PandoraPartyProject

SS詳細

玄鳥のトロイメライ

登場人物一覧

チック・シュテル(p3p000932)
赤翡翠
チック・シュテルの関係者
→ イラスト

●ゆめ
 これは、夢だ。
 すぐにそう気付いた。
 湖に張った薄氷の上に立つように、少し力加減を間違えれば――夢だと指摘をすれば簡単に割れて崩れてしまう、そんな儚い夢だ。
 夢は眠って見るものだ。目覚めれば、見ていた夢は壊れてしまう。薄氷のように、砂糖菓子のように、硝子細工のように。もろく繊細で儚く、目覚めた後に覚えていたとしても、指の隙間から溢れる砂のようにサラサラと消えていくものだ。
 ゆえに、私は思う。
 ゆえに、私は願う。
 夢から覚めた私が、この夢を忘れていることを。
 覚えていたらきっと――君のことを想わずにはいられないのだから。
 叶うはずのない『もしも』を未だに望み続けている愚かな自分に気が付かないように、忘れていればいい。

●むねをこがす
 朝が来る。夜闇に羽を休めた鳥たちを明るく照らす光が、朝だと、活動する時間だと、教えてくれている。起きなければと頭の隅で思うも、昨日の疲れが残っているのか瞼は重い。
「……起きて、ルスティカ。もう……朝、明るい……時間。おは、よう」
「ん……」
 違和感を覚えない聞き慣れた声は、男性の声。辿々しく紡がれる言葉も耳に馴染みのあるもので、誰だと考えることなく思い浮かべられる相手だ。彼が自分を起こそうとしてくれいることに胸中に僅かに光が灯る。――そんなこと、ある訳がないのに。
 朝告げ鳥よろしく朝を知らせた男が陽を遮るカーテンを纏めると、瞼に感じる光は一層明るくなった。頭の隅で朝だと再認識がなされ、起きなければと思考が再度囁く。意識を総動員して重たい瞼を持ち上げれば、薄らと開いた瞳に眩い光が入り込み、それだけで瞼は呆気なく諸手を挙げて負けを認めて瞳を閉ざした。
「……疲れ、たまってる、する? ルスティカ、だいじょう、ぶ?」
 腕で顔を覆ったルスティカに気が付いて、声の主が近くに寄る気配。彼が側に立つと眩い光が遮られ、ベッドの上のルスティカの顔に影が落ちる。日差しから守ってくれる優しい木の下に居る心地で、ルスティカは瞳を開けて――。
「……っ」
 そうして瞳を見開いて、一拍。瞬時に脳が現状を理解する。
 ――ある訳がない。これは夢だ。
(――いや、あってもいいのだ)
 浮かんだ言葉を、無意識下に心が拒絶する。
 あったはずなんだ。本当は。あの時、彼が喚ばれず、繋がる手が離れる事が無かったなら……彼とこうして暮らす日々は、きっとあり得たであろう未来のひとつだったはずなのだから。
 ルスティカの眼前に居る、彼を起こしに来た灰と白を持つ男性を見つめ、ルスティカの時は暫く停止していた。
「……? どう、したの……? 何か、考え事……?」
 おはようとも返さずにただ自身を見つめるばかりのルスティカに、眼前の男――チックは琥珀を瞬かせる。どうしたのと、ただ彼を案じて。
 チックは、ルスティカの『雛』だ。親から子への最初の贈り物なまえも与えられず薄鈍色と別称で呼ばれていたチックへ、「雛鳥がいずれ夜空を羽ばたく白鳥座になるように」と願いを篭めてルスティカが付けた、愛しい名であった。
 あの頃のように、チックがルスティカを真っ直ぐに見つめている。
 『渡り鳥』の一族として、共に過ごした幼少期。一族の誰からも顧みられることなく、奇異の眼差しを向けられていた『薄鈍色』に手を差し伸べたルスティカの手を取った頃の――そのままの瞳。陰りは無く、純粋な信頼とルスティカの幸せを想う愛が籠もった、無垢な瞳のままだった。
 チックが弟を得て、弟に愛を注ぎ、そうしてその先で喪われた雛の無垢。
 それがルスティカへと向けられていた。

 ――これは夢だ。
 現実とは間違えようにも無いほどの、願望が織り成す夢なのだ。

●ふたり、いっしょに
 ふたりの生活は、穏やかなものだった。
 朝起きて挨拶を交わし、食卓を囲んで、身なりを整えたら『渡り鳥』として仕事に出かける。仕事を終えたなら、ふたりが暮らす屋敷へ戻ってきて、また日々を繰り返す。
 『渡り鳥』の仕事は、多岐に渡る。「誰かの助けとなる為に」を信条に掲げているため、誰かの助けとなる行為をするのだが、依頼内容により様々だ。策謀により一族が滅びかけたこともあったが、長の息子であったルスティカは分裂した派閥の内《中立派》と呼ばれる派閥をまとめ上げ、一族を、人々を、正しく導いている。チックはそんなルスティカを手伝い、支え、ともに『渡り鳥』として人々を手伝っていた。
 現実のチックは召喚によって『渡り鳥』を離れてからも、特異運命座標イレギュラーズとなりながらも人々の手助けをして過ごし、その後再会を果たしたルスティカの要請により彼を時折手伝うようになってはいたが、決して歩む道が同じとは言い難い。同じ道ではない、けれど向いている方向は同じだ。
 そのチックと、同じ道を手を取り合い進んでいける。時折だけではなく、日々ともに一族の在り方に準ずることの出来る日々は充足感に溢れており、夢のようだった。
 ――いいや、これは夢だ。
 晴れ渡る空を飛ぶ燕の心地になれば、すぐに現実との違いを見つけて気持ちは僅かに下降する。表情を隠すことに長けたルスティカの感情が、チックに伝わっていないことは救いでもあった。
「ルスティカ、あれ……あの子、かな」
「ああ、そのようだ」
 とある青年へと視線を向けたチックに頷いた。よく見つけたと彼を褒めると、素直に緩やかに瞳を細める姿に、雛の成長を喜ぶ親の気持ちがふわりと浮かんだ。彼がルスティカのことを親友としてしか見ていないことを知っていながらも、彼の在り方を形作っ名前を与えた自身は、親としての自負がある。
 この日の依頼は、生き別れた弟を探す兄の手助けだ。予てより調査をしており、弟の居場所は既に突き止めてあった。今日はふたりを会わせるべく弟へと事情を説明する為に接触しようとした段階だったのだが、折り悪く、調べてあった住所を留守にしていたのだ。しかし近隣の住民にから、つい先刻家を出たのを見たという話が聞け、ルスティカとチックのふたりは弟を探しに出ていたのであった。
 その弟を、チックが見つけた。特徴が記されたメモを幾度も見直して、嬉しげな顔で。
(――クルークに再会できたら、チックはどんな顔をするのだろうか)
 浮かんだ思考が、胸を刺す。
 チックの弟――クルークは此処にはいない。チックがその手で、これ以上傷つかないように、奪われないようにと、首を絞めた。彼のことを大切にしていたから。彼のことを一番に愛していたからこそ、彼は最愛を殺めたのだ。
 けれどその、クルークの目撃情報がルスティカの耳には入ってきている。魔種へと『反転』してしまったであろうことは、容易に察せられた。その情報は彼にも伝えてある。チックは誰よりもクルークに会いたいはずだ。会ってどうしたいかは解らないが、チックたち兄弟は再会を望んでいるはずだ。今この時、他の兄弟の再会を目にしたら、チックはどんな感情を抱いているのだろうか。注意して反応と表情を見てみたが負の感情は読み取れず、また、何かを察することもできなかった。
 沈むクルークの思考とは別に、この日の依頼は順調だった。依頼主の弟を呼び止めて事情を説明すれば、すぐさま会いたいと言われ、トントン拍子に兄弟は再会を果たした。
「……兄弟って、いい、ね。おれにも、兄弟……いたら、よかった、かな」
 ありがとうございますと丁寧に頭を下げる兄弟と別れた帰り道で、チックが淡い笑みとともに口にした。
 思わず横を歩くチックへと顔を向けたルスティカに、チックははにかむような顔をして。
「兄弟、少し……あこがれる。けど……おれには、ルスティカ、いる」
 どういう事だと思った。何の冗談かと――いや、チックは冗談でそんな事は口にしない。ならばこれは、本当にどういう事なのだろうか。
 一族が滅びかけたあの日にチックは弟の命を終わらせ、一時ルスティカとも離れ離れになった。何とか再会した後も、繋がれた手は召喚によってまた離された。もしもあの時彼が喚ばれなかったら……と思っていただけのはずなのに、これでは、まるで――。
「チック、彼は……」
 言葉が途切れる。その名を口にして良いものかと悩むが、どうしたのと問いたげな視線を向けられて。「クルークは?」と、酷く苦いものを飲み込みながらも口にした。どの答えが返ってきても、喜べはしまい。
「……クルーク?」
 だれのこと? 無垢な瞳が告げる問いに、息を飲み込む。
 ――チックがクルークを、彼の最愛の弟を、忘れることなど現実では決してあり得ないことだ。ありありと、己が望んだ醜い願望を眼前に突きつけられたような気がした。
 クルークの事を忘れてしまったのか、それとも彼の存在が最初からなかったのか。
 どちらがここでの真実かは解らない。解りたくもない。それは、藪蛇だ。藪を無闇に突付けばルスティカは更に苦い思いをすることになるだろう。それだけは確実に解りきっている。
 だから、これ以上はクルークの事は問わないでおこうと心に決めて、はぐらかす。
「『渡り鳥』に――一族に、そんな名前の者がいなかったか?」
「しら、ない。おれが……はなし、する、ルスティカ……だけ」
「そうか。そう、だったな」
 これは、夢だ。
 幾度も自分に言い聞かせる。
 言い聞かせなくてはいけない。
「ルスティカ」
 傍らの雛鳥が、穏やかな瞳で見つめてくる。その瞳に宿るのは、深い信頼と友愛だ。親からの愛を疑わず、盲目に慕う雛の瞳そのものだった。
「どうしたんだ、チック」
「……おれ、これからも……ずっと。ルスティカのそば、いる。いたい。いても……いい?」
 ルスティカの仕事を――『渡り鳥』としての活動も手伝って、支え合ってふたりで生きていきたい。
 真直ぐに向けられる信頼を受け止めて「私も同じ気持ちだ」と告げれば、チックが暖かな陽だまりの淡雪のように微笑む。溶けて消えてしまいそうな笑みだった。親として庇護してやらねばと思う笑みだった。――現実では二度と見ることが無いであろう表情が眩しくて、目が眩みそうだった。
 ルスティカは、夢を見ていた。しあわせな夢を見続けている。
 何も知らずに浸らせてはくれない夢が厳しくとも、一時の甘さに身を委ね続けた。
 雛鳥がしあわせそうに傍らで微笑むことは、親鳥のしあわせなのだから。

 ――これは、夢だ。
 叶えられる筈も無い、あの日の私が焦がれていた。稚拙な夢。
 朝なんて、来なければいい。
 ここにずっと居たい。雛が『親』になろうとすることも無く、愛が『誰か』に逸れて喪われることもない。ここにいれさえすれば、雛は肉親を手に掛ける痛みを忘れたまま親の庇護下でふくふくと幸せに育ち、絶望を知ることもない。『これまで』も『これから』も、そうしてみせる。
 君が傍で穏やかに、幸せそうに笑う『現実』を守りたい。
 子は親の傍に居るべきなんだ。ほら、君もそう願ってくれている。
 ずっと、永遠に、一緒にいよう。約束だ。

●夢想曲
 リロンデル、リロンデル。
 愛しい雛の、夢を見る。
 リロンデル、リロンデル。
 微睡み揺蕩うは、しあわせな夢。
 理想と幻想の夢想に浸っていよう。
 いつか目覚めると知りながら、雛の羽毛に包まれて。

 しあわせな夢に包まれたままでいれば、この『現実』は壊れない。
 ゆえに、私は思う。
 ゆえに、私は願う。
 ――覚めないでほしい。
 あたたかくしあわせな夢の中、切に願う。
 願わずにはいられなかった――。

 リロンデル、リロンデル。
 しあわせの殻に覆われた卵の中に、二羽。
 リロンデル、リロンデル。
 比翼の鳥の、夢を見る。

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