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愛憎の剣
登場人物一覧
踊る。踊る。私は踊る。
歌う。歌う。私は歌う。
片手に握った剣が血を啜り、身に纏った白のシルクが赤く赤く染まる迄。
踊る。踊る。私は踊る。
歌う。歌う。私は歌う。
此の剣が悪を切り裂き、あの男の命を奪う迄。
踊る。踊る。歌う。歌う。
私の、此の身体が腐る迄。
●
踊る。踊る。私は踊る。
歌う。歌う。私は歌う。
譬えその舞の全てが塵芥程の役にすら立たないものだったとしても。
譬えその歌の全てが意味のない音の羅列だったとしても。
私は其れが使命であるのだから。
私には、其れをすることでしか生きることを許されないのだから。
譬え、私に愛した人が居たとしても。
「Bravo! 嗚呼、素晴らしいねテレプシコーラ。其れでこそ俺の
「……はい、旦那様」
「Non! 違うだろう? いつものように、其の愛らしい声で呼んでおくれ。俺の、名前を」
「アスモデウス、さま」
「そう……そうだ。良い子だね、テレプシコーラ。可愛い。嗚呼、可愛い。その柘榴ごと俺におくれ……」
「や、やめてくださ、い」
「ふふ、つれない
男は女の白い肌にキスを落とす。
女は其れを乾いた瞳で見つめていた。
窓から差し込む光がやけに疎ましく思えた。
遥か昔の幻想、在り来たりな物語のその一つ。
歌と踊りが得意な、見麗しい娼婦と貴族の男の物語。
寄る辺なき娼婦は、男に其の命を買われた。娼館は女を見送った。其の代わりに腐る程の金貨を受け取ったから。
男は妻もいれば子もいる、一般的に見れば円満な家族であった。
然し、男は類稀な屑であった。一夜の過ちを何度も何度も繰り返し、そうして幾多の女を孕ませ、領民より反感を買っていた。
勿論妻や子が其れを知らぬ筈はない。けれど、彼は家族を愛し、家族でない――大切でないものは排除する癖があった。逆らえば命はない。故に、家族は其れを見なかったことにし、彼を愛し続けた。
男はどんどんエスカレートしていった。
気に入った女に伴侶がいると知れば、その伴侶をどんな手でも使って殺し。
気に入った女が家族と逃げようとしているのを知れば、その家族の命を使って脅し。
そして其れ此の女も例外ではなく。愛した男の一生を保証する代わりに、命ごと買われたのであった。
そんな、貴族の男の所有物。其れが、ヴェルグリーズであった。
或る日の昼下がり。
誰も居ないから、と自室に手を引かれ夥しい程の接吻を受け、ぼんやりとした頭を起こした女の瞳を奪ったのは、美しい一本の剣であった。
後で思えば、其れは過去の持ち主が魔種であったが故に、僅かながらに狂気を孕んでいたのかもしれぬ。
後で思えば、其れは女が愛した男と生きる為の未来を切り開く、
「旦那様、あれは……?」
「嗚呼、テレプシコーラ。此れはヴェルグリーズという銘の剣だそうだ。
昔から手に馴染むから愛用していてね……気になるなら、触ってみるかい?」
「え、ええ……」
テレプシコーラはその剣に魅入られていた。美しい夜空を纏ったかのようなブロートソード。
嗚呼。此れを手に踊ることができたならば。
「ねえ、旦那様」
「嗚呼もう、じれったい
「アスモデウスさま」
「どうしたんだい、俺の可愛いテレプシコーラ?」
「わたし、私。あの、あの剣を握って、踊ってみたいのです」
初めてのテレプシコーラからの
尤も、其の使い道もろくでもないことに使っていたのだ、男にとっては些細なことであった、
「嗚呼、嗚呼。構わんとも。君の頼みならば其れくらい!
只ね、俺にも、その舞を見せてくれるかい? 其れと、刀身には触らないこと。穢れているからね。其れだけが条件だよ」
「ええ、ええ。いつものことですもの。其れくらい容易いですわ。
其れよりも、刀身。其れはどうして?」
女は首を傾けた。
男は『嗚呼、』と笑って答えた。
「俺を裏切った女達の血を啜っているから、君まで汚れないか心配なんだ」
「……ええ、解りましたわ!
ねえ旦那様、私、今すぐ踊りたくてたまらないの。部屋へ行っても?」
「可愛い
勿論さ、構わないとも! さあ持っておいき、君の舞を俺に見せておくれ!」
頷いた女は剣を取り淑女の礼をすると、哀れなほどに熱心に舞の練習を始めた。
何故かは解らない。
只此の剣に触れれば、女は此れ迄感じることのなかった喜びを覚えると思っていた。
女に与えられた
女は踊った。
一心不乱に。
歌って、踊って。
そうして、一つの感情が芽生えたことに、気が付いた。
「私は、此の剣があれば、自由になれる……?」
男の生暖かい口付けを拒み、腐ったセカイを切り刻むことができるのではないか、と。
心に燻ぶる火種は風を呼び燃え盛り――そうして、彼女は反逆の花を咲かせた。
己を苛む呼び声に身を任せ。
『そう、そうよ。其の儘お進みなさい』『あの男、憎くはない?』
『可哀そうな
『私達では叶わなかった』『私達では届かなかった』
『でも、貴女なら、』
『ねえ、
『
舞姫の物語。
愛を引き裂かれた乙女の囁き。
女は、堕ちた。
幾多の女の悲しみを背負って。
●
踊る。踊る。私は踊る。
歌う。歌う。私は歌う。
私の愛が彼の元に届く日迄。
踊る。踊る。私は踊る。
歌う。歌う。私は歌う。
私を呼ぶ声が私を救う日迄。
踊る。踊る。歌う。歌う。
私より先に散っていった
●反逆の円舞曲
マグ・メル 西へ
メグ・メル 西へ
至福の島 喜び求め
貴女の手を取り踊りましょう
弾む胸 綻ぶ花
乙女の声に耳澄ませ――
七日も経たぬ内に女は男を呼び、自室で踊りを披露した。
ギャロップの音、偶に金属音。風を撫で朝日と戯れ、踊るテレプシコーラは舞姫以外の何物でもなかった。
「どうかしら、旦那様」
「嗚呼、嗚呼、素晴らしい! Très bien!
君は朝風のように俺の心を擽って、嗚呼けれど離してはくれないのだ。今迄に出会ったどの乙女にも叶いはしない!」
屹度其れは男の心からの賞賛。
屹度其れは男の心からの感動。
けれど彼女は気が付いてしまった。
己が握る剣は幾多の女の命を奪ってきたに違いないと。
「ねぇ、旦那様」「質問が有るの」「聞いてもいいかしら」
立っているのに倒れているような倒錯感。
女は端正な顔に花も綻ぶような笑みを咲かせ、甘い猫撫で声を出して問いかけた。
「此の剣で何人の女を裂いてきたの?」
「テレプシコーラ?」
「ねえ、聞こえません? 私の耳には貴方を殺せと叫ぶ
「……テレプシコーラ」
「聴いているんですのよ、旦那様」
「テレプシコーラ、」
「ねえ」
「黙れ、娼婦の分際で」
男が本性を出すのはあまりにも早かった。
眉間に青筋を浮かべ女の方へと駆けてきた男を髪をたなびかせるように切り裂いたテレプシコーラ。軽くなった心に安堵し、こんな男の為に時間を使っていたことが惜しくなった。
ヴェルグリーズは汚い男の血を拒むように血を弾いた。
幾多の乙女たちの無念が晴れていくのを感じる。
女は愛した男の元へと駆けた。
屹度其れで幸せになれるはずだったから。
持てる限りの金銀財宝を持って、あの葡萄畑へと駆けた。
けれど。
女の背は男によって切り裂かれた。
『お前が戻って来なければ、俺は一生幸せに暮らしていけたのに』。
其れが女のきいた最期の言葉。
女はまた、無残に命を散らしていった。
其の地の葡萄は、女の血を吸い赤く赤く、毒性孕んだ葡萄になるそうだ。
●End
別れの属性なのは認めるけれど、俺を難しい恋愛沙汰に巻き込まれると、少しばかり疲れてしまうよ。