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憎しみの剣
登場人物一覧
●ある男の噺
むかしむかし、あるところに剣を守る守り人――
その一族は、嘗てその地で行われた凄惨な事件の関係者の末裔でした。
被害者たる舞姫は貴族の傲慢を振り切って、愛しい人の元へと必死に逃げ切ったにも関わらず、愛した男の手で殺されてしまいました。
『お前が戻って来なければ、俺は一生幸せに暮らしていけたのに』。
その言葉は呪いとなり、剣で切られた血は赤く赤く、舞姫の死んだ葡萄畑を中心とした一帯の作物は酷く赤みを増すのだと。とりわけ、葡萄は赤く赤く、芳香な血の香りを漂わせるのでした。
舞姫を殺した男は新たに妻を迎え、そうして子を設け――そうして剣守の一族は生まれました。罪を祓う浄化の剣として。
そんな剣――ヴェルグリーズの名を一族の名とし。脈々と受け継がれてきた血筋。その一族の歴史は、咎人たるアーデルベルト・ヴェルグリーズの代で終わりとなりました。
彼は愛した人を殺した罪にかけられました。もちろん、彼はそんなことをするような人間ではありませんでしたが、村で一番権力を持つ司祭が告げたのだから、鶴の一声のようなものでしょう。
彼は魔女裁判にかけられました。
そして。堕ちました。
そんな彼は、今日もどこかをさまよっているようです。
罪たる剣の象徴。或いは、浄化の剣。血を啜る剣、ヴェルグリーズを持って。
●Mise en scène
悲しい人だと思った。
寂しい人だと思った。
彼らの一族は愛することさえ許されない宿命なのだろうか。
長い時をかけて人間をあの村で見守ってきた俺にとって、剣として俺を扱い、奮い、時に愛をもって磨き、時に他者の肉を裂き血で潤してくれる彼らは、そこまで性根の腐った屑のような人間には思えなかった。
なんて、肩入れだろうか。これでも映画を見るような心地で、彼らを見ていたのだけれど。
ああ、でも、そろそろだろうか。
なんて。俺は未だ、眠っていたって、いいのだけれど。
ところで。『彼』はどうして、『俺』を手放したのだろう?
俺の生は、戦いこそが人生であるというのに。
●連続放火事件
これは、ヴェルグリーズが目覚めた今も。続いている事件の噺である。
混沌世界において、火災と言うのはあまり好まれたものではない。
それはもちろん深緑のようなありのままの自然に根を張り生きていく種族がいるからでもあるが、混沌世界に旅人たちが言うような鉄筋コンクリート造りの家があるのは練達くらいのものだろう。審議こそ定かではないものの、一見すれば煉瓦や木材を主としたつくりの建築物が多いように思われた。
そんな混沌において、近頃噂にされているのが『不審火』であった。
王都メフ・メフィートにもその不審火の影はちらつき、燻ぶり。火種を探すもその原因は見つからず、警備隊は昼夜問わず警戒態勢が続いていた。勿論、ローレットの
晴天の空の下、石煉瓦の道を歩み進んでいく。くすんだ街灯のガラスも、きゃあきゃあとはしゃぎ走り回る子供たちの声も、なんら普段のそれと変わりない。今日は天気がいいとか、お嬢ちゃん可愛いからおまけしたげるよとか、あっちのほうで紛争があったとか、耳を撫でる言葉の数々も、さほど変わりはしなかった。
「こんにちは。少しだけ話を聞いても?」
「嗚呼、構わないよ。何が聞きたいんだい?」
「ここ最近流行っている――いや、噂の『不審火』について、かな。この近くでも一度あったと聞いているんだけれど」
「へえ、兄ちゃん詳しいねえ。記者見習いかい?」
「いいや。ローレットの
「ほぉ、あのローレットのねえ。ま、特に変わったことはないさ。男が燃やしてった。その辺の『噺』と変わりないだろう?」
「ふふ、そうだね。ただ――俺の勘は、まだあるような気がしているんだ」
「……へえ」
魚屋の店主は、二軒隣の焦げた家屋の残骸を見、目を細めた。
ついてくるように手を振ると、ヴェルグリーズはそれに従う様に男の後を追った。
◇
「ベティーナ……」
「ああ。恐らくは女の名前だろうな。憑りつかれちまったみてえに、女の名前を呼んでたんだ」
「ふむ……」
きっとこれは新たな情報だろう。ローレットにまだ回ってきてはいない情報ではあったが、然し、大きな手掛かりになりうるはずだ。
「魔種、なのかな」
「さあな。ただ常人でも、魔種でも。やべえやつだってことに変わりはねえだろうさ」
「ああ、そうだね」
店主は煙草を咥え、ぼんやりと天井を見た。
その煙の先を辿るように、ヴェルグリーズもその黄ばんだ天井を見る。
「ああ、ウチのには止められてるんだが……内緒にしといてくれや」
「情報料ってことでどうかな」
「はは、そりゃいいや」
ちりちりと焦げていく匂いが鼻をつく。ぼんやりと灯ったその光に、ヴェルグリーズは懐かしさを覚えた。今は遠き彼方のそら。
小さな城と、いくつかの葡萄畑、それから――
「――ベティーナ?」
「なんだ、兄ちゃん」
脳を駆けるような心地がした。
ならば。きっと。そうだ。
噂の放火魔は――
「アーデル、ベルト」
嘗ての主人が生きていた。幾年も前の主人が。
あの時炎を纏った己を思い出す。何もかもを燃やし、断ち、そうしてすべてを奪った己を。
ああ、なんて簡単な謎だったんだろう。
疑問も疑念も、はたまた困惑も消え去っていた。あとに残ったのは柔らかな諦念。胸の痛みは未だ知らず、『物体』であるが故の諦観した価値観が彼の心を支配する。
「子供みたいだね」
「? なんのことだ」
「ありがとう、ご主人。俺はそろそろ次の聞き込みに向かうとするよ。また、いずれ」
「お、おう。またな」
店先を飛び出して。どこにあるかもわからぬかつての幻想を辿る。
葡萄酒の匂いと人々のこびへつらうような笑顔、汚い金の匂い。まさしくそこは幻想であった。
「アーデルベルト……キミは、ほんとうに」
どうして、キミは救われないんだろうね。
憐憫故の笑みを浮かべ。ヴェルグリーズはローレットへと帰っていった。
●マッチとガソリン、それだけでいい
嘗ては火を起こすのだって、暖炉にくべた火を持って来たり、ろうそくで火を繋いだり。そうすることでしか燃やすことは叶わなかった。
それがどうだ、今の俺ときたら、マッチとガソリンさえあればあの業火をどこでだって再現できる。
忌まわしきあの炎。俺を焼こうとしたあの炎は、酷く美しかった。
殺人がなんだ。殺したのはお前たちのくせに。
愛がなんだ。奪ったのはお前たちのくせに。
「――――糞ったれ!」
俺の耳に未だまとわりついたあの甘ったるい声は離れない。ただあの声の言うままに従っていた方が、こころは安らかだった。ベティーナのことも、あの糞どものことも。何もかも忘れられるような気がして。
勿論、最初はこんなこといけないって、そう思っていたさ。だから抗おうとした。その度に、俺を呼ぶ声はさらに執拗に声を重ねてくる。
『壊しなさい』
『その程度なの?』
『あの女を愛してなど、いなかったんじゃなくって?』
違う。違う。俺はベティーナを愛していた。
愛していたんだ。
瑠璃色の夜空、友の涙。何もかも、忘れて、置いてきてしまった。
マッチが燃える。オイルにまみれた木造家屋は、ぼうっと激しく燃え盛る。
人も、罪も、何もかも燃えて、壊れてしまえばいい。
俺と彼女は愛していた。愛していたんだ。なのに、どうして。罪なき彼女が奪われなくてはならなかった?
彼女と駆け落ちした俺が悪いのならば、俺を殺せばいい。俺だけを燃やしてしまえばよかっただろう。
ああ、嗚呼。目が痛い。足も痛い。歩き続けてきた。ご飯も金も、何もかも置き去りにして。
俺は誰だ? 俺はどこから来た?
もう帰れないのか? どこへ?
ベティーナの元に帰らなくては。ああ、ベティーナって、誰だっけ。
もうなんだっていい。俺はこの視界にうつるすべてを燃やすだけだ。そうしなくてはいけない。
あの日から、俺の全ては燃えているのだ。
そう、復讐の炎だ。
虚空に握った剣が、ヴェルグリーズを象った。
●××
「この剣のせいで、俺は、俺は、ベティーナを――嗚呼!!!」
ぱりん。