだ」
しおからい。
だからしょっぱいものはきらいだ。
さびしいことを思い出させてしまうから。
フィエスタは母の部屋へ駆けた。
穏やかに眠る母の下がないことを、フィエスタはその日知った。
息があることに安堵して、隣で眠って。父が起こしてくれるまでは、母の隣で眠り続けた。
●Adiós
「フィエスタ」
「んぅ」
「おきて」
「ん……」
「もう、ごはんがなくなっちゃうわよ?」
「それはだめ!」
「あ、起きた」
気が付いた? と笑う母。外はもう真っ暗で、父が隣に居て。時折咳き込んだ母の口から宝石が零れ落ちて、それを父は袋に入れて、大切そうに膝の上に置いていた。
『お寝坊さんね』とくすくすと笑う母の手はもう片手しかなくて、それが残り時間の短さをフィエスタに嫌というほどわからせた。
「もう、あまり時間がないから、お母さんのお願いをきいてほしいの」
「……はい」
「ああ、もう。泣かないで?」
頬から落ちる涙をぬぐう母の手は冷たくて、宝石のようで。そんなことを考えていたら母が咳き込んで、ぽろりと口から宝石が零れ落ちた。
「お母さんね。フィーがお菓子作るの好きだって知ってるから、お菓子屋さんになってほしいの。夢、だったでしょう?」
「お母さん、きっとフィーのお菓子ならなんだって見つけられるわ。だからね」
「やくそく。できる?」
今にも消えてしまいそうな小指に指を絡める。父もまざって、三人で。
こほこほ、咳き込む回数が増えてきた。
フィエスタのポケットのなかにあるクッキーは温度を失って、冷たくなっている頃だろう。夜が明けていきそうだ。時計の音がうるさい。
「わたし、私。いま、クッキーを焼いてきたのです。だから、さんにんで、たべましょう、かあさま」
「ええ、それもいいわ……だけど、少し眠っても、いいかしら」
「ええ、はい。だいじょうぶです。必ず、起きてくれますか?」
「心配性ね。だいじょうぶ、おかあさんだもの!」
「……はいっ」
母は眠った。
夫に愛を。娘に愛を伝え。
そして、目覚めることは、なかった。
●Fiesta
「……Amor。母の名かい、Fiesta」
目覚めた剣が問いかけたところで、箱包みのチョコレートは教えてくれるはずもない。
フィエスタ・スウィノース。今や一流のショコラティエ、名を知らぬ者はいないだろう。
桃色のパパラチアサファイアが一粒、大きくついたチョーカーをしたパティシエ。その腕前は、きっと誰もが知っている。
「去年はPensamientoだったっけ。今年の新作は……きっと、キミの母に届けたいんだろうね」
赤いガーネットの光が乱反射して、ヴェルグリーズを花弁で包むように照らす。
「……きっと、キミなら大丈夫さ」
母との別れを乗り越えて。夢を手にしたキミならば。