SS詳細
何処にでもあるような顛末
登場人物一覧
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これは『剣』であり『別れ』を象徴するヴェルグリーズという名の剣が繋いだ沢山の出会いの中の、これまた1つの別れの物語。
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ヴェルグリーズの当代の主は幻想の見習い騎士であった。騎士学校に入ってしばらく経ったぐらいの、本当に若い男だった。
出会いは質屋。うららかな春の日。一番目立つ位置に飾られた美しく、それでいて扱いやすいその剣を騎士が見初めたのが始まり。綻ぶ顔も、羨望の瞳も。そしてすぐと聞こえた来店を知らせるチャイムも、ヴェルグリーズは今でも覚えている。
目を輝かせた青年は質屋の親父へと、息せき切って話かけた。
「あのっ、あの、剣……。 んん、あの剣はいくら、なん、ですか?」
「ああ、あれはね……。かなり昔のものだけどかなり状態がいい、文字通りの業物さ。売るには惜しいぐらいなんだが、そうだな……」
店主から提示された額は相当のものだった。ヴェルグリーズも少し驚く程度だったから、多少の色も……そして、彼自身の思い入れも。毎日毎日店主はヴェルグリーズを懇切丁寧に手入れしていた。本当は売り渡したくない。もしくは本当に彼を大事に扱ってくれる人に、と。考えたのだろう。
店主自身だって、ヴェルグリーズの物語の一部だ。語られぬ出会いと別れがあった。
けれども、彼の思いと裏腹に青年の目は真っすぐで。ぼったくり同然のその値を愚直にも頷いたのだ。
「そんな値段なら直ぐには売れやしないでしょうね。待っててください。僕はまだ学生だけど、働いてきっと稼いできます!」
まだ売れやしないだろうか、と給料日が来るその日まで毎日ヴェルグリーズを眺める姿を彼本人は微笑ましさ半分、奇異の視線半分で眺めていた。
そして、少しだけ暑くなった気がするそんなある日。
「……これで、足りますか?」
青年が持ってきたのは大きな布袋だった。ざらざらと詰まった袋の中身は半分が銀貨である。言葉通り、労働に励み得たお金なのだろう。
「ふむ。……足りてるよ」
君には負けた。そんな事を言いながら店主は苦笑して。青年は胸を撫で下ろすように息をつく。
「良かった……」
「……そんなにもこの剣が気に入ったのかい? これだけあれば、この剣よりももっといい剣が買えるだろうに」
「はい。この剣は……。なんだろう。頼りになると。そう感じたんです。ただの直感なんですが。きっと必要になる」
大事そうに剣を抱き上げる。待ちきれないとその場で封を切り、ぽっかりと開いていた鞘にぴたりと嵌めた。
少しだけ騎士らしくなった少年はヴェルグリーズに語りかけた。やさしく、語りかけるように。
「これで、この剣で彼女を守れる。よろしくな」
(……ああ、宜しく頼む。けれど……)
ヴェルグリーズには斬ることしかできない。剣であるから。けれど、使い手によっては人を守ることもきっと出来るのだと……。それも、彼は知っていた。そして、その眼差しは、人を愛する目だと。
「……まず、そうだな。あの子に会いに行こう。君を見せに行きたいしね」
とんだ物好きから物好きへと渡ったものだが、きっと荒い使われ方はされないだろうと。剣を腰に差した時の揺れに久方ぶりに身を任せた。
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「紹介するよ。彼がヴェルグリーズで……」
「……まあ、もう剣を支給されたの? 名前もつけるなんて大層入れ込んでいるのね、カイル」
「いや、違うんだイレーナ。これはこいつの銘なんだ。質屋で見かけて……ひと目で気に入ってさ。でもちゃんと許可も取れたんだ。街の中だったら佩刀してていいって」
次にヴェルグリーズの視界が晴れた<剣が抜かれた>のは、質素な教会の庭の中。
子どもたちのにぎやかな声は遠くから聞こえるけれど、この周辺は彼らだけだ。
その代わりに、ヒマワリが鮮やかに揺れていた。そして青年が相対する少女の髪も、ヒマワリ色に色付いていた。
少女はぱちぱちと瞬きをして。それからおめでとう。と微笑む。
「あなた、しっかりしているのにほんの少しだけ不器用だから。でも、こうして見たら立派な騎士様ですね」
「……素敵に見える?」
小さく眉を潜め、不安そうに問うた青年……カイルに、イレーナはにっこりと笑って、頷いた。
「ええ、とっても! 立派になったわ。本当に……」
そっと頭を撫でようとするイレーナの手に、カイルは照れくさそうにそっぽを向いて。
「此処を守るためだから、さ。……まただ。同い年なのにさ、お姉さんぶって」
「ふふ、ごめんなさい。子どもたちにやってるみたいに……つい、ね」
穏やかな笑顔が少しだけ苦笑に変わって、なだめるような手付きを思わずカイルは振り払う。
それも慣れっこのようで、イレーナの顔は変わらず。
「……ふん。今日はそれだけだから。また来るよ、イレーナ」
「ええ。待ってるわ」
それが、その余裕が面白くない。いつかあっと驚かせてやりたい。
そんな気持ちを胸に秘め、カイルは寮への道を小走りに走っていった。
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物語の終わりは基本的にはいつも唐突に。この話も、まるで糸が切れたように終わりを告げた。
明日こそ、明日こそ。が続いたままの、月の無い秋の夜だった。外に出るには少し寒くて、窓を締め切っていたのがいけなかったんだ。
ぱちぱちと何処からか火の手の上がる音が聞こえる。そして野太い男達の怒号も。
女は生かせ、男は殺せ! 素質がありそうなら捕らえるぞ、高く売れる!
鞘の中では何も見えないが、ともかく尋常でもないことが起こっているのは分かった。強い衝撃とともにヴェルグリーズが引き抜かれる。鋼と鋼がぶつかる音。視界が広がる。襲われた孤児院、引き倒された男たち。
苦虫を噛むようにして、必死に剣を振るうカイル。
合流した場所には子どもたちを院の外へと逃しているイレーナが居た。
言葉を交わすまでもなく、やるべきことを理解する。
子どもたちを守りながら孤児院の外へ。皆、どうしたらいいかは分かりきっていた。何度も訓練したかのような動きで、粛々と避難は進んでいく。そして最後の子供を送り出したところだった。
イレーナの肩へとナイフが深々と突き刺さったのは。
怯えたように立ち尽くすイレーナと、庇うように立つカイル。がたがたと足音が聞こえる。数は十数。
他の物音はしない。他の皆の避難は完了したのだろう。避難誘導をしていたイレーナとカイルの二人だけ、取り残されてしまったのだ。
「逃げてイレーナ」
「でも、カイルが」
「大丈夫だよ。……お願い。」
「……分かった。」
懇願するようにカイルは声を絞り出していた。相手は荒事に慣れている。しかも複数だ。まだまだ駆け出しであるカイルには人を守りながら戦うほどの余裕は残されていなかった。だから。
守りきれない。ましては、自分が生きて帰れるとは思っていない。けれども知りながらも、大丈夫だと嘘を付く。
「さあ、行って!」
急かすようにカイルが叫べば、跳ねたバネ人形のように、イレーナは走り出す。
……イレーナも、分かっていただろう。だから、走り去る数間の間に。届かないさようならと、小さな祈りを。
どうか神様。――我らを、大事な人を。お救いください。
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後に残ったのは男たちとカイルだけ。戦力も、状況も一方的で。
数人男を倒した後に、捕まえられて。俺を取り上げられて。棟梁らしき大柄の男はカイルに問うた。
「子どもたちの居場所は何処だ?」
「知らない」
きっぱりと。口を一文字に噤んで。そんなカイルの様子に男は困ったように肩を竦め、子供を諌めるように砕けた口調で苦笑した。
「知らないなんてつれないこと言うなよ、その度胸だけは高く買ってるんだ。協力してくれたら悪いことは言わないぜ」
「知らない」
「……そんなに気長な方じゃねえんだわ」
「知らない、と。言っているだろう」
「……連れてけ。引き上げるぞ。根こそぎ奪うのを忘れるな」
じゃり。と鎖が強くカイルを締め付けて、無理矢理に立ち上がらせる。
うつむいたまま連れて行かれる彼を見てただ、ヴェルグリーズは考えていたんだ。
自分は、彼に期待された価値分の働きをこなせたのだろうかと……。
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後で知ったことであったが、幻想に存在していた孤児院『向日葵の里』はアーベントロート領の辺境に存在し、北方……鉄帝との侵攻から産まれる小競り合いで生まれた戦災孤児を保護し、そして共に生き抜く生まれた年長の子どもたちの互助会だったのだという。
子供、もしくは年若の集まりで、領主の庇護も薄い。子どもたちが暮らせるだけの予蓄はある。つまりはとても『狙われやすい』。
ただ、幸運だったのはこれは侵攻ではなく、ただのごろつきの襲撃に過ぎなかったという点だ。
襲撃は綿密に練られていたわけではなく、だからその前に子供を逃がすスキも、少女一人、抜け出す隙間もあったのだろう。
イレーナは地下室から戻った後、しばらくして突然姿を消したそうだ。カイルもすぐに俺とは引き離されて、何処かへと連れて行かれた。行方は、何処に行ったのかも。……誰も知らない。昔の話さ。