覆水の溜まるグラス

オープニング

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ㅤ闇。

ㅤ自身の輪郭さえも朧気にしか見えないほどに、深い、深い闇。
ㅤ
ㅤひとり、少年がいた。

ㅤ歳は6歳くらいだろうか。
ㅤセピア色に書きなぐったような朧気な輪郭は、少しでも触れればそのまま闇に溶けていきそうな程に存在が希薄だった。

ㅤ顔は、見えない。黒いもやがかかったように、網膜に映らない。
ㅤそれは、もしかしたらこの少年には顔が最初から存在しないのではないか。そう思わせるのに十分だった。

ㅤ少年は膝を抱えて蹲り、静かに涙を流していた。
ㅤ表情など知る術も無いはずなのに、ただそれだけは分かった。

ㅤ脳内に直接、声が届く。


ㅤ──死にたくない。

ㅤ──死にたくないよ。

ㅤ──|もう《・・》、死にたくないよ。


ㅤ死は一人につきひとつ。それは絶対に破られることの無い世界のルール。

ㅤしかし、この少年は死んでいた。幾度となく、死に続けていた。

ㅤいつから始まったのか。

ㅤ──覚えてない。

ㅤいつ終わるのか。

ㅤ──分からない。

ㅤただ一つだけ言えること。

ㅤ少年は、もう死にたくなかった。

ㅤだからこそ、貴方達はここにいる。



●

「自体は急を要する」

「君達には彼を救って欲しい」

「方法は簡単だ。簡単すぎるほどに簡単だ」

「しかし、難しい」

「簡潔に言おう」

「──貴方達には、一度死んでもらいたい」

「いや、待ってくれ。死ぬ、と言っても、この世界、いや世界と言えるのかも分からないあの場所では、死は終わりにはならない」

「つまりだ。あの場所で死んでも、死んだことにはならないんだ」

「あの場所は、心象風景に近い。少年はあの場所で繰り返し様々な方法で死に続けている」

「焼死、溺死、感電死、失血死など。ランダムに訪れる死に怯え、助けを求めている」

「そこで初めに戻るが、それを、死を肩代わりする方法がある」

「方法は簡単だ。少年に触れればいい。そうすれば、死は少年ではなく、君達を蝕むだろう」

「いつ終わるかは分からない。もしかしたら、二度三度と死ぬ者も出るかもしれない」

「しかし、いつか終わりは来る。永遠ではない」

「それまで死を肩代わりし続けてくれれば、少年は救われる」

「だが、死というのは、君達が思っている何倍も苦しい。君達はおそらく一度も経験したことが無いだろう」

「少なくとも、私は二度とゴメンだ。だから、私はもう参加できない。すまない」

「君達の検討を祈っている」

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第1章

第1章 第1節

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ㅤ視界が熱い。

ㅤ暴力的な程に輝く赤は、この場を灼熱地獄と錯覚させる。

ㅤ否。ここは灼熱地獄などでは無い。
ㅤそうであったらどれほど良かったことか。

「元の世界ですでに死を体験しているわたしに怖いものなんて無いわ！」

ㅤそんな言葉を吐いたことさえ忘れてしまうほどに、『躾のなってないワガママ娘』メリー・フローラ・アベル（p3p007440）は後悔を繰り返していた。

ㅤ軽い気持ちだった。

ㅤ既に一度死んだ身。死はそれほど苦しいものでは無いと知っていた。知っていたはずだった。

ㅤ吐き気がする。えずきが止まらない。
ㅤしかし、ここは心象風景。

ㅤ胃の中の物が反映されたりはしない。吐き出すというある種の快楽が無いが故に、それは終わらぬ嫌悪となり、メリーを苦しめていた。

ㅤ想像はついている。眼前の赤。これはメリーの元の世界でいう太陽だ。
ㅤでも、熱くない。

ㅤ放射線、という言葉がメリーの頭を掠めた。

ㅤ意識が朦朧とする。目を閉じても鮮明に映る赤は、メリーの精神を削る。

ㅤ掻きむしった手には、大量の毛髪が。

ㅤ──なんで私がこんな目に……！

ㅤ後悔が喉を滑り落ちる。
ㅤ
ㅤ──魔法、魔法は、私の魔法……。

ㅤ使えない。願いは形にならない。

ㅤ──はやく、はやく私を殺して！

ㅤ届かない。その言葉は、長きを共にしたはずの自分自身にさえ届かない。



ㅤ永遠と錯覚するほどのそれを、メリーは後にこう語った。

「射殺された方が万倍マシだった……」

成否

成功

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第1章 第2節

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ㅤ薄く、薄く、引き伸ばされていく。

ㅤ思い返せば、先の『大号令』、海洋での戦いは命懸けの連続だった。
ㅤ賭けた命が返ってきた者もいれば、その逆、死んでしまった者も大勢いた。

ㅤ『遺言代筆業』志屍 瑠璃（p3p000416）は、一度死んでみたかった。

ㅤ今まで、多くの死体を見てきた。多くの屍の声を聞いた。

ㅤしかし、どうも理解ができない。死とはどれほど痛いのか、どれほど苦しいのか、悲しいのか。
ㅤどれほどの覚悟があれば、命を懸けることが出来るのか、死を受け入れることができるのか。
ㅤ死ぬことなく死を知りたい。その為には、この依頼は渡りに船だった。

ㅤ薄く、薄く、引き伸ばされていく。

ㅤ悲鳴が劈く。

ㅤ一体誰の悲鳴か。

ㅤそれは自分自身。瑠璃自身の悲鳴だ。

「はぁっ、はぁっ……あ゛っ」

ㅤ肺が潰れる。息さえもままならない。

ㅤ両手足は既にひしゃげてしまい、文字通り指一本も動かせない。

ㅤ大きな、大きなローラーは、無慈悲に瑠璃を引き潰し続ける。

ㅤ薄く、薄く、引き伸ばされていく。

ㅤ──ああ、死とはこうなんだ。

ㅤ唐突に訪れ、理不尽に突きつけられる最悪なもの。

ㅤ命を懸けるってことは、自らの最期を彩り、その先に待っている死を豊かにする行為だったんだ。

ㅤ自分には、覚悟が足りなかった。半端な気持ちで、死と向き合うべきではなかった。

ㅤ薄く、薄く、薄くなった。

ㅤ死した自分からの遺言は──
ㅤ

成否

成功

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第1章 第3節

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ㅤ……死ぬのは誰だって苦しくて辛い。少年だから尚更でしょう。

ㅤ私が肩代わりして、少しでも楽になれるならって思ってしまって。
ㅤそう、思ってしまったから……

「ここは……街？」

ㅤ闇一色だった景色は塗り代わり、人の多い大通りのど真ん中。死の運命はすぐ側に。

ㅤ『愛しき影と共に』カスミ・スリーシックス（p3p008029）は直感的に気づいた。

ㅤ──つまり、私の死因って……。

ㅤ人々が、一斉にこちらを向く。

ㅤ人々は、皆一様に刃物を持ち、不気味な程に揃った動きで飛びかかってくる。

ㅤカスミは大盾を構え、その全てに対応するべく守りの体勢に入る。

ㅤ──足りない。

ㅤ盾は自らの前面を守るためにある。背面は守れない。

「あぁっ！！」

ㅤ突き立てられたナイフはカスミの背中に鈍く入り込んでいく。
ㅤ
ㅤ──自分の身なのに、全然守りきれてない……！

ㅤ──死んだら、私だけじゃなくってあの人も死んじゃうのに……！

ㅤ傷口から血を零しながら、カスミは自身の愛しい人、黙示録の獣の事を想う。

ㅤしかし、現実は、夢は非情だ。

ㅤ再び守りが破られ、カスミの胸へと刃が──

ㅤ目の前が暗くなる。

ㅤそれは、見覚えのある背中だった。

ㅤもしかして、あの人が私を庇って──

ㅤ──すり抜けた。



ㅤ私は死んだ。でも、生きている。

ㅤ傍らにある愛する影に、私はどうしようもなく安堵した。

成否

成功

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第1章 第4節

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ㅤ──やってしまった、狩りすぎた。

ㅤ誰に言うでもなく、『観光客』アト・サイン（p3p001394）はその場で独り言ちる。

ㅤ暗闇で少年に触れ、たどり着いたこの地。そこは自身にとって馴染み深い、しかし、見慣れないダンジョンの中だった。

ㅤはじめ、アトはこのダンジョンの中にいるモンスターに食い殺される。そんな終わりだと思っていた。
ㅤそんな終わりなら、抗ってやるとも。

ㅤしかし、違った。

ㅤ次々と襲いかかるモンスター達。ダンジョンを潜れば潜るほど、その勢いは増していく。その全てを狩りつくす。

ㅤいや、違う。自分はダンジョンを潜ってなどいない。
ㅤここはさっき来た場所じゃないか。


ㅤいつしかモンスターは現れなくなった。

ㅤ意識が飛び飛びでよく分からない。空腹で何度も気絶を繰り返す。

ㅤしかし、それでもモンスターが襲ってこないということは、残された答えはひとつだ。

「ははっ、もう、いないんだな。なんにも」

ㅤ人間の業というやつなのかな、これは。

ㅤアトの死因、それは餓死だった。

ㅤ──だが、まだ死んでいない。

「死が確定するその時まで、僕は足掻くぞ……」

ㅤ否。死は既に、少年に触れたその時に、既に確定してしまっている。

ㅤ運命付けられた死から逃れることは、出来ない。

ㅤ肉が解け、自身を活かす為の栄養と化していく。地面に這いつくばり、身動きが取れない。

「まだ、まだ死んでない……まだ」

ㅤ死は平等に訪れる。ただ一つの例外もない。

成否

成功