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Re:『』
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『』
アルヴァはまた途方もない悪夢を見た――ような気がした。
夢の内容はいつも通り、何一つ覚えていない。しかし本能は「思い出せ」と急かすように騒ぎ立てている。恐ろしい夢の名残が、ドクン、ドクン、と激しく脈打つ心臓に残っていた。
「…………」
ベッドで寝かしつけたはずの少女が、ソファーの傍に立ち尽くしたままアルヴァの顔をじっと見つめていた。
「ずっと苦しそうにうめいてたけど、大丈夫……?」
「あぁ、リトル……大丈夫だよ。怖い夢を見ただけさ」
アルヴァは自分の事を心配していたリトルの頭を撫でて安心させてやろうとする。
だが、しかし。手が触れた途端に不安そうな顔をされてしまった。
まるで長い時間冷水に浸していたかのようにアルヴァの手が震えていたからだ。
「…………置いてかないで……」
アルヴァの口からそんな言葉がふいに漏れ出た。それがリトルに対してか、夢の出来事に対してか、あるいは周囲の交流ある人物全員に対してなのかは分からない。
だが、何故かその全てに置いていかれる不安に襲われてアルヴァは心の臓が押し潰されそうになった。
そんな事は起こりえないはずだ。そう自分に言い聞かせると同時に、自分達がいつ戦いに巻き込まれて死んでしまうかも分からない立場なのだと思い起こされて……涙がぼろぼろとこぼれてきた。
ボクは男だから、リトルの前だから、そういう事を思いながら両手で顔を拭う。その度、余計に自分が情けなくなって泣いた。
涙を堪えようとすればするほど顔がくしゃくしゃになる。このままじゃリトルの事を失望させてしまう。
そんな自己嫌悪と後悔に苛まれていると、アルヴァの頭が急に抱き絞められた。
「よしよし、泣きたい時は泣いたっていいんだよ!」
そんな事を快活に言われながら、アルヴァの顔はリトルのみぞおち辺りに押しつけられる。
汗とベビーパウダーが混じったような、独特な甘い匂い。額の辺りに微かな膨らみを感じて、さすがのアルヴァも微妙な気まずさを覚えた。
「り、リトル。もうお兄ちゃんは大丈夫だから……」
首を動かしてリトルの抱擁をとこうとした。だが、それでも彼女はアルヴァの頭をガッチリとホールドして抱き締め続けている。
「リトル?」
「甘えたい時は甘えていいんだよ! よしよし、ママですよー♪」
リトルは陽気な態度でアルヴァの頭を抱いて、きゅと自分の身体に押しつけた。
「……涙でお洋服汚れるよ」
「汚くないもん」
「鼻水もついて、ガビガビになっちゃうよ」
「洗えばいいもん」
心なしか、リトルはいつもより強情だった。
致し方なし。アルヴァは力尽くで彼女をひっぺ剥がす事も考えたが。
「……大丈夫、私はアルバお兄ちゃんの前からいなくなったりしないから」
先の不安をあやすように言われて、引き剥がそうとした腕の力が萎えた。
結局、ちゃんと涙が止まるまでアルヴァは渋々少女の胸に抱かれる事になった。
ドクン、ドクン、と激しく脈打っていたアルヴァの心臓は、リトルの「とくん、とくん」という静かな心音に、歩調を合わせる。
その間、リトルはずっとアルヴァの頭を撫でていた。彼女はアルヴァの様子を確認すると、いたずらっぽく笑みを浮かべる。
「よちよち、どんな怖い夢をみたんでちゅかー?」
「リトル」
「へへへ、冗談だよー。ごめんごめん。…………でも、アルバお兄ちゃんが心配なのは本当」
「…………」
アルヴァは、自分が理解している範疇の事を話した。
近頃、悪夢を見る事。不思議な事に、その内容の一切が思い出せない事。
縁のある人間が危険な事に遭う度にその頻度が増していく事。
そしてその症状が進行していく度に、親しい人間から嫌われたり、居なくなられたりする想像に尋常ならざる恐怖を抱いてしまう。
「……リトルだったら、この前みたいに大怪我しないか、下手すれば死んでしまうんじゃないか、そう考えると怖くてたまらないんだ……」
とくん、とくん――そんな優しい、けれど頼りない心臓の音が、急に止まって二度と動かなくなってしまうのではないか。自分のあずかり知らぬところで、この胸に凶刃が突き刺さるのではないか。
……ここは、そんな事が当たり前のように起こりうる世界だ。
「リトルはそんな風に死んだりしないよ」
「……どうしてそんな事が言えるんだい」
安心させようとするリトルの言葉に対して、アルヴァらしくない意地悪な質問だった。
同じようなやり取りをされたら、経験豊富な大人達でさえ返答に窮する言葉だったろう。
だけれど、リトル・ドゥーはそれに帯する答えを明確に知っている素振りで口を開いた。
「だって、どんな事があってもアルバお兄ちゃんが守ってくれるんでしょう」
まるでそれが彼女にとって自明の理であるかのように言いのけた。
そんな事出来るわけがないだろうと、アルヴァの内にある本能の側面が告げた。
薄々、リトルだってそれは理解しているはずだ。たとえ親兄弟の間柄であってさえ、四六時中守ってやれるわけではない。むしろ、そういう間柄だからこそ失った時の恐怖が――
「うん、わかってる」
嫌な思考を止めさせるように、アルヴァの頭を再び抱き締めた。
「私もおんなじ」
アルヴァは言葉の意味を頭で理解して、どうしようもない罪悪感を覚えた。
リトルは両親を亡くしている。つい最近だって、キャラバンの人達が大勢怪我したばかりだ。そんな彼女にとって、親しい人が居なくなる恐怖は……そこに多少の差はあれど……同じようなものだろう。
「でも、どんな事があってもアルバお兄ちゃんが守ってくれるって信じてるから」
リトル・ドゥーが気丈に振る舞っているその支えは、まるで蜘蛛が垂らした細い糸だった。
それは『アルヴァが決して何処かで野垂れ死んだりせずに、自分の事を守ってくれる』という“不確かな可能性”への絶対的な信頼。
その約束を守り続けられる
その事についてアルヴァは考えさせられた。もし、そこで……いや、いつか自分が骸と成り果てたらこの子は……。
「だから、リトルは大丈夫」
とくん。とくん。リトル・ドゥーの心音は、相変わらず一定のリズムを刻んでいた。
……たぶん、リトルの性格からして、アルヴァに直接それを吐き出してくれる事はないのかもしれない。だから、たとえ同じように彼女を抱き締めてあげたとしても、その内に秘めた恐怖を本当の意味で拭い去ってやる事など出来やしない。
どうしようもない胸の痛み、背負い込んだ己が責務、それらを自覚して、ようやくアルヴァの涙が涸れていた。
「…………きっと、帰ってくるからね」
そういってアルヴァは彼女の体に腕を回して、その小さな体を抱き締めた。
別れたくない。大事な事だから、きっとその約束を守ろうとする。
血で繋がっていなくとも、それだけは守り通してみせる。