ＳＳ詳細
或いはひとつの愛かも知れぬ
登場人物一覧
- 赤羽・大地(p3p004151)
彼岸と此岸の魔術師
- 赤羽・大地の関係者
→ イラスト
心の準備なんてしなくともいいんだ、と本には書いてあった。
曰く、
恋人の頼みを聞き届けるのにすら勇気を出してもう一人の同居人に確認をして手ほどきを受け、さらには叱咤され励まされな情けない自分はどうすればいいのか。未来の自分は伴侶を設けただとかなんとか言っていたような気もするが、自分は果たして女を抱くことができるのだろうか。というかそもそも俺はまずネコなのだが。あのとき承諾してしまった自分をひっぱたきたいような衝動に駆られるも後悔とはいつも遅いものである。今日の約束が非常に憂鬱で、やっぱりバックレてしまおうかなんて考えたりもしてしまう、けれどそれは誠実ではないと自分の中の良心が食い止めてくるものだから、ほんとうに嫌かどうかなんてわからない。
あのときどうして断れなかったのかなんて今更考えても遅い。断れなかった。大地の敗北である。
「あー……」
憂鬱だ、なんて言わなくても赤羽にはわかることだろう。
『まぁ気乗りしないのは俺も同じだからナ。頑張ってくれよナ』
「なんで他人事なんだよ。俺が正常な判断が出来なくなったらお前と交代なんだからな」
『……しっかりしといてくレ、いやマジで』
「やっぱバックレようよ……」
『そしたらまた首と胴体がさよならだゾ』
「それも嫌だな……」
はぁ、と肩を落とす。一人のため息に二人分のため息。こんな晴れた日にため息は似合わないなんて羽切は言うだろうか？ いや、言われたとしてもこればかりは立ち直れそうにない。彼女はきっと優しいからドーナツだのなんだのを買ってきて慰めてくれるだろうか。癒されたいなんて言っても許されるだろうか。許されたい。
もはや一種のいじめではないかと思ってしまうくらいには、憂鬱だった。
「終わったら本屋に行っていいかな……」
『じゃあ俺は何か食べ物食べに行きてェ』
「奮発してもいいかもな……」
二人のトラウマであろう首と胴体の切断。首狩り兎が振るった猛威のひとつ。ああ苦しい、ああ、痛い。
そんな苦い思い出もあって、この傷に触れられるのはあまり好きではなかったのだが。他でもない初めての恋人の頼みでもあり、そして、赤羽のアドバイスである
――確かにコイツはめちゃくちゃ倒錯的な思考の持ち主だシ、性癖がクッソねじ曲がってるけド、俺達に惚れてんなら却って都合が良イ。こいつを上手く飼い慣らせバ、後々役に立つゾ――
という発言もあり、大地はしぶしぶ頷いたのだ。
ゆっくちろ歩く。その足は重く、帰るのだってほんとうはやめておきたい。でも帰る。頑張れ、自分。
ここで腕っぷしが強ければ、とか思ってしまうのは自分の心が狭いのだろうか。ああ、もうだめかもしれない。ゆっくりと足を進めていけば目的地たる図書館に辿り着く。寝床たるそこが今は恨めしかったりもして、人間とはなんとも難儀なものだと達観してしまう。
それにしても飼い慣らすなんてとんでもないといいたいところではあるが、ダイヤは腕もたつしその気になれば大地を殺すことも容易だろう。ここは赤羽の言うことに従い、彼或いは彼女の機嫌を損ねぬように誠心誠意努めるほかない。死にたくなければ、当然だ。
図書館は本日休館、灯した蝋燭がゆらりと揺れ、二人の影をぼんやりと映し出す。日光だと紙媒体である本はすぐ傷んでしまうんだ、なんて教えたのはいつだっただろうか。恋人となった今では大切に思っている本に興味を持ってくれているのだろうか、少しずつ本に触れている様子も見えて嬉しい（なおそれは絵本に限定されるのだが）。
彼は大地の首に強い興味を示している。それは大地や赤羽の目から見ても明らかな事実だ。はじめて遭遇したときは勢い余ってとびかかるような形になっていたのを覚えている。あの時は酷く怯えたものだ。首を斬られて死んでしまったトラウマも蘇る。首に伸びてくる手と荒い呼吸が脳裏にこべりついて離れない。
今もそれを繰り返している己は何をしているのだろうかと不思議な気持ちになることもあるが、強く拒むことで首と胴体が二度目の別れを告げるのは何としても避けたいし、それにダイヤの見目はとても美形で麗しい。そんな彼からの誘いを断るのもなんだかいたたまれなくなってしまう。半ば流された形になるが、赤羽の提案もありそれを受け入れることにした。
「オマエ……」
それ以上は語らずともわかるし、語らせるつもりもない。羞恥が大地を襲う。
ダイヤは手袋を外して、近くに投げ捨てた。その瞳は大地の首に釘付けだ。ダイヤの二彩の瞳がきらきらと輝く。それは獲物を見つけた肉食動物のようでもあり、おもちゃを見つけた無邪気な子供のようでもあり。そうして、冷えた指先が大地の首に触れた。
「あ……」
「……チョット、冷たいカモ。我慢してクレ」
繋ぎ目をなぞるように、指はぐるりと傷の円周をなぞっていく。背筋が震える。ああ、なんと恥ずかしいことか。
それでも拒んでは、いけない。
己を逃がすまいとダイヤの背中に手をまわして抱きしめる。ぎゅ、と小さく震えている大地にダイヤは嗜虐欲が煽られる。震える大地の頬を撫でて、ふっと首筋に息を吹きかける。大地はさらに顔を赤くして、ダイヤを困ったように見上げることしかできない。
「かわいい」
ちゅ、と柔らかい唇を押し当てる。どくんどくんと脈が速くなっていくのが唇から伝わって、ダイヤにまで伝染してしまいそうな錯覚を覚えた。くらくらするような倒錯を覚える。高鳴りも興奮も止められることはできない。ちゅ、ちゅと何度も音を立てて唇をその肌に触れさせる。何度も何度も、執拗に。それを繰り返すうちに大地は少しずつ呼吸を荒くしていった。触れられるたびに、唇が触れるたびに肌とはだが触れたところから熱が広がって、全身を熱くさせる。
「待ってくれ、ダイヤ……」
「ヤダ」
静止の声も届きはしない。ダイヤは理性をおきざりにして、感情のままに振る舞っている。故に、やだ。嫌だ。今のまま止まってしまうのは。
「サリナスって呼んでくれなきゃヤダ」
我儘を言う子供のように唇を尖らせて、けれど攻めるのは忘れずに。ちゅ、ちゅと唇を何度も傷口に沿わせて、その唇はやがて一周してしまう。見麗しく整った顔面が酷く近い。ああ、甘い匂いもするような。半酩酊、酔っているような心地になって、大地はもう手も足も出すことが出来ずにいた。時々「さりなす」と小さく呼ぶのが限界で、ダイヤに身体を任せ彼のやりたいようにさせてやる。赤羽だってこの身体を共有しているのだから自分（だいち）が『どう』感じてどう考えているのかわかっているはずなのに、動いてくれないのをじれったく感じてしまう。助けてくれ、そんなところで見ているくらいなら！
その呼びかけに渋々応えるように、赤羽は大地と入れ替わる。
「そんなにここが好きなのカ」
「……赤羽カ」
「変態」
ぞくぞくと高ぶりを覚えるダイヤは、ぺろりと舌を舐め、傷口をゆっくりと舐めていく。
「へェ……」
傷口の凹凸をなぞり、少しずつ興奮を高めていくダイヤの頬を、赤羽が撫でる。くすぐったそうに目を細めるダイヤを可愛がるように赤羽は頬を撫でた。
「変態、こっち見ろヨ」
「は？」
小首をかしげながらも赤羽の方を向いたダイヤを、赤羽は丁寧に躾けていく。
「まだ我慢してんだロ？ 素直になれよ」
頭をグイっと引き寄せて、ダイヤを抱き寄せた赤羽。ダイヤはどきどきと胸を高鳴らせながら、頷いて。
「我慢しなくても、イイ？」
「ああ……大地は許すんじゃないカ？」
『な、大地』と脳裏に響く声。目を開けばそこには興奮して肩を大きく上下に揺らすダイヤのルチルの瞳。ああ、逃げられない、そう思わせるような瞳だ。
「サリ、ナス」
「……ッ」
止まらない。止められない。誰にも。この恋は。
震える大地を抑えつけて、サリナスは大地の上に馬乗りになった。ぐ、と下腹部にかかる重みに思わず大地は涙がにじんだ。
（これ、生きて帰れると思うか？）
（気分次第だろうナ）
（……）
はっはっはっと獣のように大地を見つめるダイヤはうっとりとした表情で大地の傷に口付けを続ける。ちゅ、ちゅ、ちゅと柔らかい唇が大地の首に触れるたびに、大地は情けない声が漏れてしまう。はじめての感覚にめまいさえ覚えてしまいそうで、それが悔しくてたまらないから、背を抱いて必死になんでもないようなふりをする。ほんとは平気でもなんでもなくて、はじめての自分が恥ずかしくて、そんな余裕のない情けない自分を見られてしまうのが一層怖くて。
タチだとかネコだとか、まだ実践したわけでもないしするならするで色々と心構えというか準備と言うか、そういったものもするつもりで。ああ、なんでこんなことを考えているんだっけ。そうだ、俺の恋人のダイヤが――サリナスが、俺の傷口に触れたいといって、俺はそれを受け入れたんだっけ。
「大地、かわいいナ」
ちろちろと猫のように、ゆっくりと小さく首の傷が舐められる感覚がむずがゆくて、じれったくて、逃げてしまいたい。そんな衝動を抑えるためにもっと、より一層強く抱きしめる。そうすることで、忘れられるような気がした。
「……かわいい」
オレの恋人はかわいい。
そう言いたげな濡れた瞳が大地を見つめる。馬乗りになったまま覆いかぶさって密着して、ダイヤも大地を抱きしめた。
「オレ、幸せダ。もっともっと、大地のこと幸せにしたい」
「あ、ああ……」
震える大地を横目に、ダイヤは首に顔をすりよせる。首の傷はぷっくりと膨れ、縫い合わせたわけではないけれどぴったりとくっついた首に鮮やかな色彩を齎す。そこだけ血の気がないかのように茶色い傷に、ダイヤは歯をひっかけて弄んでいく。
かり、かりと傷口から音がするたびに、大地は首が取れてしまわないか不安になって、ダイヤの服を掴んで小さく「さりなす」と名前を呼んで。ふわふわととろけた頭の中ではしっかりと名前を呼ぶことすらできない。
「かわいい。すっごく可愛いゾ」
「かわいいは、嬉しくないから」
目を逸らす。可愛いだなんて、それは女に向けるそれではないか。可愛いだなんて、そんな！
慈しむようなまなざしで見つめるダイヤから逃れることはできそうにない。
「大地、大地、大地……」
「……っ」
違う、そんなはずじゃなかったんだ、なんていうのももう遅い。今度は愛を注ぐように傷の周りに花を咲かせていく。赤い花が首の周りに咲いていく。普段なら隠しはしないそれも、後で隠すべきかもしれない。バンドエイドを首の周りに貼るとまた心配されてしまいそうだから、タートルネックとマフラーで隠すべきだろうか？
グラオ・クローネのこの夜に離されないということは、この後も屹度離されはしないだろう。甘い甘いチョコレートよりも甘ったるくて、濃厚な時間がきっとそこにある。たじたじになる大地を横目にため息をついた赤羽は、今夜も忙しくなりそうだとぼんやり考えて、そっとため息をついた。
甘い吐息とリップ音。舌が触れるたびに肩が震える。こんな日が、来るだなんて――
――Happy Grau・Krone!
