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Rêve vide
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――貴女が私を『呼んで』くれたのなら。
其れだけで、良かったのよ。
だって、貴女と私は、こんなにも、同じだったから――、
どうして置いて逝ってしまったの、
●欠陥した儘の穴は埋まることを知らないのだから
秋晴れに貴女の青を見た。目覚めは少しずつ冷気が増して、少しずつ人の活気の中で温まっていく街の中に海風のにおいがして、乱反射した光で貴女を思い出した。
「シャルロット……?」
嗚呼、彼女かもしれない。
弾む胸の中に交わしたい言葉を思い浮かべて。今は豊穣がいいかしら、なんて考えて、駆けて、駆けて。
そうして、華奢な足が辿りついた先にあったのは、只の窓ガラスで。
嗚呼、貴女が居ないなんて、嘘。
そんな認めがたい現実を指で無理やりなぞるようにして、フルールの一日は始まるのだ。
目覚める朝は仄暗く。少しずつ橙を帯びて、太陽の光を孕んでいく姿が何とも憎らしくて、すももの花がふつくしく咲くのだと笑った朝焼けが胸を焼くように、化膿した傷口を弄られるように、吐き気がして、逃げるように日陰へと走った。こんな世界に居場所なんてないように錯覚してしまうほど美しい朝は毎日訪れる。
惨い、なんて、云ったなら。貴女は笑うかしら。
其れでも構わないとすら思った。
貴女にもう一度会いたいだけなのに。貴女が居ない世界。其れは完成前のパズルのように、何かが欠けていて、見つかりやしなくて。
悲しい夢だけでいい。こんな世界は。
もしかしたら夢なのかしら、って頬を打つのももう何度目か。薄ら紅く染まった頬は貴女が始めて心から笑えた日の頬とは似ても似つかないほど醜く思えて、また自らの頬を打って心を慰めた。
世界は青に満ちている。
美しい世界だと思った。
美しい世界だと思っていた。
かき混ぜられた感情は貴女にかき乱されたままだった。元通り、なんて叶いそうにないほどに。
「青空のキャンパスに白の絵の具、雲が滲んでいるでしょう。朝と昼と夕と黄昏と夜が滲んで混ざって、どろどろでぐちゃぐちゃなんだわ、シャルロット」
朝から背を向けるほどに、夜に眠るほどに、貴女が居ない日常を思い知らされるようで、胸にたまった不快感はどんどん拭うことすら叶わなくなって、そうして人は『呼んで』もらえることに安堵して世界を捨てるのだろう。
ならば、どうして呼んでくれなかったの、シャルロット。
貴女と私は、こんなにも同じで、愛されたくって。
いちばん、近しかったはずなのに。
ねぇ。
――もう、寂しくありませんよ。ええ、ええ。私がそばにいます。あなたを愛しましょう。
愛したくて、でも愛されなかった私もあなたに愛されたい。そう願って止まないのです。
求めていた筈の愛は未だこの胸の中にあって、貴女に注ぎたくて、注がれたくて。
二人で幸せなまま眠れたらよかったのに。屹度其れだけで幸せになれるはず
海の青とは空の青を吸収し其のように輝くらしい。其れならば貴女が居たあの
一緒に眠りたかった。足りなかった、もらえなかった愛を二人で満たしたかった。
只、其れだけだった。
海洋の街はあまりにも残酷で、海風に笑い、平和な日々に笑い。失ったものを、欠けてしまったものを忘れてしまったかのようで、未だ貴女を想う
逃げるように街を駆けた。
こんな世界に居場所はないのかもしれないわ、シャルロット。
愛した貴女ですら、私を、私の名前のたったの四文字の『フルール』すらも呼んでくれないのだから。
「ねえねえママ、かがみをかってほしいの!」
「まぁ、色気づいちゃって。ふふ……其れもいいかもしれないわね。雑貨屋さんに行きましょうか」
「嗚呼、本当?! 夢みたいだわ!」
はしゃぐ家族の声が疎ましくて、笑顔で通り過ぎることなど、叶わなかった。
●Syrena
花畑。
貴女と最期に会った。
秋。
枯れている。
嗚呼、嗚呼、貴女が最後に見た景色すら残すこともできないちっぽけな世界よ。くだらない。そう云って笑ってしまえたならよかった。どこかから聞こえるであろうフルールを『呼ぶ』声に目を伏せて堕ちてしまえたならよかった。
貴女の手を握って共に、眠りたかった。
眠れない夜は子守唄をうたうのだと、そう告げて、幸せなまま、ずっと。
――さぁ、眠りましょう、宵の子。覚めぬ夢の果てへ。子守唄を歌ってあげる。
――けれど、眠るのは怖いのよ。
優しすぎる拒絶。
其れは酷くフルールの胸を痛めた。真ん丸な風船を薔薇の棘でゆっくりと締め付けているようだった。きりきりきりきりと緩やかに締め付けて、成長して、想いが育つほどに苦しくなっていく。
涙が、零れた。
「シャルロット」
貴女が最期に残した世界は、こんなにも無常で、だけど美しいの。
貴女がすやすやと、優しく微睡み眠り、そうしてまた平和を謳うこんな世界は、貴女にどう見えているだろうか。
寂れた小さな墓標が並んでいるだけの、見晴らしの良い丘が。貴女が涙を流し、笑い、揶揄って、そうやって、最期の時を過ごして、生きた丘が。今は誰の目にも触れず、只秋風に肌を冷たくなぞられるだけで。
苦しい。
ビスコッティの墓へと歩み寄る。
荒れていた。反吐が出そうだった。
貴女が此処で眠ると、そうして眠った此処は、とっても尊いものだというのに、そうやって、また
命の緑は徐々に色あせて茶色へ。そうやって冬を乗り越えるのだと、いつか誰かが語っていた。
どうしたらよかったのかしら。
ぶち、ぶち、と引き抜いた雑草は大地を抉りフルールの美しい衣服を汚し、フルールの爪に砂利を残してあざ笑うように根を残して、そうして命を容易く奪われる。馬鹿にされているようだと思った。辺り一面に生えた雑草を力任せに引きちぎる。
ぶち。
ぶち。
ぶち。
ぶち。
ぶち。
ぶち。
ぶち。
命のやりとりが簡単だったのならば屹度もっと苦しむことなどなかっただろうか。あの子が魔種になるなんて、そんなことはなかっただろうか。
そう思うとビスコッティやシャルロット
墓に蹴りを入れるのは無礼だから。何より貴女が眠っているのに起こしてしまいそうだったから。
勿論目覚めてくれるのならば其れが一番だし、蹴るくらいで起きてくれるのならば墓なんていくらでも蹴れるけれど。貴女が望まないことだとわかっているから。貴女が眠ったまま、戻って来ないことは解っているから。
だから、墓を撫でた。
どうか貴女が安らかに眠れますようにと。
そうやって貴女がいないという事実を噛み締めるたびに、心のどこかがきゅうっと痛くなって、噛み砕けない感情の雨が心を襲うのだが。
――私は貴女を愛せるのかしら。貴女も私を愛せるのかしら?
どちらから問うたかもわからない。どちらが云ったかもわからない。
其れほどに近しい存在だった、と思っている。
墓の、貴女が眠った近くに、腰掛ける。
凪いだ海は美しくて、目まぐるしいほどのあの日々を忘れてしまったようで、嗚呼、やっぱり残酷だと思うばかりで、貴女がいた証はぬばたまの、忘れられない約束と刻まれたブラック・ベルベットを求めて。
視界が黒で染まるたびに、貴女を思い出して、この胸は焦がれるばかりだった。
●寂しい貴女と悲しい私
天気予報の嘘吐きが、快晴だと示していた時間は季節外れの大雨で、貴女に似ていたような気がして買ったドレスを、其の想いすらも嗤うように、びしょびしょに濡れてしまって。海の上での戦いを思い出させるには塩気が足りなくて、味で覚えているあたりにまた自虐の笑みが浮かんだ。
ただ、空っぽだと思った。
世界に祝福されていないような気がした。
――ねぇ、ミロワール、シャルロット? お願いがあるの。私を『呼んで』?
――いいえ、いいえ。私は貴女を殺したくないわ。
――殺す……?
――魔種になったら未来はないわ。待ち受けるのは死刑宣告、ただそれだけなの。
『わたしは、あなたを『わたしとおなじ』にしたくないの』。
ごめんなさい。と、暗に言われているような気がした。貴女の困ったように笑う顔を見るだけで、悪いことをした子供のような、叱られた後のような苦い苦い気持ちが心を支配していくものだから、こんなずきずきする心地はなくなってしまえばいいと思った。
「しゃる、ろっと、」
ほろ、ほろ、ほろ。
涙にぬれたセレナーデ。子守唄にするならもっと明るく優しく歌いものだけれど、貴女を思っては、涙は止まりそうにない。けれど此れが涙であることすらわからない自分に腹が立って、記憶を残しておかなかった過去の『私』が憎くて、流れていく海水のような其れはほったらかしにして、天井を眺めた。
貴女と同じになりたかった。死のそばのひかりになりたかった。一緒に眠って、おやすみなさいを、一緒に。
額のくちづけなんかで済ましてしまうほど簡単なさよならなんかじゃなくて、もっとずっと、優しくてあいに溢れた最期があったって、良かった。
花葬はあまりにも、うつくしかった。貴女の最期を見送りたいたくさんの、96人の
貴女の闇ごと、ぜんぶを抱きしめて、愛したかった。怯えた様に息を潜め、静寂の中ですすり泣く幼子のような貴女にも、愛と、ひかりをあげたかった。
背負った荷物ははんぶんこできるのだ、と教えてあげたかった。否、伝わっては居たのだろうけれど。
愛するとは、こんなにも難しかっただろうか。
愛されるとは、こんなにも遠いものだっただろうか。
愛とは、こんなにも憧れを抱かなければいけないようなものだっただろうか。
ほろほろほろほろ、零れる温度はまだ熱いままに頬を汚してしまうから、瞼を閉じて。じわりと滲んだ其れが寂しさだということは気付かないままに。愛を、謳う。
貴女は屹度優しいから。こんな世界を愛していたから。
みんなを愛していたから、屹度。
でもね、シャルロット。
私、貴女を愛しているわ。
だって、そう。貴女と私は、同じで、痛いほどに気持ちがわかって。
貴女の為に子守唄が歌いたいと、思ったから。
すやすやと寝息を立てるころには悲しみは夜空に滲んで。曖昧なままにとはいかず、空に瞬く星々のように鮮明に娘の心を焼き焦がし続ける。
すれ違ったあの家族は幸せなのだろう。
私にも家族が居た頃があったのだろう。
ならばどうして、私は空っぽで、愛すらもないのだろうか。
理解することも、考えることもやめてしまった現実がやけに傍にあるような気がして、寝返りを打っても、ぎゅうと枕を、リネンのシーツを抱きしめても、影のように付きまとったその感情の名前は解らないままに、そうしてまた、朝を迎えた。
おやすみなさいなんて、云いたくなかったわ、シャルロット。
私だけを置いて逝くなんて。
ひどい、わ。