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靄と悪蜜
登場人物一覧
●この世界アル中多くないかと誰もが思ったと思う
酒場の裏にて。
「……」
甘く強かに指先を伝う血液から仄かに香るアルコールのにおい。鼻につくようなツンとした臭いに紛れて、柔く耽美な
、特有の酒気。
死神の柘榴は別つ。死神の意にそぐわぬ愚か者の魂を。
どろりと指先を伝う感覚。まだ調整は難しいのだがそのうち慣れるだろう。そして、戦闘に応用する日が来るはずだ。
もう少しだけ調整を重ねれば、仇なすものを排除するための熱烈で苛烈で、猛烈な劇薬になるだろう。ならばもっと強度を、練度をあげて一撃で悪を葬るための訓練を成さねばならない。
出身である世界でも訓練をよくしたものだ。だから練習というのは嫌いではない。ゆっくりと意識を集中させて、毒が、炎がじわりじわりと蝕んでいくような感覚を与えられるように神経をとがらせる。
「……よし」
練習を繰り返せば精度も上がるというもので。
だから。
「えっナニコレおいしそうっすわ~……」
(なにこれ)
微かに声が聞こえた。気がする。女の声だ。
どこかけだるげな声。
あたりを伺うように見回して、ふと、気付く。
よくわからない白い靄が、犬のようにはしゃぎ指の周りにたかり、くんくんと匂いを嗅いでは恍惚のため息を漏らし舐めようと舌らしきものを伸ばしていることを。
「えっ」
「えっ」
距離をとる両者。飛びのくべきはアーマデルであり靄のほうではない。断じて。
しかして靄、まだ指先のその悪蜜に興味があるのかゆらりゆらりと宛ら千鳥足の如く近づいてくる。
(こっちに来る……?!)
武器は持たず、今この身体にあるのは捩れた一翼の蛇の吐息のみ。
(やるしかない……ッ!!)
靄を消し去るように、薙ぎ払うように振りまかれた赤い赤い魔の致死毒。死神の寵愛。
――失せろ。退け。
災禍の赤。呪いの赤。白濁した靄めがけて駆け抜ける。
が、しかし。
「○▼※△☆▲※◎★●!」
「なんだ?」
靄はむしろ、自身に向けられた攻撃に喜びの声をあげる。いや、声なのだろうか?
奇妙だと思いつつも近寄ったアーマデルにじゃれつくように足元を駆け回る(?)。足という概念が靄にはあるのだろうか。先ほど犬のようだと比喩したのも間違っているかもしれない。でもあれは犬のそれであった。
「……意思があるのか?」
ぴょんとはねる。言語まで理解しているのだろうか、必死に肯定を訴えてくる。ちょっとつめたい。
ならばまずはその意思を汲み取ろうではないか、と。意思疎通を図る。
すぅ、と呼吸音。そして、吐く。
「……し?」「もしもし?」「聞こえてるっす?」
「あ、あぁ」
「安心したっすわぁ……じゃ、それください」
「これ?」
示されたのは捩れた一翼の蛇の吐息のしずく。しかしこれは毒である。
「なあに、酒蔵の聖女にとっちゃそんなもん朝飯前っすわぁ。
はやくはやく、貸してみ? ん?」
半ば興奮状態である。酒蔵の聖女といえば元の世界では、美味しい酒を示してくれるという話であったか。
幼いアーマデルは興味こそなかったものの、幾度か耳にしたことのあるありきたりな伝承である。
「美味しいお酒が飲みたくてまだ未練があるんっすわぁ」
「ふむ」
「だからまだ成仏するのも無理なんっすわぁ」
「でも、在るべき場所へと魂は導かれなければならない。
それはあの世界から来たなら、知っているだろう?」
「そうなんっすわぁ……だから困ってるんすわ」
「うーーーん……」
悩む。教えに反することをするのは
悩むアーマデルに呑気な答えを返したのは靄――酒蔵の聖女の聖女の方であった。
「その美味しい匂いと引き替えに、自分が働くってのはどうっす?」
「え?」
「ほら、労働力はあったほうがいいでしょう?」
ね? とややゴリ押し気味に攻められる。否定はしない。
「それに、今そうしてくれなかったらここにあるお酒全部飲むっすわぁ」
「は?」
それは こまる。
深いため息。後に、小さく頷いて。
「…………大人しくしとけよ」
「ふふ、交渉成立っすわぁ」
きゃらきゃらと笑う声。頭痛を覚えた。
楽しげに笑う靄が怨めしくなるアーマデルだった。