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さよならへ解く剣
登場人物一覧
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俺の知るアリスティア様は
表情の乏しい前の主の婚約者だった──。
「アリス……務めとは言え今日も来てくれたんだね、嬉しいよ」
「いいえ、いいえ……ジェイド様にそのように思われる程の事ではないですわ、務めですもの」
「そ、そうだね……」
前の主ジェイドは
ジェイドの腰元に常に備えられた剣、ヴェルグリーズから見ても二人の仲はそれほど良さそうには見えなかった。
婚約者と言っても所詮は政略婚約だったのだろうと、ヴェルグリーズは少し切なさを覚える。
(主には幸せになって欲しいのにな……)
貴族と言う立場の者達はどうしてこうも面倒な立ち位置に居る者が多いのだろうか。と、最初は酷いものを見るように思っていた。
「……今日もアリスと話せたな」
だが心做しか今日のジェイドの表情はとても穏やかだった。
(婚約者であるアリスティア様に冷たくされていたようだったのに何故なんだ……?)
何か見落としている事でもあるのだろうか? ヴェルグリーズは考えども考えどもその時はジェイドの真意に辿り着けなかった。
「あ!」
そして、その日の二十二時を廻った頃に部屋の扉の方から物音がし、小さな足音が小走りに遠ざかっていった。
(また使用人か誰かか……?)
また、と言うのは……このところ数日似たような事が起きている為である。
ヴェルグリーズは単なるイタズラだろうか? それとも何か良くないでも書いてあるのだろうか……? と疑問に思う反面、ジェイドはクスクスと堪えるように笑いながら扉を少し開けた。
「……ふふ、本当に可愛らしい方だ」
ジェイドは紙切れのような手紙か何かを拾い上げ、それに対し嬉しそうに口付けをした。
(よく見えない……何か書いてあったのか……?)
ジェイドがそれを見て微笑むぐらいだ、きっと彼にとって良い事が書かれていたのかもしれないけれど。
(だがこんな夜遅くに手紙? を置いて立ち去るなんて……)
それがどんな意味を持つ手紙なのか、手紙の内容が見えなかったヴェルグリーズにはよくわからない現象でしかなかった。
(……何か、良くない事の前触れじゃなければいいのだが……)
寧ろヴェルグリーズは暗躍する何かの仕業とすら思っていたのだ。
「さて……アリスティアと明日はどう言葉を交わそうか……今日以上に喋れるといいな」
(……主はめげない人だな)
アリスティアはジェイドにとっては余程惹かれるお嬢様のようだったが、ヴェルグリーズは今まで見てきた彼女の印象からはやはりその思いは不思議でたまらなかった。
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──ヴェルグリーズが見てきたアリスティアはこれが全てだった。
「女の様子は?」
「いつまでも暴れているので少し黙らせました」
「全く……上品そうな女の見た目で野蛮な事だ」
(アリスティア様はあのように感情を激しく乱す方ではなかった)
ヴェルグリーズが知るアリスティアはクールな女性で、前の主に興味を示さない方だと思っていた。
それが、だ。
──ジェイド様……ああ、ジェイド様!! 私、ヴェルグリーズを取り戻しましたわ!! どうか、どうか褒めて下さいまし!! ジェイド様……っ、ジェイド様……
あんなに酷く激しく感情的な彼女の姿を、ヴェルグリーズは初めて見た。
(本当は愛していたという事……なのか?)
ならば、尚更わからない。何故あんなにも素っ気ない態度をとっていたのか……ヴェルグリーズにとっては不思議で仕方がなかった。
「彼女が連呼しているジェイドと言う男の正体がわかりました。ザハール殿が戦争で殺した貴族の男です」
「ああ、勲章を頂くきっかけになった……」
「はい。それで、どうやら彼女は彼の婚約者のようですね」
「なるほど。……で、何故帝都に幻想人……それも一般人が入り込めたんだ?」
「そこは現在調査中です……ザハール殿も一先ず一命を取りとめたので、回復次第彼からも話を聞く必要があるとは思われますが……」
「……はぁ、全く。帝都の警備が甘いと思われかねない、早急に解決させるぞ」
「はっ!」
そう話していた男二人はこの部屋から慌ただしく出ていく。
(アリスティア様はどうなるのだろう)
鉄帝人……それもザハールは軍人の中でも上の方に見えた為、最悪は殺されるのだろうか。
(前の主が戦争へ送り出すのも止めていれば……いや、今となっては無意味な事だけど)
彼女に止められたとしても主は責任ある立場だったようで、行かないわけにはいかなかっただろう事を思い出す。
(人間って……難儀だな……)
あまりにも難しく生きる者達だとヴェルグリーズは辛うじて見える窓の外を暫く眺めていた。
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それは酷い深底に突き落とされたような気分だった。
「ジェイド様が……死、に?」
「ああ、鉄帝の軍人に……その際剣は奪われてしまったようだが……それで……」
アリスティアはジェイドを心の底から愛していた。
けれど彼女はこれまで彼に対して素っ気ない態度ばかり取ってしまっていて、傍から見れば『政略的な関係』に見えたであろう。
それでも二人はちゃんと
「……せめてこの子だけでも……」
「この子? まさか……ジェイドの子供を……?」
「つい先日病院へ行った際に判明致しました」
「そうか……跡継ぎが居たのは幸いだった」
「はい……っ、はい……っ!」
アリスティアは涙を流した。クールで気高き貴族として有名な彼女が、その冷え切った瞳から涙を流していたのだ。
──だと言うのに。
「うそ……」
それからひと月だったある検診の日、アリスティアは絶望的な表情を浮かべていた。
「残念ですが、お子さんは亡くなられています」
「ぅうそよ……! だって、私……危ない事は何も……っ!」
ジェイドが残した最後の希望を途切れさせまいと、アリスティアは身体にいい事はしてきたつもりだった。
「生命とは何が起きるか我々でも未知なのです……どうか、そう気を落とさずに」
「最後の……希望だったのよ……? ジェイド様はもう居ないの、また作ればいいみたいな風に言わないで!!」
「お、ぉ奥様!!」
医者の心無い言葉に、アリスティアは癇癪を起こしてその場を去った。
(ジェイド様の血が途切れてしまった……)
お義父様にはなんて説明したらいいのだろう。いや、そんな事よりも……やはり
「唯一の……心の支えだったのに……っ」
悲しくて辛くて悔しくて……やるせない思いがアリスティアの心を支配する。
(ジェイド様……ああ、ジェイド様……)
アリスティアにとってジェイドは一目惚れも同然の婚約者だった。
しかし初恋だった為か、プライドが高かった為か……妙に素直になる事が出来ずに、とうとう戦争にまで送り出してしまって。
(あの時……引き止められていたならば)
──あの時、引き止められていたなら
──あの時、戦争に勝っていたならば
──あの時、殺されていなければ……。
アリスティアを黒い靄が覆う。絶望に耐えきれなくなった彼女は、ある場所へ向かった。
どんな事をしてでもそこへ辿り着く……固い意思の元に。
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──カンカンッ
──カンカンッ
鐘を激しく叩く音でヴェルグリーズはハッとした。
(ここは……どこだ……?)
先程まで留置所に居たはずの彼は、街の路地裏に潜むボロボロの衣服に身をまとった女の手にあった。
「留置所からザハール殿を襲った女が逃亡したって本当かい?!」
「一般人って聞いてたのに逃げる事が出来るなんて……余程とんでもない奴だな?!」
「女の行方はまだか?! 早く探し出せ!!」
大通りからは大喧騒が聞こえてくる。一体何があったんだ……? と、ヴェルグリーズはその女の顔を見上げた。
(アリス、ティア……様……)
そこに居たアリスティアは以前とは見る影も無くなっていた。
柔らかな栗色の髪も、穏やかな緑の眼も、白雪のような白い肌も……闇に染って染まったかのように。
間違いなく彼女は
(
ヴェルグリーズは無機物である自分の無力さが悔しくてたまらない。
何が出来たかはわからない、それでも主の婚約者だった人だ、救いたかったのに……そう思わざるを得ないのだ。
「いたぞ!!」
「これは……魔種になって?!」
「ふふ、あはは……私は……私は鉄帝を……ジェイド様を殺した鉄帝を許さない……!!」
魔種アリスティアは黒い靄を周囲に広める。苦しむ一般人……ヴェルグリーズは目を逸らしたかった。
「っく……
「我々の手では魔種はッッ!!」
「あっはは……もう捕まりはしないわ……!」
(アリスティア様……!!)
アリスティアは浮上し、その場から遠くへ逃げ去ろうとする。
ヴェルグリーズは何とか彼女から離れなければと思った。しかし自分の意思で離れられた事などない。このまま連れ去られてしまうのだろうか……と思った瞬間だった。
「っ! ぁ、ヴェルグリーズ!!」
ヴェルグリーズを握っていたアリスティアの手元に何かが当たり、ヴェルグリーズは地上へ落ちる。
(……っ、折れ、る?!)
ヴェルグリーズは目を強く瞑った。
「っと、危ねぇ……証拠品壊すところだったぜ」
間一髪、誰かに受け止められたようだった。
「しかし魔種は逃がしたか……次会った時は必ず仕留めねぇと」
ヴェルグリーズを受け止めた男はチッと舌打ちをしながらも、そのまま警備員の元へ戻っていった。