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刃渡り21cmの憧憬
登場人物一覧
●
とうさん、とうさん。
どうしたんだ、凛太郎。
おれ、どうやったらもっとつよくなれるかなぁ。
凛太郎は強くなりたいのかい?
うん。そしたら、もっといろんなひとが、なかなくてすむだろ?
はは、そうだねえ。そうしたら、そうだなぁ。泣いてる人の、味方になってあげなさい。
みかた?
そうだ。怖いときには、一緒に居てくれる人が居た方が、いいだろう?
きっと、そうだね!
嗚呼、そうさ。
ありがとう、おとうさん!
●傲慢。故に正義
帰りたい。
妹は無事だろうか。
俺には戦うことなんてできない。
でも、俺以外にも戦えない人だっているんだ。
俺は、どうすれば。
其の瞳のオニキスは淀み、影を宿していた。
帰りたいと思った。只、ずうっと昔の日々に。
なんてことないありふれた物語、其のひとつ。
アルコール漬けの父とかわいそうな二人の兄妹の物語だ。
ギャンブル。クビになったと泥酔の果てに笑って。其の原因たる母は写真越しに俺達に微笑みかけていた。
母さんが死んでしまったあの日からすべては変わってしまった。お金持ちなんかじゃあないけれど。でも屹度、あの時俺達は一番、幸せだったんだ。
癌だった。俺と父さんはありとあらゆる伝手を辿り働き、学校も中退して、只母さんの為に働いた。
新聞配りしかできなかった俺は、あまりにも無力だったけれど。父さんは、朝も昼も夜も、ずっとずっと働いていた。だから俺も俺にできることをしようと、必死で足掻いた。
皿洗い。ご飯の用意。妹の送り迎え。
いいことを積み重ねれば、良い子にしていれば。
けれど。奇跡など起きることがないと、現実は嗤った。母さんは死んでしまった。
俺達に残されたのは、母さんの為に借りた手術費、入院代、薬代、葬式代。
金を。もっと金を。
「……凛太郎。父さんは、」
「ううん。ぜんぶ、癌が悪いんだよ」
「……悪いな」
「ううん。仕方ないんだ。俺ももっと頑張ればよかったんだ」
家族葬も儘ならなかった。金がなかった。只其れだけの理由で、俺達は母さんに手厚く供養をしてやることも叶わなかった。
其れでも、まだなんとかなると思っていた。
ひび割れたこころ。失ってしまったかけがえのないひと。
其れでも、まだ、俺達は終わってなんかいないと。
「ねえ、おにいちゃん」
「……どうしたんだい」
歳幼い妹は寝ぼけ眼で笑った。俺達の光だと思っていた。
せめて此の子は幸せにしてあげようと。父さんと語っていた。
純粋さは、罪だ。
「おかあさんねぇ、ずっとずっと、とおくへいきたいって言っていたから、」
「え、」
「おねがいごと、かなってよかったねぇ」
ぱりん。
妹は泣きながら笑っていた。
幼い。故に、純粋。だからこそ。
だからこそ、父の前で告げたのだ。母さんは、死にたがっていたのだと。屹度俺達が身を削って働く姿を見たくなかったのだろう。
其のやさしさ。幼いが故に汲み取ることの出来なかった言葉の裏。
余裕のない父にとって。最愛の妻を失ったばかりの父にとって。
其の言葉は、ナイフのように鋭く心を貫いて。
「凛太郎、」
「何、父さん」
「もう、無理だ」
父さんは初めて、妹のまんまるなほっぺを殴った。
「う、う、うわあぁぁぁぁん!!!!」
「父さん!!!?」
「あ、あ……ごめん、ごめん凛花」
黒い喪服。妹の号哭。始まりはいつだって、惨いほどに胸が痛むのだ。
「あ、は。俺達三人、此処で死ねば、いいんだな」
「父さん!!」
「い、いやぁっ!!!」
「凛花、逃げろ、隣の家に入れてもらえ」
「でもお兄ちゃんは、」
「早くッ!!!」
「う、ッ……あぁぁぁぁぁ!!!!」
割れた酒瓶。妹の号哭。血走った目。
「凛花?!!!!」
「お父さん、やめて――ッ!!」
もう、誰も失いたく、ないんだ。
腹に通る鋭い痛み。冷たさ。
其処から熱を失っていくようだと、思った。
二度目。今度は肺を通ったのかもしれない。呼吸が苦しくなった。
「お兄ちゃん?! お兄ちゃん!!!!!」
「あ、あああ、あはははは、凛太郎、良い子だなぁ」
「に、げろ、」
「いやぁ、お兄ちゃん、お兄ちゃん……!!!」
凛花の手に握られた白い紙が赤く染まっていく。
怪我をしたのか、凛花。お兄ちゃんが手当てをしてやる。嗚呼、違う。俺の血だ。
「いいか、凛花、」
「だめ、だめだよ、」
「聞いてくれ」
「嫌」
「俺の口座に、凛花の学費が入って、る、から、」
「嫌ぁ……」
「大学、心配しなくて、いい、よ」
「お兄ちゃんも一緒がいいよぉ……」
「ごめ……逃げ、ろ」
「お兄ちゃん、お兄ちゃん!!!」
声が。遠くなる。
どうしてそんなに泣くんだ。嗚呼、大丈夫。俺は死なないよ。だから逃げてくれ。凛花。大好きだ。
●
ねえ、母さん。
ごめんね、凛太郎。
ううん。それよりもさ。母さんは、死にたかったのか?
……そうねえ。もっと凛太郎に、学校に行ってほしかったな。
……そっか。
凛太郎。
なあに?
もしものことがあったら、凛花と、
凛花を護るのは、俺の使命だよ。
……そう、ね。
ごめんね、母さん。俺、もっと頑張るから。
凛花と、逃げなさい。
そう、もっと早く云っておけば、よかった。
●愚直、故に勇敢
「いやぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!」
声が聞こえた。妹の号哭に似ていたような気がして、俺は走った。
俺が解決できることならば、どんなことだってやり遂げて見せるから。だから。
もう誰も、悲しみませんように。
「た、助けてッ!!!」
「其の子を、は、離せ」
声が震えた。足も震えた。情けないことに、俺は丸腰で挑んだ。
結果。
「おーい、聞こえてまちゅか~?」
「ギャハハ、なっさけねえの」
「おい、コイツどうするよ」
「バラして売ろうぜ。あの女みたいに使い道があるわけじゃあねえが、幸いなことに若いからな……」
値踏みの眼。嗚呼、死んでしまうのだろか。
石畳を舐める。後ろで組まれた腕は強い力で掴まれていて、あらがうことすら叶いそうにない。
銀の切っ先が首に宛がわれた其の時だった。
「よくやった、少年」
「ガァッ?!」
男が壁にめり込む。流麗なる一蹴り。其の甘ったるい声とマスクとは裏腹に、瞳に煌めくルビーと洒落た口元、其の三日月。笑い方は一輪の花に笑いかける、端正な男――尤も、端正な顔立ちなのは事実なのだが――のようだった。
「勇気ある少年に敬意を表して、ここはおにーさんが換わろうか。護る事がお仕事だけど、弱いってほどじゃあないんだぜ?」
『ん?』と伺うように黒のコートを翻しながら、男は俺の方へと近づいてきた。
「クソが、イキッてんじゃねェ――、」
「おにーさんは今、少年と話をしているんだ。煩いよ」
くすくす。優しく、甘い笑い声と共に伸びる長い脚。
美しい戦い方と云うのは、屹度彼の其れを云うのだろう。
「クソ、クソ!! こうなったらお前ら、殺っちまえ!!!!」
「あは。おにーさん、案外強いんだよ?」
パチン、と軽快に指を慣らし。もう片方の手――人差し指で己の唇をなぞってから、ほう、と息を吹きかける。
悪党たちの刃に炎が宿る。嗚呼、危ない!
「お、お兄さん、逃げて!!」
「嗚呼坊や、云っただろう。おにーさんはね、」
キィン、
「結構、強いんだ」
弾かれる刃。炎の鱗片だけが無残に散り、そうして崩れる戦闘態勢。悪党の姿勢はスローモーションのままに崩れ、
「悪い子にはお仕置き、だよね」
『ばぁん』と手で鉄砲の形を作り、打ち抜く。強かに、無慈悲に貫くその技、反抗し砕く――レジストクラッシュ。緋色の瞳が煌めいた。逃がしはしないのだと、不敵に笑いながら。
●
ねぇねぇ、おにいちゃん。
どうしたの、りんか。
あのね、こまってるひとがいたら、りんかにはなにができるかなぁ。
りんかはおんなのこだから、そのひとのけがをてあてしてあげるんだ。あ、あとね、それから、
それから?
よくがんばりました、って、ほめてあげるんだよ。
ほめる?
うん。こわいときにひとは、がんばっているんだ。
うん。
だからね、たちむかったゆうきを、ほめてあげるんだよ。
わぁ……うん!
●嘘吐き、故に偽善
黒いコートのお兄さんは、俺の方へと近づいてしゃがむと、手を差し伸べてくれた。
「大丈夫かい、坊や」
「あ……はい、ありがとうございました」
残酷なまでに、其の路地裏には赤が広がっていた。
『おっかしいなあ、手加減はしたんだけれど。美しくない……残念だ』と、手を払いながら云った其の人は、丁寧に磨かれた革靴についた血を手袋で拭うと、手袋ごと投げ捨てて。
「君の勇気は今はまだ無謀でしかない。護るっていうのはね、気持ちだけじゃあ務まらないんもんさ」
「……は、はい。すみません」
目頭が熱くなる。
此の人の云う通りだ。だって、此の人が来なかったら、俺は屹度死んでいただろうから。
「助けてくれて、ありがとう、ございました」
「うん。いいよ。お礼もちゃんと言えるなんて、偉い子じゃないか。
其れに、さっきの女の子も、ちゃんと逃がせていたね。はじめてにしちゃ上出来だとおにーさんは思うよ」
暖かい掌が俺の頭に乗った。そのまま乱雑に撫でられる。
「おにーさんはヴォルペというよ」
『君は?』と、優しくルビーが瞬いた。なんて優しい瞳なんだろう。
俺もこんな風になりたい。
熱く胸を突いた思いのままに吐き出した名前は、酷く上擦って響いた。
「お、俺はっ、望月、凛太郎、ですっ……!!」
「凛太郎。凛太郎くんね。綺麗な響きじゃないか。嗚呼そうだ、頑張ったご褒美にどこかでご馳走してあげるよ!」
「え、そ、そんな!?」
「ふふ。甘えていいんだよ」
此の人の笑顔と云うのは、なんとも人の心の内側に入る力があるようで。ゆっくりと頷いた俺の手をぐいっと引いて、立ち上がらせたヴォルペさんは、光溢れる街の方へと、俺を連れて行ってくれた。
此れが、俺のはじまりの物語。
だから。どうして敵なんかになったんだよ、ヴォルペさん。