シナリオ詳細
心に一本、曲げない芯があれば生き様は貫ける
オープニング
●邂逅
煮えたぎるような夕日だった。半ば焼け落ちた鬼灯邸の庭に、ベネラーは両手を背中へ回してひざまずいた。膝に砂礫が食い込んで痛むのが、まだ自分はカオスシードなのだと思えて自嘲がこぼれる。
長い影がベネラーの視界へ映り込んだ。
「ベネラー殿」
仁王のように立つ如月が重い声を出した。
「頭領はお許しくださったが、俺たちは許してない。屋敷が燃えたのは、ベネラー殿のせいだ」
「はい」
「よって私刑に処す。最後になにか言い残したいことは?」
ベネラーと呼ばれた少年は、顔をあげないまま返事をした。
「申し開きもできません。僕はどのように扱ってくださってもけっこうです」
「覚悟はできているようだな」
弥生、と如月が呼びつける。ベネラーの視界へ、影がひとつ増える。
「まず爪を剥ぐ。それから耳を削ぐ。鼻を削ぎ、唇も切り落とす。それから指だ。最終的にはだるまにする。気絶したら叩き起こす」
ひらべったい声音で、弥生は淡々と拷問の内容を言い連ねる。
「少々切り落とされたくらいで死ねはしないのだろう? スライム野郎。なら遠慮は要るまい」
短刀代わりのクナイがベネラーに突きつけられた。
「では宣言通り爪からだ。せいぜい泣きわめいて我らの溜飲を下げてみせろ」
「……」
「聞こえているか?」
「はい」
ふるえる声がベネラーの唇から漏れる。弥生がベネラーの後ろへ回る。まだ幼い手を取り、クナイの切っ先をぷつりと指先へさしこんだ。
のどかとも言える夕日へ、ベネラーの絶叫が響いた。血反吐を吐くような悲鳴だった。
「安心しろ、まだ四枚もある」
弥生はやさしいような声音でベネラーへ語りかけた。
「右手が終わったら左、左手が終わったら右足、それから左足……」
二枚目の爪がめりとはがされ、また血みどろの悲鳴がとどろいた。三枚目をと弥生が手を動かしたその時だった。弥生と如月が空を見上げる。脂汗の染みた顔で、ベネラーも顔をあげた。
「殺すな」
淡い緑の髪が風になびいている。あんなにも憎悪した存在が上空にいた。不愉快そうに眉を寄せ、居丈高な態度を崩さない。
「殺すな。貴重な実験体だぞ。貴様らに価値はわからんだろうが」
夕日を浴びながら、名無しの魔種が空に浮いている。だがまだ遠いな、と如月は距離を読んでひとりごちた。
「その小僧、殺すなら私がもらって帰る」
「持って帰ってどうするつもりだ?」
「あらゆる実験の素材にする」
「どうやらそのほうが惨めであるようだな」
弥生がベネラーを無理やり立たせた。ふらつく背中をたたき、襟首をつかんでひきずりあげる。
「我らはこやつが疎い、貴様は実験材料がほしい。いいだろう、交渉成立だ。もっていけ」
空から魔種が舞い降りてきた。青白く血色の悪い手が伸び、ベネラーの髪をむんずとつかんだ。その瞬間、ベネラーは隠し持っていた魔銃『赤奏プライド』をかまえた。
銃声。自分の胸に空いた穴をみて、なるほど、私をおびき出す罠か、と魔種は鼻を鳴らした。
「わからんな」
美しい夕映え。とけおちるかのような黄金が世界を染めている。夕日を背に、名無しの魔種は、ゆっくりとまばたきをした。長い影が、ベネラーの足元まで届いている。
「何故私を拒む? 何故私の命令を聞かない? お前はもはや魔物だ。人のふりをして生きていくことなどできない。諦めて私の傘下に入り、そのコアを献上しろ」
ベネラーはだまっている。コアを捧げる。それは心臓を渡すも同じだ。名無しの魔種はわからないとばかりに首を振った。
「あと一歩、あと一歩だ。お前は私の呪いの技術とあのクソジジイの封印とが作り上げた偶然の産物だ。だが今まで誰もお前のように、長期間、理性とヒトの姿を保った個体はいなかった。お前を腑分けしてコアのすべてを調べ尽くして、私の研究を完成させる」
「僕の父をクソジジイと呼ぶのはやめてもらえますか? あと……なんで僕が協力しなきゃいけないんですか」
ベネラーの雰囲気が変わった。しらけた瞳が魔種を映していた。半眼のままベネラーは一気に言い放った。
「あなたはずいぶんと僕のことをもちあげてくださるけど、僕はこんな体、脱ぎ捨てて早く生まれ変わりたいですよ。いつ吸血衝動が来るかと思うと毎日が怖くて怖くて、何も楽しめない。誰かへ近づくことすらはばかられる。眠って現実逃避することもできない。みんなの寝息が聞こえる中、深夜に天井を見上げる孤独をプレゼントしてくださって、どうもありがとうございます」
魔種は沈黙している。
「あなたはここで……死んでください。そうしたら、今までしてきたこと、チャラにしてあげます」
【怠惰な寛容】ベネラー(p3n000140)の結論だった。
ささやくようなリリコの声が波紋のように広がった。
「……シスター、発砲許可を」
「撃て」
タン。タン。タン。
乾いた破裂音がいびつに響いた。同時に魔種の胸にいくつもの黒い花が咲いた。魔種の注意をベネラーが縫い止めている合間に移動した、孤児院の子どもたち。リリコ、ミョール、ユリック、ザス。後方ではチナナとロロフォイが、手を取り合い固唾を呑んでいる。ミョールとザス、そしてユリックの手には銃が握られていた。院長シスターイザベラはいっそ穏やかと呼びたくなる声音で命令した。
「撃ちなさい、わたくしのかわいい子どもたち。教えたとおりになさい。習ったとおりになさい。いいですね、できると信じています」
攻撃を受けた魔種の体が自動で反撃に転じた。身体から吹き出した黒い血肉の飛沫が、こどもたちへ向けて渦となって飛来する。イザベラは躊躇なくこどもたちの盾となった。反撃のすべてを豊満な肢体で受け止め、術式を途切れなく詠唱し強引に癒やしぬく。飛沫を受けた眼球が爆ぜる。癒やす。肉が吹き飛びまろびでた骨が砕ける。癒やす。傷口という傷口が反動でめりめりと音を立てるほどに、癒やす、癒やす、癒やす。
それでもなお、防ぎきれない一撃がシスターの心臓を襲う。
「『KTRPSHN』」
……りぃぃん。
やわらかで清らかな響きとともに、攻撃が中和された。【魔法使いの弟子】リリコ(p3n000096)の魔力障壁だった。
「……シスター、ありがとう、盾になってくれて」
「子どものためならば、母はいつだって命をかけるものだわ」
シスターはにっこり笑う。
それを皮切りに暦たちが一斉に姿を表した。如月が叫ぶ。
「撃て、打て、射て! 敵を足止めしろ! 撃てば撃つほど有利になる! 最大火力をもって、援護しろ!」
クナイが飛ぶ、銃弾が飛来する。名無しの魔種は己の傷を見て歯ぎしりをした。
「傷が、治ら……溶けて、ゆく? 何をした!」
「あなたへ撃ち込んでいるのは「R」、練達で精製された、細胞同士のつながりを切る毒薬です。あなたの再生を阻害し、分解させていく」
ベネラーは目をすがめた。
「僕はね、思ったんですよ。あなたの『極上の研究成果』が僕なら、あなたの性能は、『僕以下』なんじゃないかなって」
とたんに、あたりへ強烈な呼び声が鳴り響いた。
暦たちが気圧され、子どもたちがひるむ。ベネラーは頭痛をやりすごそうと、顔をしかめた。
「私は腐っても魔種だぞ。魔物のお前に、こんなことができるか?」
けれど。
呼び声が消えた。消滅した。
とてもやさしい歌声が、ノイズを上書きする。それはラの音だった。魔種が憎々しげに人形を睨む。
「何故貴様ごときが、私の呼び声を、かき消せる?」
「あいしているからだわ、あまねくすべてを」
チナナとロロフォイを守るように。翼のように大きく両腕を広げて、小さな人形は微笑んだ。
「ごめんなさいね。ちょっとだけ痛くて辛い思いをさせてしまうけれど。笑って? そうしないと、生まれ変われないから」
「生まれ、変わる、だと? ふざけるな! 私はなにも成していない! こんなところで終わってたまるか!」
魔種の体が空へ浮き上がっていく。ベネラーは苦くつぶやく。
「ああやっぱり逃げられちゃうか。僕たちこれで全力なのにな。やっぱりイレギュラーズさんでないと」
ベネラーは薄く微笑んだまま、自分のこめかみへ銃口を押し付けた。
「どんな姿になろうと、どんな性質を持とうとも、心に一本、曲げない芯があれば生き様は貫ける」
呪文のようにそう呟いて、べネラーは笑った。
「あいつは諦めない。僕が生き延びれば生き延びるほど、どこかの誰かの未来が、あの魔種によって台無しにされる。それは、いやだな。だからここで終わりにしましょう。たぶんきっとこれが、僕の生き様です。ちょっと遠くへ行ってきます。発砲許可を」
シスターが、子どもたちが口々に声にする。
「「撃て」」
銃声。少年の頭部が吹き飛んだ。それは終わりではなく始まりの合図だった。
少年の輪郭が溶けていく。どろどろした赤黒い血の色をした肉の塊に。ビースチャン・ムースと呼ばれるスライムへ変貌していく。その肉塊は大きく広がり、津波のように魔種へ襲いかかっていった。優勢に見えたのは一瞬だった、魔種がおぞましい音を立てて莫大な量の肉塊を同化吸収していく。
「無駄だったな。自ら食われにきただけだ。礼を言うぞ。これがお前のコアだな?」
自らの腹へ手を突き刺し、名無しの魔種は臓物とともに銀色の球体をひきずりだす。
「……お前を取り込めた。私の勝、ぐぶっ」
魔種の胸が割れ、赤黒い水晶玉が姿を表す。魔種の肩へすっと傷が入り、ぱっくりと開いた。舌と歯がのぞいている。傷は、いや、口はしゃべりだした。ベネラーの声で。
「あなたにできることは、僕にもできるってことですよね」
「おま、最初から、このつもり、で」
魔種の全身に、小さな切れ目が入り、血のように赤い目が、肉を感じさせる口が、浮き上がってくる。
「あなたはミスをした」「制御して首輪をつけておきたいなら自分より立派なものは作るべきじゃなかった」「なりふりかまわなければ僕のほうが上だってことに気づかせてくれて、感謝すべきですか?」
潮が満ちるように冷たい憎悪が赤い瞳へあらわになっていく。ベネラーは低く言った。
「この体、僕がのっとります」
「おのれえええええええええええええ!」
魔種の白衣が赤黒く染まっていく。目が、口が、ベネラーを上書きするようにぶつぶつと浮き上がって罵りだす。
「許さん! 許さん! 許さん!」「モルモットのくせに! 私の言いなりになれ!」「お前で成功しても! 意味がないんだよ!」「治験は終わりを迎えず研究は完成しない! 私はまだ何も成しとげてはいない!」「邪魔をするな! 私の邪魔を!」
「いやです」「ぜったい離さない」「イレギュラーズさん」「僕のことは気にせず戦ってください」「いまちょっと遠くにいるけど」「迷わず、帰りますから」「約束したから弾正さんとアーマデルさんと」「ブラックサンタは楽しかったですね」「来年も、って」
「名無しの魔種さん」
ふうわりと薄絹のように章姫の声がふりそそぐ。
「もう逃げるのも痛いのも苦しいのも辛いのも終わりなのだわ。笑って。終わりって誰にでも平等にとつぜん来るのだわ。だから笑って」
師走と卯月が盾を構え、金銀の双子が襲いくる攻撃から、人形を守っている。
奥方へ何しやがるこの馬鹿野郎! 逃げるな!
あの弥生が目を血走らせている。
あの子だけでなく奥方にまで危害を……許さん、逃げるな!
睦月が泣きながらクナイを投擲している。
おまえのせいだ、おまえのせいで、あの子が反転したんだ! 逃げるな!
霜月が大声を上げながら射撃を続けている。
おまえは大人だろうが! 大人になれなかった子ども達をな! 俺は見ちまったんだ! 逃げるなァ!
水無月がナナシと息を合わせて攻撃を仕掛けている。
大切なものを奪われる苦しみを、お前はさんざん振り撒いてきたんだ! その罪業から、逃げるな!
人形は微笑んでいる。
「でも名無しの魔種さんじゃかわいそうだから。そうだわ、ハヤにするのだわ。『早』と書いてハヤ」
人形は祈るように手を組む。慈母の如き表情のまま。
「あなたがなしてきたことは、時期尚早だったのかもしれない。でもきっと、次では何もかも報われるのだわ。おまじないを、しておくから。笑って?」
あなたは思った。だめなやつばっかりだな。
……あァほんとうに、だめだねえ、孤児院のコたちと来たら。シスターもだよ、まったく。
あれほど言ったじゃないか、リリコ、おまえは立ち向かったら死ぬと。約束、忘れたのかい? ベネラー。キミは一等だめなコだ。どこかの誰かの未来の為なんていうまぼろしのために、命かけちゃってさ。誰も傷つけたくないなんて、絵空事だよ。それなのに、体はっちゃってまァ。その人へキミがしたことは、裏目にでるかもよ。でも。
「がんばってるからねぇ」
そのモノは、愛されたがゆえのカタチをとった。
あ、商人しゃんでち。武器商人? 武器商人がきたの!? うれしい、元気出てきたよ! どうしよう、ボクこわくって、だけど。もう腕ガタガタだぜ、けど、やってみせらぁ。
「いいんだよ。チナナ、ミョール、ザス、ロロフォイ、ユリック、たいしたことじゃないさァ」
武器商人しゃん、武器商人、ねーちゃん、武器商人さん、にーちゃん……私の銀の月。とってもありがとう。
「リリコ、おまえもまた我(アタシ)をこの世に縛りつけてくれている、嫌いじゃないよ」
あなたは思った。ほんとはそんなことで、評価しちゃいけないんだ。
だめなやつだな、うちの暦連中は。忍だろう。冷徹さを忘れてどうする。そんなにも子どもたちへ入れ込んで、まったく、任務でもないのに。そりゃ護衛をしろとは命じたが、そこまでやれとはだな。いくら寝食を共にしたとは言え、はあ……だが。
「かわいい部下だからな」
そのヒトは、しかたなそうにため息を吐いた。
頭領! ……頭領、頭領、頭領、頭領頭領頭領! すみません、俺たち、精一杯やってます、ですが、ですが……!
「何も言うな。わかっているとも」
いとしき妻は、ほっとしたようだった。
鬼灯くん、みなさん。
「あとは信じているのだわ」
あなたは思った。ほんとはそんなことで、やさしくしちゃいけないんだ。
「バカなやつらだな」
「ああ。馬鹿ばっかりだ」
彼らはあきれていた。
音の精霊種は、歓声と喝采を浴びながら戦場へ立った。
「勇気と無謀は違う。俺はそれを知っている」
「そのとおりだ、力不足が揃いも揃って戦場へ突撃して……哀れにすらみえる。俺にもすこしは、感情が戻ってきたかな?」
だといいんだが。などとそっけなく言い捨てながら、かつての世界では武器でしかなかったウォーカーが大地を踏む。
彼らの前で、攻防は続いている。
逃亡を図る魔種「早」、それを阻止する暦。
再生阻害薬を撃ち込み、「早」の動きを鈍くしていく孤児院の子どもたち。
乾いた射撃音。リリコの魔力障壁が悲鳴をあげている。シスターの肉がえぐれ、むりやり癒やされていく。蒼白な顔色で、攻撃を続ける暦たち。祈るようにラを歌い続ける、あえかな人形、章姫。地獄が待っている。魔種はその気になれば、一息に戦況を覆すだろう。理不尽、それが魔種なのだから。
あなたは思った。どれほどがんばってたって、どれだけかわいく見えたって、結果出せなけりゃ、死ぬんだよ。
世界はそうやって、続いていくんだ。
あーあ、と、あなたは天を仰いだ。そして軽く笑った。
いいだろう。代わりに、結果、出してやろうじゃん。かまわないとも、力を貸してやってもいい。
必死なんだろう? 懸命なんだろう? けっこうけっこう。脇役は無茶をせずに、もっと分をわきまえて、ぜんぶ俺へ、僕へ、私へ、任せとけ。
- 心に一本、曲げない芯があれば生き様は貫ける完了
- ベネラーくんのおはなし
- GM名赤白みどり
- 種別通常
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2024年04月12日 22時05分
- 参加人数8/8人
- 相談6日
- 参加費100RC
参加者 : 8 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
(サポートPC7人)参加者一覧(8人)
リプレイ
●わたしとは一体何者か
早から放たれた、すさまじい黒の奔流がシスターを襲う。リリコの顔が青ざめた。あれを受けてしまったならば、会得した魔力障壁はガラスよりも脆く砕けるだろう。それでもと呪文を唱えようとしたそのとき、大きな影がすっぽりとリリコを覆った。
「任せろ」
言葉は短く、態度は雄弁に。見えたのは『北辰の道標』伏見 行人(p3p000858)の背中。ああ、とリリコは安堵の吐息をこぼした。瞳からしずくが溢れて落ちる。
「早の足止めは5分にも満たない。だが、俺たちには十分すぎる時間だ。そうだろ?」
声を張り上げ、行人は拳を突き上げる。
「短期決戦だ、いくぞ!」
「ああ」
『雪花蝶』斉賀・京司(p3p004491)がしなやかな手で空中へ印を描いた。
「それでは始めようか。最悪にして地獄の底。悪意なき悪魔。その元凶の横面を、殴り飛ばす結末を。誰もが望んでいる。ここに立っている」
自分の心意気をしっかりと確かめるように瞑目し、京司は薄くまぶたを開く。
「それでは一切合切を、僕と僕らの望みのままにしよう。できるとも、僕は斉賀京司、魔術師さ」
渦巻く魔力が京司を取り巻いた。
彼らの目の前で、早はなかば崩れた人の形を必死に取り繕っているように見えた。内側からベネラーに攻撃され、それをもぐらたたきのように押しつぶして回っているのだ。その色の薄い顔へは、憤怒と焦りとを浮かんでいた。
『終音』冬越 弾正(p3p007105)は、人の姿を失ってまで魔種をこの場につなぎとめるベネラーの、必死の思いを感じ取り、心が燃え盛るのを感じた。ラの音が響いている。すきとおった、透明な声だ。
「章殿の歌声が心地良い。美しい音に満ちた戦場は魂が奮い立つ! アーマデル、ベネラー殿、共に全てを終わらせよう」
誰よりも深く弾正を理解している『灰想繰切』アーマデル・アル・アマル(p3p008599)は、静かにうなずいた。
「『早』、ハヤ、名無しの魔種と称されしもの。だがいまや名を得、その存在は固定された。あとはあれを斃して名ごと葬り、送るだけ……往くべき所へ」
アーマデルの故郷では、生前の行動に関係なく死者は等しく名を失い、業を注ぐ旅路を巡る。その教えのもっともプリミティブな刃として、彼はこの戦場へ立っていた。
「お前も送り出してやろう。忘却の川では濯ぎきれない業をすり減らす、長い長い死出の旅路へ。もちろん……」
愛用の得物をクロスさせ、鋭い視線を早へ突き刺す。
「ベネラー殿は置いて行って貰うがな。彼にはまだ早すぎる旅故に」
「そうだ。そのとおりだ。アーマデル。撤退も犠牲も俺たちには無い! 聞こえているかベネラー殿! 何度でも呼びかけ続けよう、俺たちが来た以上、負けはないと! 冬越弾正は、悲しみを打ち砕きに来たのだと!」
『相賀の弟子』ユーフォニー(p3p010323)もまた、やさしさを強い意志に変えて精霊たちも聞けとばかりに声をあげた。
「ベネラーさん、みなさん、一緒にがんばらせてください。私は、悲しみと苦しみを超えて、なお手を伸ばし合う人の可能性を信じています。その可能性が、尊いつながりが、今こそ花開く! 早さん、あなたの死という形で!」
早が唸り声を上げた。獣のような、魔物のような、ぞっとする声だった。音楽を愛する『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)にしてみれば、騒音もいいところだった。
「ベネラーさんも戦っているんだな。呼んでくれてありがとう。その覚悟に敬意を表し、俺も全力を尽くすよ。勝利という結果。それだけを求めよう」
己がオールドワンであることを、今日ほど頼もしく感じたことはない。イズマはきりりと眉をつりあげた。
「楽譜は暦と孤児院の子たちの皆が書いてくれた。ならば俺は舞台に立ち、奏でてみせるとも。トーティス家の名に賭けて」
ラ。長音階第六音と呼ばれるそれは、オーケストラのチューニングにも使われる。始まりの音だ。祝福の音だ。それに囲まれて、早は苦しみ悶えている。
『闇之雲』武器商人(p3p001107)は口元が緩むのを隠しきれなかった。
「あァ、長かったねぇ。ここまで来るのに、本当に長かった。我(アタシ)はね、うれしいよ。やっと……」
男とも女ともつかぬ美しい笑み、ぞわりと雰囲気が変わる。正面から見てしまった早の崩壊しかけた顔面に、とまどいと畏怖がにじむ。早から視線を外さず、武器商人は笑みを深めた。
「この手で引き裂けるのだからね」
ヒヒと喉を鳴らす。
「舌打ちなんかしてみせちゃって、かわいいところもあるじゃないか。そんなに我(アタシ)のお気に入りが食えなかったのが悔しかったかい? だけどね、残念なお知らせだ。我(アタシ)がいるかぎりキミの思い通りになることなど何一つ無い。だってねぇ……」
紫紺の瞳にうっすらと浮かぶのは、殺意。
「……八つ裂きにしても余りあると言ったろう?」
その声は低く、その音は小さかった。にもかかわらず戦場の雑音を越えて武器商人の言葉が響き、子どもたちは勇気を奮い立たせる。
「わかっているな?」
部下の一人ひとりと視線を交わした『やさしき愛妻家』黒影 鬼灯(p3p007949)は、そう言った。
「俺が今一番欲しいのは『早』の首だ。言わせるな」
常に冷静であるはずの部下たちの、熱気のこもった視線を背に受けながら、鬼灯は宣言する。
「空繰舞台の幕を上げろ。今こそ、我らの復讐を遂げる時だ」
あれほど猛っていた暦たちが、水を打ったように静かになる。狂気が統率された。それぞれのできる最良をもって、早を殺めるため、目的を遂げるため、頭領の期待に答え、奥方章姫のほほえみのため、暦たちはどこまでも冷たくなれる。
●わたしがわたしであるという根拠はなにか
イズマがパチンと指を鳴らせば輝く銀色が溢れ出す。聖なるかなを降ろすイズマはラの音を奏でていた。彼を起点に風が吹く、さわやかな涼しさをもたらす風だ。風は仲間の間を吹き抜け、強くしていく。
「努力家は嫌いじゃない。だけど、貴方のように我を通すためのあがきを努力と呼びたくはないな」
イズマは細剣でもって音符を描く。切っ先が音符を弾いた。銀の流れ星が早へと突き刺さる。
「貴様に、何がわかる……!」
「わかってほしいのか、逆に聞くが? 魔種に落ちた己が身を理解し受け入れてもらえるとでも?」
早の顔が歪んだ。殺意のこもった視線を受けてもイズマは凛としている。
「聞いてもいいか。魔種たる貴方には寿命の縛りなどないも同然だろう。ならば何故不老不死を追い求めた? 誰を不老不死にしたかったんだ?」
早が唸った。怒りの混じる声だった。
「当ててみようか、貴方の大事な人だろう。妻とか」
イズマは言い連ねる。早の顔が真っ青になった。
「そしてその人はもういないんじゃないのか。悲しいが悔しいが、最早終わった刻は再演できない。早、貴方は終わりそこねたんだ」
だから終わろう、もう終わろう。これは貴方にとっての、救済だ。無数の精霊たちが歌っている。イズマは指揮をとり、その音を束ねて戦場へ広げる。
「子に試す前に自分で試したら良かったのに」
京司は風に乱れる髪をそっと手で抑えた。背後から送られる孤児院の子たちの瞳の色ひとつひとつが京司の力に変わっていく。
「滅び給え、最早人でも魔でもなくなった早よ。この子達は、僕たちと生きていく」
ベネラーと京司は呼んだ。甘い声はしっとりと早のもとへ届く。その中にいるべネラーへも。
「ひとり、覚悟を決めた心を僕は称賛する。そしてそのほまれは、言葉より行動で示してやろうとも!」
魔術師の周りへ力が集まる。くろがねの渦の中心で、京司は両手を広げた。
「絶対に、あいつを殺して君を生かしてやる。だから――もう少しだけ耐えてくれ、ルビーの美しい子。君は、君たちにはまだ生きていてほしいから」
京司は人差し指を口元に添え、ずるいくらい蠱惑的な笑みを浮かべた。
「大人の我儘、聞いてくれるかな。鬨の声をあげよ、ベネラー!」
早の動きが止まった。何かに抗うかのように、全身が痙攣している。早の全身からはぶつぶつとマグマのように赤い瞳が浮き出ている。それが黒肉に埋もれてはまた現れる。肉体の主導権を、ベネラーと早が取り合っている。
「強い子だね。ベネラー、早を抑えてくれている。子どもがこんなにがんばってるのに、大人の僕が何もしないというのも、かっこわるいね」
くすくす笑いながら、繊細な指先が射程内に早をとらえる。
「おまえのその醜い翼、刈り取ってあげる」
熱風が早を焼いた。
●体長は50cm、体重は3kg前後、自力で動けず泣きわめくしか能が無い、そんなものと今のわたしが同一であると言い切れるのは何故か
ユーフォニーの周りで色彩がさんざめいている。彼女は時に緑に輝き、時に赤を纏った。隠しきれない魅力と美貌が、一心不乱な強い瞳を彩る。
「……***」
早のつぶやきをユーフォニーは聞き取った。誰かの名だ。早の目がどこか遠くを見ている。ユーフォニーを見つめているようで、彼女ではない誰かを見ている。ユーフォニーのうるわしい瞳が、魔種に古い記憶を呼び起こさせたようだった。
「失敗した」
血を吐くような低い声音にユーフォニーは耳を澄ました。
「百万回成功した、君で失敗した」
鍋の底からあぶくがわくように、苦しげに早はうめいている。
「なら、やりなおそう。何度でも、挑戦しよう。君で失敗したから」
ユーフォニーが月光の剣をかまえる。早へ肉薄し、大上段から一気に。
「今度は、必ず、君を……」
振りおろす。早の肉が裂け、黒い血が飛び散る。それが弾丸とかしてユーフォニーへ襲いかかる。
「っとお!」
行人が体を割り込ませてその身に反撃を受ける。
「行人さん!」
「へっちゃらだこの程度、俺達が来るまで保たせてくれた人達がいる。それに応えるために、俺は俺の全力を尽くすよ」
早がなにか唱えた。亡霊が像を結び、一人の男の姿に変わる。
「よぉ、とーさま」
桃色がかったグレイの髪を揺らし、男が行人へ向かって掌底をくりだす。行人はその攻撃を弾いて受け流した。それた腕を抱き込むようにつかみ、身動きを取れなくさせる。早は舌を鳴らした。煙のように男が消える。ずいと一歩踏み出した行人がすごみのある笑顔を見せた。
「自分じゃ何もしないんだな。攻撃すら他人任せで。それが研究の成果か? そんなものが俺達にかなうわけないだろ?」
だって俺達は、と行人が早の胸ぐらを掴んだ。
「俺達の持つ可能性すべてを賭けてこの舞台へ臨んだんだ! 立ち上がるさ、何度だってな! ここにいるのは好き好んで命をベットしたやつらばかりだ、こてさきのまやかしが効く相手じゃないんだよ!」
ユーフォニーが行人に応え、強く頷いた。
「早さんにも想いがあるかもしれないけれど、それ以上の非道をやりすぎた。因果応報にしては、応報が少ないくらいでしょう。……逃しません」
ユーフォニーの周りに浮かぶ七色の輝き。それが月光の剣に吸いこまれていく。
「終わらせましょう、ここで!」
「ぐ、おの、れ……」
「黙れ早、貴殿の歌は途切れる。ここでピリオドだ。ベネラー殿は、いや、すべての命は、貴殿に冒涜されるためにあるのではない! 喜びを歌い、明日への希望を奏でるために存在するのだ!」
リズムに乗って弾正が言葉を叩きつける。波状攻撃、飽和する威力。早は削り取られていく。再生速度はすさまじい、だがゆっくりと衰えつつある。弾正は確信を持って言った。
「永く辛い旅路だったろう。ベネラー殿の生き様、しかと見届けさせて貰った。しかし君の人生はここで終わらない。俺達が終わらせない、共に生きよう、ベネラー殿!」
「逃がしはしない。ベネラー殿の未来のために」
地上からしかける弾正に対し、アーマデルは空へ陣取る。
「呪いとはすなわち叶わざる願いの歪んだ形。巡って捩れ、縺れて巡るうち、解けないほどに固く拗れた玉結び」
アーマデルのこんじきのひとみが常になく強い意志を宿した。
「肉体は魂を容れる器だ。故に復元できる筈……魂が正しいカタチを忘れぬ限り、ベネラー殿のカタチを俺達も覚えているぞ……! 早、勝敗は最初から決している! 逃れ潜むことを選んだ者に、朝日はまぶしすぎるだろう? 貴殿は永遠に、夜の底で何もなしえないまま時を無駄に浪費するだけだ」
「だまれ、だまれだまれ!」
髪を振り乱し、早がアーマデルへ襲いかかる。それをなんなくかわし、アーマデルは言い募る。
「自己犠牲は尊い。だが、それ以上に、生きようとする意志ほど尊いものはない。ベネラー殿、己の意志を忘れずにあれ。最初の思いを、はじまりの感情を、思い出したなら、しっかり抱えて前を見るんだ!」
●4年もあれば骨すらも置き換わる存在でありながら、なおもわたしがわたしであると思える盲信の根拠は
「人形劇――『神無月』」
鬼灯の手の中で魔糸が編み込まれ青い光を放つクダギツネに変じる。
「我らの神主殿はかなりのご立腹だ。おお、怖い怖い」
喜色すらにじませて、鬼灯はクダギツネを放った。
「時雨が降るは金青の月。心凪ぐは安寧の月。だが貴様に安寧はやらぬ。お前を逃さぬと食らいつく彼らが見えるか。お前の目に映るのは彼らだけではない」
鬼灯は名をなぞる。断罪の時を告げるかのように。
「睦月、如月、弥生、卯月、皐月、水無月、文月、葉月、長月、神無月、霜月、師走」
名を呼ばれるたびに、忍の技が炸裂する。
「時の流れがお前の四肢を引きちぎらんとしているのだ。お前を愛する者は誰も居ない、恨まれ、怨まれ、孤独を抱えて死に絶えろ」
早がわめいた。
「死ぬものか、死んでたまるか! どんなに後ろ指をさされようが、私は必ずや願いを叶えてみせる!」
射られたように削げた肉体が空へと登っていく。
「させるかあああ!」
『ラッキージュート』ジュート=ラッキーバレット(p3p010359)が体当たりを仕掛けた。
「早ちゃんだっけ? 手を出す相手が悪かったな。俺達は超絶、諦めが悪いんだ!」
『甘い香りの紳士』朝長 晴明(p3p001866)銃をぶっ放した。
「商人の旦那ァ! 勝ったら特別手当、お願いしますぜ。そしたらやる気が出るってモンだ!」
『悲劇愛好家』クロサイト=F=キャラハン(p3p004306)はそっとハンカチで目元を抑え、放り投げて鋭い視線とともに早へ一撃をいれる。
「哀しい……。リリコ様に馬の骨以外の虫がたかっていたなんて。ご主人様が命を賭して戦うなら、撤退など有り得ない。私だってご主人様の眷属です……やる時は、やりますよ!」
「京ちゃんも店主も命を賭けるというのに、俺が黙って見ている訳にはいかない。一時休戦だ悲劇野郎。リリコ様の件については後でぶん殴って説明するから死ぬんじゃねぇぞ!」
『無限ライダー2号』鵜来巣 冥夜(p3p008218)が咆哮する。
『アネモネの花束』ベルナルド=ヴァレンティーノ(p3p002941)も吐き捨てた。
「撤退する気も負ける気もねぇな! 少なくとも俺は、アーマデルと弾正のウエディングボードを描くまで死ぬつもりはねぇんだ」
早の高度が下がっていく。射程内に早をおさめた暦と孤児院の子どもたちが奮起した。
『鋼の咆哮』ヴァトー・スコルツェニー(p3p004924)はユリックの頭をなでると立ち上がった。
「俺はヒト全てを保護できるほどの力はない。オートマタも、ビースチャン・ムースも、造られた命に完璧など無いのだ。ただ、守ると決めたヒトだけは、必ずこの手で守り通す。たとえこの身が壊れようと、それだけは!」
「うん、そうだよ‡」
『ハピネスデザイナー』ファニアス(p3p009405)が両手を天へかかげ、両足を踏ん張った。
「どんなに強がっても、どんなに決めた事でも、淋しいね⇒悲しいね⇒痛いね⇒だからそれが少しでも短くなる様に、悪い人には出ていって貰おう?」
黄金の輝きがファニアスを中心にひらめく。
「500年生きてるファニアスから皆へ、怖かったら笑って☆ 笑って叫んで♪ 希望が飛んでくるから――今日みたいに、力いっぱい、さあ!」
「眷属たちがここまでやってくれたんだ。我(アタシ)も当然、想いに応えよう」
武器商人が利き手を横へやった。
「火を熾せ、エイリス」
リリコとシスターを守ったその体は血のような赤いしずくと、早の体から吐き出された黒い汚濁がこびりついている。にもかかわらず、その姿はひれ伏したくなるほどの威容を誇っていた。武器商人のうしろの空間が割れる。かすかなひびわれが空間へ広がり、ひっそりと泣き続ける少女が青焔の槍を手に現れる。少女から槍を受け取った武器商人は、片手でそれを回転させた。バトンでも扱うかのように軽々と、鉛筆でもまわしているかのような気軽さで、回り回る槍が空を引き裂くに任せる。じゅうぶんな速度と威力を纏ったそれを、武器商人は早へ投げつけた。空気を割り、早のコアへ槍が突き刺さる。絶叫が戦場へ響いた。撃ち落とされた早が大地へ落ちる。行人がすかさず、背後から抱きつくように早の身を起こす。ひびわれたコアが露出している。
行人が喉も割れよと叫んだ。
「今だ、やれ――親友!」
「承知」
章姫の歌がやんだ。
「おやすみなさい『早』。きっと貴方にも、愛した人がいたのだわ? 罪を償って、生まれ変わったならきっとまた会えるのだわ」
鬼灯が手刀をはなつ。早の首が飛んだ。空高く飛び上がり、汚濁の雨となって大地へ広がる黒肉へ降り注いだ。すべての音が消えた。さわさわと梢が鳴っている。自分の鼓動だけが、ひどくうるさかった。
あたりいちめんに、ぬらりと光る黒肉の海。
「ベネラー殿、ベネラー殿!」
弾正は叫んだ。まっくろな黒肉の海はしんと静かだ。アーマデルは注意深く歩を進め、ベネラーを呼んだ。返事はない。
「ベネラー殿……」
うそだろう? アーマデルはつぶやいた。そんなばかな、いやしかし、ふたつの思いがせめぎ合っている。その横をゆらりとなにかが通り過ぎた。弾正とアーマデルがぎょっとして顔を上げると、武器商人がいた。いままでになく厳かなたたずまいだった。魅了にでもかけられたように、そのモノは視線を奪う。武器商人は何かを探しているかのようだった。まるで神の使いのようにまるで地の底の番人のように、峻厳にして悠々たる動きで武器商人は何かを拾い上げた。
それは銀に光るベネラーのコアだった。
「魔力媒体、場に満ちる熱気、精霊たちの声、この世界の力の流れ。……うん、じつに良い。我(アタシ)はそれを始めよう」
差し出した手に乗った銀のコアそれがどろりと赤く溶け出した。ゆっくりと姿を変え、やがて心臓へ変わっていく。
「帰還の儀を始める。最初の呪を唱える。最後の呪を唱える」
偉大なる魔法使いはそう宣言した。
●わたしという呪縛
気がつくとべネラーは、まっしろな草原にいた。漂白されたような景色に、ああ自分は死んだのだと気付いた。悔いはない。それにしてもどこへ行けばいいのだろう。それに、自分はひどく不定形だ。ぶよぶよとした、白い塊でしかない。肉でもなく骨もなく、ただ意識だけがある。思考がそこまでいったとき、おおいと呼ぶ声がした。
彼は振り向いた。
「弾正さん、アーマデルさん!」
「ベネラー殿!」
弾正が太く張りのある声で呼ぶ。
「ベネラー殿」
アーマデルが静かに探るように呼ぶ。
べネラーは体の一部を伸ばした。塊がしだいに削れて形を持っていく。
「よっ、ひさしぶり、ベネラー」
行人が現れてにっと笑ってみせ、ぽんとベネラーの頭を叩いた。
「やあベネラー、迎えに来たよ」
京司の手がベネラーへ触れる。名を呼ばれ、体を叩かれるつど、べネラーは形を取り戻していく。
「ベネラーさん、おつかれさま」
イズマがベネラーの耳を軽くひっぱり、目元を緩ませた。
「ベネラーさん、あなたはあなたが思っているよりも、周りから愛されているのですよ」
ユーフォニーがすっかり人間の形を取り戻したベネラーをぎゅっと抱きしめる。
「ベネラー殿」
鬼灯が愛くるしい妻を抱いて、ベネラーの前に立った。少年の姿にもどったそれは、ただひとつ顔だけがぐにゃぐにゃと白く渦を巻いている。
「章殿から貴殿へ、土産がある」
小さな人形がはいと両手を差し出した。章姫の手にあったのは、焼き立てのアップルパイだった。べネラーは自然と手を伸ばしていた。
「武器商人さんを通して、早から返してもらったものなのだわ。おなかすいてるでしょ? 食べていいのだわ」
受け取ったアップルパイから、熱が伝わってくる。べネラーはそれを渦巻く顔の前へ持っていった。渦が止まり、きろりと、一対の赤い瞳が浮き出た。そこから鼻筋の通った鼻梁が浮き出て、少年らしい頬が形作られる。最後に横へ一文字に線が入り、ぱっくりと割れた。
「あむ、はふっ、はふ、むぐ」
ベネラーは夢中でアップルパイを食べた。齧って噛んで飲み込んで、熱が喉を通って全身へ染み渡っていく。五臓六腑に染みる甘さに、涙がこぼれでた。
「おいしいかい?」
「おいしいれふ、あきひめさん」
「しっかり食べて。飲み込んで。形作るの。あなたを、あなたという存在を。ベネラー、名を呼んで呼ばれて、あなたがあなたでなくなっても、みんながそう呼んだ。だからあなたはあなたでいていいのだわ」
●わたしという祝福
遠ざかった意識がはっきりと自我を取り戻す。布団の中だった。視界いっぱいに、金髪が踊る。
「ベネラー!」
すぐそばで名を呼ばれている。名。僕の名。ベネラーのくびったまへかじりついて泣いているのはミョールだ。リリコたち孤児院の子たちは、目に涙をためてじっとベネラーを見つめている。シスターイザベラはおだやかなまなざしをベネラーへ送っていた。
「僕、生きて……」
「そうだよ」
武器商人がミョールを落ち着かせ、どこからともなくコップを取り出した。
「お飲み。再生したばかりだから、まずは水から体を慣らしていこうねぇ」
べネラーは汗をかくコップを受け取り、口をつけた。止まらなかった。体が水分を欲している。こんな感覚は久しぶりだ。あっというまに飲み干してベネラーは自分の変化に気づいた。清水の味わいが、舌の上に残っている。
「……おいしい」
「そりゃそうだろう。人間に戻ったんだから」
「え」
ぽかんとするベネラーへ、武器商人は微笑みかけた。
「呪いの本体が消え自分より上位の存在と肉体が交わったことで術式が変化したところにRによる細胞の……ややこしい話になるから説明は省くよ。ともあれ、よかったねベネラー」
がたがたがたっ、ばりん、どたっ!
ふすまがはずれてどっとイレギュラーズと暦たちが現れる。
「しばらくおかゆ三昧だけど、一週間もすれば普通のもの食べれるようになるってさァ。腕によりをかけておいしいおかゆ作るからねェ」
霜月の目尻には涙が浮いている。
「快気祝いに宴会しよう。盛大なやつ! 俺アップルパイってやつが食べてみたい!」
「文月、ここぞとばかりに自分の食べたいものリクエストするな!」
「ちょっとくらいいいじゃん、葉月のケチー!」
笑い声が起こる。心地よい、ラの音だ。
成否
成功
MVP
なし
状態異常
あとがき
おつかれさまでしたー!
2ヶ月遅刻しました。ごめんなさい。弁解の余地もございません。
にも関わらず待っていてくださった皆さん、運営の方々へ感謝申し上げます。
それでは、またどこかで。
GMコメント
みどりです。ベネラーくんのお話、終章です。OPが無駄に長いので要点だけ。
・名無しの魔種がとんずらしかけてるよ!
・ベネラーくんと暦さんと孤児院の子たちが必死で足止めしてるよ!
・いまのうちに殴ってください
●Danger!
当シナリオにはパンドラ残量に拠らない死亡判定が有り得ます。
が!
そうなる前に、いつでも「撤退」が可能です。
撤退することで、死亡判定を回避できます。撤退後に、戦場へ復帰はできません。
つきましては、撤退を行うPCさんは、自身の撤退条件をプレと相談卓の両方で宣言してください。撤退者の数だけ、戦力が削れますので、フォローが必要になるでしょうから。撤退者が多いほど、シナリオが成功する見込みは低くなります。ですが、問題はありません。イレギュラーズは世界を救う勇者です。ひとりの少年より、世界を救うほうが大事に決まってますから。
●情報精度
このシナリオの情報精度はCです。イレギュラーズさんならだいじょうぶ! 白紙は撤退扱いとなります。
やること
1)魔種「早」を20T以内に倒す
失敗条件
2)21T時点で魔種「早」が生存している
逃亡され、戦闘が強制終了します。その結果ベネラーがコアごと持ち去られ、死亡扱いになります。
●エネミー 名無しの魔種改め、早(ハヤ)
属性は傲慢、役割は再試行。
血まみれの白衣を着た若い男に見えます。低空3m以内を浮遊しており、状況に応じて戦場内を移動します。
練達で医学を修めたカオスシードで、ゴッドハンドとまで呼ばれた心臓外科医でしたが、最愛の妻の手術に失敗したことで反転。不変不滅という迷妄に取り憑かれ、魔導や錬金術へ手を出し、人体へ最適化したスライム「ビースチャン・ムース」を使って、非道な実験を繰り返してきました。ベネラーの故郷、ペトル村を滅亡させた際、ベネラーの父グドリアスと相打ち、封印されていましたが、復活。以降、人間の理性を保ったまま魔物となったベネラーを「極上の研究成果」と称して付け狙ってきました。
HPAP・EXFがべらぼうに高く、必殺がないと倒せません。
物神攻撃力・命中・EXAもなかなか高めです。対して、反応・防技・抵抗・回避は低いです。
A:再演・魔種「とーさま」(たけるはとう 物至扇【防無】【必殺】【氷結】【自カ至】【自カ近】)
A:再演・魔種「セレーデ」(こころゆらすおもいで 神遠単【治癒】【HP・AP・BS回復】【光輝】)
A:再演・神父「グドリアス」(封印術 神超域【封印】【致命】)
A:再演・魔種「ラミリオン」(金切り声 物自域 【ブレイク】【疫病】【怒り】【重圧】)
P:BS無効・特殊な反(ビースチャン・ムースの呪い)
非戦:飛行 逃亡 エキスパート
本体
魔種「早」の胸に浮き出た赤黒い水晶玉。弱点のコアであり、ここへ受けた攻撃はすべて【防無】扱いとなります。単体攻撃でコアだけを狙う際は、命中に2割程度のペナルティがかかります、慎重に。
現在はベネラーがコアを露出させています。効力は20Tまで。
特殊な「反」
ダメージとともに「ビースチャン・ムースの呪い」という特殊なBSがPCへ返ってきます。1TごとにEXFが「+10」されていきますが、代わりにFB・機動を除く全ステータスが「-10」されていきます。そのうえ、物神攻撃力は「-50」されていきます。この呪いは、BS無効で防げます。
●戦場
先日燃えた鬼灯邸の庭。特にペナルティはありません。
●NPC1・暦さんズ
魔種絶対逃さんマンとなって、逃亡を阻害し、章姫さまを守ってくれています。効力は20Tまでです。
●NPC2・孤児院の子どもたち
同上。
シスターイザベラ 子どもたちをかばい続けています。単体回復でふんばっています。
【魔法使いの弟子】リリコ(p3n000096) シスターが受けるダメージを魔力障壁で軽減させています。
ユリック・ミョール・ザス 銃で「早」を攻撃しています。
ロロフォイ・チナナ 戦力外ですが、どんな結果になろうと見届けたいと、強く願っています。
●NPC3・【怠惰な寛容】ベネラー(p3n000140)
「早」の呪いと亡父グドリアスによる封印が、ハードラックにダンスっちまった結果、不老長寿になったカオスシードの少年。めちゃくちゃ怒ってます。
本性はビースチャン・ムースという魔物。いわゆるEXF型。銀色のコアを持っています。今回こっきりの特殊能力を発揮し、「早」のコアを露出させています。
●「章」姫さまバリア
名無しの魔種へ自分の名から一字送ることにより、一時的に「早」の上位存在となりました。
ラの音を歌い、戦場全域の呼び声を打ち消してくれています。それから、なんでかしらんけど戦場におけるフレンドリーファイアが、一切発生しなくなります。効力は20Tまで。
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