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未熟な黒猫、新年と共に決意を抱く
登場人物一覧
●未熟な黒猫、自らを振り返る
「んぅ……」
暖かな布団からもぞもぞと身を起こした希紗良(p3p008628)は、ひんやりとした空気にぶるりと身を震わせた。
「……まだ、夜明け前でありますな……」
障子越しに見える外は暗く、まだ陽が上っていない。
だけどそれこそ希紗良の狙い通り。
火鉢に残っていた熾火に炭を足し、軽く風を送って火を起こす。その間に布団の横に置いておいた着替えに震えながら着替えると、綿入りの羽織を羽織って玄関に向かう。
「空気が冷たいであります!」
引き戸を開けた瞬間流れ込んできた冷たい風にきゅっと身を縮めながら、この辺りで一番高い木に向かい身軽に登っていく。
遮るものがない木の上で、白い息を吐きながら希紗良は今年初めての太陽――初日の出をじっと見つめている。
寒さのせいか、鳥の鳴き声も、獣たちの囁きも聞こえない静かな時間。
(なんて静かで、神聖な瞬間なのでしょうか……)
一年に一度の特別な時間。
キリリと引き締まるような冷えた空気を胸いっぱいに吸いこんで、希紗良は枝を蹴って地面に降りた。
新しい年の始まりの初日の出を独り占め。
贅沢で幸先の良い年明けに、今年はどんな年になるのだろうかと胸を高鳴らせながら希紗良は家に向かう。紅梅色の髪紐と艶やかな尻尾を揺らしながら。
ぱちぱちと爆ぜる火鉢に網を乗せて、去年の年の瀬に里のみんなで突いた餅を乗せる。朝餉なので、小さいのを二つ。
餅を入れたお椀に温めた出汁と具を入れ、餅つきの際に一緒に作ったお節も少しお皿に盛る。
「頂きます」
雑煮とお節を前に手を合わせると、新年を祝うための祝箸で料理を口にする。
暖かな雑煮は希紗良が食べ慣れた味。
(高天京で頂いた吸物も美味しかったでありますが、キサにはこの味が一番美味しいであります)
その味にほっとすると同時に、料理一つ取ってもこの世界は希紗良が知らないことが沢山あることを思いだす。
同じ豊穣の中でも場所によって生活の在り様が違った。それと同じように、外の国はきっとこの国とは全然違う。
神使となった際に説明を受けたけど、その時外の世界のことは他人事にしか思えなかった。
希紗良は豊穣の平和を守れたら良いと思って、この国に関する仕事ばかりしていた。きっと他の人も、自分の大事なものを守るために動いているんだと思っていたから。
だけど外の国から来た神使たちは何の関係もないこの国を守るために力を貸してくれて、この国で生まれ育った神使たちは逆に外の国を守るために豊穣を飛び出して行って……。
(キサは、未熟者であります……)
目の前の事しか考えていなかった。
良く分からないからと、外の国のことを考えることを、外の国に関わることを放棄していた。だけど、それでは駄目なんだと反省した。
「キサは、もっと沢山のことを知って強くなりたい」
この国の中枢を揺るがす大事件。解決のために外の国から来た沢山の神使が尽力してくれた。そのことに感謝すると同時に、希紗良は自分の未熟さを歯痒く思った。強くなりたいと思った。
「この世界には数多の国があり、人が居るであります」
神使となって出会った人たち。
たった数か月の間に数えきれない程沢山の人に出会ったけど、世界全体で見ればほんの一握り。
「もっと沢山のものを見て、沢山のことを知りたい」
見識を広げる事はすなわち、強くなる事だから。
「きっと、青藍も今頃沢山の人に会って前より強くなっているであります。キサも負けないでありますよ!」
里を出て、兵部省で働く幼馴染のことを思えばやる気が増す。
「そうと決まれば初稽古であります!」
だがその前に朝餉を食べてしまわなければならない。
冷めかけた雑煮の中、冷たく硬くなりかけのお餅が希紗良の前に立ちはだかる!
「硬いであります……」
ぺしょんと落ち込む黒い猫耳。どうやら最初の強敵は硬くなりかけたお餅のようだ。
●未熟な黒猫、希望を抱く
もぐもぐと噛んで何とか完食した希紗良は、稽古場で木刀を振るっていた。
真っすぐに前を見据える晴れた日の海のような青い瞳は、先ほどまでの迷いや落ち込みは欠片も見えず、この先への期待や希望にキラキラと輝いている。
外の世界はきっと希紗良が知らないことで満ち溢れている。
初めて会う人。初めて見る風景。初めて見るもの。
どんな出会いがあるが考えるだけで心が浮き立ってくる。
「この国から出るのは少し怖いでありますが、教えて貰った場所に行けるのは楽しみであります」
外の国から来た神使達に聞いた話。
この国ではありえない風景や聞いたこともない食べ物。
まずはどこに行ってみようか。
知り合いの神使に頼んだら、お勧めの場所に連れて行ってくれるだろうか。
その日の夜、希紗良は見知らぬ場所で、沢山の友達と美味しいものを食べながら笑いあう夢を見た。
きらきらわくわく。
新しい年が素敵な一年になりますように。