シナリオ詳細
<月蝕アグノシア>蜂蜜金の欠片
オープニング
●
一粒の雫がスプリング・ノートの葉を伝う。
夜露を乗せた葉の上を転がり、やがて撓垂れた先から瑞々しく弾け、闇夜へと舞った。
瑠璃を溶かした空は宝石の煌光を抱く。
夜空の色を映した泉は何処までも透き通り、水中の真素が星屑の様に揺蕩っていた。
なんと美しい光景だろうか。
然ればとて、この身は明媚の空を羽ばたくこと叶わず。
黒に濡れた鉄の檻は飛び上がる事さえ出来はしない。
囚われの羽。か弱き存在。それが檻の外に居る者達の評価なのだろう。
それでも、妖精郷アルヴィオンが女王『胡蝶の夢』ファレノプシスは毅然としていた。
身体が大きいだけの人間。それも魔種なぞに屈する道理はない。
黒檻の外から女王達を見つめる瞳。ねっとりと絡みつく視線は嫌忌を催す。
震える侍女達が縋り付いて来るのを、女王は優しく撫で自身の後ろへ彼女らを隠した。
「女王さま……っ」
「怖い」
「案ずることはありません、後ろへ隠れていなさい」
返すようにブルートパーズの髪をした魔種『魔術師』ネィサン=エヴァーコールを睨み付ける。
「ふふ、健気な女王様。けれど案ずることはあるでしょう?」
「……」
ネィサンは刃のような侮蔑の視線を受け流し、鳥かごに指を這わせた。
「手を出すなとお願いされているのはね、女王様。あなた一匹なの。この意味は分かる?」
絡みつく悪意は、女王が守るべき侍女達の危険を示唆していた。
だが――女王はわだかまる焦燥も怒りも押し隠して、魔種を真っ直ぐに見つめていた。
この世界の『頂点』が怯える様子など、誰に見せられようか。
女王を支えているのは、侍女達の命を守らんとする義務感と、世を統べる者の矜恃であった。
「ふうん、貴女。ファジーちゃんだっけ? あんまり鳴かないのね?」
ネィサンの黄金の瞳が面白く無さそうに逸らされる。
確か、タータリクスがそんな風に呼んでいたような気がしたのだ。
「ファレノプシスだろ。ファリーってヤツは呼んでた」
ネィサンの後ろ、気怠げな表情で『叛逆の砲弾』アイザック・バッサーニが言葉を放つ。
「確かにそんな感じで呼んでたわね……あら?」
アイザックが座るソファの後ろ。開け放った大きな窓からひらりと入ってくる飛来物。
紙飛行機だ。
するすると失速しながら、鳥籠の前まで飛んできた紙飛行機をネィサンは拾い上げる。
「何なに?」
其処にはタータリクスから女王に宛てての手紙が記されていた。
歯の浮くような奇っ怪な文字の羅列。
「うわぁ」
呆れた声でネィサンは開いた紙飛行機を床に落とす。
ぐしゃりと踏み潰したそれを、念入りに滅茶苦茶にして部屋の隅へ蹴った。
くるりと青い髪を靡かせ振り返ったネィサンは相方であるアイザックの肩を掴んだ。
指先を嫋やかに揺らしてアイザックのシャツに皺を刻んでいく。
「ねぇん、ザックちゃん。アタシ良いこと思いついたんだけどぉ」
ソファに座ったアイザックに撓垂れ掛かるように腰を下ろすネィサン。
顔に落ちてくるブルートパーズの髪を其の儘に、挑戦的な目でアイザックは相手を見つめた。
ネィサンがこういう悪戯な笑みを浮かべている時に邪険にすると面倒くさいというのもある。
次の言葉を促す為に青い髪を一束、指に絡めて緩く引く。
「今度は何を見せてくれるんだ?」
強い眼差し、大型の猫を思わせるアイザックの瞳にネィサンは歓喜した。
満点の相づち。
「この子自体はそんなに面白くないじゃない?」
「まあ、泣かねえしな。でもそういう強いのが好きなんじゃねえの?」
ブルートパーズの髪を弄ぶアイザックの手を開いて、自身の指を絡ませるネィサン。
視線はアイザックから鳥籠の中へ移される。
「だからね……」
空いた片方の手を鳥籠へ翳し、黒檻の中に居る女王の輪郭をなぞった。
「――この女王を握りつぶせば、タータちゃん喜んでくれるわよね?」
妖精郷の長。ファレノプシスから作る仮初の命(フェアリーシード)は何色なのだろうか。
夢の蝶が羽ばたく燐光はきっと美しい。
それに、あのタータリクスの執着ぶりを見れば、彼にとってこの妖精が掛け替えの無いものだと言うことが分かる。目の前に置いておきながら、彼女の『心』を待っている程には心酔しているのだ。
大切なもの。傷つけたくないもの。傷ついて欲しくないもの。
それが、壊れてしまった時に見せる刹那の慟哭。僅か一瞬の魂の叫び。
どんなに年月を重ねようともそれを見る瞬間だけは、童心に返る。心が躍る。
ネィサン=エヴァーコール魔種たる所以。魂の叫びを喰らう暴食の渇望。
そもそもネィサンとアイザックは、タータリクスの部下ではない。
この妖精郷を侵略する為に、たまたま一時的な協力関係にあるだけだ。
自身の目的が『協力する理由』を上回ったならば、話は大きく変わる。
意外にも(?)朴訥で人付き合いの機微に疎いタータリクスが、彼等にこの場を任せたこと自体が、大いなる失敗だったのであろう。
そんなことにタータリクス本人は気付いて居るまいが――さておき。
悠長な所作でアイザックの膝を降り、ネィサンは鳥籠に顔を近づけて覗き込んだ。
侍女達が身を固める様に喉の奥をくつくつと鳴らすと、仕掛けを探し始めた。
魔法の掛けられた檻を開けるにはある程度の魔力が必要だ。
鳥籠を作ったタータリクス本人なら簡単に開けることができるだろうが、ネィサンは『鍵』を持っていない。
ならば、魔術か力で強引に開くしか無いのだ。
ネィサンの指が檻鉄を緩く這った。
「いま、開けてあげるわぁ」
展開する魔法陣。アジュールブルーの光は陣から溶け出し今にも黒檻を破壊せしめんとする。
一瞬の間。
ネィサンの指先と檻の間に走った刃。
魔法陣に宿った青い光が霧散する。
「……どういうつもり?」
怒気を孕んだネィサンの低い声。
「やらせないよー。僕は条理に従い掟を全うする……樹精だもん。逆らう者は討滅しないとー」
答えたのは抑揚のない、けれど有無を言わせぬ声音だ。
ネィサンの視線の先。双剣を握るアルベドが居た。
真っ白な頬に白い髪。どこもかしこも白いそれ。
イレギュラーズの細胞を培養した素体に、フェアリーシードを埋め込んで作り上げるホムンクルス。
魔種タータリクスの錬金術だ。
鳥籠とネィサンの間に自分の身体を滑り込ませたアルベドは無表情のまま立ち尽くす。
「なぁに? あんたがそれで遊びたいの?」
長い指をアルベドの頬に滑らせるネィサン。
「ううん。違うよー。これは最上位権限(アドミニストレータ)からの命令だよー」
元になった素体か、もしくはフェアリーシードの影響か間延びした言葉を口に乗せるアルベド。
恐らく元となった何かが複数入り交じっているのだろう。或いは誰かを模した言葉。それは支離滅裂にも聞こえるが、言わんとすることは分かる。
最上位権限からの命令をこなすこと。
つまり妖精女王ファレノプシスの死守がアルベドの存在理由だった。
先程の攻撃は、下位権限であるネィサンがファレノプシスを害そうとするのを、単に阻止したまでのこと。
値踏みするように這わせた指の爪で、ネィサンはアルベドの頬をひっかく。
「痛いよぉ、どうして僕の頬をひっかくのー?」
本当の人間であれば血が滲むであろう傷口には白い組織液が広がった。
「……ハァ、面倒くさい」
生まれたばかりのホムンクルスには、ネィサンの求める『強くて弱い心』が無い。
機械のように命令に従うだけの玩具だ。
壊す事なぞ造作も無いけれど。
「ああ、でも。育った所を壊すのは楽しそうねえ」
「壊させる、の間違いだろ」
妖精が核となっているフェアリーシードを取り出すには、アルベドの心臓を抉り取らなければならない。
それは、紛い物とはいえ自発的に呼吸をし、従順ではあるが己の意志に従って動く生き物を殺すということに他ならない。
ローレットが此処に来るのは時間の問題だろう。
「フフ、そうねぇ。優しい彼等は、この子を壊せるのかしら?」
「生まれてきてしまったものを否定できるのか、ってな」
ネィサンはアイザックを見遣る。本当に、この男は自分を乗せるのが上手い。
いつの日か、この男を自らの手で殺す(あいする)ことを夢見て、ネィサンは瞼を伏せた。
●
大迷宮ヘイムダリオン踏破の知らせが入って来たのはつい先日のこと。
妖精郷アルヴィオンへと足を踏み入れたイレギュラーズを待って居たのは常春の風。
お伽話の花びらは視界を染め、蒼穹の空へと舞い上がる。
麗らかな風景とは裏腹に。アルヴィオンは不穏な空気が渦巻いていた。
魔種タータリクスの侵攻。
安寧の住処を追われた妖精達は、転送機能が回復したアーカンシェルでこちら側に逃げ出してきたのだ。
妖精フロックスからもたらされた情報にイレギュラーズたちは眉を寄せる。
「女王が捕えられたの?」
「そうみたい、です」
イレギュラーズの問いに『Vanity』ラビ(p3n000027)がこくりと頷いた。
湖畔の町エウィンの中心にみかがみの泉がある。その中には古代遺跡月夜の塔がそびえ立っていた。
女王はその塔に捕えられているという。
それだけではない。人間そっくりの形をした白い怪物(アルベド)が現れたというのだ。
「魔種の存在も確認しています」
イレギュラーズの少女の瞳が見開かれる。
「それって……」
「はい、魔種ネィサン=エヴァーコールと、旅人のアイザック・バッサーニ、です」
ラビの言葉にスペサルティンガーネットの瞳が揺らいだ。
無意識に硬く握られた拳を温もりが覆う。大丈夫だと言うように優しく添えられた手のひら。
「今回の目的は、女王の奪還です」
魔種を討伐することでも、アルベドを殺す事でも無い。
あくまで目的は女王の奪還。
別働隊がタータリクスを引きつけている間に、この場に集まった仲間で救出する作戦なのだ。
猶予は残されていない。
何時、タータリクスやネィサンが強硬手段を取ってもおかしくない。
けれど、イレギュラーズなら必ず成功させてくれると信じて。
ラビは彼等の背中を見送った。
●
ここは、どこなんだろう。僕は、だれなんだろう。
ごちゃまぜの気持ち。僕の中の『私』が苦しんでる。
思い出せない。僕は何でここに居るんだろう。
そう。名前は……樹精。
そんな、もの。あるわけ。
名前、なまえ、は――ポ、テト。ぽてと、ちっぷ。
きっと。それが僕の名前。
でも『私』の名前は思い出せない。
苦しいなー。野菜とかどうしてたっけー。うーん。苦しいなー。
はやく「――」の所に。
帰らないといけないのに――
![](https://img.rev1.reversion.jp/illust/scenario/scenario_icon/26696/a03175e68893309a3c69d0b9e018bcca.png)
- <月蝕アグノシア>蜂蜜金の欠片Lv:15以上完了
- GM名もみじ
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2020年07月17日 22時20分
- 参加人数10/10人
- 相談6日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
参加者一覧(10人)
リプレイ
●
ラピスラズリが散りばむ夜空から、星屑の光が降り注ぐ。
妖精郷アルヴィオン、エウィンの街はざらざらとした緊張感に包まれていた。
美しい風景を抱く静かな湖畔は、吹いた風に波を立てる。
至るところに篝火が炊かれ、人の気配を感じた。
「ふふ、ようやく来たかしらぁ?」
ブルートパーズの髪を掻き上げて『魔術師』ネィサン=エヴァーコールは目を細める。
塔の外を見やれば、イレギュラーズの姿が見えた。二十人程だろうか。
それが分かたれた所を見ると、半分程が塔の中へと攻め入って来るのだろう。
先に塔へと侵入していた連中は一階で足止めを食らっているらしい。
黒髪の眼帯をした旅人が相手をしているのだろう。それはさておき。
「さあ、お手並み拝見ね」
嫋やかな指先が虚空を滑り、魔法陣が出現する。
エメラルドに輝く陣から這い出す黒い獣は唸りを上げ、敷き詰められた石床で爪を掻いた。
――――
――
夜の風が『旅人自称者』ヘイゼル・ゴルトブーツ(p3p000149)の黒髪を攫う。
この先に待ち受ける敵は仲間の細胞から作られた疑似生命体なのだという。
ならば、内に秘めたる因縁もあるだろう。
大切な人と同じ顔した者を斬るのは苦痛を伴うのかもしれない。
しかし、それを押し殺し心を共にしなければ、成し得ない戦場なのだ。
女王の奪還。それのみを目指しヘイゼルは意識を研ぎ澄ませる。
幾ら力を持とうとも、心意が絞れていなければ届かないのだからと緑の瞳を前に向けた。
同じく視線を上げた『白獅子剛剣』リゲル=アークライト(p3p000442)は塔の中の様子を伺う。
党の構造自体は分からないが、人影は確認出来た。
一階部分に数十名残りは最上階に居る様に感じられる。他の階にも数人居るようだが一気に階段を駆け上がれば切り抜けられるだろう。
「行けそうだ」
リゲルの声に『ハニーゴールドの温もり』ポテト=アークライト(p3p000294)は頷いた。
己の細胞を元に作られたホムンクルスをできることなら助けたいとポテトは思う。
けれど、現状彼らを救う方法が自分たちには分からない。
蜂蜜金の瞳が僅かに揺らいだ。
ポテトの迷いがリゲルに伝わったのだろう。大丈夫だと言うように彼はポテトの肩を軽く叩く。
「向かい合い、やるべきことを成そう」
「ああ。そうだな。今は女王様の奪還に専念しよう」
ぐっと胸に当てた手を握り、ポテトは口を引き結んだ。
オーダーは女王の奪還。
敵地への潜入を行うのだ。十分に注意せねばと『黒狼の従者』リュティス・ベルンシュタイン(p3p007926)はスカートの乱れを整える。
彼女の赤い瞳は闇を見る。周囲の音に耳を澄ませ気配を探りながら進んでいた。
「待って下さい」
リュティスの声に仲間の足が止まる。
通路の向こう側から誰かが歩いてくる気配がしたからだ。
暗がりに潜み相手が過ぎ去るのを待つ。
塔の中、一つのフロアは大きく、敵の位置さえつかめていれば遭遇すること無く潜り抜けることができるだろう。
リゲルの目とリュティスの行動は潜入という過程において、大いに役目を果たした。
彼らの索敵能力がなければ、無用な争いに巻き込まれた恐れがあったからだ。
簡単に圧倒できる敵ばかりとは限らない。敵陣に乗り込むということはそのリスクを如何に抑えるかが重要になってくる。たとえ小さな行動だとしても重ねれば大きな益を生むのだ。
「全くもって妖精なんてぇのは童話で怖えんだからな?」
朱色の髪を掻き上げて『鋼鉄の冒険者』晋 飛(p3p008588)はため息を吐いた。
可愛い容姿に騙されて下手に手を出せば、悲惨な道を辿るのが世の常。
特に悪戯好きの邪妖精なんてのは、特に危険な部類だろう。
それでも、小さくて愛らしい少女に助けを求められるならば、応えてやるのが男の甲斐性だ。
「んじゃここは妖精の代わりに一つ天罰を下しにいきますかね」
カラカラと笑った声は、通路の壁に反響してやがて消えた。
『蒼剣の弟子』ドラマ・ゲツク(p3p000172)は階段を駆け上がりながら、白い髪を揺らす。
深緑の民と妖精郷アルヴィオンに住まう小さな存在は、古き友なのだとドラマは眉を寄せた。
その妖精の長、女王の危機なのだ。急いで駆けつけなければと心に決意する。
「必ず、助けます」
小さく呟いた言葉。されど、その意は大いなる志と共にある。
古き友人たちが困っているのに、助けないなんて選択肢はありえないのだ。
己が矜持に掛けても。この作戦を成功させねばならない。
「先を急ぎましょう!」
「ええ」
ドラマの声に応えるのは『愛欲の吸血鬼』エリザベート・ヴラド・ウングレアーヌ(p3p000711)だ。
血の様に赤いガーネットの瞳は階段の先を見つめる。
彼女が纏う階級はスレイ・ベガ――妖精郷の主の名。因縁めいた巡り合わせにエリザベートは微笑む。
背中の羽は今宵、浮力を得。妖精たる吸血鬼の種に感じ入るところもあった。
エリザベート・ヴラド・ウングレーアヌ――この世とは別の理の吸血鬼が舞い踊り。
妖精女王を救って見せようではないか。
もうすぐ最上階。飛はギフトでAGを呼び出した。
――――
――
月夜の塔の最下層。
窓の下の暗がりに『Calm Bringer』ルチアーノ・グレコ(p3p004260)と『差し伸べる翼』ノースポール(p3p004381)は敵に見つからないよう屈んでいた。
ノースポールは救急バッグの中身を全部捨て去り空にする。
女王が捕らえられている鳥籠を開くことが出来たなら、この中に入ってもらうのだ。
空になったバッグをぎゅっと握りしめるノースポール。
この先に待ち受けるのは、故郷の村を壊滅させた仇敵。ネィサン=エヴァーコールなのだ。
絶対に許す事の出来ない相手。機会があるのならば村の皆の仇を取りたいとさえ思う。
けれど、今は一刻も早く女王ファレノプシスを助けたい。
彼女を想い、待っている妖精たちがいるのだ。
女王の奪還はローレット全体においても、最優先されるべき任務だった。
ノースポールの小さな肩に伸し掛かる責任は重い。
「大丈夫だよ、ポー」
その怖さを払拭するようにルチアーノは彼女の頭を撫でる。
「女王様は必ず取り戻せる」
力強いルチアーノの言葉に、ノースポールは安堵した。
同時に、心の底から沸き上がる勇気に胸を張る。
「そうだね。絶対、大丈夫」
重ねられた手。――ポラリスと呼ぶ声がする。
光り輝く標の星の名を呼ぶのは、銀閃。
「運ぶよ。光を」
「行こう、ルーク」
窓から飛び出した二人は、夜空の星に乗って駆けていく。
それはまるで箒星の輝きだったと『虹の精霊』は後の酒場で謳ったという。
●
塔の外周を星が瞬いたのと同時に、部屋の中にも輝きが溢れた。
リゲルの剣は銀の光輝を纏い燦々と煌めく。
光の隙間から現れたドラマの赤いマントは風を受けて翻った。
彼女の瞳は的確に戦場を見据え、敵の位置を捉える。
「咲け――飛翔の空を走る風よ!」
短句の詠唱は威力こそ低いものの、ドラマの命中精度なればいとも簡単に相手を払える驚異となるのだ。
開戦一陣。
ドラマが放った青の風が『アルベド』タイプ・ポテト チップの体を吹き飛ばす。
「っ――!」
チップは身を翻し顔を上げた。
そこには、美しく女性的に変化した自分のオリジナルと、剣を携えた愛しき人の姿がある。
ドロリとチップの心に痛みが走った。
知らぬ感情。苦しく激しい痛みと怒り。人はこれを嫉妬と呼んだ。
一瞬の隙は戦場において戦況を覆す原因となりうる。それをチップは体感として理解していない。
愚直にアドミニストレータの命令を守ろうと鳥籠へと走り込んだ。
しかし、目の前に迫るリゲルの剣に再び宙を舞う。
受け身を取り視線を上げれば、今度はポテトがチップの前に立った。
ポテトはアルベドを見ながら眉を寄せる。
顔は全く同じパーツで構成されているのに表情は幼く無防備だ。
きっと目の前のチップは迷子の子供と一緒なのだろう。
縋るべき親は視線すら合わせてもくれず、インプットされた命令だけを存在理由にこの場に立っている。
「可哀想で哀れな子供だな、お前は」
「何を……」
「不安で今にも泣きだしそうだ」
ポテトの言葉にチップは羞恥を覚えた。分かったような言葉で心の内側を撫でていく。
オリジナルには勝てないのだと、まざまざと思い知らされるようだった。
鼻の奥が熱く滲む。
ヘイゼルの緑眼が夜の獣を追う。
ネィサンの周囲に存在する個体が三つ。否、今まさに生み出されようとするものを含めれば四つになるだろうか。時間を掛けずに生み出される夜の獣。並の召喚術では無いことが伺えた。
「己の内側から発現するタイプですかね。媒介は何か……最も可能性が高いものとしては血ですが」
今は判断材料が乏しい。情報を得るためにも攻撃試行を重ねるほか無いだろう。
ヘイゼルは先陣を切って走り込む。狙うは夜の獣の喉元。
赤い魔力糸が広がり、僅かな月光に朱へと変わった。
糸は幾重にも伸びて獲物を囚える蜘蛛の巣のように夜の獣を絡め取る。
グルグルと涎を垂らしながらヘイゼルへと牙を向ける化け物。
夜の獣を一手に引き受けた彼女の喉元を狙って巨体が駆けた。
「甘いですねえ」
獣の爪の軌道を完全に予測していたヘイゼルは、最小限の横振れだけでそれを躱す。
夜の獣とて弱くは無いのだ。魔術師ネィサン=エヴァーコールの叡智の結晶。
されど、ヘイゼルには傷を負わせることが出来なかった。
「あらん、やるじゃない。でも、この子達の本気はこんなもんじゃないんだから」
ひらひらと蝶のように獣の攻撃を躱すヘイゼルに、ネィサンは微笑みを浮かべる。
「ヘイヘーイ? お嬢チャン、マウント取れてねぇとダンス一つ出来ねぇのかい?」
カーマインの焔が空間を焼きながらネィサンの胴を捉えた。
飛が放った火龍。その直撃を免れなかった敵の前に、防御陣が張られている。
それ程までに飛の攻撃は痛烈だったということだろう。
回避能力はそれ程高くない事がその一撃で読み取れると飛は口の端を上げた。
「やっだ、もう。熱烈ねえ」
「おじさんと踊ってくれや!」
飛の攻撃はそれだけでは終わらない。
魔術師の本領は戦場を俯瞰し、戦術を組み上げて一番効率の良い魔法を繰ることである。
謂わば戦場の司令塔。頭を使うことに意義があるのだ。
だからこそ、飛は猛撃をかける。
尻に火がついていれば、そんな崇高な戦術を組んでいる暇も無いだろう。
無秩序に。全力の暴力はネィサンに確実な傷を刻んでいく。
リュティスはリゲルの視線に頷いた。
天窓の側に『叛逆の砲弾』アイザック・バッサーニが居るのが見えたからだ。
彼女の赤い瞳に窓から差し込んだ月光が反射する。
左手に持った弓の握りを窓へと向ければ、宵闇の黒が反りを描いた。
日輪と月輪に掛かる弦を引けば漆黒の矢が出現する。
魔素が集約し寄り集まって行くのが視覚に発露する程に魔力を帯びた矢。
無理にアイザックを狙う必要はない。
されど、これを放てば窓枠ごと吹き飛んでしまうであろう威力の予感に戦場の誰もが目を瞠る。
「ノースポール様、ルチアーノ様、お怪我をされませんよう……」
光陣は空気を震わせ、窓を溶かしインク・ブルーの空に駆けた。
砕けるなぞ生易しい。一瞬で蒸発した窓からは美しい夜空が見える。
「あっぶねぇ。窓割るのにどんなけの威力だよ」
ケラケラと笑ったアイザックはニヤついた表情でルチアーノのノースポールを見つめた。
「邪魔だよ。どいてよね!」
銃身に体重を掛けてルチアーノはアイザックに殴り掛かる。
自分の身で視界を遮り、ノースポールを守るためだ。
ふわりと月虹の間へ身を乗り出す少女の背をアイザックは視線で追いかける。
「僕を無視していくの? 復讐されるのが怖いんだ?」
その耳に届いルチアーノの声。アイザックの目線が少女からかつての相棒へと向けられた。
「持ち場に戻りなよ。後ろから頭を撃ち抜いてやるからさ」
重ねられる言葉。敵の『弱かった頃』を知っているルチアーノだから出来る挑発。
「子供の頃の事、覚えてる? 可愛かったよね。あの頃みたいに泣きじゃくってみなよ!」
「てめぇ!」
アイザックは激高し、ルチアーノに銃を向けた。
お互いに狙い合う眉間に武者震いが走る。
撃ち出される弾丸は回転しながら相手を穿つため空を走った。
頬をかすめアガットの赤を散らす弾丸。
チリチリとした痛みに頬を拭った二つの手。
「また、裏切られて絶望する顔を見せてくれよ。なあ! あの時みたいにさあ!」
「黙れよ」
響く銃声の合間に肉がぶつかる音が混ざる。相手の攻撃を弾いては詰め、弾丸を打ち込んだ。
月影は止まることの出来ない二人を照らす。
●
「すまない、ポテト」
小さく呟かれたリゲルの声に、チップは眉を寄せた。
「何の、謝罪なんだ……なのー」
口調が混ざる。オリジナルのポテトがリゲルと出会い変化したように。
チップもまた、変化の兆しを見せる。
作り物の命に宿った、愛しい人の面影。チップが苦しむ姿は見たくない。
されど、白いホムンクルスはポテトのまがい物。
「君は……ポテトじゃない。だから、俺は――」
その身に剣を突き立てよう。悲しい命を終わらせよう。
全身全霊の光の刃。殺すための一閃。
しかし、それは純白の剣に弾かれる――
チップをその背に隠すように白いマントを広げた『アルベド』タイプ・ホワイトナイトの視線。
「来ると思っていたよ、ホワイトナイト」
「――ここで現れなければチップの騎士ではないからね」
思考を読まれたかの様に乗せる言葉は同等。
剣が交わる。生まれたてのチップとは比べ物にならない程の練度。
戦闘技術すらも継承しているという事なのだろう。
「現状を理解しているか」
「分かっている。俺が作られた物なのだということも全て」
理解した上でホワイトナイトは此処に居るのだろう。
既に己の意思を持つ別の『人間』なのだ。
「護りたい者があるなら全ての力をぶつけてこい。俺も退きはしない!」
「ああ! 退くわけには行かない!」
自分の護りたいものがあるのだから。例え己自身と戦うことになろうとも。
瞳に宿る輝きは消すことなど出来ない。
チップの前に戻ったポテトは、ホワイトナイトの言葉を聞き憂いの中に微笑みを零す。
アルベドになってもリゲルはポテトにとって騎士なのだ。
嬉しくもあり恥ずかしさもある。けれど、その中に混ざる憂いは目の前のチップに向けられる。
複雑な心の動きを表情に出すオリジナルをチップはじっと見つめた。
自分の中には無い感情を吸収するかの様に、白い瞳はポテトの一挙一動を探る。
――――
――
戦場の音が聞こえる。
剣戟と怒号。仲間の声。この戦場で己を意識する者有らず。
青き翼――『虚刃流直弟』ハンス・キングスレー(p3p008418)は視線を上げた。
この妖精郷アルヴィオンにおいて。
最初から因縁を繋ぐことも無く、大迷宮を必死の想いで踏破した訳でもない。
月夜の塔の最上階。この場に相応しい人も居たのかもしれない。
憂う心有りて、されど少年は空色の瞳に光を宿す。
「でも……」
葛藤ならば荒れ狂う絶海で幾度となく叫んだ。
この場に相応しいのは自分ではない、なんて結局の所は己の傲慢であると気づいたのだ。
混乱する戦い、神の如き力の前では。自分たちは等しく特異運命座標(きゅうせいしゅ)であった。
一つ一つは小さい輝きだったかもしれない。けれど、誰が欠けても到達し得なかった頂。
為すべき事を為す。それが絶望の青で戦い抜いたハンスが得た矜持。
好機は此処に。青き翼が戦場を走る――
ふわり舞い降りたノースポールと息を視線を合わせ。
戦場の端から鳥籠の元まで青閃が駆けた。
「絶対助けるよ!! 女王様!」
「もう大丈夫ですよ!」
ハンスとノースポールが声を掛けるのと同時に。
エリザベートが呼び出した精霊が彼らの前に現れる。
鳥籠を無理矢理に奪還するのでは、奪い合いに来た別の敵と認識されてもおかしくはないとエリザベートは考えたからだ。だから、彼女達と親しい存在である精霊に助けを請うた。
『この者たちは、妖精女王を助ける意思がある。貴女を心配している子供たちの代わりに来た』
命からがら深緑に逃げてきた妖精たち。フェアリーシードから助け出された子供たち。
皆が声を揃えて言うのだ。『女王を助けてほしい』と。
その小さき声に応えて、イレギュラーズはこの場に来た。
魔種タータリクスとは違う存在だとエリザベートの声を代弁する精霊。
「わかりました」
精霊の声にしっかりと頷いた女王はノースポールとハンスにも視線を合わせる。
不安な表情は和らぎ感謝の表情を浮かべる女王。
エリザベートの機転が無ければ抵抗されていた可能性もあった。
ハンスは仲間のアシストに視線を流し、それを受けたエリザベートは頷いた。
「これ、固定されてる」
「仕方ないね」
ならばと、ハンスとノースポールは女王達を入り口から遠ざけ、鍵を力づくで壊す。
「チィ……! 面倒ねえ!」
舌打ちをしたのはネィサンだ。
鳥籠から女王質がノースポールのバッグに入るのを一瞥する。
されど、攻撃に転じようとしても目の前の飛がそれを許してはくれないのだ。
「よそ見すんなよ。お嬢ちゃん?」
まるでダンスを踊らされているかの様な立ち回り。攻撃の応酬。
魔法の煌めきと赤い焔がステップを飾れば。呼吸が聞こえる程近くに飛の顔があった。
間合いの内側。腹に飛の拳が捩じ込まれ、ネィサンの体が遠心力で回転する。
飛の背後を捉えた魔力の帯がその背を切り裂いた。
硬い石のフロアにネィサンと飛のエンバーラストの赤が舞い、硬質な靴音が響く。
蓄積される傷は夥しく。魔種の攻撃を一手に引き受けた飛は大量の血を流していた。
ポタリと石床に落ちる血にエリザベートは眉を寄せる。
血液を糧とする吸血鬼にとって、人間がどれだけ血を失えば死んでしまうのかは当たり前の知識として体感として蓄積されるものだ。
その知識の上に准えても、今の飛は血を流しすぎているとエリザベートは口を引き結んだ。
ポテトがアルベドチップの抑えに入っている今、回復の要を握るのはエリザベート。
「っ……」
重く伸し掛かる重圧。緊張感は彼女の心を覆う。
されど的確に。迷いなき指先は飛の傷口を瞬時に塞いだ。
「ありがとよ!」
「いえ、それよりも。血が」
「流しすぎってか。そんなもん承知よ!」
血を流すだけなら幾らでも流して見せる。肝心なのは目的を達成させること。
その為ならば、飛は死地にさえ潔く飛び込んでいくだろう。
飛の雄姿はエリザベートに喝を入れた。
プレッシャーに潰れそうな心を奮い立たせてくれる。
ドロリと一部が溶け出した夜の獣を一瞥したドラマは視線を流し仲間の様子を伺う。
全員がギリギリの所で持ちこたえていた。
特にエリザベートは必死に回復で戦線を支えている。
「攻撃に割く余裕は無いようですね。しかし、問題ありません」
戦場において己が出来ることを瞬時に判断することが勝敗を左右する。
「――行きます」
ドラマが鞘(アンサラー)から抜き放った蒼を抱く剣は、三日月を思わせる奇跡を描き戦場に輝いた。
蒼剣から教示を受けるに当たって、己の小ささを嘆いた事は一度や二度ではない。
もう少し手が長ければ届くのに。足が長ければ追いつくのに。
もっと力があれば――
本を読んでいるだけならば、気づかなかった劣等感。
されど、戦い方は十人十色。小さければ小さいなりの戦い方もあるのだと。
そう。目の前の夜の獣等その典型。
巨体であれば、死角は自ずと大きくなる。
「多少のリスクは承知の上」
その先に見出す勝機があるのなら。迷いなく進んでいけと教えてくれたから。
ドラマは小蒼剣を握り夜の獣の腹に走り込む。
研ぎ澄まされた一閃。蒼き三日月が戦場に走った。
――――
――
ハンスはノースポールの手を握り穿たれた窓の外を見遣る。
リュティスが開けた大穴はそこに窓があった事など分からぬ程に貫通していた。
けれど、それは好機でもある。
このまま女王を抱えたノースポールを塔の外に送り出せば、こちらの勝利だ。
ハンスは意を決しノースポールに視線を合わせる。
「行こう!」
「はい!」
ハンスの合図で一気に戦場を駆け抜ける二人。
しかし。背中に感じた悪寒にハンスは攻撃の手が迫っていることを悟る。
このままでは、直撃は免れない。
為すべき事を為す。
それは、きっとこの場において。真っ先に窓から逃げ出すことじゃない。
「先に行って! 振り向くな!」
「……っ!!!」
ハンスの手がノースポールから離れ、振り向きそうになる体を少年の声が叱咤する。
この後に辿るであろうハンスの傷を思い。それでも止まらぬ勇気を持ってノースポールは駆ける。
女王を抱え。月夜の塔から白雪の翼が羽ばたいた――
耳の後ろでハンスの名を叫ぶ声がした。
ノースポールはそれでも振り向かずに全速力で飛翔する。
しかし。
吐き気を催す程の憎悪が背中を駆け抜けた瞬間。
肩を貫く銃弾を浴びた。
文字通り。浴びたのだ――
降るアガットの赤に視界が明滅する。
それでも、ノースポールは諦めてはいなかった。
パンドラを燃やし。一翼の差でも構わない。遠くへ――
そう、願いながら滑空するように地面へと堕ちていったのだ。
胸に抱いた妖精を傷つけぬよう、無意識に抱きしめながら。
どれだけ傷ついても絶対に守る。その意思を貫いて。
●
「――お前ぇえ!!!!」
夜空に響く怒号。ルチアーノの気迫。
「何、お前の大事なもんだったの? そりゃあ――良かった」
アイザックのニヤついた笑みに髪の毛を逆立て接敵するルチアーノ。
形振り構わない猛攻。温厚さなど微塵も感じられない鬼神の形相。
「……っハハ! おもしろい。そんなにあれが大事かあ!」
銃弾を受け口から血を流しながら、愉快そうにアイザックは笑う。
「黙れよ! 雑魚が!」
「そっくりそのままお返しするぜ。ルチアーノ」
至近距離からの弾丸の応酬。響き渡る銃声。
お互いに満身創痍の死闘は寸分の揺るぎも許されぬ。紛うことなき死地。
視界は血で滲み。切れた耳はガンガンと鼓動を打ち鳴らす。
されど、引くわけには行かない。
回復など不要。相手を殺すまで止まらない闘争なのだから。
――――
――
ノースポールが飛び立った窓の外。
落ちていく彼女を見据え、リゲルは叫んだ。
「――任務完了!」
光輝帯びる剣を掲げ。タータリクスを相手取る仲間に届けと合図を送る。
「俺達の! 勝ちだぁー!!」
リゲルは気づいてくれと願う。込められたブラフを。
おそらくこの不自然な行動に最初に気づくのは――黒い髪をした友人なのだろう。
自分達の元へ魔種をおびき寄せる、本当の理由。
ノースポールの胸に抱えられた女王の所在を隠すため。
リゲルはこの行動に打って出たのだ。
ヘイゼルは己の体力を回復しながら戦闘を続けていた。
彼女が夜の獣をひきつけるだけの能力を持たず、回復の手段を取っていなければ戦場は瓦解していた可能性がある。完成された戦闘形態。自己完結出来る仲間が居るだけで回復手の負担は大きく減るのだ。
「ハァ……逃げられちゃった」
「あまり残念そうでは無いのですね」
ネィサンの言葉にヘイゼルは問うた。まるで、それ自体を楽しんでいるような深淵の笑みを見たからだ。
「そういうの。アンタも同じようなものでしょうに」
ベクトルは違えど。物事を楽しむスタンスは似ているのだと言いたいらしい。
「何のことでしょうか」
赤から緑に戻った瞳をネィサンに向けたヘイゼルは、はぐらかす様に否定する。
「ね、もう茶番は良いでしょう? お兄さん?」
目の前の飛との戦闘はまだ続いていた。
イレギュラーズが此処に来た目的は女王の奪還。
それが成された今、一目散に逃げる方が被害は少なくて済むのではないかとネィサンは言っているのだ。
利益はお互い無いのだろうと。
「さあな。俺はお前をこの場で倒しても良いと思ってるぜ?」
「あらやだ。熱烈じゃない? そういうの悪くないけど……」
時間切れだとネィサンは飛の耳元で囁いた。
同時に戦場を覆ったクローム・オレンジの爆発。
突然の爆風に、イレギュラーズが腕で目元を覆い隠す。
砂塵が晴れる頃。戦場に佇むタータリクスにリュティスは目を見開いた。
この人数で複数の魔種を相手取るには危険が過ぎるだろう。
ぐっと身を屈めリュティスは相手の出方を待つ。
「ファリー!? ファリー! どこだい!?」
イレギュラーズには目もくれず、鳥籠の中を覗き込むタータリクス。
狂乱状態のタータリクスを横目にリュティスは天窓へと飛び上がる。
そこには血まみれの重症で倒れたルチアーノとアイザックが居た。
此処でとどめを刺せば殺せそうな相手。
しかし、それを守るように現れた夜の獣にリュティスは眉を寄せ、ルチアーノを背負い飛び立つ。
機会はまたあるだろう。今は、深い傷を負った仲間の治療が優先される。
それに女王の奪還という任務は達成された。
イレギュラーズは勝利したのだ――
――――
――
「あー、もう……どうしてこうなっちゃうのかなあ……」
タータリクスは石畳に膝をつき、顔をくしゃくしゃに歪めて呻き始めた。
「ファリーが、悪者に浚われちゃったじゃないの……助けなきゃ、ボクが……」
手を払うと、そこにはくしゃくしゃに踏みつけられた手紙がある。
それは彼が――他者はそれをひどく一方的で暴力的だと表するであろう――愛を綴ったものだ。
「おあああ……!」
タータリクスは、やおら立ち上がると、突然アルベド・タイプ・チップを殴りつける。
「ぁ、か、は……ッ」
「誰が作ってやったと思ってるんだ! この役立たずめええ!!!!」
「あ、く。体機能、2パーセント損傷」
殴打。
「何でファリーを守れなかったんだよ!!」
殴打。
「体機能、8パーセント損傷」
殴打。殴打――殴打。
「か……ふ。体機能、6パーセント損傷。損傷率が危険水域に達しました」
「このクズがあ!」
月虹の間に白い血液が散っていた。
床に転がるチップの体。皮膚が焼け焦げ、口からは血の代わりに組織液が垂れている。
「か、はっ……ごめん、な、さ……いっ」
虚ろな瞳でチップは許しを請うた。
「許せるものかよぉ! なあ、何でだよ、何でなんだよ!」
泣きながらチップの背中を蹴り上げるタータリクスの背後で、金属が震えている。
惨劇を見据えているのは、アルベド・タイプ・ホワイトナイトであった。
腕を震わせ、仮初のガントレットがカチカチと鳴っている。
目を見開き。歯を食いしばり。微かに腰を落として。
あたかも、腰の剣に手をかけようとするかのように、もがいている。
ホワイトナイトを縛るのは、最高権限者タータリクスという絶対的な存在だ。
「……リ…………ル」
「あ?」
「……ゲ……ル」
「何だってんだよ! 逃げたいのか? え!? 一丁前に人間みたいじゃあないか!」
タータリクスが再びチップを蹴りつけた。
ホワイトナイトの震えはますます大きくなり、指先はついに剣の柄へ触れる。
その様子をネィサンの瞳が悦楽と共に見つめていた。
「なああ! 何でぇえ、だよおお!」
泣き崩れ子供のようにチップを殴りつけるタータリクスに。
ホワイトナイトは内部的エラーを吐き出し続けている。
全身を震わせ、震え、抗い。まるで魔種を憎悪するかの如く。
「っ……」
守らねばならない者が居るのだ、と――
そんな様子に気付くこともなく、タータリクスは握りつぶした手紙に涙をこぼしている。
「きっも」
それが子供の様に駄々を捏ねるタータリクスの背中に降り注いだ声だった。
顔を上げれば魔種ブルーベルが見下ろしている。
「女王様は逃げたんだって。あっちにさ」
壊された窓とは逆側に指を向けたブルーベル。
旧知の仲である彼女からの言葉は、女王が此処に居ないことを冷静に悟らせるのに十分な重さだった。
次があると慰めてくれるブルーベルに、タータリクスは涙を拭い立ち上がる。
「……ファリーを取り戻すためには、まずこいつらの再調整が必要だよねえ」
ブルーベルの思惑も気づかぬ愚鈍さで。それでも、彼の瞳は爛々と輝いているのだ。
「人間って面白いわよね。そう思わない? ザックちゃん」
傍らで横たわる意識のない相棒に、小さく呟いたネィサンは窓の外を見遣る。
ラピスラズリを散りばめた夜空は星を抱き、誰にも等しく降り注ぐのだ。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
お疲れさまでした。如何だったでしょうか。
MVPは身体を張って女王を奪還した方へ。
pipiSDの『<月蝕アグノシア>幽寂シュガードロップス』に味方側のその後、夏あかねSDの『<月蝕アグノシア>樊籠バロックと咎の花』には、別視点からのお話がちらっと描かれていたりします。
またのご参加をお待ちしております。
GMコメント
もみじです。女王奪還作戦。
●目的
妖精女王ファレノプシスの奪還。
魔種やアルベドなどの討伐は含まれません。
華麗に奪還してずらかってやりましょう。
本シナリオは、pipiSDの『<月蝕アグノシア>幽寂シュガードロップス』と連動しています。
どちらかの失敗は、もう片方に強い影響を与えます。
ただし『成否そのもの』は連動していません。
このシナリオは女王の奪還さえできれば成功です。
●諸注意
本シナリオと『<月蝕アグノシア>幽寂シュガードロップス』は、どちらか片方しか参加出来ません。
あらかじめご了承くださいませ。
●ロケーション
妖精郷アルヴィオンにある湖畔の町エウィン。
その中心にあるみかがみの泉、月夜の塔での戦いです。
四階建ての古代遺跡。女王は最上階の月虹の間に居ます。
月虹の間は広く、戦闘に支障はありません。
扉を開くと大きな窓が左右に一つずつ、天井には半球形の天窓が付いています。
最上階のフロアまでは階段です。
月虹の間には魔種とアルベドが存在しています。
『アルベド』タイプ・ホワイトナイトが現れる可能性があります。
※一体だれなんだ! なぜ優先参加がついているんだ!?
●敵
○『アルベド』タイプ・ポテト チップ
魔種タータリクスに作られたホムンクルス。
最上位権限であるタータリクスの命令(女王の死守)に従っています。
それ以外は下位権限であるネィサンに従います。
拙いながらも自我は存在しているようです。
体内の心臓にあたる部分にフェアリーシードが存在し、
これを破壊、もしくは消失すれば機能を停止します。
フェアリーシードには妖精が使用されており、破壊した場合は妖精も死亡します。
アルベドからフェアリーシードを取り出すことが出来れば妖精を助ける事ができます。
双剣での攻撃を仕掛けてきます。
体力、防御力は高く。状態異常にある程度の耐性を持ちます。
遠距離魔法や回復も使うようです。
油断できない強敵です。
○『魔術師』ネィサン=エヴァーコール
暴食の魔種。心の強い者を嬲るのが生きがい。
折れた時の慟哭は何より蜜の味。それに強い渇望を抱くが故の暴食。
見た目は柔和な笑顔が優しそうな綺麗なオネェ。性格は残虐で自由奔放。
夜の獣を召喚して攻撃してきます。
魔術師としての腕も高く、油断できない強敵です。
ノースポール(p3p004381)さんの関係者です。
○『叛逆の砲弾』アイザック・バッサーニ
ウォーカーの青年。見た目はワイルドな好青年。
内面は非常に残虐で蹂躙を好む。
ライフル銃を所持していますが、それだけではないようです。
油断できない強敵であることに違いはないでしょう。
ルチアーノ・グレコ(p3p004260)さんの関係者です。
○夜の獣
ネィサンに召喚された魔物です。
最初は三体ほどいます。時間と共に増えます。何処かに潜んでいる可能性もあります。
・突き飛ばし(A):物至単、飛、ダメージ大
・黒毒(A):神遠域、猛毒、流血、崩れ、必中、ダメージ中
・雄叫び(A):神中扇、麻痺、ダメージ中
・ドラヴクライ(A)物至範、HA吸収、ブレイク、必殺、ダメージ中
・穿牙(A):物至単、ダメージ特大、
・黒泥(P):光を吸い込むような暗黒の身体。毒耐性。精神耐性。
●情報精度
このシナリオの情報精度はC-です。
信用していい情報とそうでない情報を切り分けて下さい。
不測の事態を警戒して下さい。
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