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『人が旅をするのは到着するためではなく、旅をするためである』
登場人物一覧
――ラサの砂漠は灼熱と共にある。
見渡す限りに砂の大地。果てに見えるは熱が齎す陽炎か、それとも現か。
往かねば分からぬ過酷の地。
「だけれども、辿り着いた先にはこういう遺跡もあるものさ」
首都ネフェルストより北西方面へ只管に進んだ先には一つの遺跡があった。
ラサではそういうモノがある事は決して珍しくない。
砂漠の環境は過酷であり、太古に沈んだ営みの残骸に――ラサは溢れているからだ。
石造りの建造物らしきモノが点々としているこの遺跡……名をなんと言うのか知らないが、ウィリアムは天に浮かぶ太陽の輝きを避ける事の出来る影に腰を落とす。己が隣にいるタイムに言葉を紡ぎながら。
「しかし――こういう遺跡とかが好きなのか? ちょっと変わってるなぁ」
「か、変わってるってなんですか! でも、ウィリアムさんが案内するって言ってくれて助かりました。今回はよろしくお願いしますっ」
互いに一拍の休憩を挟むのだ。
ここへ来た理由はタイムの混沌を探索したい欲――というか観光欲と言うべきか、渦巻く遺跡への羨望にウィリアムが応えた形である。混沌に来てまだ日が浅いタイムの右往左往する日々にささやかなる水を、とばかりに。
冗談めかす声と共にタイムを視れば、抗議するかのように彼女は頬を膨らませて……実の所タイムを一人で行かせるのはなんか、その。危なっかしい面があったのも理由ではあるのだが。それを言うと更に怒る気がするので止めておこうとウィリアムは喉の奥に言葉を引っ込めた。
「ははは、悪い悪い。でも好きなんだな本当に」
「ええ! ま、それだけじゃなくて……こっちに来て何が困ったって地理も歴史もぜーんぜんわからないの! もう、ぜんぜんっ。そりゃあね、世界が違うのなら当然そうでしょうけど……」
でも、だから。
「その土地の遺跡を巡ればそこで何があったのかなぁって色々知られると思って」
――過去はどこかに必ずある。過去があるから現在があるのだ。
そして遺跡とは過去の生き字引である。人の生活した営みが刻まれている。
ここには過ぎ去った、しかし確かにあった物語があるのだ。
「何があったのか……か」
であればと、ウィリアムが思考するのは近くに伝わる『物語』に関してだ。
「なら、タイムは『熱砂の恋心』の話を知ってるか?
ラサと幻想種の国、深緑には。熱砂の恋心って呼ばれてる物語が伝わってるんだ。
イレギュラーズもこの前ちょっと関わったんだけどな」
「熱砂の恋心――? なんか、名前だけは聞いた事があるけれど……」
……そういえばこの遺跡はかの『砂の都』に似ている気がするとウィリアムは零して。
思い起こすは『熱砂の恋心』の物語。
昔々、ラサの隣国、深緑に美しいハーモニアの姉妹がおりました――
姉妹は一人の男に恋をして、しかしそれ故に別たれる事になります。
悲恋。奴隷。そして、長い時の果てに。
イレギュラーズ達の手でようやく訪れた『おわり』
「その時の事件の首魁……ザントマンも討たれて、めでたしめでたし……
と呼べるかは分からないけど。終わりは確かに迎えられたんだとさ」
「……悲しい物語なのね。でも、そんな終わりを迎えられたなら……」
最悪な結末だけは避ける事が出来たのだろうかと、タイムは思考する。
とても幸福であったとは言い難いだろう。だけれども、どう足掻いてもハッピーエンドは失われていたのなら……暗く冷たい海底の下で終わる様な物語で無かったのなら――それだけは幸いだったのかもしれない。
僅かに俯く顔。それが彼女の心の在り方を同時に示していた。
彼女は――悲しい事を悲しいと思える者だ。
他者の悲しみを嘲笑い、首輪をつけて束縛する……伝承の奴隷商の様な輩とは全く異なる。
「もしも、もしもだけれども――『そうならなかった』ら、どうなっていたんでしょうね」
「……確かに、そういった不幸が起こらなければ、と考えずにはいられないけどな」
熱砂の巫女が己の心を受け入れたら。或いは深緑の巫女が上手く立ち回れたら。
ならなかった未来もあったのかもしれない。
もしくは姉妹が揃って今もいる――そんな『現在』もあったのかもしれない。
「それだけカノンさんは恋に燃え上がったのね。でもどうしても消せなくて……
心が焦がれてしまって拭い取れなかった。
瞼の裏にこびり付いた愛しい人の姿が……忘れられなかったのね」
どうだろう、もしも自分がそんな立場にいたら、と。
タイムは天を見上げて彼女を想う。
その心を。燃えるような恋っていうのには少し憧れがあるけれど。
「強い想いを抱いたままそんな結末を迎えるのは……わたしにはうまく言葉に出来ないわ」
悲しい? 狂おしい? どうしてそんな事に?
巡り続けるそれらをなんと形容すればいい事か。
――もし二人が同じ人を好きにならなければ。
――もしカノンさんが深緑を出なければ。
――もしザントマンに捕まらなかったら。
「こんな事ばかり考えちゃう」
たった一つでも異なっていれば。たった一つでも救いの手が伸ばされていれば。
もっと別の結末があったかもしれないのに――どうして『もしも』はなかったのだと……
「恋物語とか、やっぱり好きだったりするか?」
「恋物語はそうね……でもハッピーエンドが好きかなあ。悲しいのはイヤだもの」
どうしても胸が締め付けられてしまうから。
自分がその登場人物だったらと思ってしまうと……
「わたしだったらどうかな。もしも恋に破れて、しかもそれが親しい人で……そんな事があったら、やっぱりカノンさんと同じことしちゃうかもね――なーんて!」
「ははっ、タイムも魔種になるぐらい絶望して何もかもを巻き込む……って? イメージ出来ないな」
「むーっ! わたしだって恋をしたらそれぐらいなるかもしれないしー!」
再び頬を膨らませて抗議するタイム。
魂を焦がす様な想いを。胸が痛む程に溺れる恋を。
いつか抱いたのなら――カノンの気持ちが分かるのかもしれない。
全てを砂に沈めたのは、転じて心の想いの深さでもあるのだから。
「そういうウィリアムさんは? どうしても届かない恋をしてしまったら……どうする?」
「んっ、もしも物語の中にいたのが俺だったら……どうかな。
恋に破れてたら……ははっ、すっぱり諦めて、まあ……暫くは別の事に集中するかもな」
「あら。結構ドライなのね?」
「そういう訳でもないさ。出会いなんて、いつかその内訪れるもんだよ」
誰にだって。この世界は縁で繋がっているのだから。
世界は閉じてなんかいない。たった一歩踏み出すだけで世界には無限が広がっている。
例えば星々の海の様に。
どこまでもどこまでも道はあるのだ。途絶える事の無い、人の縁が。
「ま、カノンが狂ったのは奴隷商人に捕まって外の世界に絶望した、て言うのが最後の引き金ではあるんだろうけどな……そういえば当時は深緑が今より閉鎖的だったから幻想種が狙われていたらしい。希少だってな――タイムも耳長だけど旅人……なんだよな?」
「ええ、わたしは旅人だし幻想種ではないわ……パッと見だとよく似てるけれど」
タイムは外の世界における長寿種であり外見こそ似てはいるが幻想種とは別物。
しかしザントマンとは一体何者だったのだろうか。耳長ならなんでもいいのだろうか……?
思わず抑える耳。タイムがその時代に召喚されていたら狙われていたかもしれない。外見が似ていれば気にしない可能性もあるし、そうでなくても当時は旅人も大規模召喚前で希少だった筈だ。
尤も、今はもう時代が違う。
砂の都は滅び、熱砂の恋心は終焉を迎えている。
正体分からぬザントマンの事を考えても靄を掴む様な感覚しかないのだ――それよりも。
「よし。そろそろまた出発しようか。
この遺跡はそう広くないみたいだし……もう少し歩いたら飯でも食べに行こう」
「えっ! やった、ごはん! 丁度お腹がすいてきた所だったの――沢山歩いたし、今なら大盛りだっていける気がする~!」
「やれやれ、タイムは華奢な様子を思い浮かばせておきながら存外そうでもないよな」
それってどういう意味――!? 本日数度目の抗議をタイムは発しながら。
小さな笑みを浮かべつつウィリアムはこの国の名物料理はなんだかったかなと想起する。
歩けば出てくる遺跡の香り。建物の隅に書かれていた古代の落書きが目に映れば、かつての人々がやはり此処にいたのだと――心躍るものだ。
触れる過去。壁に沿わせた指先に感じる心地がとても良くて。
……ああ。
今の己には無いモノ――『過去』が此処にあるのだとタイムは感じている。
失われた記憶。ないからと言って過剰な不安を抱いた事は無いが。
歴史を、遺物を。
それらを視るのが楽しいのは、己にないモノがそこにあるからかもしれない。
「おっと、見ろタイム。あそこにオアシスがあるみたいだ……しかもパカダクラの群れが水を飲んでるな」
「えっパカダクラ? あっ、ホントね。ふふっ現地の動物達の水飲み場になってるのかしら……あら? なんかちょっとこっちに走ってきて――なんか突っ込んできてない!? どうして!?」
テリトリーに入った侵入者として感知されたのかもしれないと、ウィリアムは反射的にタイムの首根っこを掴んで退避する。狂暴なパカダクラの大群が二人を追えば、思わずタイムは、わー! きゃー! と叫んでしまうものだ。
駆け抜け巡るかつての営みの地。
太陽は未だ天に。二人を照らして眺めていれば。
二人の『現在』に今日と言う日の『過去』が刻まれる。
――きっとそれは、二人だけの思い出なのだ。
『もしも』などではない確かにあった楽しい記憶。太陽の下で胸躍る今日という一日。
色褪せる事の無い――二人だけの旅路という物語である。