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酒飲みたちの夜は更けて
登場人物一覧
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「カンパイ!」
「乾杯!」
二つの杯が中空でぶつかる。一組の男女が並んで腰を下ろし、清酒を一気に飲み干す。その豪快な飲みっぷりに二人して顔を合わせ、ニッと笑い合う。
イグナート・エゴロヴィチ・レスキンと久夛良木・ウタの二人は今、酒場のカウンターで二次会に盛り上がっている。二次会ということは一次会がある。再現性東京の依頼で酒を飲むことになり顔を合わせた二人だが、そのまま意気投合し二人だけで次の店へと梯子酒というわけである。
「しかし、さっきは本当に凄かったねぇ」
「……本当に、スゴかったね」
二人の脳裏に蘇るのは一次会の光景。飲み対決、乱闘騒ぎ、挙句の果てには脱いだ脱がない……。なんというか、修羅場でした。
二人が二次会の会場に選んだ酒場は、それよりお洒落さでは劣るがその分うるさくしても誰も気にしない。イグナートとウタが大声で騒いだとしても、それ以上の喧騒が覆いかぶさってしまう。
「あのボディブロー見た!?」
「あんなキレイなの久しぶりに見た……」
遠くを見るような視線で思い返されるのは、歴戦のイレギュラーズを一撃で沈めたある酒乱の攻撃。互いに異なる武器を持つが、共に武の道を進むものとしてあの美しさは目に焼き付いていた。
「歴戦のイレギュラーズにはあんなのがごろごろいるの?」
ウタの眼が輝きを帯びる。「闘りたい!」という色が眩い。イレギュラーズとしての活動がイグナートに比べて短い彼女は、まだまだ知らないことも多いのだろう。
「そうだね、例えば……」
誰の事を話すべきか逡巡したが、ぽつぽつとイグナートは話し始めた。
自分にとってのヒーロー、海に散ったあるイレギュラーズの話を。
酒場の話題が、常に楽しいものとは限らない。
イグナートが語り終わった時、ウタの眼は僅かに潤んでいた。或いはそれは程よく酩酊したアルコールのなせる業だったのかもしれないけど。
「……強いねぇ」
「ツヨイってことを、考えさせられるよね」
そう締めると、イグナートが酒を注文する。ウタには聞き慣れない言葉だったが、やがて運ばれてきた酒を一瞥して納得する。
「なるほどねえ」
海の色をした酒。二人は静かに杯を交わす。揃って一息に飲み干し、イグナートを見るウタの顔は――一点の曇りもない晴れやかな笑顔。
「今度はイグナート君の武勇伝でも聞かせてもらおうかな?」
酒場の話が楽しいものばかりとは限らない。けれど悲しいものばかりとも限らない。
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絶望の海で滅海竜と死闘を繰り広げた話。
砂漠に沈んだ都で悲劇の姉妹と相対した話。
幻想を混乱の渦に落としたあるサーカス団を殲滅した話。
イグナートの冒険譚は危険と武勇に溢れ、ウタを楽しませる。イグナートも、聞き上手のウタにつられてつい話に興が乗る。
「本当に、色んな相手と戦ってきたのねぇ」
「そうだね。アブナイと思うこともあったけど」
それでも、その死線を潜り抜けることで得たものは確かにあった。
「タビに出て、イレギュラーズとして生きててヨカッタって思うかな」
「いいねえ!」
頬杖をついて、快活に笑うウタの表情に酔いの色が滲む。一瞬、頭がぐらっとする。
慌ててその頭を支えようとするイグナートだが、彼女がその腕に縋ることはない。
「まだまだ、私は酔ってないよ! ここの店の銘酒を全て飲むまでは倒れないさ!」
発言が酔っ払いのそれである。だがイグナートも「イイねえ!」と乗る。色々な意味で心配である。
「いいねえ、じゃあオレは鉄帝名物『酩帝』を一つ!」
「じゃあ私は妖精境名物『春の木漏れ日』を貰おうかな?」
軽い気持ちで頼む二人だが、いずれの酒も度数が高い。本来なら一気飲みするような代物ではないのだが……。
「ウマイ!」
「たまらないねぇ!」
一気飲みである。念のため言うがグラス一杯分である。豊穣の「おちょこ」サイズではない。そしてこれは二次会での一コマである。すげえ。
「じゃあ、ヴォードリエ・ワインを一杯!」
「あ、オレも!」
こうして各地の銘酒を片っ端から開けては飲み、それが終われば次の一杯を、という流れが延々と続く。牛飲馬食という言葉があるがまさにこういうことを指すのかもしれない。
あまりに勢いのいい飲みっぷりはいつしか周りの客の注目を引き、いつの間にか黒山の人だかりが出来上がっては、
「ねーちゃん、負けるな!」
「兄ちゃんもまだまだいけるぜ!」
勝手に陣営を作っては煽る始末。場外乱闘さながらである。
「ウマイ!」
「美味しいねえ!!」
そんな周りのヤジも、二人には届かない。深緑の酒が空いたら次は豊穣の清酒、と言った風に次から次へと銘酒の酒瓶が転がっていく。
そうして最後は幻想――オランジュベネの特産シードルを一気に飲み干して、二人の世界各国銘酒飲み歩きは終了する。両者の健闘(?)を称え送られる惜しみない拍手。それを知った二人は、
「あれ? なんでオレタチ拍手貰ってるの?」
「……さあ?」
ただただ首を傾げるばかり。
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騒ぎも一段落し、店にいつもの賑やかさが戻る。客の注目を浴びなくなった二人だが、酒を飲む勢いは衰えない。大丈夫なのだろうか、特にお会計。
「しかしイグナート君は本当に強いねえ」
カクテルを飲み干しながら、ウタが呟く。
「どうしたの?」
イグナートはそう尋ねると濁り酒の入った杯を空にする。二人とも、頬は若干上気しているものの酩酊している雰囲気はない。
「サケのこと? それとも腕っぷし?」
「どっちも、だねぇ」
ウタの声には、どこか羨望のような色が混ざっているようにイグナートには感じられた。
強さを求めているのか、ただ戦いたいだけなのか、その辺りは彼にはわからなかったけれど。
「ウタ。ラド・バウって所、シッテル?」
「勿論!」
ウタの顔がパッと華やぐ。腕試しをする場としてうってつけであり、実際彼女自身も闘士として何度か場を沸かせている。
「ラド・バウではテイキテキにイレギュラーズ同士で試合をすることがあるんだ。キョウミあるなら、エントリーしてみたら?」
「そうだねえ……」
ウタの表情が逡巡に染まる。やや間があって、彼女の口から発せられた言葉は、
「友達、沢山出来るかなあ?」
だった。一瞬面食らうイグナートだったが、すぐに薄く微笑む。
「デキるさ、きっと」
イグナートの言う所の「友達」が意味合いとしては「好敵手」の方がより近いということにウタが気付くのはもっと未来の話。
今は彼の言葉に「そっか、友達もっとできるといいな」と満足そうに答えるだけ。
「ねえ、イグナート君」
「なんだい?」
ウタの声は、少しだけ固い。
「私と、ともだちになろうよぉ?」
「モチロン!」
イグナートの快諾に、ウタはとろけそうな笑顔を浮かべ、そしてジョッキを掲げた。
なんとなく察したイグナートもまたグラスを掲げる。
「おともだちの印に」
「「かんぱーい!」」
時の針は進む。夜はまだまだ長い。
一組の酒飲みたちの夜も、酩酊と悦楽の夜もまだまだ終わりそうもない――。