PandoraPartyProject

SS詳細

武器商人とリリコの話

登場人物一覧

リリコ(p3n000096)
魔法使いの弟子
武器商人(p3p001107)
闇之雲

 私がその人を思い出す時、大きな白い虎を思い浮かべる。ジャングルの草葉の茂みから覗く、紫水晶の瞳のホワイトタイガーだ。それは猫科の猛獣らしく音もなく影から影を渡り歩き、満月の夜は玉座であるひらべったい岩の上で月光浴をする。
 その牙は鋭く、その爪は刃のようなのに、私はちっとも怖くはない。むしろ、もっと近くへ行って触れてみたいとすら願う。何故ならその人と私の間には、いつも近くて遠い無限の距離感があるからだ。まるで金魚鉢を隔てて触れ合っているかのような、次元の違う異質さを、その人は纏っている。けれど、その距離感が逆に心地よく、私は、たぶん、その人になついている。
 その人は私が見てきた旅人のなかでも、とりわけ異質であるようだ。自分のことを我と呼ぶときもあれば、アタシと言うときもあり、その両方が重なって聞こえるときもある。その人の影は風もないのに、動き、流れ、何かを内包して、たまに幼子の笑い声をたてる。じっと見つめていると、そのまま闇の中へとぷんと落っこちてしまいそうになる。名もない影の片鱗として姿を現すそれらに、私はきっと親近感を抱いているのだろう。私が孤児であるがゆえに。
 影をたどって視線を上げていくと、長い髪が揺れているのが見える。つややかで光を弾く、白銀の髪だ。もし雨露を一粒一粒天から地まで一本の細い糸として垂らしたらこんな色になるのだろうか。その髪のさらに上を向くと、意外と華奢な肩が目に入る。それから血の気の薄い喉元や、うっすらと笑みを浮かべる唇、形のいい鼻梁に、前髪に隠された、意外と鋭い紫水晶の瞳。その人はそういうもので形作られている。
 武器商人というのがその人の呼び名だ。だけど、それが本当の名前でないことくらい、私でもわかっている。かといってどう呼べばよいのか、実のところ見当がつかない。その人は彼と呼べば是とし、彼女と呼べば頷く。あなたと呼ぶには少々近く、キミと呼ぶにはいささか遠い。なので、私は仮に、その人を『商人さん』と呼んでいる。

 商人さんから招待状を受け取った次の日。シスターは私に白いワンピースを着せてくれた。灰色の糸でお花の刺繍がしてある、日曜のミサのときにしか着れないものだ。「せっかくお呼ばれにいくのだから、おめかししていきましょうね」と、シスターはずいぶん悩みながらドレッサーの中をひっかきまわしていたが、ようやく納得の行くものが見つかったのか笑顔になった。そしてトップに一粒の真珠がついた金のネックレスを取り出して私につけてくれた。真珠のまろやかな輝きは、私にはおとなびて見えたが、一粒だけという質素さが逆に淑女の証のようで、私は心臓が高鳴るのを抑えられなかった。
 シスターの部屋を出た私は鏡の前で、お出かけまでの時間いっぱい、リボンと格闘した。さすがにイレギュラーズのお兄さんがしてくれたようにはいかなかったけれど、どうにか見れる姿になったと自画自賛して、商人さんへのお土産をバッグの中へ詰め込んだ。
 待ち合わせ場所は馬車の行き交う停車場だった。車輪がガラガラと煉瓦の舗装を削り、御者が大声で行き先を告げている。喧騒の中、私が背伸びをして商人さんの姿を探していたら、影のような馬に引かれた小さな馬車が私の前で止まった。直感的に「これだ」と悟った。私が馬車に近づくと、白い狐のしっぽが横から伸びて、ひょいと扉を開けた。尻尾の方を見やると、御者らしい白狐の男の人が早く乗れと手を振った。
 私を乗せた馬車は町を出て暗い森へ入った。鬱蒼とした木立が自ら開いていき、馬車はその道をたどり進んでいく。急にぽかりと明るくなった。馬車は夏草の茂る庭を走っていた。木々は青々とした枝葉を伸ばし、草花が今を盛りと夏の太陽を反射して精気を放つ。生命の樹とも呼ばれるブーゲンビリアが庭に彩りを添えていた。情熱的な赤がしだれた枝に狂い咲く。生命で飽和した空間は、けれど何かの拍子で一気に奈落へとなだれ込んでいくかのような緊張感に満ちていた。庭の奥へたどりついた馬車は、古い異国風の館の前で静かに動きを止めた。
 私は馬車を降り、見知った人影にお辞儀をした。
「……お招きありがとう商人さん」
「よく来たね。…ヒヒ…よく似合っているよそのワンピース。真珠の首飾りも上物だ。白はもっとも美しい色、それが似合うキミは祝福されているも同然だね」
 うれしくて照れくさくて、私はあぶなっかしくお礼を舌の上に載せた。
 観音開きの扉が開き、私達は館の中へ入った。庭のまぶしい光にあてられた目には、館の中が薄暗く感じたけれど、すぐに慣れた。えんじ色のカーペットの敷かれたロビーに、いくつもの鎧が飾ってある。ただ飾ってあるだけでなく、これも商い物のひとつなのだろう。よく手入れされた、鈍色の物言わぬ衛兵たち。
 商人さんの屋敷は天井が高く、異国を思わせる香木の香りがかすかに漂っていた。廊下の隅はもちろん、私達が歩いてきたあとにも塵一つなく、まるで一歩踏み出すたびに掃き清められているみたいで、見えないメイドがいるかのようだった。
 ふと視線を感じて振り返ると、鎧たちがこちらを凝視していた。驚いて息を呑んだ私につられて、商人さんも足を止める。そして、いたずら中の子どもを見つけたかのように喉の奥で笑った。
「こらこら、そう好奇心を丸出しにするもんじゃないよ。お客人に失礼じゃないか」
 すると鎧たちは一斉にがしゃんと正面を向いた。あとには何事もなかったかのように、沈黙。
「……リビングメイルなの?」
「いいや、普通の防具さ。ただ我(アタシ)の館に長く居ると、生と死の境界線を超えてしまうことが往々にしてあるのさ。最近、彼らの間でははチェスがブームのようでね、我(アタシ)が従者と対戦しているといつのまにか周りを取り囲んでいるんだよ」
 なんでもないようにそう言うと、商人さんはまたヒヒヒ…と笑った。
「さあ、ついた」
 商人さんはそう言うと、廊下の突き当りにあるドアを開いた。私は口をぽかんと開けてしまった。
 部屋の中は一面真っ白で、まるでマシュマロをくりぬいて作ったかのようだった。中央に置かれた丸いテーブルとソファも温かみのある白で統一されている。だけどそれよりも驚いたのは、正面にある大きな窓。そのガラスの向こうは雪景色だった。
「……うそ、夏だよ、今は」
 私は思わず窓際へ駆け寄り、額と両手を窓ガラスへぺたりとくっつけて外を眺めた。だけど空から降り落ちてくる羽毛のような白も、それが積もりゆくさまも、ガラス越しに伝わってくる冷気もあきらかに冬を感じさせた。
「…ヒヒヒ…驚いたかい」
「……ええ、とっても」
「商売抜きのお客人を招くのは我(アタシ)も久々だからね。ちょっとだけ趣向を凝らしてみたよ」
 こぽぽ…と何かを注ぐ音がして、私は首を巡らせた。商人さんがお茶をいれてくれていた。私は商人さんの向かいのソファに座った。そのふかふかなことと言ったら、体が沈んでしまいそうだった。ここにユリックやザスやミョールがいたら、間違いなくこのソファの上で飛んだり跳ねたりしているだろう。そう思うと苦笑にも似た笑みが口元をかすめた。
「冬は寒いけれど、雪が降るからいいよね。さっきも言ったけれど、我(アタシ)がこの世で一番美しいと思うのは白なんだ。雪がすべてを覆い隠して、何もかも白く染め上げていって、つまらないものも醜いものも、見えないものも見飽きたものも、常とは違う輝きを纏う季節。その本質が変わるわけではないけれど、やっぱりきれいなものはいいものだよねぇ」
 語尾を薄く伸ばした商人さんがカップへ口をつける。私の前にだけ、緑色のロールケーキが置かれていた。
「……商人さんのは?」
「我(アタシ)は遠慮しておくよ。お客人を待たせるのは趣味じゃない」
「……そう。これ、お土産。どうしよう」
 私はバッグの中からこじんまりとしたバスケットを取り出した。かぶせてあった布を取り去り、中身を商人さんへ見せる。ミョールの焼いたスコーンと、セレーデと一緒に作ったイチジクのジャム。それから、角の食料品店とっときのクローテッドクリーム。商人さんに喜んでもらいたくて選んだのだけれど、その商人さんがあまり食べないのだとは知らなかったから、私は困ってしまった。それに、テーブルの上で私に食べられるのを待っているロールケーキの上品さに比べると、お土産はいかにも野暮ったく、この場にふさわしくないような気までしてきた。
 ところが商人さんは笑みを浮かべると、お土産をバスケットごと受け取ってくれた。
「へえ、キミはこういうものを好むんだね。このジャムなんて楽園の悪魔の旦那も勉強になると喜びそうだ。ありがたくご馳走になるよ。ただ我(アタシ)は食べるのが人より遅いらしいから、少し時間をもらってもいいかい?」
「……もちろん」
 私が応えると、商人さんはスコーンを細かく割り、小鳥の餌ほどのかけらにジャムをのせて口へ運んだ。それをゆっくりゆっくり噛んでいる。ゆっくりゆっくり、ゆっくりゆっくり……。
「……お口に合わなかった?」
 商人さんは首を振った。
「食べるという行為は、嫌いではないんだけれど、どうもこの、咀嚼と嚥下のタイミングが、いまだに掴めなくてね」
 ごくん、と大きな音をたてて、商人さんはスコーンを飲み込んだ。
「うん、おいしい。温かい家庭を感じさせる素朴で気取らない味だ」
「……そう、よかった」
 私はほっとして自分のカップを手に取った。初めて飲むお茶だった。やわらかくて、飲み慣れた紅茶とは全く違う、だけど舌に優しい不思議な味だ。
「……おいしい」
「ほうじ茶というお茶だよ。そっちのロールケーキは栗きんとんと漉し餡を生クリームで巻いた抹茶風味。どちらも練達で仕入れてきたものさ。たまにはこういうのもいいかと思ってね」
 私はおっかなびっくりロールケーキを口に入れた。滋味というのだろうか。濃厚な甘さが口の中いっぱいに広がる。そこへ抹茶のほろ苦さが加わり、渾然一体となった口内をほうじ茶が洗い流していく。文句なしに美味しい。ついつい夢中になってぱくぱくと食べてしまい、空っぽのお皿を見て我にかえり頬を染めた。
「……とっても、おいしかった。ありがとう」
「ん、よきかなよきかな。次は庭に出てみるかい?」
 私がうなずくと、彼は私にウサギの毛で作ったもこもこのコートを着せてくれた。長靴に履き替えて庭へ降りると冬枯れの庭の静かな美しさが心にしみた。
 商人さんは雪をかき集めて何かを作りはじめた。私も雪玉を作って、その上に乗せてみる。
「手伝ってくれるのかい。…ヒヒ…じゃあ、こちらを頼むよ」
 私は商人さんの指示通り、雪を盛り上げ、叩いて突き固めた。そうしているうちに二メートルほどのこんもりとした小山ができた。商人さんは、ざくりざくりと素手で雪を削って形を作り出していく。なんだろう、いったい。雪だるまではなさそうだ。商人さんの手は寒さで真っ赤になっていたけれど、それにもかかわらず鼻歌を歌い始めた。やがて、できたとつぶやいて手を止めた。そこには一頭の白鯨が座していた。
「これはね。我(アタシ)のトモダチの似姿だよ。…ヒヒヒ…トモダチの歌はそれはそれは遠くまで響いたものさ。おいで」
 クジラの背に乗って、商人さんは私へ手を伸ばす。私は言われたとおり商人さんへしっかり捕まった。やがてクジラが歌いだし、しずしずと浮かび上がる。驚き固まる私を背に乗せ、クジラは歌いながら高度を増し空へ近づいていく。
「雲を抜けるよ」
 クジラが雪雲へ突っ込んだ。ぱちぱちと全身に当たる氷の粒の感触に、まぶたを強く閉じる。突然その感触がなくなって、目を開けると雲の上。どこまでも続く蒼穹へ響くクジラの歌声が、私の脳裏に焼き付いた。

 気がつくと、私は小さな馬車の中に居た。正面に商人さんが座っている。からっぽのバッグを抱え直して、私は笑みを見せた。
「……すてきな時間をありがとう」
「それは何よりだ」
 商人さんも笑顔を返す。馬車は停車場で私をおろし、すべるように夕暮れへ溶け込んでいった。空では星が光りだしている。星々の合間をクジラは泳ぐのだろうか。商人さんのトモダチならば、星座のまたたきすら超えていくかもしれない。私は小声でクジラの歌を口ずさみながら、一番星の下にある我が家への道を歩いていった。

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