シナリオ詳細
<海神鬼譚>鱗泡病と孤島の人魚。或いは、静かで悲しい歌が聞こえる…。
オープニング
●鱗泡病
「人が泡になる……だぁ? そいつぁなんだ、御伽噺を聞かしたいんなら、他所を当たってくれねぇか?」
手にしたグラスをテーブルに置いて、男はいかにも剣呑な様子でそんなことを口にした。黒い髪に緑の瞳、苛立たし気に唇を濡らす酒の雫を舐めとって十夜 縁 (p3p000099)は目の前に座る金髪、赤目の優男をじろりと見やった。
ところは海洋。
地上の楽園、シレンツィオリゾート。
その片隅にある小さな酒場での出来事だ。
「いや、確かにまるで御伽噺か何かのような話っすけど、わざわざそんなくだらない与太話を聞かせるためだけに、あんたを呼び出すような真似はしないって」
慌てたように手を振って、金髪の優男……リオと名乗った鳶の飛行種はそう言った。だが、リオの弁解虚しく、縁は依然として不機嫌なままだ。
「どうにもお前さんは胡散臭いな。リオってのが偽名なのはいいとして、件の奇病が真実だと仮定して……一体、なにを企んでる?」
「……あー、企んでるなんてそんな。ま、ま。ひとまず、俺に付いて来てくれないか? 見てほしいものがあるんだ。なに、それをひと目、見てもらえれば縁さんの考えも変わるだろうさ」
なんて。
軽薄なリオの笑顔を見て、縁は内心でますます疑いを深くした。
(割と怒気を滲ませてみたが、冷や汗のひとつも掻きゃしねぇ)
グラスに残った酒の残りを飲み干すと、縁はすっくと席を立つ。なお、支払いはリオ持ちだ。
2人が足を運んだ先にあったのは、シレンツィオリゾートの外れにあった小さな倉庫だ。
ギィ、と重たい音を鳴らして、鉄の扉を押し開く。
瞬間、縁の鼻腔を腐った魚のような臭いが擽った。
「……なんだ、こりゃ」
1歩、倉庫へ足を踏み入れ、縁はそれっきり歩を止めた。
倉庫の床一杯に、大勢の人が寝かされているのが見えたからだ。
男性も女性も、子供も大人も老人も、区別されることなくまるで物か何かみたいに床にずらりと並べられているのである。
全員が手足を拘束され、目隠しとヘッドホンを取り付けられているようだ。うわごとのように苦悶の声を零す彼らの手足には、魚のような鱗が生えている。
さらに、そのうちの何名かは手足には、びっしりと灰色の泡がこびり付いている。否、リオの言葉が真実とするなら、手足が泡と化しているのだろう。
「見ての通り、件の病人たちだよ。そこの子供も、向こうの老爺も、あっちの女性も、それから……」
縁の脚元を指さして、リオは苦い顔をした。
「それもね」
縁の脚元は濡れていた。
縁が1歩、後ろへ下がる。その拍子に、縁の足元で泡が弾けた。
●人魚の住む島
「ひと月ぐらい前からかな。シレンツィオ・リゾートから少し離れた位置にある小さな島の洞窟に1匹の“人魚”が住み着いたんだ」
西の空に沈む夕日を眺めながら、リオは事の経緯を語る。
リオの話に耳を傾けているのは2人。
縁と、倉庫で合流した槍持ちの男だ。
「人魚は夜毎、歌うんだ。そして、歌声を聞いた者は呪われる。見たでしょ? 体に鱗が生える奇病っすよ。鱗が全身にまで広がると、今度は泡になって溶け始めてね……最後には消えてしまうってわけさ」
泡になって、溶けて消えるということは遺体さえも残らないということだ。
縁は右手で口元を覆い、倉庫一杯に詰め込まれていた病人たちの姿を思い出した。
あの様子では【廃滅】や【懊悩】に似た症状も出ているかもしれない。
「あいつら、なんだってあんなところに放り込まれてるんだ? 拘束されて、目と耳を閉じられてただろ? 病人だって言うんなら、病院にでも入院させて適切な治療を施すべきじゃねぇのかい?」
縁は問うた。
縁の問いに答えたのは、倉庫の番をしていた槍使いの男性だ。
名をサヴェージ・コンラッドと言っただろうか。
「彼らは病人では無いからだ。先にも言ったように、彼らの症状は“人魚”の歌を聞いたことで発症したもの。その本質は呪いに近い」
そう言えば、なぜこの男が港にまで着いて来たのか、その理由を聞いていないことを縁はふと思い出した。
甲斐甲斐しく病人たちの看病をしていたことは知っている。だが、どうにもリオの仲間と言うわけでも無いようだ。その証拠に、彼は槍を手放さないまま縁とリオの両者を警戒し続けていた。
「拘束していたのは、被害を広げないためだ。彼らはずっと“脳に直接、歌が聴こえる”と言っていてな、やがて歌に【魅了】されたか、【混乱】したように暴れ出す。暴れられないように手足を拘束し、歌を聞こえなくするためにヘッドホンを付けさせている」
「なるほどな。クラシックでも聞かせているのか?」
「……いや。聞かせているのは騒音だ。彼らは病にかかったその日からずっと、満足に眠ることさえできずに、ひどい騒音を聞かされ続けている」
酷い話だ。
そして、救いが無い。
鱗はともかく、泡になって崩れた手足は二度と元には戻らないだろうことが予想されたからだ。
「“人魚”とやらを討てば、あいつらの病気は治るのか?」
「さぁ? どうっすかね。治らない可能性も高そうっすけど……そうなったら、あのままいつか泡になって消え去って、遺体もねぇんで行方不明として処理されることになるかな」
「そうかい……だが、人魚を討てばこれ以上、被害は広がらねぇってことか」
顎に手を触れ、縁はしばし思案した。
リオも、槍持ちの男も、信用するには些か足りない。
けれど、事態は深刻だ。
件の人魚とやらは早急に討たねばならない。
「仕方ねぇ。何人か人を集めてやるが……なぁ、島にはお前さんも付いて来るのかい?」
じろり、と睨みつけるみたいに縁は視線をコンラッドへと向ける。
背の高い男だ。体も鍛えられている。
だが、きっと彼は戦うことに慣れていない。
力は強いのだろうが、身体の使い方が戦士のそれではないからだ。おそらく元は漁師か何かだ。それが一体、どういうわけで網を槍へと持ち替えたのか。
「当然だ。人魚のせいで俺の親友はこの世を去った。復讐の機会が訪れるのを、俺はずっとあの倉庫で待っていたんだからな」
なんて。
そんな風にコンラッドは言った。
(その割には、何だって俺に殺気を向けているんだか……何かわけでもあるのかね)
肺の空気を吐き出して、縁は肩を竦めて見せた。
港から立ち去る2人の背中を見送って、リオ……改め、メルクリオは思案する。
口元には薄い笑み。
その視線は、縁にばかり注がれているようだ。
(さて、噂のイレギュラーズとやらの実力はどんなもんかな)
誰の耳にも届かぬように、声を潜めてメルクリオはそう呟いた。
- <海神鬼譚>鱗泡病と孤島の人魚。或いは、静かで悲しい歌が聞こえる…。完了
- GM名病み月
- 種別リクエスト
- 難易度-
- 冒険終了日時2023年04月13日 22時05分
- 参加人数6/6人
- 相談8日
- 参加費150RC
参加者 : 6 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(6人)
リプレイ
●空歌う孤島の人魚
孤島の人魚。
シレンツィオ・リゾート周辺で、ここ最近になって現れた得体の知れない脅威である。
歌を聴いた者を呪い、その身を泡へと変えて殺める。そんな危険な存在だが、現時点では表沙汰にはなっていない。
何者かが、情報を統制しているせいだ。
「なぁ。その人魚とやら、お前さんが手酷く振った嬢ちゃんだったりしねぇだろうな」
『幻蒼海龍』十夜 縁(p3p000099)は操舵輪を回しながら、背後へ向かってそんな言葉を投げかける。
「はは! 振るならもっと上手くやるよ。こんな風になるような振り方してたんじゃ、とっくの昔に海洋は滅茶苦茶になってるって!」
南国に吹く風のような朗らかな笑い声でもって答えたのは、リオと名乗った青年だ。人魚の呪い……“鱗泡病”と呼ばれるそれを秘匿しているのは、おそらく彼だ。
それに気づいていながら、縁はリオの話に乗った。
一方、その頃。
船内から、甲板の様子を窺いながら言葉を交わす者たちがいた。
「廃滅病を思い出すわね。確かに、放置しておくわけにはいかなさそう……治療方法まで分かるのが最善ではあるんだけど」
「人魚の呪い、か……どうにも不明瞭な事が多くて気持ち悪ィな」
『光鱗の姫』イリス・アトラクトス(p3p000883)と『悪戯幽霊』クウハ(p3p010695)だ。正体不明の“人魚”に、得体の知れない情報源、それからサヴェージ・コンラッドと名乗る同行者。
今回の仕事は、どうにも不明な箇所が多い。胸の奥に刺さった棘が、イリスとクウハの表情に影を落とした。
「今回の依頼……なんていうか今まで以上に『わからない部分』が気持ち悪い依頼なんだよな。サヴェージって奴が縁のおっさんにツンケンしてんのも気になるし、そもそも人魚もよくわかんないし……」
これまで、沈黙を貫いていた3人……否、3匹目。『苦い』カトルカール(p3p010944)が頭を抱えて、唸るように声を零した。
「裏は取れてねェのか?」
クウハは問う。
「全然だめだ。小さいけど倉庫いっぱいに病人が詰め込まれるほどの被害なんだろ? 少なくとも周辺じゃ絶対に話になってるはずだよな? なのに、誰も何も知らない。あの人たち、シレンツォ・リゾートに住んでたわけじゃないんだよ、きっと」
「……旅行者、ってこと?」
「或いは移民か何かかもね」
イリスの質問に暫定的な答えを返して、カトルカールは耳をへにょんと垂れさせる。
「まったく……僕の担当区(シマ)で病気とか冗談じゃ無いぞ!」
なんて。
カトルカールの嘆きの声は、潮風に吹かれてどこかへ消えた。
甲板で腕を組んだまま、サヴェージ・コンラッドは瞑目して何も語らない。
傍らには槍を携え、風の音を聞いている。
「サヴェージさんの親友も泡になって亡くなったのか? それとも何か違う失い方で貴方は復讐を望んだのか?」
青い髪を風に遊ばせながら、『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)は問いかけた。当然のように、サヴェージからの返事は無い。
イズマをはじめ、誰が話しかけてもこんな調子である。曰く、人魚のせいで親友が命を落とし、その復讐のために彼はここにいるのだそうだが、さてそれさえも怪しいものだ。
だが、彼が何かに強い怒りを覚えていることだけは明白。
(……まいったな。どうにも釈然としないことばかりだ)
髪を掻いて、イズマは内心で嘆息した。
もうじき、人魚が住まうという孤島が見えて来る。
イズマが青い海に視線を投げた、その時だ。
「歌が聴こえる」
これまで沈黙を貫いていたサヴァージが、低く籠った声を零した。
サヴェージから少し遅れて、イズマの耳にも歌が届いた。空の高くにまで響くような、澄んだ歌声だ。
「きっと貴方は他の人より長く感染者と接しているし、人魚の歌を聞いたこともあると思うが、何か体調に変化は?」
『彼岸の魔術師』赤羽・大地(p3p004151)が訪ねるが、サヴェージは何も語らない。
何も話すことなど無いと、態度でもってそう答えている。
「いい加減にしろヨ。そんな様じゃ命を預けることなんてできなイ」
「……不要だ」
話は進まない。
槍を握りしめたサヴェージは、歌の聞こえる孤島の方へと目を向ける。
●洞窟に歌う
暗い、暗い洞窟の中。
歌声だけが、絶えずに響き続けていた。
人の言葉ではない。
だが、その旋律には意味がある。
人魚だ。
洞窟の奥、水面から突き出している岩に腰かけ、縁の操る船を見ている。
歌声を止めないまま、人魚は片手を持ち上げた。
「っ……船体に掴まって!」
甲板を蹴ってイリスが跳んだ。
瞬間、水面が波打ち水の槍が空を切り裂く。槍が狙う先は船体。直撃コースの水槍を、イリスは盾で受け止めた。
衝撃。
盾を構えた姿勢のまま、イリスの体が後方へと跳ぶ。甲板に体を打ち付けながらも、イリスはすぐに体勢を立て直した。
「話しをする気は無さそうね……私がカバーできるようにしておくわ!」
額から流れる血を拭い、イリスは叫ぶ。
と、その直後。
二度目の水槍が、船体を揺らす。
蒼い風が吹き抜けた。
自身に幾つもの付与をかけ、疾走するのはカトルカールだ。
甲板から、洞窟の壁面へ。
壁を蹴って、次は水面に顔をのぞかせる岩へ。
その間も、カトルカールの耳には歌声が響いている。
人魚の歌声は、美しい。
その歌の意味は分からない。けれど、どこか悲しい感情が滲んでいる風にも思える。
「その歌声、スッカスカにしてやる!」
だが、そんなことはカトルカールには関係ない。
人魚を止める。
何よりも重要なのは、それだからだ。
「っ……らぁっ!」
水の槍を蹴り砕き、カトルカールは人魚の眼前へと迫る。
イズマの細剣が振るわれた。
空気が震える音がする。
足元に置いたスピーカーにより、増幅された弦楽器のような斬撃の音が、人魚の歌を掻き消した。
「いつまでも頭に響く歌、か。呪いでなければ良かったのにな」
イズマの剣が、水の槍を斬り裂いた。
イリスが光っているからか、水槍は2人が立っている位置を中心に撃ち込まれているようだ。
既に9回。
イリスとイズマは、既にそれだけの数の水槍を防いだ。
だが、人魚の攻撃が止む気配はない。
「不味いゾ! あいつ、船を壊す気でいる!」
保護結界を展開しながら大地が叫んだ。
イリスとイズマが2人がかりで、水の槍を防いでいるがいつまでも保つはずは無い。直撃や、致命的なダメージこそ防いでいるが、それでも徐々に船の損傷は増えていく。
今、この瞬間にもだ。
船首に水槍が命中し、辺りに木っ端が飛び散った。
「ちっ……なんだ? これは?」
手首が痒い。
大地が視線を手首へ落とすと、そこには小さな鱗があった。
1枚。
最初は水で濡れているかのように思った。
だが、違う。
鱗を引きはがせば、鋭い痛みが手首に走る。鱗を剥がした位置からは、じわりと血が滲んでいた。
「いつだ? 人魚を検視した時か? いや、それとも……もっと前に?」
そう言えば。
いつからだ。
人魚の歌声を、大地はいつから聞いていた。
「時間がないカ?」
「分からない。だが、急いだほうがいい……っ!?」
赤羽と大地が言葉を交わす。
耳を塞いでも、脳に染み入る歌声は消えない。
仲間にも注意を促すべきか。そう考えた大地が視線を甲板に巡らし……そして彼はそれを見た。
槍で胸を貫かれ、甲板に崩れ落ちるクウハの姿を。
時刻は少し前へと戻る。
人魚との開戦直後、槍を構えたサヴェージの前へクウハがするりと割り込んだ。
「オマエさん、縁に妙に敵意を向けてるが何か因縁でもあんのか? 何かするつもりなら手伝ってやろうか?」
サヴェージの視線は、人魚ではなく縁の方へと向いていた。
否、正確に言うのなら縁を含むイレギュラーズたちに敵意を向けていたのだ。
それに気が付き、クウハはサヴェージへと声をかけたのだ。彼の注意を自分の方へと向けさせるために、仲間たちが人魚にだけ意識を向けていられるように。
「非力な一般人に屈強なイレギュラーズが泡吹かされる光景ってのも中々見応えがありそうだしな?」
そう言って、クウハは黒い大鎌を手にする。
けれど、しかし……。
瞬間、クウハの腹部をサヴェージの槍が貫いた。
「ぐ……ぁ」
「手伝いは不要だ。これまでも、これからも、俺は1人で彼女を守る」
次いで、もう1度。
クウハの腹部に2度目の刺突を叩き込み、サヴェージはその目を縁へ向ける。
『後ろだ! 逃げろ!』
縁の脳裏に声が響いた。
クウハの声だ。
操舵輪から手を離し、縁は腰の刀を抜く。
背後を見ぬまま、刀を一閃。
金属同士がぶつかる音が鳴り響き、暗闇にパッと火花が散った。
「よぉ? 敵を間違えてねぇか?」
「いや、これでいい。俺の敵は最初から彼女を除く全てだ」
サヴェージが槍を横に薙ぐ。
鍛え上げられた肉体から放たれる強烈な一撃。けれど、縁は刀の腹で槍を受けとめ、後方へと受け流す。
いかに鍛えた肉体を持とうと、不意さえ打たれなければ十分に対応できる。
「筋は悪くねぇけどな。もしかして、リオの野郎もグルか?」
「どうだろうな。奴の考えていることは、俺にもよく分かっていないんだ」
そう言いながらもサヴェージは槍を振り回す。
剛腕より振るわれる槍の速度はなかなかのものだ。けれど、技術は伴わない。力任せの槍の技から、彼の戦闘経験が浅いことを縁は理解した。
「そうかい。直接手を出してこねぇ限りは好きにすりゃぁいいと思ってたんだが、仕方ないな」
なんて。
頭を下げて、槍を回避した縁は滑るように1歩、前へと身体を進める。
一閃。
最小限の動きで横に薙がれた刀が、サヴェージの腹部を斬り裂いた。
高い位置を飛びながら、リオ……メルクリオは眼下を見下ろす。
サヴェージが縁に斬り伏せられた。
人魚の胸部を、カトルカールが蹴り抜いた。
人魚の猛攻を受け、イズマやイリスが相応にダメージを負ってはいるが、戦況はイレギュラーズの優位に進んでいる。
「打倒なところ、か。いや……まぁ、そうだよな」
ふぅ、と小さな溜め息を零した。
サヴェージと人魚……名も知らぬ、無垢なる海種の少女と出逢ったのは今から数ヵ月ほど前のことだ。
2人はとある小さな漁村の出身だと言う。
その村で“人魚”は名前を持たなかった。ただ“歌謡い”とだけ呼ばれていた。
言葉も教えられず、物心ついてから死ぬまでの間、狭い洞窟の中で歌を歌い続ける定めだ。
歌の意味は“航海の安全と大漁”。
村の住人たちは、そんな彼女の境遇を不憫に思いながらも、彼女を利用し続けた。効果があるかも分からない古い言い伝えに従い、1人の少女の自由を奪った。
ただ1人。
サヴェージだけが、そうではなかった。
「だけどさ……いつまでも、夢は続かないんだ。夢から覚める時が来て、逃げ続けていた現実に追いつかれる日がやって来る」
それが、今日だったのだ。
そう呟いたメルクリオは、静かに目を閉じ、その場を後にしたのであった。
水の槍が船を囲んだ。
その数は4本。
狙う先は甲板の中央。船に穴を開けられては、戦線の維持さえままならない。
それを理解したからこそ、イズマは海へ跳び込んだ。
一刻も早く、人魚を止めるためである。
それを理解したからこそ、イリスは盾を構えて甲板中央へ走った。
水の槍を受け止めるためだ。
「受け取れ!」
大地の声。
イリスの体に燐光が降り注ぐ。
次いで、澄んだ歌声が響いた。
身体の痛みが和らいで、損傷していた内臓や骨のダメージが癒える。
イリスが盾を頭上に構えた。
水の槍が降り注ぐ。
濁流のような水槍を、イリスは盾で受け止めた。
水飛沫が甲板を濡らす。
その中に、イリスの血が混じる。
「ギリギリ……アウト、かしら」
意識が薄れる。
【パンドラ】を消費したイリスの肩を、クウハが支えた。
「まだ、終わっちゃいねェ」
口から零れる血を拭い、クウハはそう告げたのだった。
水の槍を受けていたのは、何も船だけではない。
前線に出たカトルカールとて、何度も水の槍を受けて、何度も壁に激突している。
回復は間に合わない。
もうじき、【乙姫の口づけ】の効果も切れる。
蒼い体を血で染めて、カトルカールは壁を蹴って疾駆した。
そして、1撃。
電光石火の、一撃を。
人魚の胸部に高速の蹴りを叩き込み、カトルカールは海へと落ちた。
人魚は口から血を吐いた。
カトルカールを抱きかかえ、人魚の前にイズマが立った。
「なぁ、人魚さん。歌うのは好きかい? 歌ってて楽しいか? 俺にはとても悲しそうに聞こえる」
人魚は何も答えない。
血を吐きながら、掠れた声で歌を奏でようとしているようだ。
「実は、貴女の歌で苦しんでる人達がいてな。それを責める気はないが、俺はその人達を苦痛から解放したい」
人魚はイズマを見ていない。
人魚の視線は、船の上で血を流すサヴェージへと向けられている。
その目には深い悲しみがあった。
その目には深い憎しみがあった。
その目には、確かな愛情があった。
「だからもし方法を知ってるなら教えてほしいし、知らなくても……少しだけ、楽しい音楽をやってみないか?」
人魚に声が届いていないと知りながら、そう問いかけずにはいられなかった。
●サヴェージの箱庭
人目を忍んで、何度も彼は人魚に合った。
言葉は通じなかったけれど、心だけは繋がっていた。
そんなある日だ。
人魚の歌に変化が起きた。
単なる歌が、意味を持ったのだ。
それは“呪い”の歌だった。
鱗が生え、気をおかしくして、泡となって村人たちが死んでいく。ただ1人、サヴェージだけが無事だった。
サヴェージがメルクリオと出逢ったのはその頃だ。
メルクリオの勧めで、サヴェージと人魚は漁村を出て、洞窟へ潜んだ。移動の最中、人魚の“呪い”にかかる者たちは増えた。
人魚は危険な存在だ。
それを知っていながらも、サヴェージは人魚を守ると決めた。
人魚の存在に気付いた者を殺め、或いは、洞窟へ誘い呪いにかけた。
イレギュラーズたちも“人魚の存在に気付き、殺めようとしている”のだと、メルクリオからはそう聞いている。
「虐げ続けた。利用し続けた。彼女は人として扱われなかった」
だから、これは罰なのだ。
腹部から血が流れる。血と一緒に命が零れる。
ここで命を落とすとしても。
彼女だけは守ってみせると。
そう意気込んで、サヴェージは槍を振るい続けた。
「まだ、動けるの」
雄叫びをあげるサヴェージを見て、イリスは思わず、声を零した。
既に致命傷。
流れる血の量は、きっと致死量に至っている。
それでも、彼は。
サヴェージは。
「何が彼を突き動かすの」
事情はさっぱり呑み込めないが、命を賭して戦うだけの何かしらが人魚とサヴェージの間にあるのだろう。
サヴェージの槍が、縁の腹部を貫いた。
執念が、命を賭した妄執が、ついに実を結んだのである。
だが、それだけだ。
紫電が走る。
縁の刀が、サヴェージの肩から胸にかけてを斬り裂いた。
血を吐き、もう一言さえも話せないでいるサヴェージに、縁が憐みの目を向ける。
「何だってんだよ……一体」
血を流す腹部を押さえ、縁はそう呟いた。
虚ろな目で空を見つめるサヴェージが、悔しそうな顔で笑っていたからだ。
「駄目だな。救えない。そもそも……これじゃあ」
そう言って大地はサヴェージの服を捲りあげる。
鍛え上げられた体は、無数の鱗に覆われていた。鱗の一部は、沸騰するかのように泡と化している。どちらにせよ、そう長くは生きていられなかっただろう。
「はァ……どうしてやることもできねェけどよ、話ぐらいは聞かせてくれよ」
サヴェージの傍に座り込み、クウハは問う。
クウハの脳に、サヴェージの意思が伝わった。
『彼女に逢いたい』
それがサヴェージの意思だ。
死に行く男の、最後の望みは、そんなちっぽけなものだった。
イズマが駆け付けた時、すでに人魚は致命傷を負っていた。
カトルカールが【パンドラ】を消費した成果だ。
サヴェージと人魚は、岩の上に座っている。2人とも、もう長くは無い。
何か、言葉を交わしているのか。
手を繋いで、微笑み合って……そんな穏やかな時間がそこにあった。
そっと、イズマが曲を奏でる。
曲に合わせて人魚が歌う。
掠れた声だ。
けれど、どこまでも綺麗に済んだ優しい歌だった。
「然るべき場所で弔おう。どこがいいだろうな」
なんて。大地は呟いた。
「ここでいいんじゃねェか。誰もいない静かなところが、きっとあの2人には丁度いいんだ」
感情の滲まぬ声音で、クウハがそう言葉を返した。
人魚の歌声が止まる。
息絶えたのだ。
サヴェージも、とっくの昔に死んでいた。
幸せそうな顔をして、人魚の手を固く握って。
それから、やがて。
2人の体が泡と化して消えていく。
「鱗が生えようが泡になろうが、海種には今更だ」
泡と化して消えた2人に視線を向けて、縁はそう呟いた。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れ様です。
人魚は討伐されました。
依頼は成功となります。
この度は、シナリオのリクエストおよびご参加ありがとうございました。
縁があれば、また別の依頼でお会いしましょう。
なお、人魚の起こした鱗泡病は治療されておりません。
GMコメント
●ミッション
“人魚”の討伐
●ターゲット
・人魚×1
海種か、魔物の類かは不明。
下半身は魚、上半身は女性の形をしていることが判明している。
また、周囲の水を操り水槍を形成する能力と、【廃滅】【懊悩】【魅了】or【混乱】症状を付与する呪いの歌声を武器とする。
●同行者
・サヴェージ・コンラッド
人魚の被害者たちを看病していた男性。
鍛えられた体躯を持った偉丈夫。元は漁師だったのだろうと縁は予想している。
武器として槍を扱うことが分かっている。
人魚討伐に同行するようだが、その割には縁に対して敵意を向けていた。
人魚について何か知っているのかもしれない。
・リオ
金髪、赤目の優男。
鳶の飛行種。
軽薄な雰囲気を纏うが、情報屋としての腕は確からしい。
人魚の発見、被害者たちの収容、症状の解析、討伐依頼の発令までを一手に指揮した。
非戦闘員ではあるが、人魚討伐に同行するようだ。空を飛んで、離れた位置から様子を見るつもりらしい。
●フィールド
海洋。
シレンツィオリゾート近海の孤島。
島の入り江から続く洞窟の奥に人魚は住み着いているらしい。
洞窟の広さは、最大で小さな帆船2隻が収まる程度。
光源は存在せず、基本的には洞窟入り口から差し込む光を頼りに行動することになる。
洞窟内にも足場はあるがごく僅か。
また、天井はあまり高くないため、飛行には制限がかかる。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
情報精度は低めで、不測の事態が起きる可能性があります。
●『竜宮幣』交換アイテムについて
当シナリオ内において『竜宮幣』交換アイテムが使用可能となります。
詳細は以下よりご確認ください。
https://rev1.reversion.jp/page/dragtip_yasasigyaru
----用語説明----
●シレンツィオ・リゾート
かつて絶望の青と呼ばれた海域において、決戦の場となった島です。
現在は豊穣・海洋の貿易拠点として急速に発展し、半ばリゾート地の姿を見せています。
多くの海洋・豊穣の富裕層や商人がバカンスに利用しています。また、二国の貿易に強くかかわる鉄帝国人や、幻想の裕福な貴族なども、様々な思惑でこの地に姿を現すことがあります。
住民同士のささやかなトラブルこそあれど、大きな事件は発生しておらず、平和なリゾート地として、今は多くの金を生み出す重要都市となっています。
https://rev1.reversion.jp/page/sirenzio
Tweet