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Non omnis moriar

登場人物一覧

秋月 誠吾(p3p007127)
虹を心にかけて


「人殺し―――」

 繰り返し、その言葉を口にする。飲み込めない儘の熱。吐露仕掛けた悍ましい怖れ。
 総てを飲み込んで誠吾は少女の体を綺麗に整えて小さな墓を作った。そのかんばせを拭ったのは誰であったか、その衣服を整えたのが誰であったのかを誠吾は覚えていない。それでも、自分の殺した彼女に最期あたりまえを与える事を望んだ。アッシュグレイの髪を揺らし、此方を強請る事も無ければ生きたいと噎び泣くことのなくなった幼い少女。
 彼女の纏っていた襤褸の如き衣服の一部を切り取って誠吾は懐へと忍ばせた。

 ――あたしのために死んでくれるの?

 女の声音を覚えている。それでも、何時しか色褪せる記憶を鮮明にするために。彼女とを忘れない様にと握りしめた。

 ―――――
 ―――

 気遣われ、自室へと戻った誠吾を襲ったのは耐え難き倦怠感であった。緊張からの解放、怪我や心労が包み込み高熱に魘される。悪夢の如く包み込む怖れを呑込みながら指先でシーツを握れば何時もの如く真白の指先が其処には存在して居た。
 唇は名を紡げない。夜のとばりの落ちた室内では青みを帯びた銀の髪を撫で付ける。固く閉じられた花瞼は腫れぼったく、暫く泣いていたのだろうと誠吾は茫と少女を見遣った。瞼を閉じてシーツに包まっていれば、聞き慣れた声がする。主や彼に仕えた先輩たるメイドが様子を伺いに遣ってきたのだろう。眠ってしまった少女が風邪を引かぬようにと二人が寝室へと彼女を移動させる物音を目をぎゅうと閉じたまま聞いている。
 今は眠った振りをしていよう。狡くとも仕方が無い。まともにその表情を見ることも叶わないのだ。少なくとも、今は。

 人気の無くなった室内に、深と落ちた静寂にベッドを軋ませて誠吾はひっそりと外へと向かった。
 未だ倦怠感は体に渦巻いて、脚は重苦しい。痛む体を引き摺りながら扉に静かにしておくれと願うように外へと踏み出せば冴えた空気がその体を包み込んだ。
 冴え月の元を飾った鮮やかなる星が屑のように散らばった。天蓋を乱雑に飾ったそれからも逃れるように誠吾はユイの墓の前へと立つ。
「ユイ」
 名を呼べば、なんと空虚なものか。返事のない空の言葉が宙を躍って落ちていく。
 それでも――誠吾は伝えずには居られなかった。胸の中に溢るるのは無数の言葉おもいたち。
「……俺は、この世界に来た旅人なんだ。
 ……この世界に来てひとりぼっちだったなら、生きる事に疲れていたなら。殺される事を受け入れたかもしれない」
 死んでくれるのか、と。
 問い掛けられたその言葉が渦を巻いて脚を掴んでは離さない。
「……ユイの分まで生きる……なんて、前向きにはなれそうにはないけどさ。
 俺が生きてきた世界には輪廻転生という考えがあるんだ。殺したお前が言うな、と思うかも知れないけど……来世の幸せを願っている」
 恐ろしい実感が襲った。正当防衛、仕事。そんな理由が其処にあれども人殺しには違いなかった。
 この世界では殺し殺され、そうして生きている誠吾の生まれ育った平穏と倫理が存在して居ないことを知っていようとも――それを、受入れることが出来ないという実感が身を包んだ。

 あゝ、それでも――
 似たような事態に直面したら他者を殺める選択肢をするだろうか。
 平和ボケしている、惑うな、と叱ることなく受入れてくれた仲間達にとってがお荷物で弱点と為る事は避けたい。
 彼等は皆、人を殺す事を厭わず、それを行ったことに苦しみながらも前を進む。

 甘えるな――罵ってくれ。屹度、そう言われても仕方が無い。
 平和ボケ――そうだ。お前の世界がそうでも此処では違うと叱ってくれ。
 惑うな――刃が曇ることを、実感させてくれ。

 人を殺した事を、忘れさせないでくれ。
 Non omnis moriarこのきおくを、このままで――君が生きた証が今もこの体に刻まれている。

 手の甲には未だ薄らと残った引っ掻き傷が刻まれていた。
 その首に手を掛けて。徐々に人間の命がおわる刹那に、藻掻くように引っかかれたその証が、彼女が行きたいと願ったしるべだった。
 巡る思考が戸惑いを生み出した。止めどなき後悔と決意が管を巻いて心から溢れ出した時、ぐらりとその身は傾いだ。
 地へと体が叩き付けられた衝撃に意識がふ、と遠ざかってゆく。物音で邸内で誰かが動く音が聞こえる。
 其れさえ遠く。心の元へと意識が引きずり込まれていく。今はまだ、迷っているその心にこたえなどあるはずもなく。
 迷いながらでも進んでいくために。
 決意という名前の感情を抱いて。

 Non omnis moriarわすれなければ、しなないから――だから、覚えていよう。
 俺が殺した最初の人。
 俺の、異世界のはじまりの人。

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