SS詳細
嫉妬の後遺症
登場人物一覧
ああ、いやだ。
頭を抱えて、髪を掻き毟ったって逃れられぬ事がある。唇を戦慄かせ、その双眸に映り込んだ映像を否定するように目を伏せた。
華蓮にとって、絶望の青での戦いは苦悩の連続だった。懊悩する。沢山の仲間達が戦果を上げて、自身の役割を全うした。奇跡をひとつ、ひとつと積み上げて、沢山の可能性を散らして立ち向かっていく。
その姿に、羨望を抱いた。その姿に、絶望を抱いた。その姿に、酷く――嫉妬をした。
嫉妬は決して誰かを攻撃する者では無かった。内向的にその胸の内に抱き抱えて離れやしない。
愛しい人が居た。大切で、かけがえのない強い
彼の周りには何時だって誰かがいた。柔らかく微笑む彼女、オトナの秘め事を共有する彼女。
自身の取り柄は母性や優しさであると、そう認識していた。
それでも、ソレを遙か上に行く人が居た。慈愛を称え幼い子を抱き締める彼女。
器用貧乏であると、自分自身に特出した部分が無いと認識した。
それでも、ソレを自認しながらも圧倒的に活躍する彼女。
――何か、一つに特出せずに埋没した自分自身と違い長所を持ち、ぐんぐんと前を往く仲間達。
待ってと手を伸ばす事さえできなかった。そうやって伸ばしても「おいで」と先行く人々の哀れみが、優しさが自分を最も醜く見せる気がして。
どれも彼もに嫉妬した。狂ったように苛立った。どうして、とちりちりと胸の内に滾る妬みと嫉みが溢れ出す。
誰を見たって、嫌になった。
ああ、いやだ。
どうして皆、私より優れているのだろう。
ああ、いやだ。
どうして皆、楽しげに生きているのだろう。
ああ、いやだ。
どうして、私、こんなにもダメなんだろう――
全てに対して苛立ちが存在した。あの戦いを経て眠っておいでと声を掛けてくれた人の優しさにずきりと胸が痛んで嫌だと首を振って、頭を掻き毟ってからシーツに丸まり眠りに着いた――着いていたはずだった。気付けば真白の壁の部屋に立っていて。下も上も、右も左も、真っ白で何もないその空間を華蓮はゆっくりと歩き出す。
「アナタ」
静かに声が掛けられた。聞き覚えのある地を這うような――不快感を溢れさせるようなその声音。
ゆっくりと其方へ視線を向ければ白いテーブルに向かい着席しているその人がいた。
――冠位魔種アルバニア。
これは夢だ。淡い夢。先程眠ったのだから、夢でないわけがない。そう、決して現実ではない
あの絶望の青を作り出していた嫉妬の冠位魔種たるアルバニアはもう潰えた。その命の終わりを自身はその目で耳で知ったのだから。恐ろしき存在で、敵であったはずだ。けれど、今はどうしてか彼――否、彼女と称するべきだろうか――の前に居るのが酷く心地よかった。
「あのう……?」
「何よ、お茶会の席に着きなさい。折角のお茶会よ。紅茶が冷めてしまうじゃ無い。紅茶は飲めるの?」
ほら、と指さされた先にはアフタヌーンティーの準備が整えられていた。おずおずとアルバニアと向き合うように席へと着いた華蓮はちら、と目の前の存在を見る。
内心に溜め込んだ嫉妬を凌駕するように嫉妬という感情から生まれたその存在は
「お砂糖は?」
「あ、ありがとうなのだわ。……そのぅ……」
「一先ずお飲みなさい。嫌ね、アンタとアタシは友人では無いわ。
けれど、今、お茶会を楽しむほかに争う必要があるの? 無いなら飲みなさいよ。他の
兄弟、と指し示したのは他の冠位達の事であろうか……。
そんなことはしない、と。華蓮は小さく首を振った。今日の茶会をのんびりと楽しみましょうと言う様にティーカップに口を付けるアルバニアをまじまじと見遣る。あの戦場で見たときの彼はあれ程に恐ろしかったのに、この夢で見ればどこか穏やかな気持ちが芽生え始める。
「あの……」
「何かしら?」
「私の事は……覚えているのだわ……? 目につきもしなかったかしら……?」
そろそろと問い掛ける華蓮にアルバニアは「覚えてないわ」とそっぽを向いた。それどころか、特異運命座標のことなど全く覚えていないと小さく笑う。それが
乾いた笑いを漏らしてから華蓮は「そう」と小さく呟いた。
「これが夢なら争ってもね……そう……嫉妬を冠するあなたに、少しだけお話ししてみたい事があるのだわ」
「どうぞ。勝手に話なさい。アタシは聞いててあげるわ。
そうね、このポットの中身がなくなるまでよ。適当に話していると良いわ」
「ふふ、そうね。適当に話しているだけで、アナタが聞いていても聞いていなくても関係は無いのだわね。
なら、聞いて頂戴? 私、とてもとても醜い感情を抱いているの。誰も彼もが羨ましくて妬ましい」
この感情に名前を付ければ、紛れもなくアルバニアが冠する物となるだろう。
華蓮はぽつり、ぽつりと言葉を零す。あの子が憎らしかった、彼の傍で笑っていられるから。それはよくある恋愛のイザコザ。あまりにも単純であまりにも良くある嫉妬の形。
「アタシだって、誰かに愛されない儘よ。そうね、お揃いだわ。嫌なお揃いだけどサ」
クッキーをつまんだアルバニアを見て、華蓮は「……そう」と小さく呟く。
彼との戦場だってそうだった。命を賭けて真っ直ぐ飛び込んでいく仲間達。次々に戦果を上げて命を捧げて、それでも尚、喪いたくは無いと手を伸ばす仲間達――その背中を、見ているだけのちっぽけさが何とも身にしみて悔しくて。湧き上がったのは嫉妬だった.自分には無い全てが、彼女たちにはあったから。
「誰だってないモノばかり、足りないモノを見るものよ。そうね、当たり前だわ」
永劫の澱に過ごす人。在り来たりな日常も、只人であれば存在したはずの幸福も、その昏き海には存在し無い。
明日は今日より良い日になる――そんな言葉が嫌いだったとアルバニアは小さく言った。
生まれてこの方、アルバニアは人だった試しは無い。しかし、華蓮は人であり、その心に人間ならば誰しもが抱く嫉妬を抱いたのだろう、とアルバニアはつまらなさそうに唇を動かした。
彼は悪魔の類いと表現するべきだろう。冠位魔種とはそう言った存在だ。七罪と呼ばれるオールドセブンは原初の魔種より直接生み出された分身体のようなものなのだから。通常の魔種とは異なる存在であり永劫と不変の澱の中で過ごし続ける。
「……アンタが羨ましいわ。人じゃ無い」
「けれど、あなたはとても強いのだわ。私なんかじゃ比べものにならないほどの力と、冠位という輝かしい冠を頂いているのだわ。ならば――何もなく、埋没してその存在さえ希薄な私よりも、」
「妬ましいわね。力がなんだって言うの? それがあって、どうだというの?
アタシだって、夢があるわ、浪漫があるわ、
唇が揺れ動く。ぎゅ、と華蓮は唇を噛みしめた。彼は、自身と比べものにならない絶望の中に存在したのだろう。それでも、彼がそうして深く考え、絶望に至るまでの道が気になってはたまらない。命さえかなぐり捨てたくなるほどの衝動の縁でアルバニアは未だ、
「ねえ、聞いてあげるわ。アンタは夢ってあるのかしら」
「夢……?」
「ええ。こんな事を言うとおかしな話かも知れないわね。けれど、私は只の一つの夢を信じていた。信じている。信じているからこそここに居たわ」
そう。彼は――否、彼女だ。はっきりと言おう。冠位魔種アルバニアを彼と称するのは止めにしよう――夢を抱いていた。
何一つ変わらない激情一つ。それは乙女チックで、決して歪まぬ可愛らしい少女の幻想。
――女の子の一番の夢なんて、好きな人のお嫁さんになる事に決まっている!
「は」と華蓮はぱちりと瞬いた。只のその一つ。只のその劇場で全ての嫉妬に抗って、それでも嫉妬を続けて自我を立て続けていたのか。
「夢さえ無いのならば命なんて絶ってしまいなさい。夢があるのならばソレを見ていれば良い。
叶わないわ。叶わないからこそ、そればかりを見続ける。女の子にそれ以上の理由は必要?」
華蓮はアルバニアを見遣る。そうだ。この
誰かが彼女との戦いの場で言っていた。
――嫉妬は、醜い感情、だ。だが、それがあるからこそ、先を、高みを、目指すことにも、繋がる。
その言葉をアルバニアはぽろりと零す。華蓮は息を飲んだ。淀んだ停滞、二度とは動くことの出来ないアルバニアという存在。
あの絶望こそがアルバニアの
「あなたは……それでもどうして諦めずに居られたの? 希望を捨てなかったの?」
「希望なんか止めてよ。幾つだと思っているの。そんなもの、もう捨てたわ」
「なら、どうして」
「諦めきれない妄執は決して悪いモノじゃないのでしょうね.女は一つでもあれば、縋って生きていられるの」
女の子の夢。そう口にしてうっとりと微笑んだアルバニアがマカロンをつかみ取る。手入れされた指先は幸福そうに甘味を弄ぶ。
ああ……なんて、なんて叶わない。
澱に沈んだ嫉妬。苛立ちと共に自罰的に自身ばかりを罰し続けた終わり。頭を抱えて涙を流したその日々にアルバニアは「分かるわ」と静かに言った。生まれながらの
華蓮の語る苦しみにアルバニアは知っていると幾度も繰り返す。知っている、知っている。もうその感情は通ってきたことだから。
「……妬ましくなるわ。あなたのことが」
「アタシだってそうよ。アンタは人で此れからも生きているじゃ無い。アタシは――」
ふい、と視線が逸らされた。気付けばポットの中身の紅茶はもう残っていない。ぽつりと一滴がアルバニアのティーカップに吸い込まれて落ちてく。
「そろそろおしまいよ。アタシはいかなきゃ」
「……ま、待って」
がたり。音を立てて立ち上がった華蓮にアルバニアは「紅茶を飲んでいる間だけと言ったでしょう」と溜息を漏らす。その様子がどこか、友人のように思えて擽ったくておかしな気持ちにさえなってくる。
華蓮は唇を噛みしめてから、声を震わせた。
「……嫉妬は、おかしくはないの……?」
「さあ? アタシは生まれてこの方、
もう眠りなさいよ。良い言葉を教えてあげるわよ。憎たらしいアンタに。
明日は今日より良い日になる――らしいわよ。アタシには、そんなこと一回たりとも無かったけれど」
目が覚める。周囲は真白の部屋なんかでは無くて何時もと同じ風景が広がっていた。
あの絶望の戦いから一夜明け、怪我人達の治療が続いている。少しの休憩をと、眠りに着いていた華蓮は痛む体をゆっくりと起こした。アレは、夢だった.紛れもなく――冠位魔種アルバニアはあの日、あの時、確かにその
じわりとその身を包み込む嫉妬の気配は僅かに揺らぐ。あれが本来のアルバニアであったのか――それとも……。
しかし、それを確かめることは出来ない。華蓮は小さく伸びをしてからゆっくりと立ち上がる。
彼――ひょっとすれば彼女――には来なかった、次の朝が始まった。