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蜂蜜に溺れたような2
登場人物一覧
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間が悪い。
生きている以上、社会という枠組みの中で営みを続ける以上、そう思わざるを得ないことは無数にある。
ただまあ、ここまでのはなかなか無いなと、サイズは思うわけだ。
自宅に帰ってきたら親しい女の子二人が自分のベッドで裸で抱き合っていた。
そんなことあるだろうか。
たまたま着替えていたなんて言い訳は通用しない。互いの顔は近く、その頬は赤みを帯びている。
何か『激しい運動』でもしたのか、ふたりの白い肌には汗が浮かんでいた。
サイズはこの瞬間、神様の存在を信じることにした。
異世界からやってきた某ではなく、もっと超常的で運命とか操るなんとかサンのことをだ。
そういうやつが、きっとひとつ飛ばしで駒を進めるみたいに、にやにや笑いで自分の展開を弄んでいるに違いない。
一瞬、自分の中にいるもうひとりのことを思い出した。自分にそっくりなカラーリングを変えたようなあいつ。いいよ。今は交代したいとさえ思えるよ。ちょっと表面意識チェンジしてこの事態をなんとかしてくれないか。「嫌だよ、自分でなんとかしてよ」そこをなんとか!!
ちくしょう。深層意識に逃げられる気がしたのに、遠ざかってしまった。くそう、今は恋しくも思えるぞ赤い部屋。
兎にも角にも、この状況においてサイズはひとりになってしまった。誰も助けには来てくれない。神は死んだ。存在したらいつか死ぬのである。たぶん今がそうだ。
頭を回転させろ。精一杯混乱した脳を抑え込み、最善の解決策を見つけよう。
しかし意味不明のるつぼに蹴落とされたサイズの思考回路は、ここに来てベタな手段しか閃いてはくれなかった。
「間違えました」
ぎぃ、ばたん。
扉を閉じる。そうだ、間違えたのだ。そうやって自分を騙すことにする。そうすることは肝要で、そうすることが最善手。
逃げることは恥ではなく、この上なく有用な手段なのである。生き延びたいだけなら、困難と戦ってはならないのだ。
走り出せ現実から。かけ離れろこの場所から。脳内で演奏が始まる。ヘヴンアンドヘル。オンヨアマーク。
理想的なクラウチングスタートを決めたサイズはしかし、開いた扉から伸びてきた四本の腕につかまった。つかまって、取り込まれた。引きずり込まれた。有無を言わさぬ動きだった。
助けを求めるように手を伸ばすが、されどその腕さえも絡め取られ、部屋の奥へ。
ぎぃ、ばたん。
扉が閉じて。あとは何事もなかったかのように、世界は回り始めた。
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「あらぁ、サイズじゃない。どうして、そんなに強張っているのかしら?」
絡め取って、引きずり込んで、上から覆いかぶさって、今もまだ事態を把握しきれていないという顔をするサイズに、チェルシーは笑ってみせた。
いつもの、親しみを感じさせるようなものではない。もっとどろりとした、獲物を前にする舌なめずりに近いそれだ。
目をそらされたが、嫌悪のそれではないとわかっている。単に彷徨っているだけだ。あられもない姿をしているから、どこを見るべきかわからないのだろう。
気にしないでいいのにと思っていたら、もうひとり、サイズを見下ろす影が落ちた。
「ねえ、サイズさん。どうしてここにいるの?」
じーっと、逃げるサイズの視線を追いかけるように、ハッピーが見つめている。
(……あれ、怖いのよね)
「ねえ、ねえ、サイズさん。聞いて?」
「いや、その、あのな……?」
「聞いて」
「はい……」
びぐんとしたサイズが、ようやっと、ハッピーと視線を合わせた。しかし目のやり場には困るのだろう。努めて顔より下を見ないようにしているのがわかる。
「欲しい物が、あるの」
(あー、まだ覚えてたのね……)
チェルシーがハッピーに顔を寄せてやると、甘えるように頬を擦り付けてきた。
軽く口を開けて、キスをする。舌先が触れるようなキス。唾液が落ちたかもしれないが、気にしない。いいや、いっそ気にしてくれて構わない。
指を絡めあって、身を寄せて、また互いの体温を感じている。背中を撫でてやると、切なそうな、物欲しげな瞳が帰ってきた。
脳が溶けていく。精神が蕩けていく。心に火が点いていくのを感じている。
嗚呼、だけどそうだ。どうせなら、このままもうひとり、増えてもいいじゃないかと思う。いいや、そうあることこそ願ったりだと企んでいる。
「あら、見られてしまったわね?」
「いや、そんな真上でされたら、見ないのが無理というか……」
「見てしまったわねえ。いいえ、いいのよ。サイズもそういうのが気になるわよね。大丈夫よ、怒ってなんかいないわ。ちゃんと」
ちゃんと。
「身体で返してくれれば、それでいいから」
ハッピーの首に舌を這わせながら、目だけでその人を射抜いていた。
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頭がぼーっとしている。
指を絡めて、身体をくっつけるのは気持ちがいい。
思うままに、求めるままに口を吸い合うのは気持ちがいい。
互いの身体を舐めあって、どろどろに溶けていくのは気持ちがいい。
この人も一緒なら、きっと、もっと気持ちがいい。
自分の下で、サイズが唾を飲む音が聞こえた。それが可愛らしく思えてしまって、絡めていた指を解き、サイズの胸に指を這わせた。
衣越しに細い指で擦る。擦って、つついて、撫でて、ゆっくりとボタンを外していく。
抵抗はない。戸惑いの勘定はありありと浮かんでいるが、振り払ったりはしない。
拒まれることはないだろう。それだけの関係は築いたはずだ。好意を寄せ、向こうからも得ていると思うのは、自惚れではないはずだ。
だから、とろけた頭の片隅で、どこか冷静な自分が言う。
いつもは自分の中でわずかなブレーキを踏んでくれるはずのそれが、今は耳元でささやくのだ。
このまま進んでしまおう。このまま肌を重ねてしまおう。きっと受け入れてくれる。意識をもっと傾けてくれる。自分がこの人のものとなり、この人も自分のものとなる。
恋する乙女が計算高いことを、この人は幻滅するだろうか。あの手この手で自分に振り向かせようとしていることを、この人はどこまで許してくれるだろうか。
でも大丈夫。きっとこれは大丈夫。
ボタンを外して、身を寄せて、耳のすぐ近くまで顔をやって。ふうっと息を吹きかけてから、甘ったるい声で語りかけるのだ。
「ねえ、サイズさんも、する……?」
触れている肌が硬直したのがわかった。
何をとは聞かれない。そうしたら、行動で示されることをわかっているから。
どうしてとは聞かれない。自分の好意は既に伝えてあるのだから。
だからまあ、今はこれでいいと思う。ロマンティックなものは、また後日に頂くとして。
今は溶けていく感覚を、共有したいのだ。
●
さて、この状況から逃げ出す方法を教えてほしい。
現在、自分のベッドの上である。
両脇には親しい女の子がふたり、ぴったりとひっついているというか覆いかぶさっているというか、そんな状態。
どちらもなんと言うか、とうに『出来上がって』しまっていて、理性的な行動というのは通用しそうにない。一般論でも口にしようものなら、そのままとって食われかねない圧力を伴っている。
「ねえ、一緒にしましょうよ」
「ねえねえ、する……?」
それは確認ではない。お願いでもない。命令であった。もっとこう上からの、勅令に近いものであった。
物理的な手段を振るうことは出来ない。そもそも、互いの戦力差を考えると、抵抗が通じる相手ではない。それ以前に、ふたりに暴力を振るうなど、サイズの中では論外の選択肢だった。
よって、力は役に立たない。ならば知的生命体に残された最後の武器は言葉である。ペンは剣より強いと誰かが言った。確かに超近距離において小回りの効く武器の方が有効である。なにせ彼我の距離さは限りなくゼロに等しいのだ。
何かないか。この状況を打開できる言葉。サイズは朝7時に白紙のプレイングを見たときくらい思考を加速させる。脳細胞がフル回転し、未だ仮組みすらされていない600文字を築き上げるべく、アイデアを模索するのだ。
作戦に沿い、目標を達成しながらも、MVPを狙う。数百メートル先の針穴に銃弾を当てるような集中力。この距離で大成功を勝ち取るには。
「好きだ!!」
思い立ったと同時に、それを実行していた。計算完了。これが完璧なルート構築。
「ふたりとも、好きなんだ。でも、俺には選べない。だから―――」
よし、ふたりとも急な告白にぽかんとしている。いいぞ、このまま畳みかけろ。
「ふたりとも俺のものになって欲しい! どっちも愛するから!!」
…………。
最低である。最低極まりない告白である。だがこれでいい。ハッピーもチェルシーも、見たところ正気ではない。頬は上気し、瞳は蕩けている。この状態をサイズは知っていた。
魅了である。ふたりは魅了にかかっているのだ。
だからなんだか『そういう』気分になって、熱を帯びてなんだか熱くなって服とか脱いじゃったのだ。そうに違いない。
ならばここは相手に合わせるふりをしてゲスい男を演じ、場の空気をしらけさせて正気に戻す。
後で白い目で見られるかもしれないが、精神汚染状態からのなし崩しで関係を持つよりはマシだろう。そんな状態異常のまま本能に従って身体を重ねるわけにはいかない。我々はローレット。バッドステータスとは抗うものなのだ。
無論、この場合の問題は。
「あら、そういうのがお好みだったのね。いいわね」
「うん、大丈夫。愛は広いものだから」
その分析の一切が間違っていたことだが。
「「よろしくお願いします」」
手が迫ってきて、組み伏せられて、匂いが濃くなって。
むわっとした香りにむせ返りそうになりながら、どこで間違えたのだろうと心で頭を抱えつつ、体温の暖かさを感じていた。
その後のことは、断片的にしか覚えていない。
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唇を重ねられて、驚いていると、中に何かが入ってきた。
滑らかで、ざらついていて、やわらかく、濡れたそれ。
そいつが好き放題に自分の口の中を蹂躙し、我が物顔で振る舞っている。わずかに見せた抵抗の意思も、絡め取られてしまった。
耳を覆いたくなるような接触音が、何よりも近く自分の中から聞こえてくる。
もうひとり覆いかぶさって、口の中の侵入者が増えた。目を見開いても、もがいて見せても、取り押さえられてなにもできない。
何も出来ないまま、口の中をふたつの肉塊が蠢きあっている。
息が苦しくて、口を大きく開けば、それを催促と受け取ったのか、うねる肉はより激しさを増すことになった。呼吸が自然と荒くなる。それが息苦しさによるものなのか、口内を犯されたことに興奮してのものなのか、とうに判別がつかない。
おう、とか、あう、とか。そんなみっともない声が最後の抗いであったのだが、それにすら気を良くしたのか、蹂躙者はまるで飽きる風もなく、自分の中で絡み合い、這いずり、蠢いている。
腕はとうに抑え込まれ、肌は互いに密着し、汗を共有している。片足につき二本、彼女らの脚が絡んで、離してはくれない。どころか、より深く、より近くと擦れあい、近づき、体温を共有している。
酸欠のせいか、このむせ返る匂いのせいか、頭がぼうっとする。段々、何も考えられなくなっていく。
侵入者を受け入れ、快く迎えている自分がいることに気づいても、脳は抗う意思を見せない。むしろ、今度は自分が侵入者になっていることに気づく。
いつ、自分が上になったのだろう。そんなことも思い出せない。荒い呼吸を隠すこともなく、治めることもなく、互いを奪い合い、蹂躙しあっている。
肉の塊である侵入者が、今度は自分の身体を這っている。首を、頬を、耳を、耳の中を。金属を弾くような音。金属を弾くような音。金属を弾くような音。
自分もまた、それを肌に這わせている。首を、肩を、鎖骨を、腹を、臍を。
「――――――ッ」
誰かが何かを言った気がする。夢中で、蕩けていて、そんなものは聞いちゃいなかった。自分も言葉を返したように思えるが、おそらく向こうも、覚えちゃいない。
指を差し出されたので、迷わず口づけた。手だったか、足だったか、まるで思い出せないが、唇を這わせると相手が笑んだことは覚えている。
だからそれが、正しい行いになった。互いに脳を溶け合わせ、肌を重ね、互いが笑むことをする。それが幸せであるのだから、それが正しい行いになったのだ。
気づけば、また自分が下になっている。
ひとりが覆いかぶさり―――ひとり?
視線を巡らせると、彼女はそこにいた。
自分の本体。堂々たる大鎌。その刀身に口づけると、ゆっくりと舌の腹でなぞっていく。
自分の体が跳ねるのを感じた。強烈な感覚に、溶けていた脳が叩き起こされる。
無様な悲鳴をあげていたと思う。それで気を良くしたのか、ふたりして、挟むこむように刀身に身を寄せると、ゆっくりと、それを。
頭が真っ白になる。何も考えられなくなるのに、思考の奔流が埋め尽くしてくる。
気持ちがいい。こんなことはいけない。気持ちがいい。どこかで止まらなければいけない。気持ちがいい。理性を総動員しろ。気持ちがいい。気持ちがいい。気持ちがいい。きーんとなる音。何も、見えなく―――視界が、もどってきた。
どっと、疲れがのしかかったような錯覚に囚われる。見えていなかったのは、数秒か、数分か。
そうしてやっと、また二人が自分に覆いかぶさっていることに気づいた。いいや、正しくは乗っている。馬乗りになっている。
そうして手で太ももをなで、上り、その先へ。
「ちょ、っと……待った!!」
腕を伸ばして鎖を動かし、二人を拘束する。もう抵抗する余地など無いと、侮っていたのだろう。サイズひとりでも、なんとかふたりを抑え込むことに成功していた。
大きくため息をつく。最後の一線を守りきった自分を褒めてやりたい。
こうして、サイズ自身の性別ステータスは『不明』が保たれたのであった。
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「えーーーーーーっと、どうしようか」
ベッドの上で、今も鎖に手足を縛られて転がるふたりを見て、サイズはまた、大きな大きなため息をついた。
記憶が消えたわけではない。何をどうして、何をどうやっていたかまで鮮明に覚えているわけではないが、たまらなく心地よい、甘美さだけが支配する時間であったことは覚えている。
今更気恥ずかしくなって、顔を覆いたくなった。そんなことをしても、時間というやつはまるで戻ってはくれず、現実という夢はまったくもって覚めてはくれなかったが。
「なんであんなこと言ったんだろう……」
過去、後悔が先にたった試しはなく、いつだって誰だって、振り返ればそういうことの繰り返しだ。中でも今日のそれはとびきり強烈なやつだった。数日は、ベッドに入る度に景色も匂いもフィードバックしてくるだろう。
チェルシーと目があった。すっごく期待した目を向けられている。
「いや、しないよ? 何を期待してて何を想像しているかしらないけど、絶対に何もしないからね? うん、やめて。いい感じのポーズをとるのやめて。効くから。いますっごく効くから。頑張って我慢してるんだから許して?」
鎖を少しひっぱると、艶めかしい声を出すものだから、絶対にもう触らないと決めた。このまま放っておいたら落ち着いてくれないだろうか。それを口に出したら、余計にキラキラした目をされたものだから、また頭を抱えることになった。
「提案が、あります!!」
手足を縛られているので、転がりながら、ハッピーがサイズの前までやってきた。
顔はまだ朱を帯び、身動ぎする度に生じる締め付けの感触でふるわせてはいるが、目を見る限りは正気であるように見える。見えは、する。
「……うん、何かな?」
「あの…………私にも合鍵をください!!!」
どうしよう、今日イチ頷きにくいお願いだった。
「これ俺らどういう関係になったんだよ…………」
ため息は通算で、何度目だっただろう。