PandoraPartyProject

SS詳細

けれど、いつかは?

登場人物一覧

ヴィクトール=エルステッド=アラステア(p3p007791)
懐中時計は動き出す
散々・未散(p3p008200)
魔女の騎士

 これは極端に言ってみれば、少女のちいさなやきもちの話だ。
 
 痴話喧嘩というとニュアンスが違う。意見の衝突が起きたわけではないし、そもそも縺れる痴情自体が彼と彼女には存在しない。少なくとも、彼も、彼女もそう思っているはずだった。
 彼が持つのは『ニーベルングの指環』。黄金をその身にひとひらでも纏う限り、彼は愛を抱けぬ。何者をも愛せぬ。そして彼女は、あいというものの具体的な形を知らない。要するにその二人は、二人が二人両方とも、愛とは何かを語れない。縺れようもないというものだ。

 ――けれども或いは、それも変わりつつあったのか。
 或いはあの海神の涯てから帰ってきた後、同じ顛末で痕を刻まれてきたとして、彼女は今と同じ顔をしただろうか?

 余人がこの顛末を聞けば、上述のような疑問を抱くに違いないほどには唇を尖らせて――喉の奥にあるその気持ちに名前をつけない――つけられないまま、『L'Oiseau bleu』散々・未散(p3p008200)は、もうこれで何度めだか、水晶の義手、小さな蒼いこぶしで男の太腿を叩いた。
「痛いですよ、チル様」――窘めるような声も、それと同じ回数だけ聞いた。
 声を返すのは当然、傷だらけの男――『黒鉄の愛』ヴィクトール=エルステッド=アラステア(p3p007791)。ランタンの揺れる灯が、傷だらけの彼の身体を照らしている。死に至る傷はない。故にか、ヴィクトールの口調は平素と同じで緩いものだった。未散は時折、この隣人は危機・危険を察する本能のネジをどこかに落としてきてしまったのでは、と疑うことがある。――確かに死に至る傷はない。けれども今少し過てば、命を落としてしまったような傷ばかりだ。切創。刺創。今なお血を滲ませる痛ましく深い傷。鐵の腕は傷つかずとも、身体はそうは行かぬもの。
 ヴィクトールの脚の間に座って、未散はもくもくと作業をしながら、「少しくらい痛がればいいと思うんです」とにべもなく言った。これも、叩いた数と同じだけ言ったものだ。
 時刻は二三時を回ったところだった。定期的な保守作業メンテナンスならもっと早い時間に済ませようものだろう。せめて陽のある内に、だ。それがこの時間になっていると言うことはつまり――ひとを守ることに躊躇のない彼が、いつもと同じ無茶を、未散の知らないところでした。そういう話にほかならない。


 事の起こりは一時間半ほど前に遡る。
 夜、傷だらけで帰還するヴィクトールを未散が見咎めたのが午後九時半。神威神楽における最終決戦、その作戦の一つで負った深手をまた一人で癒やそうとしたヴィクトールを半ば引き摺るように自分の部屋に連れ込み、その身体をひん剥いて洗浄清拭消毒、やっつけ仕事のガーゼ包帯を総取っ替えして、内部機関のメンテナンスの見当をつけたのが午後十時。――まさにその頃だ、未散の目に、ヴィクトールの腕に灼き付いたその『黒』が引っかかったのは。
 最初は未散もただの汚れだと思っていた。拭けば落ちる類のものだろうと。彼の黒鉄の腕は消毒など不要、適切に拭けば通常分解して問題ない堅牢な戦闘用機構である。だから生体部分の傷の手当てが先、多少の汚れは後回し――としていたものである。
 ――しかし大半の創の手当、縫合などを終えたあと、いざその黒い汚れを落とそうとしてみればこれが落ちない。最初は水と布で、次に脱脂洗浄用の工業用酒精メチルアルコールを使って、第三に擦る力自体を増し、終いには研磨用砥粒粉コンパウンドを使って磨き倒すまでしても、その黒い汚れは――否、『痕』は消えなかった。
「ああ、すごい。やっぱり染みついて消えやしないんですね」
 諦めたような――否、それは確認するような響きだった。未散が訝るように振り向き仰げば、ヴィクトールは蕩けるような表情で(少なくとも未散にはそのように視えた)、痕に視線を注いでいる。
「……ヴィクトールさま」
「なんでしょう、チル様」
「其の汚れ、どうやって付いたものですか」
「……呪いアイの残り香、否、そのものとでも言いましょうか」
 あい。
 その一言に、未散のダイクロイックアイがきゅ、と僅か縮む。
「更級様――更級智泉という魔種と戦いましてね」
 ヴィクトールは語る。盲目的に巫女姫に恋し、捧ぐの焼け付くような恋情を捧げ、報われぬ唐紅の愛にその身を焼べ燻る、まさしく煙の魔種たる彼女との戦いの顛末を。
「一方通行の恋慕をするあの方に、一方的に向けられる愛を体験して貰おうと舞台を整えて、一幕共に踊って頂いたのです」
 ヴィクトールはこともなげに言った。
 智泉と共に現れた膠窈種セバストスを仲間が倒す間、彼は回復手と連携し智泉を押し止めたのだという。
 そうするためには、彼女の気を惹く事が不可欠だった。――そのために選んだ演目がそれ。彼曰く、『傍迷惑な愛の体験会』であった。
「愛も恋も識らぬ身の児戯と一緒にされるのは不快極まる――と一蹴されてしまいましたけれどね。けれど束の間、確かにひととき、彼女の増悪コイ呪いアイは、僕が一身に頂戴することになったのです。この痕は、その証のようなものなんですよ」
 ヴィクトールは続ける。共に戦うイレギュラーズからの集中攻撃を受け、その身果てるまさにその時、智泉は焼けるように熱い増悪の眼で、ヴィクトールを睨め据え、その腕に爪を立てたのだと。
 力強く握った智泉の手は、やがて彼女が存在限界に到るのと共に、その身体諸共煤めいてほどけて消えたが――ヴィクトールの腕には、呪いめいて消えぬ彼女の手の痕が残った、という寸法だ。――呪いめいて? 否、それは真実、呪いアイだったのだろうと、ヴィクトールは回想を結ぶ。
 暫時、未散は言葉もなくその痕と向き合うこととなった。胸の裡に去来した思いは、すぐには言葉の形にならない。
 なまじ周りを綺麗に丹念に磨き上げた分、黒い痕ははっきりとくっきりと、智泉の手の形に浮かび上がる。むくれ面で、なおも消そうとがしがしと擦ってみるも、手が痛くなるばかり。益なし。
 視界に入れることを厭うように未散は螺子スクリューを外し、ヴィクトールの腕を開いて、その内側に意識を傾けた。それで痕が消えるわけではないが、直視しているよりは、いくらか落ち着けるような気がした。
 皮肉なことに、腕の中にまで及ぶような損傷はなかった。鉄躯機関ソルアクチュエータは全基正常稼働中。念のために可動部に精霊油を再度注す程度はするも、恐らくそれ以上の処置は必要ない。続いて各所の部品や機構を点検する。――が、ヴィクトールの堅牢さを褒めるべきか、そちらにも損傷は皆無であった。骨格に沿ってチューブ状に実装された、ヴィクトールの防御力・耐久性能を支える硬度・靱性向上用の魔機回路マギテック――『白鳥の騎士ローエングリン』もまた健在。言葉短くヴィクトールに指示し、ローエングリンを診断モードに切り替えてもらい、測定器テスターで回路各所の出力値を測定するも異常なし。回路の隙間にジグを差し込み、手持ち無沙汰に微細な調整を施すが、すべきことはすぐに尽きる。
「……、」
 こういう時に限って、とでも言いたげな顔をしながら、未散はヴィクトールの腕を元通りに閉じ、螺子を締め直す。マイナスの螺子を締め終えてしまえば、少女は嫌でもまたその黒い痕と対面することになる。
「……」
 ――黒い手の痕に、冷たい男の鐵の腕に、指を伸ばす。未散は密やかに水晶の爪を立てた。冷たく黒いその呪痕を、彼が消そうと務めもしないことが、どこか甘やかに、それをアイと呼んだことが、彼女にとっては人差し指に埋まったちいさな棘のようだった。


 青い鳥は囀る。
「狡い」


 ――そうして、冒頭の話に戻るのだ。またひとつ、空いた未散の手が、ぺち、とヴィクトールの太腿を打つ。
「此れは流石のぼくでも嫉妬する、――狡い、……ずるい」
 狡いと思うこの感情が、どこに根ざすのか、それすら分からないまま未散は言った。ヴィクトールの脚の間に挟まったまま、彼の胸板をどふどふと後頭で頭突く。ヴィクトールが「う」「チル様」「あの」と声を上げても、駄々っ子のように何度か繰り返す。
 ぐりぐりと艶めく銀糸を彼の胸板に押しつけ、未散は唸るように言った。
「此れからあなたさまの腕を開く度に、この黒がわたしの目に入るのでしょう。……見せつけられている様で、些か腹が立つ。呪いですよ、こんなの。ぼくに対しても、呪いに他ならない」
「そんなつもり無かったんですけどねえ。汚れてしまったのは取れませんし……」
 対するヴィクトールは飄々としたものだ。『ニーベルングの指環』。アイという言葉を使う癖、彼はその何たるかをまるきり理解していない。
「というかチル様もされたかったのです? 顔面パンチ」
 ピントのずれた解釈に、尖らせた唇の間からぷすりと息が漏れた。確かに裏拳で智泉の頬を張り倒したのは聞いたが。けれどヴィクトールが話題を逸らそうとして突拍子もない返しをしたのではないことは、未散はよく分かっている。かれはそういうことをする男ではない。
 奇しくもヴィクトールの突飛な返しが、未散に幾分か平静を取り戻させた。
「其れはもう、御免ですけれど」
 ふう、と息を一つ吐く。
 嫌でも目に入るその腕の黒から、未散は、今度は目を逸らさない。

 ――『私を愛するならば、その心は煙で満たさなければ。
    更級智泉は、お前を愛さず憎んだのだから』

「……でも、嗚呼、嗚呼。そうだなあ――あなたさまのことを、呪う事でしか<アイ>せないのでしたら、ぼくは――」
 これは、この執着は、親愛か、友愛か、畏愛か。はたまた隣人愛か、家族愛か、――それとも?
 それとも、何だろう。――考えてはいけないような気がする。何かが崩れてしまうような、漠然とした不安がある。だから未散はほとんど無意識に、思索を深めるのをやめた。代わりに、黒痕を塗りつぶすように水晶の手を重ねる。

 こいと呼ぶほど烈しくはなく、あいと呼ぶほど優しくもなく。
 稚気めいた独占欲を籠めて、未散はヴィクトールの腕を取る。

「理解したいと思うと同時に、そんなの。クソ喰らえって、思います」
 ――それは、まるで、
「……告白?」
 どこかぽかんとした風なヴィクトールの返しに、未散はほとんどそれと分からぬほど、眉を下げて笑う。
「……違いたいと思いますね?」
 未散自身、何故こんな言葉が溢れてくるのかわからない。
 わからないけれど、それでも今はこの冷たい鐵の腕に触れていたいと思った。
「ですね。ボクとチル様には似合わなすぎる」
 ヴィクトールが穏やかに笑い、あやすように、未散の髪をメンテナンスの終わった手で撫でる。
 尖った未散の唇が、少しずつ緩んでいく。
 ヴィクトールの言葉の通りだろう。少なくとも今は。
 けれどこの手に付いた痕に、爪を立てたくなる欲は、前にはなかったものだから――
 いつか何かが変わっても、きっと何もおかしくなんてない。

「……ええ。ぼくも、そう思います」

 ――今は。
 

  • けれど、いつかは?完了
  • NM名
  • 種別SS
  • 納品日2020年12月03日
  • ・ヴィクトール=エルステッド=アラステア(p3p007791
    ・散々・未散(p3p008200

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