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ひどいおあずけを食らった話
登場人物一覧
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「いらっしゃい」
カランコロンとなる扉を開くと、こぢんまりとした店内から、どこかで聞き覚えのある、ゆったりとしたジャズが流れてくる。
どこか音飛びの目立つそれは、奏者を雇ったものではなく、蓄音機というやつだろう。練達製であればもっと高品質な再生機が出回っているはずだが、どうやら店の主人はレトロな趣味であるらしい。
「どうぞ、お好きな席に」
従業員はバーテンダーを務める主人ひとりであるようで、席まで誘導してくれる者はいない。お好きな席にと言われても、初めてくぐった店でどうしようかと視線を巡らせていると、知った顔が目についた。
その人もどうやらこちらに気づいたようで、手にしたグラスを目線の高さまで掲げると、こちらに声をかけてきた。
「よう、はじめてるニャぜ」
一見の店であっても、知り合いがいれば心細さも薄まるものだ。誰にも声をかけずにふらりと店を探したのは確かだが、特段ひとり酒の気分であったわけでもない。断りをいれてから、カウンターの隣席に座らせてもらうことにした。
「ママ、アミーゴにも同じものを出しとくれよ」
そんな悪いわよと遠慮をする前に、バーテンダーは目の前にショットグラスをことりと置いた。動作が早いと言うより、用意をしてあったのだろう。この知り合いは、どうやら覚えられるほどには同じものを飲んでいるらしい。
礼を言ってから口にする。すっきりした舌触りであるのに、喉を通るときには焼け付くような熱を伴ったが、咽るようなことはない。度数は高いが飲みやすいそれが気に入って、すぐにグラスを空にしてしまった。
「いい飲みっぷりさね。ほれ、もう一杯いっときニャよ」
「そんな、何杯も悪いわよ」
「構やしニャアさ」
二杯、三杯。すっかり飲まされて、気づけば初めての店への緊張感などとっくになくなってしまった。
目を瞑って、回ってきた良いの心地よさを味わえば、耳には音飛びのジャズと、傾けたグラスでぶつかる氷の音。すっかり気分が良くなって、口も回るようになっていた。
「ねえ、こっちに来る前の話を、聞かせてくれない?」
「ん、こっちってニャア、前の世界の話かい? また急さね」
「いいじゃない、聞きたくなったのよぉ」
なんとなく、一歩踏み込んだ質問をする。ウォーカーには混沌に来る前の世界がある。その有り様は様々で、中には暗い、打ち明けるのも辛い過去を持つ者もいるが、なんだろう、今なら聞けるような気がしたのだ。
「あまり楽しい話でもニャアぜ。でも、そうさね。あれは第三次わんこにゃんにゃん戦争が終わった頃―――」
なんか一気に酔いが覚めた。なんて?
「うん? まあ、そいつは長い話にニャるから、またの機会にするサ」
気になる。とっても気になる。何があったんだわんこにゃんにゃん戦争。わんことにゃんこが全面戦争したんだろうか。第三次ってことは第一次も第二次もあったということだ。そんなに戦争してるのかわんことにゃんこ。
「あちしはその頃、ニャンコスキー将軍の残党狩りに加わっていてね。将軍イチの子分と言われたチワワマン大佐の隠れ家を探していたのさ」
また混乱する情報が入ってきた。にゃんこ将軍とわんこ大佐がなんだって? それともにゃんこが好きなら本人はにゃんこじゃないのだろうか。謎が深まるしかしてくれない。
「調査の末に、チワワマンは洋上の小型船に潜伏していることがわかってね。若かったあちしは、独断専行でひとり、船に侵入をしちまった」
話は続く。頭の中ではお船の上でチワワが尻尾を振りながらカモメさんを眺めている。
「運良くチワワマンの護衛ニャア見つからず、部屋までたどり着くことができた。しかしいざ、チワワマンを前にした時、問題が起きてね。隣で寝ていたチワワマンの娘が目を覚ましてしまったのさ」
父親を暗殺しようという時に、隣で寝ていた娘が起きる。残酷な話だが、手にかけねばならないこともあるだろう。優しいだけでは世界が回らないことなど、理解している。頭の中では相変わらず、チワワと仔チワワが並んでおねむなので、とっても幸せな光景だったが。
「しかし仕事はしニャきゃあ、ニャらニャい。できニャきゃ、あちしが今度はお尋ね者だ。目を擦る娘にも構わず、あちしはチワワマン大佐の口に無理やりミートボールを……」
そうか、無理やり……ミートボール?
「いや、よしとこう。これ以上は、気楽に話す内容じゃニャアね。もうこんニャ時間だ。あちしは帰るけどさ、勘定は出しとくから、好きに飲んでっておくれよ。それじゃあね」
そう言うと、謎だけ残してうさみみの女は消えていった。
ミートボールはどうなったのだろう。寝ながらもっちゃもっちゃ食べたのだろうか。ついでに娘さんにもあげたのだろうか。いつか聞かねばならないが、タダ酒と聞いてこの場を脱するわけにもいかず、とりあえず日が昇るまでは飲み明かすことにした。