SS詳細
もう少し、恋の話の続きをしましょう
登場人物一覧
(ずいぶん歩いたのだわ。丘の上までは……あともう半分、といったところだわね)
切り株に腰掛けた華蓮・ナーサリー・瑞稀(p3p004864)はふうと息をついた。
用事が終わったあとは急ぐつもりだけれど、往く道は彼女の――八咫姫の棺と一緒に、少しずつ行こうと思っていた。
語らった時間は短いから、そのぶんゆっくり景色を楽しんだっていいだろう。
このカムイグラを……彼女の見ていた世界を、少しでも見ておきたい。
この閉ざされたカムイグラの世界は、きっとこれから大きく姿を変えていくだろう。
(もちろん、そうしたってあなたの全てがわかるとは私はちっとも思っていないのだわ)
あなたが私を知らないように、私もあなたを知らない。
これまでも、これからも、きっとそうだろう。
でも、歩み寄ることはできる。
知ろうとするなら、その欠片を胸に抱くことはできる。
宮内卿が一扇、八咫姫。
華蓮が彼女と出会ったのはほんのひととき、戦禍の渦巻く戦場でのことだった。
彼女は全てを憎み、京に呪いと怨嗟をまき散らした大罪人であり――。
そして、思い人ヴォルペ(p3p007135)と再会し、恋に溺れた少女でもある。
華蓮と八咫姫は、敵として出会った。
戦禍のさなか、驚くほどに短い間に、言葉と、言葉よりも雄弁な生死のやりとりを交わした。
扇をひるがえすたび、彼女からぶつけられる禍々しい呪術。
華蓮は目をそらさずに、小さな両の手のひらで受け止めた。
紐解けば、込められた感情がわかる。
怒り。さみしい、というきもち。
そして、愛おしいというきもち。
なにもかも壊してしまえという破滅的なきもち。
八咫姫は、思い人とともに戦場に立ち、全ての望みを叶えておきながら……。
どうしてか、心のどこかで離れていくのではないかと恐れていただろう。
彼女はわかっていただろう。
ヴォルペにとって、自分が、唯一の存在ではないということ。
仲間たちと挨拶のように攻撃をかわすヴォルペはとてもとても楽しそうで、彼にとって大切な者であることを窺わせるに十分だった。
その腕に抱いた、愛。すり抜けてこぼれ落ちていく愛。
恋。
それは不確かで、自身と深いところで結びついていて、自分が自分である証明の一つ。
恋情はもはや自分とは切り離せないものだった。
八咫姫の黒の翼が、地上から空を見上げて呪術を放ち、華蓮の白の翼と結界がそれをうけとめて、ひらりと打ち払ったとき。
黒と白の翼が相対した、あのとき。
彼女は自分の似姿だったと、華蓮は思う。
あのとき、八咫姫は自分自身の鏡だった。確かに一瞬だけ想像した。
仲間に刃を向ける自分のことを。
将来、もしも、愛おしい仲間に刃を向ける理由があるとしたら、きっと……。
(レオンさん……)
きゅっと、胸が痛む。
思い人を想えば想うほどに、痛みは燃え上がるように増す。
この感情が、だだをこねる子供らしいものであればよかった。でも、焼け付くような痛みは、醜い感情を伴っていた。
「余計なもんは、みいんな、消えてしまえばええよ」
八咫姫の声が聞こえた気がした。
そうすれば、世界に二人ぼっち。
(いいえ……そうはできないのだわ)
だって、その人は、世界を愛している。
少女の遺体を拾い上げるのを、仲間の誰も咎めなかった。
大勢を呪い、死者を冒涜した首謀者の一人……思うところあったろうが。そして、華蓮もまた、彼女には思うところあったのだが……。
それでも、誰も何も言わなかった。
残党の冥たちはその死体こそが八咫姫であると気が付かなかった。
自分たちが信じるには、ただの哀れな少女であることは許されなかったから。そこにないヴォルペの姿を探して、永遠に惑い続けていた。
きっと、八咫姫は一緒に埋葬されることを望むだろう……。
(ううん。「自分だったら」そうってこと、かもしれないだわね)
でも、彼女の想い人はここにはいない。
軽やかに空を駆けて、支配を逃れていく。
きっと神様にすら誰にも捕まらない、自由な人。
自分の懐で羽を休めることがあったとしても、気が向けば飛び立って行ってしまう。
ずるくて、優しくて、残酷な人。
「お嬢さん、あんたも埋葬かい? 墓地ならもう少し先に行ったところだ」
道中、親切にも声をかけてきた農民に、華蓮はぱちりと瞬きをする。
「あ、怪しいよな!? お嬢さん、べっぴんだし。違うんだ。人さらいとかじゃねぇんだ。えーと、俺じゃあれなら、嫁を呼んでこようか」
「いいえ、ありがとう。これでも”ローレット”……神使と呼ばれる者なのだわ。大丈夫なのだわよ」
決して親切な者ばかりではない。
死体と知るや顔を引きつらせ、寄るな、という態度をとるものもあった。それも、悲しいけれど理解できる。生きるのに精一杯だ。
でも、手を合わせる者たちが大半だ。
「誰か亡くなったのかい? こんな世の中だからねぇ……」
ある老婆からは蜜柑を受け取った。
この棺の中にいるのが、京の人々を苦しめていた宮内卿であると知ったらどうだろう。
怒りを向ける人もいるだろう。関わりのない殿上人と、不思議そうな顔をする人もきっといるだろう。
どれも否定するつもりはない。罪が許されるわけでもない。
「あら、誰か、なくなったの……」
子連れの女性が、荷物を道ばたにおいて、小さく手を合わせてくれた。まだ死が理解できないのであろう子供は、ぽけっと指をくわえて見ている。
「せめて、良いところに埋めてあげればとおもったのだわ」
「大切な人だったのね」
「……ええ」
出会った時間はごくわずか、少し答えるに迷った。
でも、そうね。大切な人。たった少しの間でも、放ってはおけない半身だった。
小さな子どもが首をかしげる。
「はこのなかのひと、いたいのいたいのとんでけー」
「ふふ、ありがとうなのだわ」
「おねえちゃ、いたいのいたいのとんでけ」
「私、なのだわ?」
少しだけ気持ちが楽になった。
ねえ、この世の中も捨てたものじゃないでしょう。ううん。この世界を許してほしいとか、そういうのではないのだわ……。
目的地は郊外、小高い丘の上――。
ようやく丘の上についた。
(きっと、ここならば空がよく見渡せるのだわ)
木々は生い茂っていて、あたりは静か。
たまに動物たちが訪れるようなそんな、場所だ。
整った煌びやかさはまるでないけれど、誰にも知られることはないだろう。
そして、ここからならいつだってきれいな月が見える。
棺の中、精一杯整えた彼女は、たくさんのカサブランカに囲まれている。
それと、ここまででみつけた野の花をいくつか添えた。
たぶん、ここのやり方とは違うお別れの仕方だけれど、スカイウェザー……あなたの故郷はここではないと、墓守さんが教えてくれた。
故郷を探しても良かったけれど、そうしたら、ヴォルペの姿を見失ってしまうかもしれない。
(あなたは何が好きかしら?)
切り取られた風切り羽にそっと手を添える。
捕まってからは、飛べなかったのだろうと思う。華蓮の両翼を見るときによぎったその感情。
自由に、戦場を飛ぶたびに刺すような呪術が突き刺さった。
――うらやましい、と。
(あなたは私がどこまでも自由に飛べると思っているようだけれど……そうもいかないのだわよ)
恋の話をしようなんて言っておきながら、ちょっとだけ母親ぶってしまったな、と思う。
辛いのを隠すのが上手くなった。できるとしても、飛べないときはある。
「ねえ」
例えば誰か、思い人が別の人と言葉を交わしていて――。
そんなのその人の勝手なのに、その人が穏やかな笑みを浮かべていて、
そんな顔をさせられるのが自分だけじゃないんだと知ったら、
心がすごく、痛むでしょう。
「ねぇ、私も混ぜて」って言ってもぜんぜん不自然じゃなくて――。
でも、言葉は喉に張り付いたようになって出てこない――。
そんなことがきっと、あるのだわ。
(ねぇ、貴方にはこの世界はどう見えたのか、機会があれば聞いてみたかったものなのだわね)
彼女が半身だと信じた人は――今は、どこにもいない。
軽やかに、どこかへ去っていって……そしてきっとこの世界がまだ崩壊していないというのがその証左だろう。
きっと、どこかで戦っているのだ。
(何もかも終わったら、ひょっこり顔を見せたりなんて……)
ここならばそれが見られるだろう。
ねぇ、あなたは、彼が帰ってきたときに文句を言うのだわ?
ううん、きっと、たくさん用意していたとしても……吹き飛んでしまうのだわね。
「ねえ、私の恋の話を、少しだけ……ここに置いていってもいいのだわ?」
恋の話の続きをしましょう。
それは、誰にもいえない秘密の会話。
魅力的な彼がどれほどまでに憎らしくって、どれほどまでに愛おしいのか。
互いは今、ローレットのひとりでもなく、八扇姫でもなく。
ただの少女たちの、お墓まで持って行くような語らいだ。
相づちをうつように、さわさわと木々が揺れた。