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月光のアラベスク
登場人物一覧
●くらがりの森
――ガサリ。
踏みしめた枯れ葉が思いの外大きく鳴り、バサバサと鳥が飛び立つ音が空から降る。前方の茂みが大きく揺れたのは、何か獣が走り去っていったのだろう。その気配に『埋れ翼』チック・シュテル(p3p000932)は、獣たちを驚かせてしまっただろうかと眉を下げた。
(……休む、してたら……悪いこと、したかも……)
チック自身に悪意はなく、道も無い森の中だから仕方のないことなのだが、それでも申し訳ないことをしたと思ってしまうのはチックが優しいせいだろう。
チックは気持ちを切り替えようと、宙を仰いだ。頭上に大きく枝葉を広げる木々はチックにも影を落とし、幾重にも木の葉が重なり合った天蓋は重く厚い。幾ら目を凝らして見上げても、チラリとも空の表情は伺えなかった。
森に迷い込んでから、ずっとこの調子だ。何処を歩いても昏く、昼なのか夜なのか、どれだけ歩いたのかさえ解らない。人の出入りが全くないのだろう。道は無く、引き返そうにもどこも似たような景色で、入ってきた場所すら解らない。
けれど真っ直ぐに進んでいれば、いつかは森を抜けられるはず。そう信じて、森の中を迷っていないような確かな足取りで歩んでいた。行方知れずの弟を探して旅をしているチックは、旅に慣れている。危険な動物等の対処だって出来る。だから森の中で独りだからと言って、不安を感じたりはしない。
――しかし。
(……なん、だろ。さっきから……何か、見られる……してる?)
野生の獣だろうか。それとももっと危険なものだろうか。
いいや、もっと小さな、希薄な気配だ。小さく葉を踏む音が聞こえたり、木のざわめきに混じって何か小さな音もした。獣の鳴き声よりも、ひとの声に近い音。それも、子供の。
(でも……こんな森に、子供が住む、できない)
音もずっと聴こえる訳ではなく、右で聞こえたと思えば次の瞬間には左、と不思議な感じだ。だから、気の所為なのだろう。きっと長時間森にいるせいでそんな気持ちがしてくるだけだ。チックは旅装とパールグレーの髪を揺らし、森の奥へと進んでいこうとした。
ふいに
「おそとから、きたひと?」
同時に下方から響いた幼い声に、肩口から腕を伝を伝うように視線を下げたチックの瞳が僅かに開かれる。
手に触れる、
それは、大きな白い布を被った子供だった。
●くらがり森のおばけたち
どうする? こえをかける?
こわいひとじゃないかな。
やさしそうなひとだよ。
やめておく?
でも、またいつきてくれるかわからないよ。
だれがさいしょにこえをかける?
じゃあ、ぼくがいくよ。
「ねぇ、ぼくたちといっしょにあそんでよ」
白い布を被った子供が、チックの手に触れ声を掛けた。それを皮切りに、いつの間にかチックを囲んでいた白い布被った子供たちがワラワラと近寄ってくる。
「おにいちゃん、あそんでくれる?」
「おにいちゃんのおはね、きれい。さわってもいい?」
「あのね、わたし、おそとのおはなしききたい」
「ぼくはね、ぼくはね!」
「え……っと、君達……は?」
あっという間に白い布の子供たちに囲まれてしまったチックは、一斉に喋る子供たちを前にして、そう口にすることがやっとだった。
ぼくはわたしはと子供たちが一斉に言葉を紡ぎ掛け、静かになる。最初にチックの手に触れた子に譲ったのだ。
「ぼくは、リュケ。このもりからでられなくなっちゃったんだ」
「それ、は……」
「ずっとずっと、ずぅっとむかしのことだよ」
「おなかがへって、なんにもかんじなくなって」
「みんな、いっしょなの」
「それからずぅっとでれないの」
「わたしたち、ずっとこわくて、さみしかった」
「おそとのひとがきてくれるの、まってたの」
白い布越しの手は熱を感じさせず、今にも揺らいで消えてしまいそうな希薄な気配。
(……この子達、は……)
子供たちが理解しているかは解らないが、死して尚、森を彷徨い続ける魂だけの存在なのだろう。此処から出れず、何処にも行けない、囚われの悲しい存在だ。
「きて」
リュケがチックの手を引いた。
「こっちにね、すこしだけあかるいばしょがあるの」
反対側の手に触れた子供が、わたしはネムだよ、と告げて。
リュケとネムに手を引かれて歩くチックの後を、白い布を被った子供たちがついてくる。布から覗く小さな足は弾んで、愉しげに傍らの子と顔を合わせて笑う気配。子供たちは、全身で喜びを表していた。
「ぼくたちずっと、ぼくたちいがいのひとと、おはなししたかったんだ」
重く重なる木の葉たちがほんの少しだけ譲り合った場所に、光が落ちている。黒いヴェール越しに見上げた其れは、月の光と知れた。
「おにいちゃん、ここにすわって」
「おはなしきかせて」
リュケがここと指し示す場所を見て、何故ここだけ光が落ちているのかを知った。木の根元近くが何らかの要因で脆くなり、倒れてしまったのだ。そうして空いた一本の木の分、空を見ることが叶っていた。
月光ヴェールが降り注ぐ倒れた木の太い幹に座り、何のお話がいいのかとチックが尋ねれば、子供たちは元気に話し出す。
「たのしいおはなしがいい!」
「ん。それじゃあ、お祭りの話……しよう、か」
「おまつり! だいすき!」
「もしもそとにでられたら、おまつりにいってみたい!」
そうして語られるのは、チックが旅の途中で訪れた街々で行われていた催事の話。
「おにいちゃん。うた、とってもじょうず」
「ぼくもうたえるようになりたいな」
「簡単な、歌。教える、するよ」
一緒に歌を歌って、話をして。楽しい時間を過ごした子供たちだが、別れの時間がいつかは来る。
行方知れずの弟を探しているチックはいつまでも此処にいることは出来ず、そろそろいかなくちゃと腰を上げた。
「おにいちゃん、おそとへいっちゃうの?」
「……一緒に、来る?」
差し出される、チックの大きな手。
その手とチックの顔を、何度も子供たちの顔が往復する。誘ってくれるなんて思いもしなかったのだろう。
「……いい、の?」
「いっしょに、ついていってもいいの?」
「うん。いい、よ。一緒に、行こう」
恐る恐る伸ばされた手は、震えていた。離さないと意志を伝えるように握りしめれば、他の子供たちもチックへとしがみつくように抱きついてくる。震える背を、頭を撫でて。静かに紡ぐのは愛し子への子守唄。
子供たちの涙が落ち着くのを待ってから、チックと子供たちは森の奥へと歩を進めた。
森を抜けるために知恵を出し合い、チックと子供たちは協力して森を抜けたのだった。
そうしてチックとともに森を出た子供たちは、いずれ沢山の夢を叶えることとなる。
小鳥の姿を得られる様になって自由に空を飛べるようになることも、大好きなチックの手助けを出来るようになることも――チックも子供たちも知らない。
今は、まだ。
けれどきっと叶う、未来の話だ。