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私は誰だ?
登場人物一覧
- 赤羽・大地の関係者
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●Hostiliter ita ut non invenire verum ex significatione quaestio.
いくつかの未来を乗り越えた先に私の命は、存在はあったのだ。
あの憎き首狩り兎が私の命を奪おうとしてきたことからすべてははじまった。
私の首より紡がれる幾つもの未来線。
だから、目の前の『私』から放たれる悪辣で品位のかけた言葉の主。赤羽と名乗った『私』は、噂に聞く程常識のかけた行動ではなく、ある程度こちらを警戒した様子で私に問いかける。
「ビブリオティカ・ティエーラ――書籍卿、か」
「私の呼び方など些細な問題だ。私が貴様に問いたいのはただ一つ――」
「――お前の身体の主をどうするつもりか、ということだ」
●Hoc secretum summitate.
赤羽に問いを発した老人。その魂の色は酷く大地に似ていた、と後に赤羽は語った。もっとも、その男から放たれていた圧やプレッシャー、怒り、すべてが赤羽を緊張、そして警戒へと導いていたために、その記憶も朧気ではあるのだが。
ただ、いつものように、大地に向けたような軽口を叩けば、小指一つで魂ごと潰されそうな重圧。赤羽も思わず喉を震わせた。
男は強いだろう。だからこそ選択肢を間違えれば己の死にもつながりかねない。それは避けたい。
生きる為にひとつになった彼らにとって、それは避けたいことであり、避けられないのなら力づくでも避ける事態である。然し二人でひとつであるはずの赤羽・大地の大地は、なぜかは解らないが深く深く意識を閉ざし眠りについている。だからこそ赤羽がこんなに前に出ても誰も止められないし、赤羽が思考し続け、ビブリオティカ・ティエーラと対峙する羽目になっているのだが。
赤羽にとってビブリオティカ・ティエーラは脅威そのものであった。
だからこそ。
その問いに、首を傾けたのである。
「は……? アンタには関係ないだろウ」
「あるから聞いているのだ。それくらいわからないのか?」
淡々と。しかし冷静に。
声にはわずかに怒りも含まれている。これはいけない。
琴線に触れぬように振る舞えば振る舞うほどに自信の首にギロチンが。または、鋏がかかっているような気がして、赤羽は首の傷を触らずにはいられない。
「その少年の事を言っているのだ。三船大地の身体にどうして、お前が寄生しているのだ」
単純で明快で、然し誰にも触れられなかったその疑問。改めて直視してみれば、これほどにも不可解なものはないと改めて思うだろう。
お互いにお互いを利用しているだけ。
そう片付けるには難しい。難しく成りえるほどのの長いときと、歳月と、戦いを乗り越えた。最初こそ不便で面倒だとは思っていたけれど、三年もたつと慣れてくるのが現状だ。
そうして固い絆で強く強く結ばれた二人にとって改めて投げかけられた疑問。身体を乗っ取ろうと思っていた赤羽にとっては余計に難しい問題だった。
自身に敵対感情を持つこの男に素直に語ってしまえば、それこそ今この場で消されかねない。それだけは避けたい。が、嘘を言っても仕方がないだろう。
それに、少しずつ芽生えた絆のせいか、大地を失うのは惜しいことのように思えて仕方がない。
それは真実だ。だからこそ、伝えよう。
「大地は。悪いヤツじゃあねェ。だからこそ、何か残してやりたいと思ってるし、失うツモリはねえヨ」
「そうか」
一生懸命考えて紡ぎだした答えにもビブリオティカ・ティエーラは、酷く冷たくこたえを返すばかり。流石に怒りを覚えるものの、それに構っていてはいくつ命があっても足りないしひねりつぶされるだろう。己の力不足を酷く恨んだ。
「では、次の質問だ」
「まだあるのカ?」
「私が満足するまでだ」
「はぁ……」
なんだこのじいさん。と言ってしまえば口が裂けてしまいそうなので絶対に言わない。
「……大地というその少年の身に危険を及ぼすかもしれない、『青刃』をどう思っているか」
「……!」
「分かりやすい顔だな」
呆れたように。或いは、嘲笑うように。
本性をひた隠しにしている男の笑みは、どこか『大地』と似ている。
「……アンタ、大地に似てるナ?」
「ははは、そうかね? 私はもう老いぼれだが、そういって貰えるとは……生きていた甲斐があったというものさ」
はぐらかされた? そうだとは言いきれないが、しかし。言葉巧みな心理戦は赤羽に苛立ちを、ビブリオティカ・ティエーラには焦りをもたらした。
(このジイさん、なかなかやるナ……)
(五月蝿い蝿かと思えば、違うようだな。聡く、鋭い)
笑みは絶やさず、されど言葉の下にはいくつもの刃を隠して。
巧妙な心理戦に、終わりは見えない。
「――さて、お茶にしようか」
ので。毒を仕込んだお茶会を、ひとつ。
●Arcanum tea pars
アッサムの茶葉を気に入っているのだとビブリオティカ・ティエーラは告げた。
使い込まれているであろうカトラリーに小さなスコーンと、紅茶をのせて、男は食べるように促した。
毒味もかねているのだと、先にひとかけ食べて見せて。ああ、律儀な男だと思っていたところをこれくらいは食べられるだろう? と添えられた軽食で持っていかれたので、やはり油断ならない男だな、とも思う。
シーザーサラダとトースト、それから目玉焼きにはベーコンを添えて。スコーンはプレーンだそうで、食事にも合うほどよい甘さ。これを端から見ていれば孫と祖父なのだが、実際はもっと複雑で絡み合っていて、それでいて単純な繋がり――彼らは彼ら、とだけ。
「うまいか?」
「……」
こくり、頷いて。警戒こそ解くつもりはないけれど、食べ物に罪はない。とろぉりとろける目玉焼き、じゅわっとほどよい油の広がるベーコン、ざくざくのクルトンが食欲そそるシーザーサラダ。書籍卿と呼ばれるだけあってかその手から本が離れることはないが、食事を満喫しているらしい、鼻唄が聞こえた。
その鼻唄は、聞き覚えがあった。
(――大地がよく歌ってる、あれカ?)
昔授業で歌ったのだと。あまり慣れなかったけれど、楽しかったのだと。いつかまた、そんな日が来ると思っていたのだと。
ぽつりぽつり話していた大地を覚えている。
その寂しげな音色を、覚えている。
「大地……?」
伺うようにかけられたその声を、ビブリオティカ・ティエーラは無視して、歌うのをやめた。
「さて。お茶会は仕舞いだ」
指を鳴らすと消え行くテーブル。そこにあった安寧が嘘のように消えていく。とけていく。
「……ああ。そろそろ満足して貰えたカ?」
「そうだな……まだまだ、だ。私の問いに答えて貰おうか」
「……あァ」
ゆるやかに、頷いて。
青刃について。実の弟について。
愛らしい見た目ではあるが、その内側も本質も、酷く醜く歪んでしまった。彼はどうすれば、止まってくれるのだろう?
酷い事件を起こしてまで赤羽に執着する理由がわからない。きっとそれは愛ゆえに、なのだが、それを知るのはまた別の話。
不安に思うのは赤羽とておなじなのだ。不安定な『弟』は何をやらかすか、何をしでかすか。何を仕掛けてくるかさえわからない。
『兄さん』と己を呼ぶ声は酷く甘ったるくて、悲しげで。兄としてか、赤羽大地としての気持ちを優先すべきか、それすらも曖昧で。だから、唸り悩むことしかできないのだ。
嘘つき達のお茶会、添えられたメッセージは『真実を語れ』。笑顔と虚言の仮面は分厚くて固い。それ故に、互いに霧の中を手探りでさ迷うのだ。
「止められることができるなら、力付くで止めるゼ」
「……へえ」
含み笑い。それ以上も、以下でもない。
止めたいと願う気持ちは本物以外の何物でもないから。
「それでは、最後の質問だ」
「赤羽と書籍卿(わたし)、どちらがこの先、生き残るべきか」
「――ッ」
惨劇。斬擊。無惨に散るところであったか、一秒前まで立っていたその地を見る。
大きく抉れていた。いつか離れた首が痛む。思わずさすっていたそのとき、男の掌には大きな魔力塊があった。素早く後方へ跳躍する。その地に投げられた塊は、大きく地を破壊した。
「殺すつもりカ?」
「さあ?」
ならばこちらとて相応のお礼を支払わねばなるまい。開いた書に綴る最悪の未来が、ビブリオティカ・ティエーラを襲う。
「……へえ」
赤い瞳が瞬いた。つよく、つよく。ふかく、ふかく。
煌めいて、光が包んだ先――
「……は?」
そこにあったのは、いつもの図書館だった。
『私は誰だろう?』
と、書き残された一冊の本を残して、ビブリオティカ・ティエーラは立ち去っていった。
抉れた地面も、お茶会の後もそこにはない。
後に残るのは、後味の悪いバットエンド。