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受け継がれるもの
登場人物一覧
●邂逅
或る暑い夏の日。ヴェルグリーズは簡素な片手剣を杖代わりにして、城下町から下る街道を歩いていた。もう夕暮れだというのに、遠くにはゆらゆらと揺らめく陽炎が見える。思わず太陽を見上げれば、燦々を浴びせられる陽差し。あまりにもまばゆくて、目が眩む。
こう暑くては人などひとたまりもないだろう。雨が恋しいかな、と早めに今晩の宿を見つける為に歩みを進める。喉を潤すには川の水でも飲んでいれば良いが、食事はそうもいかない。
ふと、最初は平たい石でも転がっているのかと思った。陽炎に惑わされ、本質が見えない。もっとよく確認しようと近寄ってみれば、大荷物を背負った人が倒れているではないか! 歳の頃は若い娘だ。一人きりで、傘も差さず何故こんな場所へ? 思い浮かぶ疑問は一旦置いておき、影が無いか探す。
少し道を逸れるが、街道を山側へ下り、木陰にそっと娘を横たわらせる。意識は未だない。どうしたものかと、とりあえず軽く頬を叩いてみる。
「キミ、大丈夫かい? 気を確かに」
何度も繰り返している内に、娘のぐったりと項垂れていた指が僅かに動いた。
「う……ううん……」
「これを飲みなよ」
差し出された革袋に入った水を、娘は目をカっと見開きひったくりごくごくと飲み込んでいく。半分ほど飲んだところで、はぁ、と娘は生き返ったように溜息をひとつ。ヴェルグリーズも娘が死んでいなかった事に安堵し、声を掛ける。
「あんな何もないところへ、どうしていたんだい」
「城下町からの帰りです。昨日は蚤の市でしたから」
そう言う娘をよく見れば、
「此処から城下町はそう遠くなかったはずだが……」
なにせ、今通ってきた道だ。
「うっ……あまりの荷物の重さに耐えきれず腰を下ろしたら立てなくなってしまって、そのまま……」
ヴェルグリーズは呆れた。それほどまでに、一体何を買い込んだのやら。兎も角、無事であったのだから良しとしよう。娘も水を飲んだことですっかり元気を取り戻したのか、
「この先……もうちょっと行った先に、工房を兼ねた庵があるんです。もう少しなので、大丈夫ですよ」
娘は笑顔でぐっと両腕を握りしめた。これはヴェルグリーズにとっても都合が良い、次の街までまだ先は長い……今日はその庵に一泊させて貰えないか頼んでみようと考えた。
「その庵を一晩借りられないだろうか。次の街までは、まだ遠くてね」
「勿論! 命の恩人の頼みですもの、断るなんてしません」
「そういうつもりで助けたわけじゃないが……ありがとう。こちらこそ、世話になる」
娘はよっこいしょと掛け声をあげながら立ち上がり、ヴェルグリーズを先導する様に先に歩き出す。また倒れ込まないように慎重に見守りながら、二人は街道を抜けた。
道中、まずは自己紹介から。娘はメニエと名乗り、ヴェルグリーズもそのまま名を名乗る。城下町では饅頭が美味しかったですね、だとかつくねの煮込みも美味だったことなどを話した。そうこうしている内に陽はすっかり陰り、遠くにはそれなりの――屋敷と呼ぶには手狭だが――庵が見える。
「ああ、やっと見えました。あそこが私の家です!」
「夜になる前に着いて良かったよ」
家が見えたことで足取りが軽くなったのか、メニエの歩調が少し早くなる。それに合わせてヴェルグリーズも速足で着いて行った。
●工房
メニエの言う通り、庵の隣には何やら大掛かりな工房があった。なんだか見覚えのあるそれらを横目にメニエと共に庵に入ると、中から青年が姿を現した。お互い、一瞬固まるものの、先にヴェルグリーズが挨拶と経緯を話したことで青年も笑顔になる。
青年はメニエの兄で、名をオリガと言った。二人は兄妹で、二人でこの庵に暮らしているのだと言う。メニエはさくさくと三人分の夕飯の準備をして「どうぞ」と振舞った。
「いやはや、妹が世話になった。改めて礼を言うよ。ささ、質素だが好きなだけ食べてくれ」
「ありがとう。メニエも無事で良かった。――ところで、隣の工房。随分と立派なのだね」
「嗚呼、親の代を引き継いでな。硝子細工を作ってるんだ」
「硝子細工?」
それにしては無骨な印象を受ける。そして何だか、懐かしさのようなものも感じた。その答えはメニエがすぐ教えてくれる。
「もう、兄さん! 嘘言わないで。お父さんの代までは鍛冶屋だったでしょう」
「ははは。死人に口なし、文句も言われないさ」
「じゃあ隣の工房は……」
「ええ、先代……お父さんは鍛冶師だったのよ。で、お父さんが死んでから、其処を兄さんが硝子作りが出来るよう造り替えたの」
なるほど、とヴェルグリーズは合点がいった。あの懐かしい感覚は、己が打たれた時のものか。幻想で打たれたヴェルグリーズであるが、やること自体はそう変わらない。……多分。
ヴェルグリーズは汁を啜りながら、何故鍛冶屋を継がなかったのか疑問が浮かぶ。鍛冶師というのは誰でもなれるものではない。一子相伝の秘儀すらあると聞く。それを捨ててまで、何故硝子細工などに鞍替えしたのだろうか。
「聞いてもいいかな。どうして硝子細工を作る様になったんだい。鍛冶屋の子どもは、鍛冶屋を継ぐのが当たり前だと思っていたけど」
「ははっ、よく言われるよ。……なぁヴェルグリーズさんや、人は何故争うのだと思う?」
「? それは……何かに決着をつける為だろう」
「そう。そしてその時、かならず隣には武器があるんだ」
オリガはふっと目を伏せ、酒を呑みながらちびちびと経緯を語り始めた。メニエが「ヴェルグリーズさんも如何ですか?」と一献差し出してくる。それを有難く頂戴し、オリガの言葉に耳を傾けた。
「人ってのは争う生き物だ。それはもうしょうがねぇ。だが、それを加速させてんのは武器なんてもんがあるからだと俺は思うんだ」
殴り合いなら死なずに済んだものを、刀剣なんかの武器が入ってくる事で争いはより熾烈になり、命の奪い合いへと発展する。そもそも武器の存在意義が、人を殺す為のものなのだ。守る為、なんてのは詭弁で、守る為に何か……人でも、動物でも、器物でも犠牲にする。武器とはそういう
「だからよぉ、俺は決めたんだ。武器じゃあ人は救えねぇ、人の心を救うのは……癒しだってな」
「癒し?」
「風鈴みてぇな季節モンから、日用品のグラスや皿とかよ。そういう、『いつも』っつぅ平和に根付いたモンっつーのかな……俺は争いの為の道具より、そういうのが作りたかったんだ」
ヴェルグリーズは閉口した。確かに、武器とは争いの道具である。それを振るう時は、何時だって尊いものを斬ってきた。平和の為に争うことだって、長い
昼日中の暑さとは打って変わり、涼しい夜。ヴェルグリーズは床に入りながらも眠れずにいた。オリガの言葉のひとつひとつが胸に刺さる。別れの剣――それは何かを断ち、流れ、巡りながら今こうして此処に居るヴェルグリーズの根幹をゆるがすような言葉だった。
「殺す為の道具、か……」
悶々としながら、結局その日は眠れず、気付いた時にはメニエが「朝ご飯出来ましたよ!」と呼びに来ていた。
●望郷
朝食を終え、再び旅立とうというヴェルグリーズに、オリガから「ちょっとうちの工房を見て行かねぇかい」と誘われた。急ぐ旅でもない、彼が作るという硝子細工がどんな物かも気になる。暖簾を潜り工房へ入った。外気に負けない程の熱気がそこには満ちている。
「この硝子玉がグラスになるんだ」
棒の先端に付けた硝子玉を炉に入れ、くるくると回しながら十分熱されたところで引き出し、棒の中へ息を吹き込み、硝子玉がぷくぅと膨れる。すぐに冷え固まったそれを硝子用のノコギリで棒の根本から切断し、もうひとつ、今度は小さな硝子玉で土台を作る。二つの硝子をくっつける為の小さな熱々の硝子片で溶接したなら、あっという間にグラスの完成!
「こんなに手早く出来るものなのか」
「ま、慣れってやつだな」
「……綺麗だ」
透明なグラスは光を反射し、いっそ七色に光っているような錯覚すら覚える。不思議だな、とヴェルグリーズは思った。何かを壊すためのものを作っていた場所が、こんな綺麗なものを生み出す場所になるなんて。
「剣だって代々受け継がれてるもんはあるだろうさ。でもよ、こういう儚いモンが受け継がれていくってのも乙なんじゃねぇかなって俺は思うわけよ」
「兄さんってば、何だかかっこいい事言おうとして!」
ヴェルグリーズは小さく首を振る。オリガの言う通りだ。何かを殺す為の道具より、こんな美しいものが引き継がれていく方が、屹度ずっと平和の証なのだろう。この工房は、文字通り生まれ変わったのだ。
「オリガ、君の言う通りだよ。儚い物が損なわれず代々受け継がれることこそ、平和の象徴だね」
「もう、ヴェルグリーズさん。話を合わせなくて良いんですよ」
メニエの言葉に苦笑するヴェルグリーズ。そんなこんなで陽も高くなってきた。次の街へ向かうには丁度良い頃合いだろう。
「メニエ、オリガ、世話になった。君達の作る硝子細工が、末永く使われるよう祈っているよ」
さようなら。そう短く言葉を交わして、再び歩き出すヴェルグリーズ。見送る兄妹。傍らには簡素な片手剣。
――お前を抜くことが無いよう祈るよ。
此度の出会いと別れはほろ苦く、しかし甘い気分にさせるようなひと時だった。もし時と場所が巡り、彼らの作品と出会うことがあれば……購入してみるのも悪くない――。