PandoraPartyProject

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パンテオン

登場人物一覧

クレッシェント・丹下(p3p004308)
捜神鎌

――ああ、神を信ずる者の気配がする。
 クレッシェント・丹下は己が意識に天啓の如き感覚が降りて来たことを認識する。それは渇望にも似た強い確信であり、鎌頭の男はめったにない感覚に思わずよろめいた。クレッシェントは天啓に導かれるように道を急ぐ。目指すは幻想の王都メフ・メフィート。

 メリドラ・カーレルは齢五十三の独身女、周囲からは王都の平凡な代筆屋として見られており、本人もそのことに満足していた。朝決まった時間に店を開け、決まった時間に朝食と昼食を取り、やや早い時間に店を閉めてから夕食を作り、数刻自分の時間を取った後に眠る生活の繰り返し。収入は平均よりやや低い程度ではあるが、元々生きること全般に対する欲求が薄いため、生活に苦はなかった。メリドラが自分のために買うのは大判の上質なノートとインクとペン先程度であり、酒も煙草も特に興味がなかった。勿論色恋にも。さして信心深いとは思われず、さりとて不信心者でもないらしい、平凡なメリドラ・カーレル。
 そんなメリドラにある日、同居人が出来た、という話が広まった。メリドラは詳しく聞こうとする街の人々から柔らかな拒絶を込めた笑みで距離を取り、いつもの様に店を開けては閉める日々を繰り返すのであった。

 仕事による目と腕の疲れを感じながらメリドラが部屋に戻れば、そこには幻想ではあまり見かけぬ衣装を来た鎌頭の男がいて、台所で料理をしていた。メリドラの帰還に気付いた彼は、くるりと後ろを向き、彼女に呼び掛ける。
「メリドラさん、スープが出来ましたよ。茸を干したものと牛乳がありましたのでそれを使いました」
「ん、すまん。クレッシェント君。置いといて」
 ある冷たい雨の夜、急に申し訳なさそうに扉を叩いて、転がり込んできたこの奇妙な頭の男のことをメリドラは思う。男はずぶ濡れのまま錆びた鎌頭をぬい、と近づけ、「あなたの信じている神について教えてください……とても強く、信じてらっしゃるようなので」と静かな声で聞いて来たのであった。物語のような突拍子もない状況と男の異形にメリドラは呆然とした。しかし、男の声からあふれる妙な善良さに流されるまま、彼を部屋にいれ、心配と好奇心からしばらくの滞在を許したのだった。
――信じる神。
 メリドラは置かれたスープを見て、奇妙な頭の男に視線を戻す。
 確かにメリドラには神がいた。それは一柱ではなく、一つのパンテオンではあったが――幼い時から彼女がこっそりと信奉していた神々の気配を、どうしてこの男、クレッシェント・丹下という名の錆びた鎌頭の男は気付いたのだろう。
 酸味の強い黒いパンを牛乳のスープに浸して食べる。どうして、を問おうにしてもクレッシェントには表情が文字通りなく、ただ、メリドラの視線はぼんやりとクレッシェントの頭部の辺りを彷徨うのであった。

 クレッシェントにメリドラが信仰を知る対価として告げたのは「知りたいならば、五日だけ家にいてくれ」ということのみ。奉仕は対価に入ってはいなかったが、気が付けば手持ぶさたになったらしいクレッシェントは諸々の家事を行っていた。部屋を掃除し、料理を作り、メリドラの単調な生活に彩りが出来て五日目の夜。晩御飯にと作られた豆と玉ねぎのスープを食べ終え、メリドラは呟いた。
「さて、約束を果たさないと、ね」
 その言葉にぴくん、とクレッシェントは鎌頭を動かす。あまりの分かりやすさに思わずメリドラは笑いそうになり、それは失礼だと咳払いでごまかす。
「ついてきて。今日は月星も出てきている。神々が降りられるには良き夜だよ」
 そういうと、メリドラは寝室にクレッシェントを呼んだ。彼はおとなしい犬のようについてくる。静々と、どこか厳かな調子にも思えた。

 メリドラは寝室の物置から鍵のかかったチェストを取り出すと、クレッシェントに見えるよう――そして月の光がよく当たるように部屋の中央に置き、ゆっくりと鍵を開ける。もはやメリドラの横顔は平凡な代書屋のものではなかった。古代の祭司を思わせる奇妙な美しさを帯びていた。
 チェストの中には、果たして様々な文字と絵がかきつけられた紙が大量に入っていた。一枚一枚をメリドラは慎重に取り出し、部屋に広げていく。絵に描かれたものらは、人の姿をしている者もあれば、魔物じみた者も、何とも表現のつかぬ者も様々であった。

「これがあなたの神――?」
「うん、これが私のパンテオン。数多の神。私が幼い時から親しんでいた、神々――私の、神々」
 メリドラは彼女だけが知る言語で一声叫ぶ。するとおぼろげな影が一つ、また一つと浮かび上がる。
「神々は幼き心の平原に住まう。常若の地、汚されるところのない地に。私はそれを夢で見る。そして、ずっと記し続ける」
 メリドラの神々はクレッシェントの鎌頭をじっと見ていた。クレッシェントを拒絶するでも、受け入れるでもなく、高位の存在が浮かべる寛大な無関心で彼を見ていた。もはや神々は数多、狭い部屋は無限の広さを持ったようになり――実際世界が歪んでいたのかもしれない――どこからか、花の香りや水のせせらぎ、単調だが原始的な美を感じさせる太鼓の響きが聞こえて来ていた。
「私は祭司にして記し手。この世界で語られなかった神々を記す者。……だから。メリドラ・カーレルには、何もいらないんだ。世界を形作る神々がこんなにもおわすのだから」
 メリドラは、浮かび上がる神々を、自らのすべてをこの世ならざる存在に捧げた人の瞳でじっと、見つめる。メリドラは詩を唱え、物語を記し、様々な名前に呼び掛ける。それを邪魔することなく、クレッシェントは見ていた。儀式は延々と、月が沈み星が明け方の光に消され、神々が去るまで続いた。

「それが、あなたの神々で、信仰なのですね、メリドラさん」
 明け方の光の中で、また変哲もない女へと戻ったメリドラは、クレッシェントに頷いた。
「ああ。――クレッシェント君。初めてなんだ。この秘密を誰かに教えたのは。何故だか知らないが、君には見せなければならないと思って」
 クレッシェントは一礼する。
「光栄です、メリドラさん――あなたの神々がとこしえにありますよう」
 クレッシェントはそう呟き、去っていった神々に見たことのない仕草で祈りを捧げる。
「あの、もう五日滞在しないかい? 神々は君を嫌がらなかった――」
 思わず口からこぼれた言葉にメリドラは驚く。そして同じ存在を見て、否定しなかった相手が去るのを、惜しく思っている己に気付く。
「ええ、でも。あれらはメリドラさん、あなたの神々です。僕の神ではありません」
「そうか。ああ……そうだね」

 その日の昼、クレッシェントはメリドラの部屋を出て行った。
 メリドラ・カーレルはいつもの様に仕事を続け、同居人の噂はいつしかかき消えていった。

 クレッシェントは王都から出る馬車に揺られながら思う。
――メリドラの神々は、果たして存在したのか。彼女の想像力が作り上げた強固な幻影だったのか、と。
 ただ一ついえることは、クレッシェントが己が神を此度も見つけることは出来なかったということであった。
 あれは、メリドラのパンテオンであって、クレッシェントのものではなかったのだから。

  • パンテオン完了
  • NM名蔭沢 菫
  • 種別SS
  • 納品日2020年10月19日
  • ・クレッシェント・丹下(p3p004308

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