シナリオ詳細
金糸雀墜とし
オープニング
●
「おにーさん、今日も広場へ行こう?」
妹がそう言って、僕の服の裾を引っ張った。
先日5歳になったばかりの妹は、自分が大好きな歌を唄いに行くとき、いつもこうして僕を誘う。
屈託のない笑顔を向ける彼女に、僕は苦笑いを浮かべつつ読んでいた本を閉じてそれに付き合うことにする。
……妹は歌が得意で、同時に歌うことが大好きだった。
自分の大好きな歌を、住まう町の広場で歌ってはみんなに褒めてもらう。その度に笑う彼女の姿を、僕はいつも眩しそうに見つめていた。
「――――――ちゃんは、歌うのが本当に上手ね」
立ち去り際、町の人が僕にも声をかけてきて、だから笑顔とともに相槌を打つ。
僕自身の話が挙がることは、一度もなかった。
「おにーさん、今日も広場へ行こう?」
いつも通りの言葉に、煩わしさを感じたのは何時からだったか。
勉強と家の手伝い、その合間に暇を見つければ、妹は必ず僕を誘って町の広場へ歌を唄いに行った。
同じ歌ばかりの時も、覚えたてで慣れない歌を唄う時も、しかし町の人々は彼女の歌に拍手を送って笑顔で褒める。
妹を中心にできた観客の輪の向こう側で、僕は適当なベンチに座り込み、本を読むだけの日々。
――唄い終わった妹が帰ろうと、僕のもとに駆け寄ってきたとき、町の人は漸く僕の存在を認識する。
何時しか、僕の存在はこの町から失われつつあった。
「おにーさん、今日も広場へ行こう?」
――服の裾を引っ張る妹の手を、振り払った。
目を丸くした彼女と目を合わせることもなく、僕はその場を後にする。
分かっている、彼女に悪意はなく、それを称える人々にも悪意はなく、全てはただの符合に過ぎないのだと。
それでも、嗚呼。
「……僕は、消えたくないんだ」
妹の付属品で在りたくなくて、僕という個人を識ってもらいたくて。
けれど、それは叶わない。天性の才に秀でるものは弛まぬ努力だけで、例え今からそれを積み重ねたとしても、結実するまでには多くの時を必要とする。
人々の視線は妹に向けられつづけて、僕は消える。それを誰かに気づかれることもないまま。
「ならば、その前に消してしまえばいい」と。
誰ともない独り言を、しかし、聞き遂げた人がいた。
僕を認める人が、僕を識る人が、その手を差し伸べながら、小さな笑みとともに呟いた。
「君を君で居させるために、君が誰かに知ってもらえるように。
その視線を奪うものを私が葬ろう。だから――私に、力を貸してもらえるかい」
例え、後に。
この人の誘いによって、僕が両親を殺すことを知っても。
この人の誘いによって、僕が魔種になることを知っても。
それでもきっと、僕はその手を掴むことにを迷わなかっただろう。
――それが、記憶に残る原風景。
「私」が「僕」であった、最後の記録。
●
――「やめておけ」と、私は言うぞ。
鬱蒼と生い茂る森の中。駆ける姿は荒いだ呼気を止めることはない。
止まれば死ぬ。それを本能が叫ぶと同時に、理性は少し前の記憶にある情報屋との会話を掘り起こしている。
――天義と海洋の国境近辺に存在する森で行方不明になる者が相次いでいる。両国から領土侵犯の可能性を含めての調査は確かに『ローレット』に齎された。
――が、それを受けるかどうかは別の話だ。事前に送られていた両国の調査隊も誰一人帰還できていない……言い換えれば「それだけの力量を持つ相手」が存在しうる場所に、お前たちだけが行くのはリスクが高すぎる。
「……っ!」
地に伸びる蔦に、足を奪われた。
走り続けていた存在は――『元。』美城・誠二(p3p006136)は、転びかけた体勢をすんでのところで取り戻す。それでも、僅か一瞬の挙動の乱れが、今この時においてはあまりにも致命的で。
「――――――未だ、耐えるか」
その背後から、『死』が追いすがった。
森の奥から誠二に向かって一直線に、植物が枯れていく。見えない何かが通り過ぎた跡のように。
脇へ飛びのいた誠二は、しかし、自身の指先が黒く萎びていく様を見て舌打ちをする。
「誠……」
「姿を見せるな、『シュテルン』!」
木々が乱立するその場所で、姿を隠しおおせている仲間に対して、誠二が声を張り上げる。
……情報屋から受けた依頼の場所に向かった誠二たちの前に現れた一人の青年の存在は、今こうして彼らを危地に追いやっていた。
何故といって。
「居たのが魔種だったとはな……!」
全身を黒い装備に包んだ青年は、言葉を漏らす誠二を前に、目を見開いて立っている。
それは、自身の力を行使した相手が今なお生きていることに対しての驚嘆――では、なく。
「……シュテルン」
彼が放った、仲間に対する呼び名を耳にしての、忘我ゆえに。
「シュテルン、シュテルン、シュテルン、シュテルン。
死に損ないが、まだ生きていたのか。だが、ならば此処で」
「アンタ、何を――――――!?」
言葉は続かない。魔種がゆるりと指先を向ければ、誠二の装備の一部が、体の一辺がぱきぱきと萎れ、枯れていく。
痛みもなく、苦しみもない。ただ「存在がなくなった」かのように感覚を失った身体に誠二が木陰に逃れる。
「選べ、シュテルン。今この場で身を差し出すか。逃走の末に仲間もろとも殺されるか。
私はお前を逃がさない。今日この場を以て、確実にお前を罪過に落としてみせる」
「………………っ」
『こころの花唄』シュテルン(p3p006791)が、何かを言おうとして、口をつぐむ。
身に覚えのない存在。けれど、なぜか心惹かれる存在。
その意味を、当人である彼女自身が理解できぬまま、終ぞ意を決して発した言葉は。
「……あなたは、だれ?」
「――――――、そうか。嗚呼、命を失わずとも。
忌々しい。だが、お前にとっては幸いだったのだろうな。運のいい愚妹め」
――その言葉で、空気がぴたりと止まった。
愚妹、と。そう言った魔種に対して、シュテルンは頭を真っ白にしたまま、木の陰から身を表す。
金の髪と、長い耳。目元に刺青を彫り込んだその男は、努めて静かな声で呟いた。
「タハト・クリムペシャ・アマルティア。
シュテルン。私はお前の、実の兄だ」
――少女の過去が、加速を始めた。
- 金糸雀墜とし完了
- GM名田辺正彦
- 種別リクエスト
- 難易度-
- 冒険終了日時2021年04月18日 22時10分
- 参加人数4/4人
- 相談8日
- 参加費100RC
参加者 : 4 人
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参加者一覧(4人)
リプレイ
●
――――――うたがきこえる。
すなつぶのなかをおよいでいるような、ざらざらというおとがまじった、きこえづらいだれかのうた。
こえがきこえる。
すなのおとがうるさくて、なにをしゃべってるかわからない、おおぜいの、だれかのこえ。
すがたは、みえない。
うたうひと、しゃべるひと、それがだれかをしりたくて、ひっしにめをこらしても。
たくさんの『まっか』が、シュテのせかいを、ぬりつぶすから。
●血椿に塩
「走れ」という声が聞こえた。
何故と問う必要は、何処にもなかった。
「気に入らなかったんだ」
背後の声から、然程距離は取れていない。
『元。』美城・誠二(p3p006136)が声を発し、転身。そのまま一気に駆け出す様を見ても、それを追う者――魔種、タハト・クリムペシャ・アマルティアの言葉は余りにも平坦そのもので。
時刻は昼。それでも一瞬、時間を勘違いする程度には鬱蒼と生い茂る森の中。
失踪する者が相次ぐとされる森の中に於いて、調査に赴いた特異運命座標達と魔種による『鬼ごっこ』は、予想だにせぬ形で始まりを迎えていた。
「辿り着いたのは偶然で。そうして――この森へ山菜取りに来ていたのだろう、親子連れを見かけたのも偶然で。
ただ、その子供が『あの歌』を歌ったから」
挙動が遅れる。
一歩を踏みしめるたびに眼前に迫る木々を避け、足に引っかかる蔦を千切り、或いは引き抜き。
ただ走るだけで掛かるこれほどの労苦を、魔種は、彼の男は一切の支障なく動いて距離を詰めていく。
「小さな子供がよく歌う童謡らしい。私にとっては愚昧が幾度となく歌った忌々しい其れに過ぎなかったが。
だから殺した。そうしたらそれを捜索する者が何度も現れた。後はただ、来た者を殺し続けただけだ」
初動の名乗り口上を防がれた誠二は、以降を回避と防御、逃走に避け続けていたが――それとて限度が在った。
重盾と重装鎧。元より動きの速さに於いても平均的かそれを僅かに上回る程度の彼が、更に行動制限のかかるこの場所で逃げ続けるのには無理がある。
誠二は追いつかれると確信した。
タハトは追いついたと確信した。
……同時に。
「合縁奇縁とは、言ったものでしょうか。
これが運命という物なら、恨み言のひとつも漏れそうです」
「兄妹か何かは知りませんが、幻想種が植物を……森を枯らすのは流石に見てて辛いのです。
一発、ぶん殴らせてもらいますね」
誠二は追いつかれても構わないと考えていて、
タハトは、『その場合』の考慮をまるで行ってなかった。
『協調の白薔薇』ラクリマ・イース(p3p004247)が衝撃の青を撃ち、タハトの側は寸でのところで回避し。
けれど、その後を追う『玲瓏の壁』鬼桜 雪之丞(p3p002312)の豪鬼喝までは、防ぎきれなかった。
「……今日に限って、集る蝿は多く、しぶといときている」
「お褒めに預かり光栄、と言うべきですか?」
吹き飛ばされ、空いた距離。呼気を整える誠二の両脇に現れた二人の仲間。
雪之丞の言葉に舌打ちするタハトが再び片腕を持ち上げれば、その足元から徐々に植物の枯死が広まっていく。
それを予測していたラクリマが周辺の木々に手を触れさせた後、
「……こっち!」
叫び、残る『三人』を先導して走る。
拡散する枯死を待たずにそれを追うタハトは、告げた。
「そうか。それを望むか。シュテルン。
良いだろう。それでは先ず――兄妹水入らずから、始めようか」
自身の妹を除く全ての者達。その、殺害宣言を。
●
きおくは、『みえない』。
だから、いまを『みた』。
タハトとなのるあのひと。おにいさんとなのるあのひとのこころを、シュテの、ギフトで。
――みえたのは、ぴょこんとはえた、いっぽんのクローバー。
おどろいて。くびをかしげて。かわいいと、そうおもってしまうほどで。
そうかんがえたシュテは、だから、バカだった。
『ふくしゅう』。
そのはなことばをもっているはなは、いっしゅんでまっくろになって。ふえた。
(……え?)
ぞるぞるぞるぞる。
はながただれる。ふえて、くろくなって、ただれる。
ぞるぞるぞるぞる。
はながさいているばしょも、ただれた。
あのひとがただれて、あしもとをつたったじめんもただれて。
ぞるぞるぞるぞる。
じめんをつたって、シュテも、あしもとからただれていく。
(や、だ)
ひふがめくれる。にくがこそげる。
ぜんぶぜんぶぜんぶがくろくてちゃいろのどろどろになって、のこったのはまっしろなほねだけ。
あし。ふともも。おなか。うで。くび。くちびるもはなもめだまもあたまのてっぺんも。
(やだ、やだ、やだ。
やめて、いや、いや、いやいやいやいやいや!)
たくさんのどろどろに、うかぶほね。
そのうえで、ぴょこんと、またクローバーがさきなおした。
これが、あのひとの、こころのはな。
●逝撫子に切石
狂乱は、誰しものもの。
けれど、それを声高に叫んだのは、彼女だけ。
「シュテルン!?」
問うた誠二の声に、金髪のカオスシードは呻きながら首を振るった。
ともすれば、そのまま蹲って気を失いそうな彼女を、しかし誠二は無茶と承知の上で無理やり腕を引っ張る。
――敵方、タハトの一番の狙いが彼女であると理解できた一行は、それゆえに魔種の狙いを彼女から逸らすことに必死だった。
実際、戦闘……否、『逃走』が開始されてから現在に至るまで、彼女はタハトの視線に入らない位置で木陰を転々と移動しているため、少なくともその存在を視認こそされてはいない。
とは言え、そのアドバンテージも僅かな間しか持たないと、他の仲間たちは知っていた。
見通しが悪い森林を、探索用装備に加え超方向感覚を持つ雪之丞、自然会話と広域俯瞰によるこまめな情報の蓄積によって現状に於いても『逃走』と『戦場からの脱出』を両立できているが、逆を言えばこの二人が居ない限りその何れかは避け得ない。
自然、四人はひと塊になって動く必要が生まれ。
「……そうか。それが、今のお前の姿か」
追う者は、その姿を終ぞ覚える。
敵が優先的に狙う対象が生まれてしまったがゆえに、庇う必要……ひいては逃走の手を止める必要が生まれたのは、この状況では最悪と言っていい。
理由は、問うまでも無く。
「――――――っ!!」
距離はまだある。或いはと願って振るった雪之丞の遠撃……奈落斬呪が振るわれれば、それは寸分違わずタハトの眉間に迫り、命中する。
命中した、筈だ。
だのに。
「……浅い」
十全以上の精度による攻手。伴われる状態異常は、しかし与えられることなく。
刹那、臓腑が焼ける感覚を味わった。屈しかけた膝をしかし堪えて、雪之丞は屹と相手を見据えたまま。
「タハト・クリムペシャ・アマルティア」
「何だ」
「シュテルン様を罪過に落とすとは。
シュテルン様の罪とは、いかなるものでしょう」
彼我の動作は止まっていない。
木々と草叢を避けて逃げる者たちと、邪魔なそれらを枯死させて追う者。詰められた距離を時折の攻撃スキルで再び開かせる紙一重の攻防は未だ成っている。
それゆえの問い。言葉を発せぬほどの苦境に追いやられていない今だからこそ可能な、対話と言う一つの手段。
「拙の知るシュテルン様は、幼子のような優しい方。
兄であろうと、血縁であろうと、それを手前勝手に裁くというなら、必ずや阻止します」
「………………ハ」
嘲弄が、零れた。
その意図を掴むより早く、答えるタハト。
「彼女が無垢であると。ああ、その通りさ。それは私が最もよく知っている。
だからこそ、――――――私は言ったはずだ。彼女を、罪過に『落とす』と」
無垢である彼女を。
二度と、確実に引き下がれない領域にまで堕落させる。
それはヒトの領域における罪を越えた在り方へ『転化』させると言う事。
「……成程」
偶発的な二次行動を活かし、傷んだ雪之丞にライトヒールを飛ばす誠二、気息を整え直した雪之丞は、其処で漸く得心いったという体で言葉を発した。
「貴方の目的は、シュテルン様の殺害ではない。貴方は……」
「漸く理解がいったか」
――自らの妹をも、魔種へと転じさせること。
その当人。ことこの戦いに於いて怯懦なだけであった少女が、その言葉に震えた。
●
(ざい、か?)
むずかしいことば。
でも、そのいみは、なんとなくわかる。
シュテが、あのひとと、おなじになるということ。
はなをからすこと。ひとをころすこと。
それをふつうにして、よろこんで、わらえてしまうひとに、なるということ。
(……シュテ、いや! 怖いの、いや!)
あのひとは、『きょーだい』だ。
たたかうのはいやだ。でも、おなじになるのは、もっといやだ。
あのひとはわらった。わらって、こういった。「おまえは、まだ、おなじになれない」って。
そのあと、
「だから、おなじになれるように」
「おなじになるほど、きずつくように」
「おまえのたいせつなひとを、のこらず、ころしてしまおう」
おそろしいこえで、そう、いったの。
●崩鈴蘭に芥
繋いだ手を、守ると決めた。
たとえ、その手を離すとしても。
特異運命座標達の作戦はシンプル、妨害と逃走。この二つだけだ。
正確には、人数が人数である以上、多岐に渡る作戦は取れない。現状で取れる選択肢の限界がここまでであったというべきが正しい。
――では、その作戦は奏功しているのか。
確認を行う。一定時間に於いてとれる距離は一同、然程変わらず。
任務達成目標である森の外、ひいては人が多く居る地を目指すのに雪之丞の超方向感覚は役立っている。しかし肝心の戦場自体の行動阻害を緩衝する手段として、彼女とラクリマが取った飛行手段はあまり役立っていない。
戦場からの逃走を図るのに必要な非戦スキルを有しているのは両者であり、自然彼らは残る二人を先導する役目が与えられる。
しかし此度、敵であるタハトの一番の目標である『彼女』を庇護することが第一目標とされる以上、「ラクリマ達ほど早く動けない二人」に合わせた足並みでの移動が要求される。
結果として、疑似的な簡易飛行で素早く動くことが可能でありながら、それを許されない。そういう意味で、彼らの旗色は悪い。
接近された際のノックバック手段もまた、先導役である二人が有している。役割の重複によってチーム全体の足並みが随所で止まってしまうことが、この作戦の欠点であった。
――或いは。
誠二が初手のみの使用と決めていた名乗り口上を成功させ、彼が一人残り続ければ、他の三人は逃がすことも……。
「……誠二」
きゅ、と。手を握り締められた。
普段の『彼女』からは考えられない、けれど一般的な同年代からすれば弱弱しい力で、彼女は誠二の手を握り締めた。
「シュテ、怖い……手を……手をずっと、握ってて……」
「……ああ。勿論だ」
一瞬でも、馬鹿なことを考えた。そう思い、誠二は苦笑する。
彼女一人を。その身一つを護るだけならば、どれだけ簡単だろう。
それが出来ないからこそ、今この苦境なのだ。その心をすら守るため、誰一人として、犠牲と言う形で彼女の心に残る重石になってはいけないのだ。
叶えるには途方もない苦痛が伴うであろうそれを、しかし、喜びの笑みと共に。
「……心配するな。俺は、傍に居る」
誠二は、救いを求める者の元へと訪れる。
だから誠二は、「俺が来た」と、救いを乞う者にそう告げる。
けれど。傍らの少女に告げたそれは、彼にとっての『在るべき居場所』を――
「……っ、駄目だ、皆さん!」
叫んだのは、ラクリマ。
スキルによる俯瞰視を以て、可能な限り相手を撹乱するルートを取り続けた。
アイテムも介して強化した自然会話を繰り返し、敵の視界をより多く狭めるルートを構築してきた。
何より。幾度となく魔の手を、異能の力を振るう未知の魔種を相手に、雪之丞と共に、繰り返しスキルで距離を再構築し続けていた、決してあきらめていなかった彼が、そう言った。
――最初に転んだのは誰だろうか。
その足が、枯れ木のように萎びていることを気づいたのは何時だったろうか。
眼前に望む外界の、木々に隔たれぬ日差しは、果たして遠かったのか、近かったのか。
ああ、けれど、そんなことはどうでも良い。
悪あがきの攻撃は躱され、いなされ。
獲物をいたぶる獣のように、ことさらゆっくりと歩を進める魔種の姿に、残っているのは、唯絶望だけ――
「行け!」
その歩みを、止める者が居た。
迫るタハトに重盾を叩きつけ、強引に押し退けた誠二の言葉を聞き届け、ラクリマと雪之丞は『彼女』を連れて逃げていく。
「まって……まって!」
二撃目は叶わなかった。
両腕は枯れ木の如く痩せ細り、黒ずみ、それを見た誠二は、背後から聞こえる声に自嘲の笑みを浮かべた。
その身だけではなく、心も護りたいと願って。
その為に、自らが犠牲になるようなことはあってはいけないと、つい先刻誓っておきながら。
――それでも、選択を迫られたとき。彼は『それ』を選んでしまうのだ。
●
あのひとに、なにをいわれても。
おもいだせなかった。きおくは、もどらなかった。
けれど、それでもかまわないとも、おもった。
いまのじぶんを、だいすきなひとたちがいる。
そのひとたちのことが、シュテもだいすきで。それをなくしてしまうくらいなら、きおくなんて、もどらなくてもいいと。
けれど、それはゆるされなかった。
(誠二……誠二!)
とりもどさないから、みんながきずついた。
とりもどさないから、ぎせいになったひとがいた。
とおくなっていく、たいせつなひとのすがた。
てをのばしてもとどかない。そのひとがたおれていくのをみて、シュテはなみだをながすことしかできなくて。
だから、そのひ。
『わたし』は、わたしがよわかったことを、おもいしった。
●溺水仙に泥雫
きっと、全てが変わると思った。
けれど、今だけは変わらないと信じた。
――それを死体であると思わなかったのは、不思議と言ってもいいほどで。
逃走の果て。近隣に控えていた『ローレット』の連絡班に通達したのち、増援を得た彼らは森林へと再突入。
其処に残っていたのは、四肢を木乃伊のように収縮させられた誠二の、死にかけた姿だった。
恐らくは殺害を意図、そうでなくとも、四肢の不随は確実に目的としていたであろうその惨状は、しかし彼の持つ潤沢なパンドラによって回避することが出来た。
……それでも、幾らかの運動機能は回復しなかったとのことだが。
――私を愛した者。私が愛した者。私を絶望させたもの、私が絶望させたもの。
意識を取り戻した誠二が齎した報告は、最後にタハトと交わした会話。
「アンタにとって、妹はどういう存在なんだ」。その言葉に対して返された、彼の本心。
――今、私たちは互いに同じものを味わい、平等となった。残る差異はあと一つ。純種と魔種の境界を取り払うだけ。
――そうして初めて、私は奴を公平な視点で見られる。私への認識を奪った憎き者でも、喪失に絶望して記憶を失った哀れな者でもなく。
同時に、それは『彼女』が今後狙われ続けるという警鐘でもあった。
その存在を認識したタハトへの恐れは、如何程の時が経とうとも、到底拭えることは無い。
……だから、せめて。
「誠二っ!!」
「――――――シュテ」
一命を取り留めた大切な人に、飛びついて、泣きじゃくって。
その命が失われなかったことを、今だけは喜びたいのだと。
……『こころの花唄』シュテルン(p3p006791)は、願ったのだ。
成否
成功
MVP
状態異常
なし
あとがき
シナリオの成否を担ったラクリマ・イース(p3p004247)様にMVPを差し上げます。
ご参加、有難うございました。
GMコメント
GMの田辺です。この度はリクエストいただき、有難う御座います。
以下、シナリオ詳細。
●成功条件
・魔種『タハト・クリムペシャ・アマルティア』からの逃走。
●場所
天義――海洋との国境線付近に位置する森林地帯。時間帯は昼(=光源不要)。
「見通しが悪い」「動きづらい」「歩きづらい」が全てそろう程度には木々が乱立しており、同時に地面もツタ状の草が生い茂っています。
PCの皆様は後述する『探索用装備』によってデメリットが緩和されておりますが、それでも然るべきプレイングが伴わない場合、あらゆる行動判定にマイナス修正がかかります。
『タハト・クリムペシャ・アマルティア』はこれらの木々を枯死させることで、一切の支障なく動作することが可能のようです。
●レギュレーション
『探索用装備』
今回、PCの皆様は行動を大きく阻害される森林地帯で動きやすいよう、『ローレット』側から専用の装備を身に着けることろ義務付けられています。
これによって生じる効果は以下の通り。
・PCは「戦闘を目的とした行動」に於いて、行動判定に用いるダイスが「-10%(端数切捨て)」されます。
・PCは「戦闘以外を目的とした行動」に於いて、行動判定の最終達成値に「+10%(端数切捨て)」されます。
・シナリオ中に『探索用装備』を破壊された場合、すべての行動判定が行えなくなります。
プレイングに持たせた指向性如何によっては、大幅な不利にも、逆に大きな有利にも働きます。ご注意ください。
●敵
『タハト・クリムペシャ・アマルティア』
シュテルン(p3p006791)の実の兄。憤怒の魔種であると同時、暗殺者としての側面も持ちます。
本依頼に於いては偶発的な遭遇であり、その能力の詳細は不明です。
なお、本依頼においてこのエネミーに対して何らかの会話を行う場合、その行動に影響を与える「キーワード」が4つ存在します。
内訳は「PCの有利に働くもの」と「PCの不利に働くもの」が2つずつ。何の感情も見せずただ責務を果たすか、微かな可能性に賭けて言葉を交わすかは参加者の皆様にゆだねられています。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。
想定外の事態は絶対に起こりません。
それでは、リクエストいただきました方々、そうでない方々も、参加をお待ちしております。
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