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ラサンドラの剣

登場人物一覧

ヴェルグリーズ(p3p008566)
約束の瓊剣

 ――ああ、おれ達のご主人はどこに行ってしまったのだろう。
 戦場から戦場へ、渡り歩く中で心は擦り切れていく。男は騎士の従者であった。仕えていたのは幻想の騎士、高貴にして武勇の誉れ高きラサンドラ卿。輝く金髪に銀の鎧。白馬を乗りこなして敵陣に勇猛果敢に斬り込む彼女はまさに戦場の華。
 ――ご主人、ヴェルグリーズが折れていないということは、まだ生きているのですよね、ご主人。
 ラサンドラの従者は、粗末な格好には似つかわしくない一振りの剣を鞘にも入れず持ち歩いていた。成人の腕の長さ程度のそのブロードソードは、実用に重きを置いた作りをしている。刀身は青みを帯びており、いかにも切れ味が良さそうであった。男は立ち止まり、ヴェルグリーズ、と剣に話しかける。
 ――ああ、おれ達のご主人はどこに行ってしまったのだろう、ヴェルグリーズ。
 男の瞳には現実を決して見まいとする狂気の色が浮かんでいた。戦場にて敬愛する主と永遠の別れを迎えてしまった、という可能性を決して受け入れまいとする狂気が。

 ラサンドラと男の関係は十五年前にさかのぼる。男はしがない山賊の下っ端の青年で、ラサンドラはまだ騎士になったばかりの若い女であった。森の小道で『通行料』を奪っていた山賊達を叩きのめし、最後に残っていた男のすばしっこさと腕の良さを見て、「今日から貴様は私の従者だ」と一方的に宣言。貧困と裏稼業から永遠に脱せないだろうと思っていた男をひょいと、騎士の世界につまみ上げたのだった。
 ――覚えているかい、ヴェルグリーズ。最初にあった時のご主人の雄姿と寛大さといったら! 銀の甲冑に青いあんたの刀身が映えて、そりゃあそりゃあ美しかったんだ。ご主人はおれにとっての救いだった。あんたもだ、ヴェルグリーズ。あんたとご主人がおれを正しい道に連れて行ってくれたんだ。
 故に、と男は思う。ラサンドラ様を、ご主人を何としてでも探し出さねばならない。戦場で落ちていたヴェルグリーズを見つけられたのだから、ご主人も見つけられる、いや、見つからなければおかしい。ご主人とヴェルグリーズはまるで一つの生き物のように敵を屠り、人々を守ってきた。
 ――そして、おれを救ってくれた。おれに世界を見せてくれた。
 剣の重みが少し増した気がした。男にはまるでヴェルグリーズが自身を正しくない持ち主だといっているかのように思えた。
 ――おれなんかに、ヴェルグリーズは相応しくない。これは勇士の剣だ。生まれつきの勇士である、ご主人にしか使えない剣だ――。
 やがて男は疲れ果てて、眠る。怪我をしないように己の外套をヴェルグリーズに巻き付けるだけの理性はあった。

 放浪は何日、何か月、何年も続く。壮年となった男は傭兵として戦場を渡り歩くようになっていた。ヴェルグリーズには新しい鞘が出来た。片手には青い剣、まるで死に急ぐような戦い方でありながら、その素早さで敵を正確に屠り続ける。探すのはただ一人、遥か昔に行方不明となっていた一人の騎士ラサンドラ。
 ――ヴェルグリーズ、次の戦場では、ご主人が囚われているかもしれない。いや、ヴェルグリーズを振るうおれの名前が広がれば、もしかしたら探し出してくれるかもしれない……。
 男の心は長い間ラサンドラに囚われていた。その姿は、崇拝する乙女を探す探求の騎士にも似ていた。最も生きていたならばラサンドラは老女であっただろうが。ヴェルグリーズにぶつぶつと話しかける姿を傭兵らは不気味がっていたが、確かな腕と評判が不気味さを上回り、男は仕事に困ることはなかった。
 ヴェルグリーズは戦場で敵対者に『別れ』を与え続けた。
 男は勇士とは程遠い自分が『ご主人』の剣を使い続けていることに罪悪感を覚えながらも、『ご主人』と別れ別れになったヴェルグリーズを同士だと思い、やがて友と思うようになっていった。同じ女性を敬愛する者同士の連帯感に似た感情であった。

 男は老人となった。いつしかヴェルグリーズの重さに腕が慣れていることに薄々気付きながらも、ラサンドラへの思いは途切れることはなかった。失われた主への熱病の如き憧憬はいつしかそこにいない者への愛慕へと変わっていったが、男はその変化に気付くことはなかった。夜毎男がラサンドラへの思いを語る様を、そしてそれが愛する者を慕うように変わっていくのをヴェルグリーズは聞き続けていたが、幸か不幸か彼は喋ることが出来なかった。
 ラサンドラが生きていたならば、寿命を迎えているかもしれぬということは、男は認めようとしなかった。男の時は戦場でラサンドラと離れ離れになり、ヴェルグリーズを拾ったその時で凍り付いていた。ヴェルグリーズは男にとって主が生きているという啓示であり、男が気付かぬ呪いであった。ラサンドラという名の呪いであった。様々な命に『別れ』を与え続けたヴェルグリーズの青い刀身ですら、断ち切れぬ呪いであった。
 戦場から戦場へ。老いた体であっても男の剣技は劣ることなく、ますます冴えわたるようになっていった。幾つの敵を斬ったか、もはや覚えていない。ヴェルグリーズという名の青い剣を持つ傭兵の噂は、恐怖と共に語られるようになった。何せ金にはさほど興味がない。酒は飲まず女も買わぬ。ただひたすらに戦場から戦場へ渡り歩いている――。
 死神がいるならば、あのような者だろう。
 人々は噂する。そして、戦場で対峙することがないよう、神に祈るのであった。

 冬の近い秋の明け方であった。枯草を横目にヴェルグリーズを佩いた男は森の小道を歩いていた。カンテラが辺りにぼんやりとした光を投げかけていた。老いた体であってもヴェルグリーズの重荷は感じなかったが、男はそこに一振りの剣があることに慣れ切っている、ということはまだ認められずにいた。長い年月を経ても男にとってはヴェルグリーズはラサンドラの剣であった。
 ――寒くなって来たな、ヴェルグリーズ。
 もう何度繰り返したとも分からぬ剣との会話。剣は相変わらず答えないが、その沈黙だけが男にとって微かな安らぎを与えてくれた。
 ――なあ、ヴェルグリーズ……。
 男が何かを語りかけようとする刹那、何かが高速で飛んでくる。男は獣のように素早く避けて、何か、の来た方にヴェルグリーズを抜き放って襲い掛かろうとし――すんでのところで、踏みとどまる。
 そこにいたのは、一人の娘であった。年は成人するかしないか、体は痩せこけ、肌は泥にまみれ、痣や怪我の痕が痛々しく残っていた。金髪はぺたりと頭に張り付き、埃で汚れ切っていた。片手に粗末なスリングを持ち、まるで魅入られたように男とヴェルグリーズを見つめながら立っている。
「その青い剣、綺麗だな、爺さん。それで死ねるなら、本望だよ」
 男はヴェルグリーズを鞘にしまい、殺しはしない、という風に身振りで伝えた。娘の様子は忘れそうになっていた遥か昔の記憶を思い起こさせた。山賊だった自分、騎士であったラサンドラ。澄んだ光を湛えたヴェルグリーズ。
「娘、名前は?」
「あったけど捨てた。だって親父があたしの名前を呼ぶ時は殴りながらだから。だから親父を寝ている時にナイフで刺して、森に逃げて来た。それからずっと森の中だ」
 娘は聞かれてもいないことまで喋り、命の危険がないことをしるとどっかと地面に座り込んだ。
「爺さんは、どうしてこんな時間に歩いてるんだい。あたしみたいな物取りなんかその綺麗な剣でばっさりやれるだろうから、何も心配いらないだろうけどさ」
 男は『ご主人』を探している、と口にしようとした。だが、口の中が渇き舌が張り付き声が出なかった。朝方の光が少女の汚れた髪に僅かな輝きを与える。戦場の埃を浴びたラサンドラの髪の毛を思い出す色合いだった。ラサンドラに初めて会った時の自分も、この年頃だった。養父と養母にこき使われ、嫌になって家を飛び出し、山賊の一党になって――ラサンドラに救われて。
 ヴェルグリーズの重みを感じる。ふいに、ラサンドラはもういないのだ、という確信を魂が受け入れる。涙はなかった。狂気もなかった。ただ、戦場を共に駆け巡ったラサンドラの記憶と、彼女との『別れ』を認められなかった自分の側に何年も何年もヴェルグリーズがいたという事実があった。
 だから、男はこう答える。
「長い散歩さ――ところで娘、おれと旅する気はないかね。剣の使い方を教えよう。おれはもう老いた。ヴェルグリーズが戦場でしらない奴の手に渡るよりかは……あんたの物になる方がよっぽどいい。こいつの前の持ち主は、たいそう勇敢な女騎士だった。きっとあんたのことも気に入るだろう」
 男は認める。ラサンドラの死を。ヴェルグリーズが己の剣としてずっと共にいてくれたことを。そして狂気は醒め、執着ははらりと、切れる。
「騎士か。物語の中の話みたいだ……サンディだよ、爺さん。あんたにならば、名前を呼ばれてもいい」
 初めて存在を認められた人のように娘は名乗った。サンディ、ラサンドラ。似た響きの二人なのは、運命なのだろうか。男は腰のヴェルグリーズを見る。こいつは笑っているのだろうか。

 分からなくともよかった。長い探索の旅は終わり、呪いは断ち切られた。

  • ラサンドラの剣完了
  • NM名蔭沢 菫
  • 種別SS
  • 納品日2020年10月14日
  • ・ヴェルグリーズ(p3p008566

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