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白うねりネリの物語
登場人物一覧
●妖怪の誕生
白うねりとは――。
妖怪絵師・
使い古した雑巾が、長い時を経て三つ指の龍のような妖怪になるという。
妖怪がどのように誕生するのかと言えば、民俗学的なアプローチもあるだろう。不要になって捨てたものへの後ろめたさ、あるいは物をむやみに捨てないという教訓、古い物への愛着と畏敬などなど……。
形のない恐れや不安といった感情が、いつしか具象化されて、名と姿を与えられることによって妖怪は生まれる。
だが、その生まれ落ちた後はどうなるか?
与えられた特性と具象化された性質にしたがって振る舞う。
白うねりは、人の顔にまとわりつき、その悪臭で苦しめるといった悪さをするらしい。これらは具象された後に与えられた振る舞いであるともされているのだが。
ともかく――。
ここに、二匹の白うねりがいた。
白うねりがどのように振る舞うかは、『百器徒然袋』にも記載がない。そうなるとこれは禽獣のように振る舞うことになる。
授かった子をどのようにして育てるのか?
自然の掟にしたがうことになるのだが、これは二通りある。
獣であっても子が巣立つまで育む方法。
それと言葉は悪いが産み捨てて生きるに任す方法。
どちらが正しい、などと言えるものではない。
種の繁栄という点のみをもって断じれば、大量に生んで放置する後者の生存戦略のほうが多くの命でこの世を覆っているともいえる。昆虫、爬虫類、魚類たちの一部はこちらを選んだ。
白うねりも、性質について特に明記がなかったために産み捨て戦略となったのであろう。龍は、外見から判断すれば爬虫類であり、子育てをしないからであろうか。
二匹の布切れの龍のごとき妖怪から、小さな布切れの子が生まれた。
「あー……」
その小さな白うねりの幼生は、この世に生まれると産声をあげた。本当に小さく、真っ白で竜のぬいぐるみのようであった。
この子が、母を求めて泣くようなことはなかった。
自分が乳を与えられ、愛情を注がれることなどないのだと、本能で知っていたがゆえであろう。
ただ、生まれ落ちると同時に小さな身を懸命に捩り、のたうち、床をきれいにしようとうごめいていた。
のちに、この子は白うねりのネリと名付けられることになる。
真っ白なその身がいくら汚れようとも、妖怪に定められた役割にしたがって掃除を続けるようになる――。
●ネリが育つまで
「おお、よう掃除するのう」
そこは、だいぶ放置された荒れ寺であった。
寺に勝手に
野寺坊というのは、無人の荒れ寺に現われるというボロボロの衣をまとった僧形の妖怪である。この妖怪は、『画図百鬼夜行』に記載されているものの、白うねりとともにいかなる存在であるかの記載がない。
そうなると、外見にしたがって破戒僧のように振る舞うことになる。
荒れ放題の寺であるが、経を読む真似もすれば人のようにも振る舞える。
そんな野寺坊が白うねりの幼生を拾ったのは、破戒僧なりに幾ばくかの慈悲を示した功徳によるものかもしれない。
「おそう、じ……」
「ようやった、ほおれ駄賃じゃ」
野寺坊は、徳利に口をつけながら銭を放る。
汚れに身体をこすりつけることを、“おそうじ”と教えたのは、この野寺坊であった。
「なに、これ?」
「こいつは銭と言ってな。掃除して働いた代わりにもらうもんじゃ」
「ぜに? おそうじ? はたら、く?」
本能のままに気づくと寺を掃除していた彼女には、働くという意識はまだ目覚めていない。しかし、荒れ寺であるが床や壁は磨き抜かれている。代わりに、白うねりの幼生は汚れきってしまっていた。
「掃除した代わりにもらうもんじゃ。覚えとくといい」
「おそうじ、したら……おだちん」
「そうじゃ。おぬしはまだ汚れに身体を擦りつけておるのか掃除をしておるのか区別がつかんからのう。いっぱしの妖怪になるには、なんらかの役割が必要じゃな」
「やく、わり……?」
役割という言葉の意味も、まだわかっていない。
後にいろいろ覚え、妖怪としての本分も知ることになろう。
「その子は、元気かえ?」
荒れ寺を訪ねてきたのは、
夜な夜な飴や餅を買い、子育てをするという妖怪だ。
「おう、今日も元気に掃除をしておる。寺をきれいにすれば功徳もあろうて」
「和尚、こんな小さな子に掃除を任せきりにするなんてようないですよ」
「いやいや、妖怪の本分を教育しておるんじゃて」
野寺坊は、悪びれずに言う。
その間も、せっせと汚れを落とそうとする。
掃除という概念が自分のものであると理解したかのように。
「この子、名はなんというのですか?」
「それがな、まだない。なんぞいい名がないかのう?」
「白うねりの子ですから……ネリでよいのでしょうか」
姑獲鳥は、愛おしそうに眺め、撫でてやる。
「ねりー」
その名が気に入ったのかくすぐったかったのか、“ネリ”と名づけられた小さな白うねりは、その名を繰り返して身を捩った。
「この子、可愛らしいねえ」
「ふふ、ネリよ。掃除をしたらお駄賃をもらうことを忘れてはいかんぞ。お前は親のない妖怪ゆえ、掃除をしたら必ず何かをもらうようにするとよい」
「それじゃあ、私もお駄賃をあげようかね」
姑獲鳥は、出ない乳の代わりに飴屋で買い求めた飴を与える。
「あむ、あまい……」
「たんと食べて、大きくなるのよ」
姑獲鳥から与えられる飴をはむはむと一生懸命に舐める。
そうしていると、日が暮れて寂しい荒れ寺も次第ににぎやかになってくる。
「おっ、母親役が決まったのか」
「それじゃあ、父親役はどうするんだい?」
姑獲鳥の手から差し出された飴を舐めるネリを眺めるのは、輪入道に編み切りである。
野寺坊が拾ってきた幼い白うねりの子が、気になって仕方がなかったらしい。だから覗きに来たのだ。
ともかく、父親役については後回しとなった。
「このボロ寺がきれいになったのはこの子のおかげというわけだな。わしと一緒にどこか掃除するか?」
集まった妖怪の中にいた箒神が言った。
箒は古来から祓い清めるに繋がるため、神聖視されてきた。また、掃き出すことから出産とも関係づけられる。
「おそうじするなら、おだちん……!」
「はっはっはっ! これも御坊の教えのおかげか」
さっそく、ネリは野寺坊に教えられたことを実践する。
「うむ、他人から銭を取れば、ネリのやっとることを誰もが掃除だと思うだろうしのう」
自身の行為が掃除であると認識するところから、掃除という事象を司るようになる。
他者からネリのしていることを“掃除”だと思わせるには、報酬を媒介とした仕事にするのが手っ取り早い。
妖怪というのは、名付けられて生まれるものであるから掃除という概念がはっきりしないと生まれたばかりのネリは消えてしまいかねない。
言霊という概念がある。言葉には霊的なものが宿るとされる信仰だ。
受験生に、「すべる」や「落ちる」を使わない、大事なときに豚カツを食べて「勝つ」と縁起を担ぐのもこの名残だ。妖怪も無縁ではない。
汚れを落とすことを“掃除”と名付けるから、掃除の概念が共有され、ネリも生まれることになる。
「わしらもだんだん出る場所が少なくなってきたからのう。しっかりと妖怪として為さぬと消えてしまうかもしれん」
「まったく、最近は風呂場もきれいになってしまって」
そんなことを言ったのは、天井なめと垢舐めの二匹であった。
天井に溜まった汚れを長い舌で舐め、染みを作るという妖怪も、風呂場にこびりついた垢を舐めにやってくる妖怪も、昨今は出番がなく、忘れ去られていけば消え去ってしまう。
「だからネリよ。きれいに掃除して、銭をもらえるようになればおぬしは消えんぞ」
「ネリ、おそうじする。おだちんもらう」
●お掃除妖怪
白うねりのネリは、妖怪たちに囲まれて育っていった。
今では、人の姿を取るようになった。そのほうが掃除の仕事が舞い込んでくるからだ。
例の荒れ寺は時代の変遷の中でなくなってしまったが、妖怪の皆がいなくなったわけではない。みんな、どこかに潜んで暮らしている。野寺坊はホームレスに紛れ、姑獲鳥はベビーシッター、輪入道や網切りも、遊園地のアトラクションやカニ料理の看板役など、それぞれ仕事を得て存在を保っている。
白妙の長い髪をした小さな女の子の掃除代行者――。
並みの清掃業者よりも、ぴっかぴかに仕上げると評判だ。
「ネリちゃん、お掃除お願いしたいんだけど。小さなお店なんだけど、手が回らなくて」
「わかったわわ。報酬はいつものとおりね」
「ありがとう、ネリちゃん」
今日も、なじみの中華料理屋から掃除の仕事が入る。
老夫婦が経営するこじんまりとした店で、人手が足りないのでこうしてネリに依頼が回ってくる。
「お金をいただく以上、きっちりきれいに掃除するわ」
油を多用するだけあって、中華料理屋では油汚れがどうしても多くなる。
中華料理屋の老夫婦も、ネリがやっていることを“掃除”として認識し、報酬を払っている。
その髪をモップ代わりに使うと、きれいになるのがいいが、驚かれるのでたまにしかしない。
「今日もきれいにしないとね」
妖怪白うねりのネリ、彼女が混沌に召喚されるのは、このほんの少し後のことであった――。