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シナリオ詳細

再現性東京2010:侵略性エインセル

完了

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

オープニング


 いつからそれが居たのかは分からない。けれど、必要なことは知っていた。
 例えば、エインセルは生きる為に誰かの不幸が必要なのだとか、犯罪は立派なエインセルの餌だとか。殺人行為が一番だとか。
 そんれがエインセルが生きていくために必要だと知っていたんだ。

 そもそも、わたしには母や父と呼べる存在は居なかった。人間で有る以上は誰かの腹から生まれてきたのだろうし、家族に愛された経験だってあったはずだった。だが、憶えていないのだ。綺麗さっぱり。私の本来の名前が何であるかさえ……。
 エインセルは言った。

 ――丁度いい女がいた。あの女は不幸な女だ。一人娘が死んだらしい。
 お前が娘になってやれば良い。名前は必要だろう? 今日からお前はしづかだ――

 それから私は宇名潟しづかだった。宇名潟しづかの振りをして、宇名潟しづかとして過ごし続けた。宇名潟しづかとして学校に行って小さな犯罪を繰り返した。
 友達になった女の子がいる。***ちゃんだ。***ちゃんはセンパイが好きだった。だから、私は***ちゃんの顔を借りてセンパイに迫ったのだ。何でもさせてあげるから。そう笑いかければ簡単だった。***ちゃんを幸せにした。不幸を振り撒くエインセルの同居人らしくない行いだったとその晩は不安になったが、数日後その不安も払拭された。
 ***ちゃんが死んだらしい。センパイに迫られ、拒絶した際に誤って屋上から転落した。
 かなしい、どうして、やっと、ともだちになっ――……あー! 良かったぁ! わたし、ちゃんと不幸を作れたねえ! うれしいうれしいうれしい!


 病名:侵略性エインセル――
 症状:他者への成り代わり。他者になってから『犯罪行為』を行う。その行為は大きければ大きいほどにエインセルの餌となる。代償として本人の記憶も喰らう。

 キーボードで入力を終えてから澄原晴陽は溜息を吐いた。練達(そと)では何らかのシステム障害が起こっているらしい。
 近頃では希望ヶ浜でも頻繁に回線障害やシステム障害が起こり佐伯製作所は大忙しなのだという。阿僧祇の一件を終えた従姉妹(みやこ)を佐伯製作所のヘルプへと送ったは良いが、彼女が仕事の為に欲したアバター作成を共に行って以来はシステム調整に追われるのか連絡が付かなくなった。
「……まあ、社会とはその様なものですが」
 外ばかりに気取られていては患者に悪い。晴陽は現在ある『悪性怪異:夜妖<ヨル>』の対処に追われていた。

 再現性東京の希望ヶ浜地区。東京都西部に位置するとされる中核市であり、よく『希望ヶ浜県』『埼玉でいい』『山梨の領土』と揶揄されるこの場所には特異的に『悪性怪異』と呼ばれる存在が発生していた。それが何処から現れるのかは分からない――だが、それらの中にも種類があるらしい。
 その澄原病院は『夜妖専門科』を擁している。つまり、『此方側』の人間だ。
 そんな彼らが良く相手にするのは悪性怪異が『取り憑いた人間』への対処だ。特異な例ではあるが、綾敷・なじみのような耳と尾は旅人として所有していたのではなく『夜妖』が憑いた結果なのだという。

 だが、時偶に悪意ある夜妖憑きが存在することも否定はできない。其れ等が体を乗っ取る判例も多数存在し――音呂木・ひよのに言わせれば時と場合によれば『何とかお祓いできれば』悪性怪異だけを討伐する事も出来るのです――カフェ・ローレットや希望ヶ浜学園から対応指示が入る事もある。単純に獣のように襲い掛かる者も居れば、その身の内でも共存する者も居るという奇異なる現象、ではあるが。澄原病院院長にして 夜妖憑き診療専門医である澄原・晴陽からカフェ・ローレットに入った情報は――……

『case: 侵略性エインセル。
 それが今回皆さんに担当して頂くこととなる夜妖憑きの通称名(びょうめい)です。
 少し厄介な存在であり、この症状を発症しているのは二名……親子です。母は澄原病院の専門病棟に入院していますが、夜妖憑きであることの発覚が遅れた娘は未だ市中に居ります』
 カフェ・ローレットにウェブ会議ツールを通じて晴陽がコンタクトを取ってきたのは世間がゴールデンウィーク――混沌世界では『シトリンクォーツ』と呼ばれる――に差し掛かったそんな頃であった。

『この夜妖は非常に厄介です。その名の通り、Ainsel……イングランドの民間伝承についてご存じですか?
 まあ、此れは旅人の持ち込んだ情報から抜き出したものですが、妖精と呼ばれる存在だそうですね。その名は方言で「自分自身」を意味するとか……。
 この夜妖憑きは悪戯好きでなりかわりです。自身の情報をエインセルに欠落させるという代償で、なりたいときになりたい他人になる事が可能です。なりかわった他人の姿で不幸をばら撒きそれを糧としている印象を見受けられます』
 侵略性エインセルに『憑かれた』親子の母親は可笑しな現象を見て居るのだと澄原病院精神科へと訪れて夜妖憑きが判明した。
 同様に自身の娘である『宇名潟・しづか』も同じ現象に逢っていると母親は告げていた――だが、良く彼女の戸籍を調べれば患者である『宇名潟・真優美』の『娘』は死亡しており、現在は存在しなかったのだ。

「はあ?」
 音呂木ひよのは茫然としたように晴陽に聞き直した。
『宇名潟・真優美には現在、生存している娘は存在して居ません。それが恐ろしい所……侵略性エインセルは他の誰かに成り代わる事で自身の情報を代償として売り渡すと言いました。これはつまり、夜妖であるエインセルそのものが存在を喰らってしまうという事です。
 本物の宇名潟しづかは亡くなっています。二年前の話です。ですが、母親はエインセルに記憶を喰われて、彼女が存在して居ると認識していた。
 学校も長期的に休んでいた事とし、通うはずだった高校へ復学の形となっている。ならば、現在存在して居るしづかはどこから遣ってきたのか。本来の名は何か、そして今どこで誰の振りをしているか――』
 此の儘放置していれば、宇名潟しづかはまた別の人間になるだろう。本人さえ憶えていない。夜妖に自身を売り渡したのだから。
「ならば、本来の名前も彼女の帰る場所も夜妖に渡してしまって分からない、と……。
 そして、此の儘放置すれば周囲の人間は居もしない存在と関わり、不幸を――悪戯から始まり、殺人や窃盗、犯罪行為――ばら撒き続けるという事ですね?」
『ええ。犯人の存在しない不審死……つまりは夜妖による殺害は増加の一途を辿っています。
 宇名潟嬢を捕えるのは一般人を夜妖から守るのと同義です。母である――いえ、母であった真優美は夜妖を引き剥がし、落ち着かせることは可能でしょうが……しづかは、どうでしょう』
 本来の娘ではないしづかを母は受入れることができるだろうか。
 何処から来て、本来の名前は何か。彼女に憑いたエインセルは日常生活に侵略し、他者を陥れて生きながらえている。『しづか』本人を観測してみればその力は強大で殺人行為の痕跡も見受けられたのだという。
『私は母、真優美のケアを行います。市中で活動している娘、宇名潟しづかの対処をお願い致します。
 捕縛を行った場合は病棟でケアをお約束します。殺害を行った場合は――……それも、已むなしでしょう』

GMコメント

 久しぶりの晴陽先生、澄原病院からの依頼です。

●成功条件
 侵略性エインセル患者『宇名潟・しづか』の捕縛または死亡

●夜妖憑き
 悪性怪異<夜妖>が一般的な人間に憑依した症例の事。悪性怪異と呼ばれる者の直接的な外囲がないケースや代償を支払えば大丈夫なケースも多数見受けられます。
(例:なじみは猫耳と尻尾は顕現しているものの『ヒミツの代償』を支払っているようです)

●調査範囲:希望ヶ浜中央市街
 人が多く、探すことも難しいです。調査スキル等を駆使して下さい。
 元となっているしづかの外見についての資料は晴陽から提供されます。また。エインセルが近くに居る場合、『奇妙な胸騒ぎ』や『異臭』を感じる事が多いと報告が上がっています。
 希望ヶ浜の中央市街は繁華街です。人も多く、戦闘には不向きです。しづかは追われていることを自覚しています。
 できるだけ人が少ない方向を目指して彼女を追いかけてください。

●侵略性エインセル
 その名はイングランドの妖精をモチーフにしているそうです。エインセルと名乗る夜妖が出現しました。
 エインセルが憑いていたのは二名、一名は澄原病院がこの夜妖を観測する切欠となった宇名潟・真優美、そしてもう一人がターゲットの宇名潟・しづかです。
 エインセルはある一定の周期(~5年)で分裂して数を増やします。エインセルは犯罪行為や人の悪意、殺人行為などを糧に生存しています。
 この夜妖は成り代わりを行う事ができます。自身の記憶を代償にして好き好んで誰かに成り代わることが出来るのです。そして、この状態では人殺しや犯罪などを行わねばいけないという脅迫状態に陥ります。
 軽い気持ちで人に成り代わった場合やエインセルの影響が強く『それと干渉し合える状態』になっている場合は犯罪行為に手を染める可能性が高まるのです。
 記憶を代償にしますので夜妖憑き当人は罪の意識を憶えません。ただ、何となくあった気がする、程度です。
 そして誰でもない誰かになって、犯罪行為や殺人行為を繰り返すのです。

●宇名潟・しづか
 侵略性エインセル患者。澄原病院が保護して居る宇名潟・真優美の娘で有ろうと思われた存在。本来のしづかは亡くなっておりしづかの名を借りた誰かです。
 高校2年生。自身が何者かに追われているという自覚があるためにころころと顔を変えて逃走して居ます。ですが、そのたびに何らかの犯罪の痕跡を残す為に犯罪を追えばしづかに辿り着けるでしょう。
 容易に捕縛はさて貰えません。戦闘は必須になるでしょう。エインセルの力を駆使し、人間とは思えない戦闘スタイルで襲い掛かってきます。
 彼女は、保護したところで『名前すら分からない存在』として一生を過ごすこととなるでしょう。

●参考
 ・宇名潟真優美
 しづかの母親でしたが、澄原病院でケアをうけて本来のしづかは亡くなっていることを知っています。今逃げ回っているしづかには多少の情はありますが気味の悪さが勝るようです

 ・澄原晴陽
 澄原病院の院長先生。祓い屋シリーズの澄原龍成の実姉であり、希譚等で皆さんと関わる澄原水夜子の従姉妹です。
 敵か味方か定かではありませんが、真優美のケアを行いしづかの情報を提供してくれています。

●情報精度
 このシナリオの情報精度はC-です。
 信用していい情報とそうでない情報を切り分けて下さい。
 不測の事態を警戒して下さい。

  • 再現性東京2010:侵略性エインセル完了
  • GM名夏あかね
  • 種別EX
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2021年05月18日 22時20分
  • 参加人数10/10人
  • 相談7日
  • 参加費150RC

参加者 : 10 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(10人)

黎明院・ゼフィラ(p3p002101)
夜明け前の風
ミニュイ・ラ・シュエット(p3p002537)
救いの翼
新道 風牙(p3p005012)
よをつむぐもの
久住・舞花(p3p005056)
氷月玲瓏
茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)
音呂木の蛇巫女
ニコラス・コルゥ・ハイド(p3p007576)
名無しの
ボディ・ダクレ(p3p008384)
アイのカタチ
金枝 繁茂(p3p008917)
善悪の彼岸
雑賀 才蔵(p3p009175)
アサルトサラリーマン
星影 昼顔(p3p009259)
陽の宝物

リプレイ


 一番始めがどこからであったかは。

 侵略性エインセル――『成り代わり』の怪異が何処から存在して居たのかは解らない。
 最初の『誰か』には責任を問いたくとも、今となってはもう。そうとしか言いようのない現実がそこにはあった。
 全てを終わらせるしかないと。兎に角、それが一番であるのだと『救いの翼』ミニュイ・ラ・シュエット(p3p002537)は理解していた。
 綺麗に終わらせることは難しい。事は起こって、進行し続けている。
 澄原病院を後にした『激情のエラー』ボディ・ダクレ(p3p008384)が手分けして『しづか』を探そうと決定するまでの大凡の時間の間に侵略性エインセルはその歩を進めているのだろう。
 着実に、一歩一歩、生活に『侵略』している。
「母親として、気づけば娘が別人に入れ替わっていたというのはキツイだろうな。
 しかも、それを『病院』に来て初めて知らされる。かといって、入れ替わっていた少女も、夜妖に取り憑かれた被害者だ」
 澄原晴陽が治療を行っている母親、宇名潟・真優美にとっては病院診療の後、入院を言い渡されて一人娘の『しづか』が亡くなっている事を告げられた。

 ――二年前に亡くなっている事は伏せました。真優美さんと同じ病に罹患し、亡くなっていると。

 神秘や怪異と言ったファンタジー的な要素は希望ヶ浜では受入れられない。故に、娘を亡くしたのは現在であると晴陽は告げたのだろう。だが、真実は更に恐ろしい。『夜明け前の風』黎明院・ゼフィラ(p3p002101)は母のことを思えば、苦汁を喉の奥へと流し込むかのような感覚を味わった。
「……まずは娘の死を受け入れ、立ち直ってもらいたい」
 娘の死――
 本当のしづかは、と呟いた『よをつむぐもの』新道 風牙(p3p005012)は「タチの悪い夜妖だ。まさに『悪性怪異』だな」とぼやく。
「……しづかと、お母さんは、もう取返しがつかないけれど……それでも、生きてさえいれば……」
 母にとって、『愛娘しづか』は最早なくなった存在だ。そして、現在の『しづかと呼ばれる存在』にとっても何処の誰であるかは解らない。
 澄原晴陽の治療でも、『宇名潟しづか』と名乗った娘が何処の誰であるかは判別が付かないのだという。
「しづか氏… …保護しても名前不明者として一生を過ごすかもと? 誰も彼女を受け止めないかもと?」
 ぞっと背筋を悍ましい気配が撫でた気がした。『陽の宝物』星影 昼顔(p3p009259)は俯き息を飲む。
 澄原晴陽からのオーダーはエインセル患者の確保だ。生死は問われず、生きて捕縛出来た際には治療を約束されている。
 それでも、だ。生きて捕縛が叶ったとて、『しづか』だった少女は名前も分からぬままにその生を続けなくてはならないのだ。
「……彼女を殺さないのは澄原姉弟に応えたいのも有るけど。
 母さんが僕に絆を願ってくれたから、僕は独りを見るのが1番嫌いなんだ。彼女は絶対に保護する」
「澄原姉弟――ええ、あの姉弟とて複雑な事情だった。
 龍成君は、見込まれた事自体は兎も角としてその相手には随分と恵まれていたのだと言わざるを得ないかしらね。
 ……澄原先生が多分龍成君の事で内心気が気でなかっただろう事は想像に難くない。特に彼女は悪性怪異の専門家、ですもの」
 晴陽の実弟である龍成は怪異に見込まれた。元から姉弟仲は良いとは言えなかったのだろう。良くはないが、悪くもない。
『月花銀閃』久住・舞花(p3p005056)は彼女たちの事を思い、憂う。悪辣な夜妖の情報を淡々と集積して治療する晴陽の内心がどれ程に荒れていたのだろうかと想像するだけで、苦しくなった。
 澄原の才女。希望ヶ浜に座す澄原病院の正当なる跡取りとして重責を担い続けた晴陽は、当たり前の様に努力し、己の感情を殺し続けた。故に、可愛い弟である龍成にさえ自身の感情の発露さえ難しかったのだろう。龍成からすれば、優秀だと謳われた姉と己の歴然とした差が酷く疎ましかったに違いない――と言うのは彼女らの従姉妹である水夜子の見立てだ。
(『晴陽姉さんはそれでも龍くんが大好きですから』……か。なら、悪性怪異の治療をする澄原先生は、尚更に、恐ろしかったでしょうね。
 一歩間違えれば、弟が死んでしまうかも知れない。なのに、自身を頼ってくれない。……でも、エインセル患者は彼女を頼った)
 澄原晴陽からのオーダーをもう一度繰り返す。確保だ。生死は問わない。
 それは、救っても良いというサインだ。ボディは「『捕縛』しましょう」と仲間達へとそう告げた。
「ああ。……いや、しかし、豊穣以外の国について知ろうと外国に来たが、難しい依頼だな、解決も、その後も。考えていても解決しない、出来ることをするしかないというのも……」
 難しいことだ、と『焔鎮めの金剛鬼』金枝 繁茂(p3p008917)は溜息を吐いた。真優美から借りたスマートフォンには『しづか』の登録がある。
 繁茂は己が有する角を隠す為にそっと着ぐるみをの頭を被った。鬼人種であることを否定された気分にもなるが、郷には入れば郷に従え、である。
「対象の『病名』はエインセル……エンセル、か。
 確かに俺が元いた世界では妖精の話だかであった気はするがこの自分自身(エインセル)は何処までもタチが悪い。
 コレが悪戯と呼ぶには余りにも酷く、早く止めなければ悲劇が連鎖する……さぁ、仕事を始めよう」
 妖精は悪戯っ子。そんな言葉を口にしてはいられないかと『アサルトサラリーマン』雑賀 才蔵(p3p009175)が一歩踏み出せば『奏でる記憶』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)が「合点!」と敬礼をして見せた。
「敵の名前なんだっけ?」
「エインセル」
「ふうん……なんかかっこいい名前なだけあって、めんどくささのかまたりじゃん?
 でも残念ね。私ちゃんたちが来たからにはお縄についてもらうぜ? 所詮は一時の夢。だったらその夢、ここで終わらせてあげようか!」
 さあ、往こう。秋奈がステップ踏むように繰り出すその背中を才蔵は追いかけた。希望ヶ浜は狭い、けれど、広い。
 無数の人が行き交う中で、『誰でも無い貴女』を見つけなくてはならないのだから。


 名前は『名無しの』ニコラス・コルゥ・ハイド(p3p007576)にとっては重要な要素であった。
 青年にとっての名前。ニコラスという名前は決して忘れたくはない名前だ。『ニコラス・コルゥ・ハイド』の名前を失うように――『宇名潟・しづか』になった娘は全てを失った。
「……名前を奪ったな。名前を喪わせたな。ふざけるな。
 返してもらうぞ、奪ったもん全部。できねぇなら朽ち果てろ、エインセル」
 酷い苛立ちを抑えきれないままにニコラスはそう呟いた。傍らのゼフィラが「探そうか」と囁くその言葉に小さく頷いて、急行する。
 情報網を駆使してニコラスが得るのは『しづか』が寛容して居るであろう事件の情報だ。匂いや胸騒ぎ、全てのことで良い。aPhoneで掲示板を眺めてしづかの足跡を追い続ける。
 地をとん、と蹴って目立たぬようにゼフィラは空を翔る。
 暁に吹くのは風の導き。希望ヶ浜では飛行さえも目立たぬようにと息を潜めて。aPhoneでニコラスと通話を行いながら空から偵察を行い続ける。
(……彼女を追い込む場所も探しておかなくてはね)
 ビル影に潜み、周囲を見回した。東京都の空は何処か閉塞感さえ感じさせる。空まで伸び上がった摩天楼、其れ等の間を摺り抜けて進む鳥は自由とは言えなさそうだ。
 二人一組、計5チームを作成したイレギュラーズは希望ヶ浜中央市街――『侵略性エインセル』患者が存在するであろう地域エリアを分担して捜索を行っていた。

「私は空から探すよ。視界も移動も、人混みや建物に邪魔されないから楽」
 そう告げるミニュイに風牙は頷く。「希望ヶ浜は空を飛ぶのも難しいから気をつけて」と告げる風牙にミニュイは肩を竦めた。
「地上から目立たないように気をつけるよ。スカートの中とか撮影されたくないし」
「……あー、まあ、しそうだよな」
「見かけた物は簡単に拡散される。だからこそ、希望ヶ浜での人捜しは『他の地域よりイージー』ではあるけれど」
 ミニュイが振ったのはaPhoneだ。SNSを探してみれば『胸騒ぎ』や『異臭』『犯罪』と何だって簡単にサーチが出来る。
 思いついた言葉を其の儘、リアルタイムに発信できるという特徴を見れば、エインセルへと近付く為のピースは集めやすかった。
「それじゃ、気をつけて」
「そちらも」
 地を蹴ってミニュイが飛び立つ。ビルの影に隠れ、上空では留まることなきように。
 不幸をまき散らすと言われている『侵略性エインセル』――その病態は『エインセル』による侵蝕だ。
(寄生虫なら人間を糧にするのだろうけれど、その糧すらも『外』に求めるのが悪質だね……)
 誰かの助けを探すように。ミニュイは周囲を見回し続ける。圧迫されるようなビルの群れ。のっぺりとした影が落ちた道を行く人々の足は淀みない。
 その人混みの中で鼻をすん、と鳴らすのがミニュイの『ペア』である風牙だった。
 異臭騒ぎをサーチ。そして、その匂いを探すように見て回る。人々の感情が体表に現われるエモーショナル・カラーは表だった感情を察知することが可能だ。
「さ、て……まあ、そうだよな。『現代人』ってのはそうだって誰かも言ってたか……」
 ――黒いオーラだらけだ。
 肩を竦める。ひよのに言わせれば「まあ、そういう所も東京らしいといいますか」と云う事である。行き交うビジネスマンの群れを抜けて、出来る限り目立った感情の色彩を盗み見たい。

 剣道の竹刀を背負うように、布にくるんだ愛刀は希望ヶ浜市街では『お留守番』である。
 舞花はaPhoneの一斉メーリングリストを確認した。15分ごとに定時連絡で各自の動向をチェックして情報共有の土台は完成している。
「さて……どこかしらね。犯罪の痕跡を探って虱潰しに探せば何処かで見つけられるかしら」
「虱潰し……早くしづか氏を見つけて上げないと」
 昼顔は肩を竦める。直感的に感じる胸騒ぎを探し求める。助けを呼ぶ人の声が多ければ多い方にしづかが居るはずだと昼顔は推測していた。
「……恐らくはあっちかな……」
「ええ、行ってみましょう。虱潰しでも良い。早く、見つけられるように頑張りましょうね」
 昼顔の直感を信じて進む舞花は奇妙な胸騒ぎを感じたような気配がしてゆっくりと振り返る。
 行き交う人々の顔は知らない。――誰かも分からない、けれど、自身が誰であるか分かっているだけでも安心感は違う。
「しづか氏は……誰かも分からない人を見て、自分のことさえ分からないって絶望することは、あるのかな……」
 ぽつり、と呟いた昼顔の言葉に舞花は「どうかしら」と小さく返した。
 感情を辿り探して、進み往く。
 喧噪のビル街の間を抜けて往けば、流行ソングを流して居る商業施設へと辿り着いた。
 行き交う少年少女達は楽しげに、鞄には可愛らしいキャラクターのマスコットが揺れている。くすくすと笑い合って走ってゆく少女は、宇名潟しづかに有り得たかも知れない未来であるように思えて昼顔は唇を噛んだ。


「さ、ミス茶屋ヶ坂。何方に往こうか」
「んー……そうだねえ」
 aPhoneの地図アプリで秋奈が辿ることを選んだのは人通りの少なそうな道や行き止まりの確認だ。
 ミニュイが上空より偵察した結果を受けて、秋奈が実際にその地へと赴き『追い込む地点』を決定する。
「捜索しているという雰囲気を出し過ぎては『エインセル』に警戒されてしまうかもしれないな……」
「希望ヶ浜の探索隊って感じなのだっ!」
 其れが楽しいっしょ、と振り向いた秋奈。才蔵と二人合わせればJK(じょしこうせい)とサラリーマンという何とも異色なペアになっている。
 異臭を嗅ぎ分けることが出来るだろうかと確認し、『狩人の直感』を駆使して出来る限りエインセルに近づけるヒントを探す。
「皆からの連絡は問題なさそうだよね。オッケーオッケー。連絡が消えたら『戦闘』してるかもしれないしさ。急行しなくっちゃだしね」
「何処に居るかを確認しておかないと行けないな……」
「あっ」
「……?」
「ここってGPS使えたっけ?」
 秋奈がはっとしたように呟いた言葉に才蔵は「希望ヶ浜の中ならば佐伯製作所がインターネット回線を完備しているはずだが」と前置く。
 成程、aPhoneが希望ヶ浜だけで使えるのは『それ専用の施設』があるからか。事前にGPSアプリを駆使して全員の位置を確認しておけるようにしておいたのは幸いだ。

 事前に真優美に携帯電話を貸して欲しいと交渉していた繁茂は「彼女の安全のためだ」と告げていた。
 その交渉の際に協力者である晴陽が告げた言葉を思い返す。ボディは彼女の横顔を見詰めて何とも居心地の悪さを感じていた。

 ――本当の娘でなくとも、彼女は貴女と二年もの歳月を共に過ごしてきました。その命を救う為、どうか助力を願います。

 医者、いいや、希望ヶ浜では絶大な権力を有すると言われる澄原家に言われた言葉が真優美にどれ程のショックを与えたかは計り知れない。
 しづか、と呼ぶのは間違っているとしてボディはあくまで『エインセル患者』と彼女の事を呼んでいた。
「エインセル患者の確証を得るために借りたaPhoneに逆に掛ってくることはあるでしょうか」
「……どうだろうな。普通の『娘』として行動しているなら、有り得る可能性はある」
 秋奈から追い込み場所の指定は届いていた。助けを呼ぶ声を探せばイレギュラーズ達は一点に辿り着く可能性が強い。
 ならば、其の儘追い込むように包囲網を作り『場』まで連れ込めば良い。
 繁茂はaPhoneでこまめに届く連絡をちら、と見下ろしてから「彼方に」と囁いた。
 寂れたビル街の中にはテナントがぽつぽつと存在して居た。流行に合わせたであろうBGMは聞く耳を持たれない。駅から、市街に出るための近道として使われているのだろう。
「……あれ」
 繁茂とボディは背後から聞こえた声にくるりと振り返る。昼顔と舞花は驚いたように二人の姿を確認して――「合ってたみたい」と顔を見合わせた。
 助けを呼ぶ声を頼りに。直感的にこの場所へと辿り着いた。ビルを抜ければ秋奈と才蔵が決定した『追い込み場所』が存在して居るはずだ。
 定時連絡メッセージで合流を知らせれば、着信音は程近い場所から聞こえた。
 テナントの一つから顔を出した風牙は「実は、嫌なにおいがするから」と肩を竦めた。気味の悪い気配だ。何とも言えない、屍にも似た腐臭。
 上空より確認していたミニュイもこのビルに入ったテナント街が怪しいと踏んだのだろう。直ぐに合流を行う算段なのだと風牙は四人へと告げた。
「このテナント街の何処かに居るのでしょうね。……ええ、何だか『嫌な気配』がするもの」
 呟いた舞花は周囲を見回す。昼顔は直感的に「あっちへ行ってみたい」と呟いた。どうにも足が竦み帰りたくなるような奇妙な感覚。

 ――叫声。

 顔を見合わせたイレギュラーズが走り出す。ばたん、と大きな音を立てて倒れたのは陳列棚か。
 ガラガラと崩れてゆくのはファンシー雑貨のようだった。棚と棚の合間に尻餅をついてしゃがみ込んでいた少女が啜り泣く。
「……奇遇だな?」
 棚を支えていた青年を視認して「ニコラスさん」と呼んだのは誰であったか。その背後からひょこりと顔を出したゼフィラは「情報を辿ったらここに来たんだ」とそう言った。
 雑貨屋である少女が万引きをしようとしていたらしい。其れは犯罪だ。ゼフィラは其れをはっきりと視認した――途端、少女は叫んだ。「違うんです」と。
 彼女の声が聞こえた瞬間に棚が倒れ、その背後から誰かが逃げ出した。
 座り込んでいた少女は一般人だ。だが、彼女は誰かに唆されたのだという。「盗ってこないと酷い目に合う」のだと、自身の友人の顔をして。
「みゆちゃんは、そんな事言わないのに……」
「みゆちゃん、というのは彼女の友人らしい。偶々、ここにふらりと立ち寄ったらクラスメイトの『みゆ』が居たそうだ。
 彼女――名前は梢と言うが、梢はみゆに『あれ盗ってこないと酷い目に合うよ』と脅されたという……が、ここでaPhoneで確認を取って貰った」
 ゼフィラは通話画面になっているaPhoneを示す。ニコラスが「みゆは?」と問えば、静かな声音で「まだ学校で部活動をして居るそうです」と返答が返る。
「梢という名前の少女が怪我をしたようだから病院に向かわせるが構わないか?」
「ええ。エインセル患者の治療で私は動けませんが、中央入口に水夜子を迎えに出させます。
 患者――いえ、梢さんには受付で澄原水夜子を呼ぶようにと伝えて下さい。治療費も結構ですから」
 協力者である晴陽の淡々とした声音にニコラスは梢に澄原病院へと向かうように助言した。
 一連の流れを合流して確認していたミニュイは「と言うことは」と先程まで梢が座り込んでいた場所をまじまじと見遣る。
「成程? ……『みゆ』に扮して居た訳か。成り代わりとは厄介な」


 病名:侵略性エインセル

 その名はイングランドの妖精をモチーフにしているらしい。侵略性とは、他者の精神に向けての言葉だ。
 エインセルはある一定の周期(~5年)で分裂して数を増やす事が患者を確認して判明している。
 宇名潟真優美に取り憑いたエインセルは記憶を食らい続け、娘が死んだことにも気付かず侵略性エインセル(固有名:しづか)を我が子として受入れた。

 この夜妖は成り代わり。
 ――自身の記憶を代償にして好き好んで誰かに成り代わることが出来る。
 そして、この状態では人殺しや犯罪などを行わねばいけないという脅迫状態に陥ると言われている。

 誰の顔にだってなる事ができる。
 『元』の自分のことが分からなくなるからこそ、少女は『宇名潟しづか』になった。
 『元』の自分のことが分からなくなるからこそ、少女は『宇名潟真優美』の娘になれた。

 誰の顔にだってなれるって――?


「やはー!」
 手を振る影が見えた。風牙は「あれって」と首を捻る。手を振るのは見慣れた女子高生、つまりは秋奈である。
「……何だか、嫌な気配ね?」
 問うた舞花に風牙は頷いた。彼女がもしも秋奈であるならば、『嫌な気配』も『異臭』も気付いているはずなのだ。
「一人でどうしたんですか?」
 問い掛けるボディの背後で繁茂が真優美のaPhoneを握りしめる。ニコラスは秋奈のペアである『才蔵』へと連絡を取っていた。
「いやあ、何もないよ。それじゃ――」

 ――着信音。

 ぴたり、と『秋奈』が足を止める。ニコラスとゼフィラが顔を見合わせて頷いた。才蔵と本物の秋奈にはぐるりと一周して『挟み撃ち』にならないように来て貰う、と。
『秋奈』が居る場所からの出口は袋小路に近い。其処の場所へと誘導してゆけば良い。幸いにして、彼女は今動揺しているようだ。
「可笑しいよな。才蔵さんは?」
「……誰?」
「それも可笑しいぜ。だって『雑賀くんとチームっ頑張って探すのだー!』って言ってたし」
 風牙の問い掛けに『秋奈』が後方へとじりじりと下がる。少女のかんばせに焦りが滲んでいるのが見て取れた。
「酷いな。ペアの顔も忘れたのか」
 問うたその声音の主は、才蔵だ。
「酷いなあ。私ちゃんってそんな顔しないと思うけどー?」
 ひょこっと顔を出したのが本来の秋奈である。
 地を蹴って慌てたように『侵略性エインセル』が走り出す。ビル街を抜けるように真っ直ぐ、出口から飛び出せど、裏路地だ。
 人混みへと逃さぬようにとイレギュラーズが追いかける。慌てるエインセル――しづかは蒼白に染め上げたかんばせで唇を震わせた。

 バレてる、バレてる、バレてる――!

 しづかは、慌てていた。自分が何をしていたのかは分からない。それでも焦燥が体を包み込む。
 何が有ったのかは分からないがマズい事になったと『エインセル』が告げているのだ。足が縺れる。だが、路地裏に一度息を潜めるために細道を抜けた。
 袋小路だが、此処は目立たない場所だ。屹度、彼等は人通りの多い方へと向かっただろう。
 着信音。
 もう一度だ。
 震える手でしづかはaPhoneを握りしめた。「おかあさん」と文字列に胸を撫で下ろす。
「も、もしもし、おかあさ――」
「しづかさんのお電話で間違いないですか? こちら希望ヶ浜警察署です。
 ご家族から捜索願が出ているので、お母さんの電話からかけさせてもらっています。今電話できる? 周りに他の人とかいたりする?」
「え、え……おかあさんが? ど、どうして……あ、だ、だいじょ……あの、あ、あとでかけ直しを」
「いいえ、心配なので直ぐに迎えに行かせて下さい。何処に居ますか? 何かありましたか?」
 警察館だと名乗った声に縋るようにしづかは「知らない人に追われているんです」と叫んだ。――相手が繁茂だとしづかは知る事は亡い。
 優しく、大丈夫だと宥めながら彼女の居場所へと向かう。話す声が、聞こえる。
 異臭、胸騒ぎ、エインセルに近付いているという要素全てが揃っている。
「大丈夫、落ち着いて下さい」
 助けてくださいと叫ぶその声に応えるように踏み出せば、縮こまってaPhoneへと懸命に話しかける少女の姿が繁茂の双眸には映った。
「もしもし、もしもし――」
 ハウリングした、その音にしづかは小さく息を飲んだ。


「貴女が、エインセル患者か」
 ボディの問い掛ける声にしづかは立ち上がり「エインセル」と唇に乗せてからその蒼白な表情を更に白くした。
 唇は噛み締めすぎて真白に染まる。
「エインセルを、知って――」
 地を蹴った少女が飛びかからんとする。その足を穿ったのは才蔵の鋼の驟雨。必中を期するライフルの引き金は重い、だが、容易に弾丸を撃ち出した。
 後方を睨め付けたしづかが獣のように掌をアスファルトにぺたりと付けた。
 四つ足の獣の如く、鋭く地を蹴り躍り出る。
「まるで狼だな」
 呟く才蔵に頷いて加速的に前線へと飛び込んだボディに続き、繁茂は陰陽操術『四大八方陣』の陣を開いた。
 己の体を壁とし、しづかの前へと躍り出た鬼人はかぶり物を脱ぎ捨てる。
「逃すわけにも行かないのでな。しかし……狼か。悪性怪異<夜妖>、取りついた相手を己の望む形に変える異形ということか。
 まるで寄生虫、呪獣や肉腫と似ている所・違う所もある。どちらももっと詳しく知る必要があるな」
 呟く繁茂にニコラスは「夜妖憑きってのは何だってアリだな」と小さく呟いた。
 エインセル患者、と呼ぶボディはしづかの狂気の宿った双眸を見遣る。
「エインセルよ、あまり患者を『酷使』するのはやめてください。いや、『患者』が貴女に願ったのでしょうか」
 ボディは苦しげに眉を寄せる。侵略性エンセルは誰ぞへと成り代わることの出来る能力を持つという。
 その親和性の高かった彼女。『こうなることを分かった』彼女。
「生者だろうが死者だろうが、誰かになるなんて本来は不可能だ。
 何故、貴女は願ったのだろう――貴女にはちゃんとした命も、名もあったというのに」
 もはや、それさえ『憶えて居ない』
 それがどれ程に苦しいか。
 患者『しづか』は助けるがエインセルを殺す事を決めていた。ニコラスは漆黒に染まる大剣を『エインセル』へと振り下ろす。
 アスファルトを踏み締めた爪先に力が籠もり、身を反転させたままに勢い良く剣の面を叩き付ける。
 少女の華奢な体が僅かに軋む気配、だが、その置くから獣の慟哭が如く少女の叫声が響き渡った。
「なぁ、エインセル。お前は知ってんじゃねぇのか?
『しづか』の本当の名前をよ。だったら返しやがれ、それはお前のものじゃない!」
「もう知らない。食べてしまったものを吐き出せなんて、無茶な話でしょ?」
 少女の声音で、エインセルが語る。苛立ったようにニコラスは「そうかよ」と呟いた。
「戦神が一騎、茶屋ヶ坂アキナ! 有象無象が赦しても、私の緋剣は赦しはしない!」
 びしり、と指さした秋奈は「よくも私ちゃんになりきってくれたなー!」としづかへと飛び込んだ。堂々と名乗り上げ、彼女を受け止める。
 緋い刀身から放たれたのは猪鹿蝶、三撃の邪剣。
 続く舞花が描くのは水月鏡像の如き魔剣。心に応じてからだが動く、その境地こそ水月。
 ひらりと踊る舞幻の型は誰が相手だろうと崩れることはない。
「風よ、吹いて。炎よ、灼いて。僕の全力を尽す!」
 生命の躍進は淀みなく。
 焔が後押しされるようにと広がった。永遠を思わせた焔を模して、広げ続ける昼顔の傍らでひいろがふわりと踊り続ける。
 身軽に地を蹴り翻弄する風牙は彼女の命は決して脅かさないと決めていた。
 それはゼフィラとて同じか。広がった目映き光。
 命を奪う事無き、其の光は『彼女の未来』の為であった。
 罪を関する機械の翼が開かれる。ミニュイは空を躍る様に無数の『羽吹雪』を広げた。
 白き夢の如く。オラージュが踊り続ける。
 勢いよく舞踊る其れは倒れ伏した誰かを必要以上には傷付けない。

 ――綺麗に終わらせる事はもはや出来ないけれど、

 それでも終わらせるしかないのはなんと苦しいことであろうか。ミニュイのかんばせに苦い色が滲む。
 ゼフィラは「彼女と話がしたい」と静かな声音で言った。
「……落ち着かせなければ話せないね」
「ああ、そうだな。……もう少し歩み寄ることが出来れば、『実力行使』なんてしなくてよかったのだろうか」
 捕縛を行うための実力行使、そうするしかない程に深く根付いたエインセル。
 ゼフィラの呟きにミニュイは「運が悪かった」と溢した。運が悪かった、唯、其れだけ。どんな夜妖に魅入られるかさえ、『運』次第。
 運が悪かったから、この仕打ち。
 ――そんな辛いことから、早く解放してやりたい。
「ねぇねぇ? 近くに美味しいお店しらない? 後で行かね?」
 へらりと笑った秋奈へとしづかが飛び付いた。四肢を撓らせ俊敏に地を踊る。
「――後なんかない!」
 吼えるようなその声音は秋奈を越えて逃げだそうとしているか。直ぐ様に身を転じる。
 剣が描いた軌跡は緋色。
 戦神が放つ燕の軌跡。足を縫い取り地へと少女を転がした。
「……駄目じゃないか、死んだ子が動いてちゃね!」
「逃げたって追い付くぞ。足には自身があるんだ」
 飛び込むように風牙がしづかの腕を掴んだ。引き摺るように立ち上がろうとした少女を縫い止めるように槍を地へと叩き付け、引き寄せる。
 姿勢がぐらり、と傾いだ。
 今、と叫んだ風牙にボディは静かに頷いて目を伏せる。
「誰かに代わって、不幸を生み出して。それが貴女の願いではなかったはずだろうに。
 ――終わらせよう、宇名潟・しづかのために。貴女だった何者かのために」


 ――――――――
 ―――――
 ―――

「……しづか氏、だった――いや、名前が必要だよね。
 ……仮音(かのん)と呼ぼうか。君が君を思い出した時に捨てられるように」
「かのん」
 仮の音。仮の名前だと囁く昼顔に『しづかだった少女』はまじまじと彼のかんばせを見遣った。
 彼女の纏っていた気味の悪い空気が薄れる。エインセルが死に絶えるのか――彼女の中に巣食うそれが消え去る感覚か。
 だが、其れだけでは足りない。彼女の体には染みついた罪への感覚と、エインセルの残滓が残っている。
 全てを払うためならば治療が必要不可欠なのだ。
「い、生きて……生きていたって……わ、私は、だれなの……」
 頭を抱えた少女は自身が『しづか』ではない事に気付いてしまったと項垂れる。
 宇名潟しづかであると信じていた己が誰であるかさえ分からないのだ。澄原病院で治療を終えてから自分は――?
「こ、こんなの、生きていたって――そ、そうだ。あんた達なら、わたしを、」
「――殺してなんざやらねぇ。
 他の何になろうともお前はお前以外の何者にもなれやしねぇんだ。だからお前はお前の失ったもんを探し続けろ。それが『名無し』にできる贖いだ」
 剣を握るニコラスの手へと縋ろうとしたしづかへと彼は強い語調でそう言った。
 肩を竦めた才蔵は「自分自身を奪われたとしても生きている限りはまた己と言うものは築けるからな」と彼女の肩を撫でる。
「君が君を忘れずに生きる為に――罪を犯さない為に治療を受けて欲しい。
 大丈夫。……澄原先生とは僕も初対面だけど、彼女の意志だからと『誰も殺させない』龍成氏を知ってる。表情に出ないとしても……きっとあの人は優しいから」
 意識が眩んでいるのが分かる。昼顔はそっと『しづかだった誰か』へと微笑んだ。
「僕達は君を不幸に、孤独にする為に捕まえたんじゃないから。例えケアの結果、何も変わらなくとも。僕が君を受け止める」


 捕縛した『しづか』を連れて澄原病院へと戻った舞花は裏口で担架を用意して出迎えた晴陽に「約束通りに」と告げた。
 能面のように表情を変えない彼女は意識を失ったしづかを確認したから「確かに」と頷く。
「夜妖憑きと言えど、助かる可能性があるのならそれにかける……で、よいのですよね先生」
「……ええ。私は医者です」
 舞花を真っ直ぐに見た晴陽の表情に僅かな熱が帯びる。
 何を考えているか分からない、と彼女の弟が言っていたが全然そんなことないではないかとさえ感じさせるその決意。
「私は、祓い屋などとは違う」
「……それはどういう意味で?」
 ミニュイの問い掛けに晴陽は「彼等は『祓うため』の犠牲も厭わない。私は、違います。私は医者です」ときっぱりとした口調で言い切る。
 スタンスの違い、とそう言ってしまえば簡単なのだろう。
 だが、澄原晴陽が燈堂暁月を毛嫌いして居るという話は本当なのだと感じていた。
「……それで、しづかの今後についてなのだけれどね。
 彼女の同意が得られるならば希望ヶ浜学園に編入できるようにはならないか、と考えているのだが……」
 その手筈を整えられるだけの権力を有するであろう澄原晴陽を真っ直ぐに見詰めたゼフィラは「どうだろうか」と問うた。
「……それは、どうしてですか?」
「なんとか彼女にも、自分自身で生きる目的を見出してもらいたい。 
 それに、『しづか』でない事が二人とも分かってしまったんだ。
 母親――真優美さんには、今は……いや、もう会わない方が良いだろう。もし親代わりの存在が必要であれば、私が面倒を見るさ」
 覚悟の上の言葉であるとゼフィラは告げた。
 目を覚ましたしづかは病室の天井を見詰めてから、震えた声音で問い掛けた。
「私は――誰ですか」
 空のネームプレートには『仮音(かのん)』と、昼顔が名付けた名前が記載されている。
 エインセルは彼女の体を残して消え去ったことになるのだろう。夜妖を祓ったならば残るのは抜け殻だけだ。
「しづ――ううん、あのさ、オレのメアド。オレはお前の友達だ。
 いつでも適当なメールくれ。過去がまっさらになっちまったなら、これからまた積み重ねていこう。……オレも手伝うよ」
 不安なら、頼ってくれと微笑んだ風牙に少女は俯き涙を流す。
 彼女に残されたのは『エインセル』の罪と、仮音と呼ばれた仮の名前だけ――ただ、それだけだったから。
「誰かの居場所を奪って、誰かの命を奪って。
 その罪科だけが今の貴女を定義するのは皮肉、なのでしょうかね」
 静かに呟いたボディの言葉へと、晴陽は苦々しい笑みを浮かべてから、首を振った。
「……それでも、罪でも、なんだっていい。それが、彼女である証になるならば。
 生きていけます。いえ、生きていかねばならないのです。私と貴方達のエゴで、彼女は此れからも生きてゆく。
 生きて居さえすれば、そう、……彼女に重たい荷物を背負わせた私達こそ、罰されるべきだ」

成否

成功

MVP

なし

状態異常

なし

あとがき

 澄原病院より、皆様に感謝を。

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