シナリオ詳細
<尺には尺を>泡沫の白遊夢
オープニング
●箱庭
――夢を見る。見た。見せられている。
それは幸せな夢だ。
こうだったら良かったのにと俺が望んでいたことの夢。
幼い日の俺が何ひとつ悩んでいない夢。
幸せと好きを詰めた箱庭でただ子供らしくある夢。
永遠にずっとその幸せが続くのだと、夢が教えてくれる。見続けていると「そうなのだろう」と思えてくるし、そうあって欲しいと思えてくる。けれど何かが足りない気がして、毎回遊び相手を探している。大抵は従兄弟たちだ。大勢いるから、誰かを捕まえられる。
何も変わらない箱庭に、少し変化が訪れた時があった……気がする。一度だけ『足りない』を見つけた気がした。けれど一度だけだから、きっと気の所為なのだろう。
深く考えようとすると朧げな意識の先、遠く揺らぐ水面の向こうで彼奴が呼ぶ声がして――俺の意識は俺を守るために途切れてしまう。
あの日、彼奴――氷聖を見た瞬間、全身に鋭い痛みが走った。
脳が揺れた。体が自分の意思とは違う動きをした。
これは駄目だと思った。抗えない。
……ならば俺に出来ることとはなんだろうか、考えた。
答えは解っている。『自分を守ること』だ。
俺は『彼』に自分自身を大切にして欲しいと告げたから、自分でもそれを為さなくてはならない。自分を守って、守り続けなければいけない。ちゃんと帰れるように、俺が俺自身を守るんだ。
――心を閉ざした。
大丈夫、慣れている。幼い頃からやってきたことだ。
体は好きにされても、心まで奪われなければ俺は俺のままだ。
――聖痕を拒絶した。
あれは『戻れなくなる』やつだと本能で解る。
――煩い『声』を拒絶した。……拒絶、し続けている。
臆病な俺が傲慢になどなれる筈がないのに、あれは『在り方』を揺らがしてくるから危うい。
自分の心を守る。
それが今の俺の戦い――籠城戦。
『助けなんてくるのですか?』
……時折不安になる。
『楽になっていいんですよ』
生きている以上、楽な道なんてない。
『俺に全てを委ねてください』
……うるさい。
『翠雨を生かせるのは俺だけです。ね、あの時みたいに』
うるさい、うるさい。
聞いたら駄目だ。甘い言葉は全部毒だって解っている。
守るために心を閉ざし、意識を手放さなくては。
『ねえ翠雨。自分が助けられるに値する人間だと、本当に信じているのですか?』
――……俺は、いつまで頑張れば良い?
●邂逅
審判の門を潜り抜け、そしてレテの回廊を。
既に幾度か辿った同じ道。だが、その都度聖痕を持つ者しか通ることを許さないとされる審判の門が牙を剥くため、通過するのも容易ではない。
けれどもイレギュラーズたちは何度も足を運ぶ。訪う度に煩わしい『呼び声』が頭に響こうとも、何度も。――目的があるから。
(今日こそ、雨泽様に帰ってきてもらうのです)
幸せが詰まった箱庭めいた『理想郷』には或れから一度も遭遇できてはいない。けど、とニル(p3p009185)は杖をぎゅうと握りしめる。
早く笑顔が見たかった。おいしいねって一緒にごはんを食べた時に見せてくれる笑顔。ニルはその笑顔が大好きだから。
「『雲の一族』とやらに何かあったのか?」
そう口にした日向寺 三毒(p3p008777)が思案するのは、劉・雨泽(p3n000218)と雲類鷲・氷聖(p3n000352)の関係性だろうか。物部 支佐手(p3p009422)がチラと三毒を見て、すぐに何気ない仕草で逸らす。ニルが拾った手帳を見せてもらった支佐手は雨泽の気持ちの断片を知っているけれど、憶測では話さないし、友人だから繊細な部分にも踏み込まない。いつか酒を飲みながら話してくる時があれば聞いてやるだけだ。
「……あの夜に話してくれたこと……それが全て、と思う」
ジェラートフェスティバルの夜、雨泽が自身の話をした。氷聖とのことはそれだけで、箱庭で見た『翠雨』よりも幼い頃にそれは起きていて一族に直接の関係ないはずだとチック・シュテル(p3p000932)は瞳を伏した。……湧き上がりかける感情を、鎮める。冷静に、しっかりとやることを見定め、動けるように。
(おれは絶対、君を連れ戻すよ)
(雨泽さんは……皆さんの大事な人、だったのですね)
ある取引によって記憶を渡してしまった隠岐奈 朝顔(p3p008750)からは雨泽に関する記憶も喪われてしまった。けれども『前の自分』が残した日記には少しだけ彼のことが記載されており、彼に対して好印象であることが伺えた。幾度かそんな記載があったから、彼からもそうであったのだろう。……そう思うと、少しだけ胸が苦しくなった。
静かな回廊に、カツンコツンと『一人分』の足音が響く。
傍らの少年は一本下駄を履いているはずなのに珠海・千歳の聴力を持ってしても音を立てないことが不思議で、彼へと顔を向けた。――向けた、だけだ。千歳の瞳は閉ざされていて、彼の像を結ばない。
少年――雲英・翠雨は規則正しく歩む。元々の彼がそう躾けられているのか、それとも彼が『人形』だからなのか。それは千歳には解らないが、彼が『先生』に対して従順であることを千歳は知っている。
(……でも)
聖痕を付与しようとした時、この少年は拒否反応を示したのだ。暴れて周囲の全てを壊して隙を作り、機械的に自害しようと滑らかに苦無が握られた。
先生は殺したいとは思っていないらしい。危ぶんですぐに辞め『野良猫を手懐けるみたいですね』と楽しげな声を転がしていた。
(先生……)
長く苦しんでいた悩みを取り除いてくれた、その人。友人と道を違えることとなってしまったが、千歳は少しも悔やんでなんていなかった。もっと前に紹介してもらいたかったとすら思っている。あの日、クルークの手を取ったのは実に『正しい』ことであった。
先生の側は心地が良い。顔貌を拝見出来ないことは惜しいことだけれど、声も綺麗で優しいから柔らかく笑う人なのだろう。
「――……!」
鋭敏な千歳の感覚が、何かを拾った。
距離は少し遠い。けれども千歳が少年を連れて向かう先は、反応のある方だ。
(急げば……)
「……敵、ですか?」
「ッ」
普段一言も発さない少年が口を開いた。
「命に従い、敵は排除します」
千歳は瞬時に思考を巡らせる。時は少しも無駄には出来ない。
会敵しないように急いで駆け抜け――最悪少年だけでも先に進ませなければ。
『そろそろ『理想』を素直に受け入れて従順になる頃かと思いますので、聖痕付与をまた試してみましょう。翠雨を連れてきてください』
そう、先生が命じてくださったのだから――。
「おっ、いたいた!」
後方から声が聞こえた。角を曲がって千歳たちの居る回廊へと足を踏み入れたイレギュラーズだ。
「オッス、翠雨ちゃん! 朝だぞ! 起きて起きて早く早く!」
明るい茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)の声を無視して、千歳は先を急ぎたい――けれど。
「敵、です」
少年が足を止めて振り返らんとする腕を千歳は握って静止する。。
次いで紫の髪が回廊へと覗き「いたわ」と声を上げると、ジルーシャ・グレイ(p3p002246)に続いて幾人ものイレギュラーズたちが姿を見せた。
構わないでと千歳は言うが……と視線だけを後ろに向けた少年の視界に、ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)の逞しい姿が入り込む。やはり或れは敵であろう。少年は氷聖を守るために存在する。近付けないように、外敵を排除しなくては。
「……ッ」
少年が完全に足を止めてしまい、千歳は息を飲んだ。これでは役目を全うできなくなる。優しい方だから見限られることはないとしても、がっかりさせてしまう。心酔している相手に失望されるのは――あの日々が戻ってくるようで嫌だった。
「約束通り、迎えに来たわよ、雨泽。早く起きなさい、寝坊助さん!」
振り返った千歳たちの前に、イレギュラーズたちが揃っていた。
- <尺には尺を>泡沫の白遊夢完了
- サポートからも雨泽を殴り(迎え)に行けます。
- GM名壱花
- 種別EX
- 難易度HARD
- 冒険終了日時2023年11月23日 22時05分
- 参加人数10/10人
- 相談5日
- 参加費150RC
参加者 : 10 人
冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。
(サポートPC16人)参加者一覧(10人)
サポートNPC一覧(1人)
リプレイ
●少し前、豊穣
――或れのことを頼みたい。
青い角を持つその人が、そう言った。
その人には立場があり、国を離れることができない。いかなる時も公私混同は許されぬ立場にあり、法に従い行動する。時には冷血と言われるような判断とてするし、罰も下す。豊穣郷は八扇『刑部省』の長『刑部卿』――鹿紫雲・白水(p3n000229)は劉・雨泽(p3n000218)の従兄にして義兄に当たる。
「必ずや、雨泽殿を救出して参ります。この身に代えても」
その人へ『黒蛇』物部 支佐手(p3p009422)は誓った。遠い空の下で案ずることしかできぬその人へ大恩を返すべき時であり、元より雨泽は支佐手の友だ。救出に向かわないという選択は端から無い。
必ずやと告げた支佐手に、白水は「共に帰って来てくれねば真賀根殿の恨みを買うことになろう」と苦笑していた。
これは『命』ではなく『お願い』なのだから、必ずやともに無事に――。
●おかえりを言うために
白髪の少年が眼前のイレギュラーズたちを静かに見据えた。
「――雨泽。迎えに、来たよ」
帰ろう?
やっと生身の彼に会えたと眉を下げる『雨を識る』チック・シュテル(p3p000932)を見ても、少年――雲英・翠雨は瞬きひとつしない。
「うおおっ! 此処に来て正解だったぜ! ドンピシャじゃんよ!」
「迎えに来ました、雨泽様! 『おかえりなさい』を言うためにニルたちは来たのです!」
見つけたと指差す『音呂木の巫女見習い』茶屋ヶ坂 戦神 秋奈(p3p006862)もぎゅうと杖を握りしめて声を投げかける『あたたかな欠片』ニル(p3p009185)も、あの『箱庭』で翠雨を見たから姿貌が小さくとも驚かない。
「……みゃ。あの子が、劉さん……?」
けれど『祈光のシュネー』祝音・猫乃見・来探(p3p009413)はその姿を知らない。自分と然程変わらぬ背丈の少年には確かに雨泽の面影はあるものの、別人のような視線を祝音へと向けていた。
「…………」
顔を見た瞬間にイレギュラーズたちが一斉に口を開いたって、翠雨は反応を返さない。ただ視線が流れるように動いて――イレギュラーズたちの立ち位置の確認と、どう数を減らしていこうかと殺す算段をたてているようだった。
「翠雨、下がって……! 早く、『先生』の元へ……!」
素早く『聖句』を唱えた珠海・千歳が声を上げ、同時に翠雨へも何らかの力の付与をした。
けれども静止の声とほぼ同時に、翠雨は流れるように前へと出て――
「っぶねェ!」
ゴリョウ・クートン(p3p002081)が向けられた凶器を引き受ける。
「どうして雨泽様……翠雨様が、ニルたちを狙うの?」
「……どうした雨泽、そんな成長期みたいな姿になっちまって」
打ち込んできた翠雨がひらりと体を捻り、ゴリョウの体を刻んでいく。直ぐに沈まずに済んだのは、ゴリョウの高い防御技術故だろう。また飯を食いに来いと告げる頃には彼も膝をついていた。
「なにがあったの? なにをされたの!?」
「劉さん……!」
訳もわからずニルが狼狽える傍らで、駆け抜けていった翠雨に息を飲んだ祝音は素早く状況を判断する。聞き覚えのある文言は意識をあの白服――千歳へと向けるもので、そしてあの白服は敵であり、どこかへ翠雨を――雨泽を連れて行こうとしていること。
「ごめんね、劉さん……!」
獄門から喚んだ爪で翠雨を攻撃し、「皆、気をつけて!」と《クェーサーアナライズ》を唱えて【怒り】の解除を図った。
「翠雨……!」
戻ってきてと千歳は翠雨へと声を掛け続けている。
(……何故だ)
沈着冷静な『優穏の聲』ゲオルグ=レオンハート(p3p001983)はそれに違和感を覚えた。翠雨が――雨泽が既に聖痕付与で遂行者や魔種へと堕ちていれば、そのどちらももう『あちら側』で戻ることはできないから慌てる必要など無いはずだ。命は危険に晒されるだろうが、この『呼び声』も響くこの場で魔種ふたりが相手ならばやり過ごせる人数だろう。
だとすれば。
「どうやらまだ聖痕は刻まれていないようだな」
祝音に助かったと短く返したゲオルグは自身へと《黄金残響》を付与し、低くもよく通る声で仲間たちへ感じたことを伝えていく。
「彼は翠雨を離れさせようとしているように見える。恐らく、彼は氷聖の所へ雨泽を連れて行くつもりなのだろう」
けれども翠雨が前へ出てしまって帰ってきてくれないから、焦っている。
その読みは、きっと正しい。
「雨泽様は……雨泽様はまだ、大丈夫……」
ゲオルグの声に、杖を握るニルの手に力がこもった。
このひどい『呼び声』の中にずっと居て、彼がまだ魔種に堕ちていないのだという希望。それは彼がひとりで耐え続けている証でもある。約一ヶ月、ひたすらに呼び声を跳ね除け続けるのはどんなに辛いことだろうか。涙ぐみそうになったニルは目頭に力を籠めた。
(ニルは、雨泽様がニルたちのところに帰ろうとしてるって、信じてるのです!)
攻撃には驚いてしまったけれど、大丈夫。希望があるから頑張れる。まだ大丈夫って信じてる!
「雨泽様を返してもらいます!」
あの人が連れて行こうとするのなら、そうはさせない! ニルは千歳へ向けて魔術を放った。
「――千歳」
「……チック」
ニルの魔術に眉を寄せながらも千歳は、冷え冷えとした声でチックに名を呼ばれ、一度喉に触れてから友の名を呼んだ。立場は違えど友だと、千歳は今も思ってはいる。
「『先生』の事、今も好き?」
「……ごめんね、チック」
謝罪。それが答えだ。いくら友だと思っていても、ふたりの道はもう、交わらない。
けれどチックは悲しい素振りを見せない。千歳が氷聖を大事に思うように、チックも雨泽を大切に思っているから。
(私は前の私ではないし、今の私にこの武器を握る資格なんてないと思う)
けれどと前を向くのは『ロスト・メモリー』隠岐奈 朝顔(p3p008750)。神使としての記憶をほぼ失ってしまった朝顔だけれど、雨泽のことは日記に記載されていた。今の朝顔自身に記憶はなくて、思いだって共有されていない。けれども朝顔は今、自分の意思で其処に居た。
「返して頂きますよ? 雨泽さんを」
この人をどうにかしないと駄目だと、朝顔の勘が告げている。記憶を失ったのにその勘はどこから来たのかと考えれば可笑しな話だが――記憶が無くなろうと朝顔が朝顔であるように、芯は何ひとつ変わらぬということだろうか。
「隠岐奈 朝顔、参ります!」
竜撃の一手を決めんと、朝顔は駆けていく。
前へ。ただ前へ。煩い呼び声や『桜鈴』の音が響いたとしても、前へ。
「――迎えに来たわよ、雨泽」
「うーっしゃあ、負けねー! 翠雨ちゃんラビュり、すっかー? 雑かまちょ!」
「やる気になっとるとこ悪いですが、おんしにゃ此処でわしらと遊んでもらいます」
殆どのイレギュラーズたちが千歳へと向かう中、『ベルディグリの傍ら』ジルーシャ・グレイ(p3p002246)と秋奈、支佐手は千歳よりもずっと前方へ出ている翠雨の側に留まった。
「…………」
「……反応がないっていうのも少し困るわね」
「でもま、やることは変わらないし?」
「ですの」
イレギュラーズたちは千歳と翠雨を合流させないことに決めた。前に出た翠雨が千歳の元へと戻らぬように三人でマークして取り囲むつもりなのだが……
「うおっ、翠雨ちゃんめっちゃ動く!」
背後を取られて喜ぶ者なんて居ない。三人で囲もうとすると翠雨は背後を取られないように立ち回ろうとする。
素早く動ける――行動回数が多いと言うのはシンプルに強い。翠雨は一度ジルーシャに攻撃をしてそれが何の効果も得られなかかったのを見ると、すぐにブレイクが可能な範囲技を使用し、その後に強烈な一撃を叩き込んで距離を置いた。戦闘センスが高く、瞬時に状況判断をし、次に取るべき行動を正しく把握している。
(ですが。合流する気はないように見えますの)
チラと支佐手は視線を動かし、多くの仲間たちが向かった千歳を見た。
千歳はあれだけのイレギュラーズと相対してもまだ、翠雨に戻ってくるようにと告げている――が、翠雨が言うことを聞かない。
(大方、『敵の殲滅』を命じられているんでしょう)
千歳よりも『上』がそう命じたのなら、そうする。
上に命で支佐手が獄人へ手をかけたように、翠雨もまた命に従っているに過ぎない。それこそが人形としての――一兵としての正しい姿だからだ。
「……おんしには似合いませんがの」
深淵の鏡に翠雨を映さんとする。そこに悪いものを感じたのか、翠雨がひらりと避けた。
鬼ごっこは『箱庭』から場所を変え、まだ続くようだ。
(こんなにも綺麗な人でも敵、なんだね。うん……倒さなくちゃ、だね?)
面識のない『星を掴むもの』シュテルン(p3p006791)には、千歳は綺麗な海洋種に見える。けれどもヒーラーとして一歩置いた視点から観察するに、彼は何人ものイレギュラーズたちが相手取らねば勝てない相手――魔種で、そして白を纏う遂行者。
(……チックさんとはお知り合い?)
少し会話をしていたが、既にチックは歌うのみで話すことをやめている。
その姿に『早く倒したい』という思いを感じ取り、シュテルンは少しだけ視線を落とした。
(私、は――)
彼ほど強い意思を持っていない。
仲間が傷つく度に賢明に歌を歌い、祝福を降らせ、仲間の無事を祈ってはいる――けれど、勇者たる資格はあるのだろうかという気持ちがシュテルンにはあった。
(ああ……勇者である事に疲れたな、楽に、なってしまいたいな)
そんなことを考えてしまう。
――この場に満たされているのが怠惰の呼び声であれば、あっという間に飲まれていただろう。
だが、だからこそ、そんなシュテルンは傲慢からは程遠い。
そしてシュテルンの『かみさま』は実直で勇敢で、小さな悪さえも許さない怠惰とは程遠い人だ。
(…………、せめて手の届くひとたちが救われますように)
後ろ向きの気持ちはあれど、『赤』を見たくはないから。それが早く消えてくれるようにとシュテルンは仲間たちを癒やした。
「こっちには来なさそうだな」
「はい。でも油断は禁物です」
生真面目に答えた朝顔へ、解っていると『まなうらの黄』日向寺 三毒(p3p008777)が顎を引く。時折チラと視線をやるのは翠雨の方で、朝顔と三毒は千歳が自ら翠雨を連れ戻しに動かないようにと二人がかりでマークをしているのだが――千歳は範囲攻撃や吹き飛ばしに長けていて、度々外されては近寄らねばならない。だが逆を言えば、単体への必殺の一撃を持たず、翠雨のように多く動き回れる訳でもない。千歳と翠雨の連携がしっかりと取れていれば……考えるほどに頭の痛い話となるため、連携が取れていない事に感謝した。
しかし、やはり厄介なのは煩い『呼び声』だろうか。対策をしていなかった者――チックや支佐手、秋奈は時折動きが鈍っているし、そうでなくともぐっと堪えるために一拍程の短い時間ではあるが遅れが生じたりもしている。それ故か、翠雨を上手く囲むに至ってはいない。
(うるせェな)
どうにも神様とやらは全てをお救いになられるらしい。
神というものは総じて傲慢(そういう)ものだから、わからないでもない。
だが、三毒は『人』なのだ。身の丈に合った願いを抱き、不満に声を上げ、立ち止まったって足掻いて踏ん張って生き抜いて、手が届くと知れたら手を伸ばして掴み取る。
(いらねェよ、そんなひっくり返す力なんざ)
だってもう、手を伸ばせば届くところまで来たのだから。
なァ、そうだろう?
●ただいまが聞きたいから
「可愛いねぇ、翠雨ちゃん! 猫パンチ? にゃんにゃん?」
「……狐です」
「おっ、喋った!」
「あらホント、喋れるじゃない」
「っちゅうことは無視しとったってことですか」
「…………」
「ありゃ、また黙っちゃった」
実際には、猫パンチなんて可愛い火力ではない。けれども秋奈はいつも明るくパリピ全開! 取り柄は可愛さ明るさ元気さ! 命短し恋せよ乙女、此処で燃やさば女がすたるってか? なぁんて、うーん、いとエモし! 悲哀さなんて見せない事こそがJK道!
翠雨の相手を三人の旗色はと言うと、正直分が悪い。ジルーシャは都度付与を掛け直しせねばならず――だがこれは強力な一手を削ぐことにも繋がるため怠れず――命中が高めの支佐手や秋奈でも攻撃が当てられず、なかなか上手くBSを与えられていない。支佐手と秋奈は「このふたりは少し硬い」と思われ【崩落】を入れられ、更には回復手が居ないために既に三人ともパンドラでの復活を果たしてしまっている。
(でもね、おねーさんは知っているのだ)
回復手段を持っていないのはどうやら翠雨も一緒のようで、これまで一度も披露していない。翠雨の火力が高ければ高い程それは秋奈の【反】と支佐手の【棘】でダメージを返され、ダメージを蓄積させられていると言うのに、だ。元より攻撃が当たらぬ可能性は織り込み済み。三人の役目は合流までの足止めだ。合流した仲間の【必中】がついた攻撃でBSを付与し、手数で回避を減らし、確実に倒して連れ帰る。それまで保てばいい。
「危ない!」
「……っ、ありがと、助かったわ!」
どうやら他のイレギュラーズが駆けつけてくれたらしい。彷徨 みける(p3p010041)がジルーシャを庇って、翠雨が仲間殺しとならぬよう阻止してくれた。駆けつけた仲間はパンドラ復活が使えない――ここに至る道中で既に使っていたのだろう――から、みけるはそのまま後退する。
「私もこちらにつこう」
千歳を相手取っていたゲオルグが三人へ声を掛けながら近寄り、慈愛の息吹で満たしていく。
「すまない、判断が遅れた」
というのも、こちら側に回復役が居ると思っていたからだ。しかし、より強く攻撃が当たるようにと《黄金残響》を仲間へと少し付与してきたため合流までの時間は短くなったはずだし、ゲオルグが三名にも《黄金残響》を付与すればより攻撃が当たり、如いては支佐手が翠雨の回避を下げることも叶うだろう。
「困りごとだな?」
「しゃおみーにできるのはこれだけ……皆、頑張って……!」
誰かからのファミリアーでの連絡を受けて駆けつけてくれたのだろうか、天目 錬(p3p008364)が傷の深いジルーシャを高品質な《治癒符》で回復と命中の底上げをし、曉・銘恵(p3p010376)が三名のBSを取り払った。
「雨泽さんが見つかったって!? ……あれ、縮んでいないか? いや、今はそれどころじゃないか。おいらはアンタ達が無事に雨泽さんを取り戻して帰ってくることを祈っている」
慌てた様子のフーガ・リリオ(p3p010595)が仲間たちへのエールとともに聖なる光の陣を展開させた。
「大人が遊ばれてばかりでは格好がつきませんけえ」
「みな、無理はしすぎぬよう。合流まで確りと務めを果たすとしよう」
鬼ごっこは、まだまだこれから。
「……っ」
三毒と朝顔が千歳に吹き飛ばされた。力づくでも翠雨を連れていかねばならないと思っているのだろう千歳が前へと出る。
「海洋から重い腰上げて出てきたんでな。海種同士、仲良くしてくれや」
行かせない。すかさず接近した十夜 縁(p3p000099)がマークした。
「チック、朝顔! それに他の奴らも……」
チッと舌打ちひとつ、己が血で素早く陣を描いたレイチェル=ヨハンナ=ベルンシュタイン(p3p000394)の姿にチックが銀色を瞬かせ、体勢を整えんとしている朝顔はただ己の名を呼ばれたことに顔を向けた。あの人もまた『前の私』の知り合いなのだろうか。
「あれを斬れば良いのだな」
縁も面識もないがと知人のためにふらりと現れた『彷徨いの巫』フィノアーシェ・M・ミラージュ(p3p010036)が手斧に竜撃を纏わせる。
「みゃ。みーお、合わせますにゃ」
一緒に来ていた待合所の仲間『ひだまり猫』もこねこ みーお(p3p009481)とフィノアーシェは頷きあうと、連携して千歳へと一撃を繰り出した。
「皆……!」
来てくれた仲間の姿に祝音が声を上げ、背を押された気持ちとなった。
皆が居るから、大丈夫。絶対に助けられる!
「お迎えも花嫁の務めですが」
チラと見れば知った顔ぶればかり。それに勝ち気な笑みを浮かべた『姓なき花嫁』澄恋(p3p009412)は、今日のそのお役目は皆様へと目配せをして。
「……なんてお強い」
治癒の光を注ぐシュテルンに思わずそう言わしめる『お仕置き』の一撃を千歳へと見舞う澄恋。
その後も、今が正念場とイレギュラーズたちが続いていく。
「チック様、どうか悔いのないように」
ニルはどうしようか悩んだ。心を傷ませて、悲しい思いを懐いて、ただそれだけを口にして彼へと繋いだ。
チックは応えない。否、応えることが出来ない。
千歳の首を絞め上げる荊棘を紡ぐための歌を謳っている。
千歳が苦しそうだ。
どうしてあちら側にいったのだろう。今となってはそれもわからない。
何でこうなったのだろう。わからないことばかりだ。
でももう、それでいい。全てを知るには氷聖の手を取らねばならず、チックは白い天義の街でそれを断ったのだから。
まな裏に初めて千歳と会った日のことが浮かんだ。歌で交流した日のこと、クルークと会った日に千歳に会ったこと。今思えばあの日クルークが何かしたのではと、痛みの記憶によって気付かされる。
(そうなら、おれは)
友として、弟の罪を償う兄として。
魔種へと堕ちた友人の命を終わらせた。
千歳を討てば速やかに方向転換し、翠雨側へと合流をする。
討てば流れる感傷はそこになく、ただ掴み取るために前へとイレギュラーズたちは歩を止めない。感傷のための時間は、後からいくらでもとればいい。然れど今やらねばならないことが眼前にあって、やっと手が届くところまで来たのだ。集うイレギュラーズたちはこの機を逃しはしない。
「助けに、来ましたよ、雨泽さま。随分と、お可愛らしくなられて……」
まるでわたしと逆ですね、なんて大きくなったメイメイ・ルー(p3p004460)が笑って。『また』を望むメイメイも諦めてはいない。だから雨泽さまも――。周囲の者たちの命中を上げる巫女の舞をいざ舞わん。
「立て直して、いきましょう……!」
「マーク、代わります!」
「オレらに任せて整えろ」
シュテルンが癒やし、朝顔と三毒が支佐手等と入れ替わる。
ジルーシャたちの傷のほうが酷いが、翠雨自身も傷ついて血を零している。その手が震えて苦無がカシャンと落ちたのを見て、どうしたと三毒がジルーシャへと視線を向けた。
「……あの子、アタシを殺せなかったのよ」
後のないジルーシャへと馬乗りとなった翠雨は、喉を掻っ切ろうとした。感情のない眼差しがジルーシャを見下ろして、ああここでお終いねなんてジルーシャは思った。
確実に翠雨はジルーシャを仕留められた。
なのに、そうはならなかった。翠雨が動きを止め――そうして今の状態。一度離れて震える手を怪訝そうに見て、新しい苦無に指を掛けて取り出し……また落とす。誰かを殺めることを止めんとする心が、体を戒めているようだった。
「届いてるんだろうな、アンタらの声」
「眠り姫の目覚めが近いということでしょうか」
届けようとしていた声は、香りは、きっと無駄になってはいない。
王子様は誰なんだろうなと口角を上げた三毒とともに、朝顔は困惑している少年を見た。
(さあ、お姫様の元までの道は開きましたよ!)
あとは朝顔の頼れる先輩方という王子様たちの出番だ。
「おおっと、お姫様を救うなら、おれも混ぜとくれないか?」
正念場なのだろうと人好きのする笑みとともに現れたヤツェク・ブルーフラワー(p3p009093)が善き魔術師らしく、顎を上げて前に進めるようにアンタに幸運あれと《詩人の助言》を齎して。
「雨泽の楽しい顔が見えないと、俺はちっとも幸せじゃないんだ」
言葉に波は感じぬが、駆けつけた赤羽・大地(p3p004151)は静かに腹を立てている。
「ま~男の子だもんナ! これぐらいじゃ泣かねぇよナ!」
剣よりも強く、ペンを振るえ! 大地の胸から溢れるありったけの思いをペン先へと籠めた。
――絶対に連れて帰る。
その思いひとつで、こんなにもたくさんの仲間達が駆けつけてくれた。
背中を任せられる仲間が集ったから、ジルーシャは傷だらけの体でも前へと出る。
奇跡なんて願わない。まだ手を伸ばせる場所に居て、掴めるのに。
(諦めてなるもんですか! アタシは! アタシたちは! アンタを信じてる!)
正直もう、ジルーシャはくたくただ。『次』はない。仲間たちが合流してくれたから衣を赤く染めながらも立っていられるが、集中攻撃を浴びたら終いだろう。翠雨がまた手を止めてくれるとは限らない。けれどそれでも、ジルーシャは奇跡を願わない。可能性はすべてこの小さな少年の中にあることを知っている。雨泽が諦めていないのなら大丈夫。それを信じて皆で来たのだ。
奇跡なんて必要ない! だって目に見える形で可能性がそこにあるのだから!
「アンタのために泣いて、アンタのために命を賭ける人がこんなにいて。『理想』よりも素敵な『現実』が、とっくにここにあるじゃない!」
素早く手を伸ばし、胸ぐらを掴むと間近からの一喝。
片手は大きく後方へと振りかぶっていて、すぐにパンと乾いた音が響くことが誰もが想像できた。
「だから――さっさと起きなさい、バカ雨泽! まだそこにいる気なら、次はグーで殴るわよ!」
思いっきり頬を引っ叩いての、仁王立ち。すぐ近くの秋奈がいいねと大笑して傷の痛みに体を折り曲げ、シュテルンが聖なる祝福の光を降らせた。
「……さい」
「お、喋った。なになに翠雨ちゃん!」
「……ジルーシャの言うとおりだ、雨泽」
「ほうですの。雨泽殿、いつまで寝こけとるんですか! こがなところで遊んどらんで、さっさと戻って来んさい!」
「うるさい!」
傷が辛いだろうに秋奈が持ち前の明るさを発揮させ、三毒が静かに首肯する。そうして繰り出された支佐手の剣を蹴りつけ足場とした翠雨が、感情を滲ませた表情で少し距離を取った。
「ゆず、ゆずって、俺は……」
堪りかねたように、翠雨が口にする。
「俺は……いらない、の――?」
チックが小さく息を飲んだ。
――ああ、雨泽だ。
感情を抑え込まれた人形に、雨泽の感情が発露した。
『今の僕も昔の俺も、どっちも僕なんだよね』
チックへ、雨泽がそう話してくれたことがあった。家を出た事に後悔をしてはいないけれど、切り捨てた幼い自分と、一族のことをずっと考え続けて生きてきている、彼。切り捨てきれずに抱えている、彼。
「いらなく、ない……!」
チックは翠雨という名も雨泽という名も、どちらも呼びたいと彼に告げて許しを得たことがある。どちらも彼なら、どちらかだけじゃだめ。居てくれないと嫌で、失うことが怖い。
(翠雨として生きてきた君も、今雨泽として生きる君も失わせるものか)
頬よりも頭が痛むのか、呼び声に抗っているのか、体をふらつかせた翠雨が頭を抑えた。
「……にるは探してる人、見つけたの?」
「……ニルの前に、います」
俺は……と、眉を寄せた翠雨が零す。
ちぃとじぃくは俺と遊ぶって約束した。
三毒、支佐、げおと鬼ごっこをする。
るぅと秋奈と市場もいく。
ひまと飴を食べる。
(――っ)
朝顔が息を飲んだ。『ひま』とは向日葵のことだろう。『前の私』の置き土産。朝顔は全てを忘れてしまったけれど、この少年の中にはそんな些細なことも夢という形で残っていて、今後もそれを望んでくれている。
『――帰りたい』
雨泽から貰ったブローチを気付けば握りしめていたチックと人助けセンサーで何か感知できないかと探っていた祝音は、帰りたいのに帰れなくて困っている迷子のような声を感知した。
「帰ろう、劉さん。ちゃんと帰ってきて」
「……帰ろう。皆と一緒に」
「うん、帰る。帰るよ」
でもね。
――翠雨の体が揺れて。
零れ落ちていた彼の血が刃となる。鬼血と『水分』を操っているのだろう。
「……体、いうこと、きか、ないっ」
意識のない状態より、意識のある状態で皆を傷つける方がずっと辛い。ごめんと零した声が悲哀に溢れていて、ニルのコアがジクリと痛むような熱を持った。
「だい、じょうぶ、です! ニルはまだがんばれます!」
何故ならニルは、ぜったいぜったい一緒に帰るから! そうするって決めてるから!
わがままだって言われてもいい。互いに傷つけ合うのは嫌なことだから早く終わらせて、帰ってまた『おいしい』を教えてもらうのだ。
「お前さんは誰も傷付けずに自分で自分を守れる、強いヤツだ。凄ェよ。なァに、オレらの怪我なんか傷にゃ入らん!」
「そうだよ。誰も倒れさせない……絶対に!」
気にするな。三毒と祝音が言葉を重ねる間にも、翠雨の体は勝手に動いてイレギュラーズたちを傷つけてしまう。けれど仲間の血で手を染めてしまったなんて、思わせはしない。傷つけた分癒やして、傷を消して隠してしまおう。
「せめて……救われる方向性へ」
「――頑張って!」
仲間への回復はシュテルンも柊木 涼花(p3p010038)も力を籠めて、雨泽の心が傷つかないように努める。こんな場所でひとりで頑張ってきたのなら、その努力は報われるべきだと思うから。
「猫の手は終了。後は君達次第だよ」
猫の手、ひとつぶん。ナイアルカナン・V・チェシャール(p3p011026)も祝音が早く終わらせられるようにと回復を担ってその背を押した。
「ほら、祝音君行くよ」
「みゃ、皆……っ」
一緒に行こうとヨゾラ・エアツェール・ヴァッペン(p3p000916)が祝音の手を取って、ともに至近距離へと駆けていく。
「ちゃんと帰ってきて頭と肩と背中と腰とその他諸々に可愛い猫を沢山乗せさせろー!」
「ふわふわにゃんこたちで埋め尽くされちゃえー!」
ヨゾラの言葉に小さく笑った祝音は、彼の《星の破撃》に合わせて神滅の魔剣をふりかぶる。翠雨の体から沢山の血が溢れて鏡面のように美しく磨かれた床が染まった。けれどそれさえも、彼にとっては新たな武器となり、鬼血によって編まれた大量の苦無が浮かんだ。
けれど、後少しだ。
ピリピリと感じる緊張感がそう告げている。
――決して、違えてはならない。
その瞬間は誰だって緊張して、得物を握る手に汗を感じたことだろう。
「今だ、行くといい」
雨泽とはまだふわもこアニマル愛も甘味の話も山程出来るはずなのだから、ちゃんと帰ってきてくれなくては困るのだ。先刻の祝音たちの猫まみれも良いかもしれないなと口角を上げたゲオルグが仲間たちの命中力の底上げをして回り、アタッカーたちの背を押していく。
「大丈夫ですけえ。次に目覚めたら『家』です。目を閉ざしてもなんも怖いもんはありませんけえ、それまでゆっくり寝とりんしゃい」
「起きられなかったら、おれが『鐘』を鳴らすよ」
だから、大丈夫。一緒に帰ろう。
永い夢を終えて、ここから出て、君が帰りたいって願う場所へ。帰ってきてと願う皆の元へ。
怖い夢も悪い夢も、もうお終い。
君の夜を終わらせて、朝を迎えに行こう。
「劉さん……!」
倒れる姿を見た瞬間、祝音は駆け出していた。手を伸ばせるところまで行きたくて、慌てて手足を動かしたらから転んでしまったけれど、ヨゾラが助け起こして「行って」と背中を押してくれた。
「息は……」
覗き込むジルーシャの視線の先で支佐手が面頬を外そうとしている。結び目が硬いのか暫し格闘し、ゲオルグが差し出したナイフで組紐を掻き切った。
「……良かった。どうやら、息はあるようですの」
「だが」
ゲオルグが言い淀む。ここからは時間との勝負となる可能性が高い。回復魔法で傷を塞げても、失った血は補えない。鬼血を用いて戦う鬼人種は他種族よりも潤沢なのかもしれないが、今の雨泽の体は10歳ほどの少年のものなのだ。
「……ごめんね、劉さん。みゃー」
いつもは大きな手が、今は祝音と同じくらい。血に濡れていることに気付いて賢明に袖で拭うと、ぎゅっと握りしめた。――今度は、振り払われない。握り返してくれることもないけれど、きっと散歩や街歩きとかであった時に強請れば「いいよ」と手を繋いでくれるはずだ。
「早く、帰りましょう」
「そうだな」
雨泽の無事を確認している間も、三毒とニルは千歳が向かおうとしていた回廊の先へと意識を向けていた。
戦闘行為を始めてから、もう充分な時が経過している。帰還が遅いと氷聖が現れる可能性も高くなろう。ニルのその考えはきっと――否、『正しい』。よくないと告げる勘は、三毒の後頭部でもぴりぴりと告げていた。
氷聖が追ってきたらと思うと、折角取り戻したのにまた眼前で連れ去られると思うと――何より、信仰してしまって差し出してしまったらと思うと――それがニルには酷く恐ろしい。
(ニルは、こわいです。悲しいのも、いやです。雨泽様と帰りたいです)
早くと急かすニルへとイレギュラーズたちは同意を示した。
「そうですね、折角取り戻したのに奪われるなんて私も嫌です。それに……雨泽さんが起きたら前の私のことも聞いてみたいですし」
「あ~~、私ちゃんはすっごいしんどー……でもま、ずらかるとすっか!」
お家に帰るまでが遠足ですなんて言ったりもするけれど、神の国を抜けるまで――神の国を抜けたって、油断はできない。
「回復をしながら……急ぎましょう」
各自の傷やAPを癒やしながらも帰路を急ごうとシュテルンが唱えれば、否やの声は返らなかった。
雨泽の体はそのまま支佐手が抱え上げ、彼を囲むようにイレギュラーズたちは自然と配置についた。先頭は《ルーンシールド》と《マギ・ペンタグラム》で【物無】【神無】を自身に付与したジルーシャが担う。
(――千歳)
撤退を始めたイレギュラーズたちの殿で、チックは振り返った。
戦闘を終えた回廊は静寂のみが降りていて、戦闘の傷が刻まれた壁や柱、大きく削られた床と誰かの血痕。千歳が居た場所には水溜りが残るのみで、友であった人の姿はそこにない。
(……ごめんね)
かつてのチックは困っている人のために献身して、命に対して平等に接していた。けれど今はもう、命への優劣が出来てしまった。魔種になった友や弟よりも愛する人の命の方が大切で、愛する人のいない未来なんていらない。
チックが目を腫らせば、家族も雨泽も心配をしてしまう。ただでさえ瞳のことで案じさせるだろうに。
だから、振り返るのは一度だけ。
(……おやすみ、千歳)
銀色の瞳を一度伏して別れを告げると、雨泽を抱えた仲間たちの背を追いかけた。
――子守唄も歌ってあげられなくて、ごめんね。
成否
成功
MVP
状態異常
あとがき
雨泽の意識は出てこない予定だったのですが、オネエビンタのダイスがクリティカルを出しまして……。
今起きろと言うのは雨泽に辛い思いをしろということなのですが、皆さんも心と拳が辛いので分けっ子です。
雨泽はマスコメ通り、刑部邸で目覚めることとなります。
記憶はほぼありませんが、誰が来てくれたかはたくさんの方が助けに来てくださった話を目覚めたら白水から報告で聞き、とても驚くことでしょう。
……恥ずかしい姿を晒したので穴があったら入りたく、完治するまで刑部邸に引きこもります。
余談ですが、幼い頃の本当の翠雨は敬語で喋り
箱庭の翠雨は今の雨泽の意識が強く出ているのでフランクに喋ります。
箱庭の事はふわふわっと夢として少しだけ覚えているようです。
たくさんの気持ちをありがとうございます。
傷を癒やし、決戦へ備えてください。
お疲れ様でした、イレギュラーズ。
GMコメント
ごきげんよう、壱花です。
雨泽を殴りましょう! 眠り姫への目覚めの口吻(拳)ってやつですね、たぶん。
●成功条件
千歳の撃破
雨泽の奪還
上記、双方の達成
●失敗条件
千歳の生存
(生存した際、雨泽が帰還できません)
●シナリオについて
今回こそは! とテュリム大神殿へと向かったイレギュラーズたち。
襲い来る影の天使たちを退けながら回廊を突き進んでいると、翠雨を連れた千歳を発見します。
千歳は急いでこの場を脱したいと考えており、遠くに見える扉へと向かいたがっています。が、翠雨は「敵を排除しなくては」と交戦の姿勢を見せています。真っ直ぐに回廊を駆け抜けていってしまえばあなた方の手は届きませんでしたが、これは巡ってきた好機です。
しかし、ちょっと強く殴ったってなかなか起きてはくれません。此処から離すべきだとあなた方は勘付けるかと思います。意識を奪って連れ帰ってしまいましょう。
随分と前から千歳はあなたたちに気付いているので、千歳が先手を取ります。
●フィールド『テュリム大神殿』回廊
神の国で最も重要とされている神殿です。上位に属する遂行者や指導者の居所でもあり、祈りの地でもあります。
礼拝堂や、長く美しい回廊、神殿内の中庭には花が季節外れに咲き誇っています。ある意味でもっとも権威を感じる場所がこのテュリム大神殿です。
戦闘となるのは、テュリム大神殿内の長く美しい回廊です。翠雨を連れて千歳が移動していた所、エンカウントします。
理想郷では住人や遂行者は倒してもリポップしますが、ここは理想郷ではないため死亡します。
●『原罪の呼び声』
大神殿内では絶えず傲慢の魔種による呼び声が響いています。
心を強く持ち、行動に支障がでないよう、しっかりと抵抗してください。
傲慢じゃないから大丈夫? その思いこそが傲慢でしょう。
●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。
●珠海・千歳
チックさんの友人、氷聖陣営の遂行者、そして魔種です。
声を失っていましたが、今は声が出ます。が、長く氷聖の側を離れていると声が出なくなるため、不安になります。チックさんと過ごした時間よりも氷聖と過ごした時間の方がかなり多いため、心酔しきっています。氷聖を否定する言葉は響かないことでしょう。
クルークが魔種に落とし、後に氷聖から聖痕を与えられて遂行者となっています。そのためか、クルークよりも強くはありません。
バッファー兼ヒーラー、魔種なのでタンク能力もそれなりに。優先事項は翠雨を守る(陣営へ連れ帰る)ことです。【怒り】付与ができます。
……連れ帰りたいのですが、翠雨が「敵を倒す!」となってしまうので少し困っています。
●雲英・翠雨(雨泽)
小さい雨泽は氷聖の可愛い操り人形です。お喋りは殆どせず、眼前の敵の排除が優先されます。皆さんを見ても特に何も思いません。心がないお人形なので。
雲の一族は兵部・刑部・神社麾下忍び『雲隠れ』となるため、雲隠れとしての翠雨となります。『偽・不朽たる恩寵』のバフが掛かっており、イレギュラーズ2・3人分くらいの動きを見せます。
アタッカーで、優先事項は敵の殲滅。高命中、高EXA、高回避。攻撃には【攻勢BS回復】【必殺】がついていることが多いです。
EXF、パンドラ復活も可能です。【必殺】で倒した場合は死に、雨泽は帰還しません。(【不殺】+【必殺】の場合は大丈夫です)
・雨泽
すやってますが籠城戦。自分なりの戦いをしており、帰還を諦めていません。今のところは、まだ。
神の国――氷聖から離れると体の自由を取り戻して起きられるようになり、数日小さいままですがその内姿も戻ります。
助かった場合、刑部卿が引き取り、雨泽実姉が看病します。(支佐手さんは刑部卿から奪還のお願いされていても大丈夫です。)
●サポート
【翠雨(雨泽)もしくは千歳へ攻撃】or【通常参加者へのサポート】が可能です。
前者は声を掛けながら殴れます。【必殺】がついていた場合、描写されない可能性もあります。
後者は声を掛けられませんが仲間の回復・かばう等、通常参加者へのサポートが出来ます。
いずれも『行動一回分』のサポートになります。
シナリオ趣旨・公序良俗等に違反する内容は描写されません。
●EXプレイング
開放してあります。文字数が欲しい時等に活用ください。
本シナリオで関係者の採用はありません。
それでは、イレギュラーズの皆様、よろしくお願いします。
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