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シナリオ詳細

ベロニカ・ブルーを聴きながら。或いは、果て無き地獄のヴァインカル…。

完了

参加者 : 8 人

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オープニング

●ピアニストという蛮族
 数多いる楽器演奏者の中でも、ピアニストという“人種”は特別だ。
 例えば、指揮者が優秀な部隊指揮官であるならば。
 例えば、ドラム隊がオーケストラに血を送る心臓であるならば。
 例えば、ベースが舞台の歩みを支える足であるならば。
 例えば、トランペットが高らかに響く咆哮であるならば。
 例えば、ヴァイオリンが勇壮な騎士であるならば。
 ピアニストは蛮族だ。

 ピアノという楽器は、あまりにも完成し過ぎている。
 数多に楽器の種類はあれど、楽器の中でただ1つだけを“女王”と評するのであれば、きっとそれはピアノということになる。
 頂に多くの席は無い。
 それゆえ、ピアニストは孤独。そして、孤高な存在だ。
 細い指を鍵盤に躍らせる様を、流麗な剣技に例えよう。
 オーケストラを、1つの部隊に例えよう。
 1つの部隊は、指揮者に従い群となって行軍する。誰もが同じ目的を持ち、誰もが同じく歩調を合わせる、勇壮なる1つの軍隊だ。
 そんな中にあって、ピアニストは異質極まる。
 同じ部隊の一員である。それはきっと間違いない。
 だが、それだけだ。
 ピアノの音は、他の何とも調和しない。肩を並べることはあっても、肩を組むような真似はしない。
 ただ、淡々と。
 己の刃を鋭く研いで、斬り付ける。
 偶然、他の楽器隊と同じ方向を向いているだけの孤高な蛮族。
 戦わずにはいられない。血を流さずにはいられない。悲壮であり続けなければならない。
 ピアニストとは、きっとそう言う存在なのだ。
 少なくとも、ヴァインカルという女性の演奏を始めて耳にした瞬間に、イフタフ・ヤー・シムシム(p3n000231)は己が喉に突きつけられた、白と黒の鋭い剣を幻視した。

●ベロニカ・ブルー
 シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団の演奏を耳にしてから、数日後のこと。
 海洋のとある港町に滞在していたイフタフに1つの依頼が持ち込まれた。奇しくも依頼者は、シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団。数日前、港の広場で野外コンサートを開いていた一団だ。
 依頼内容は単純だった。
 そして、意味の分からぬものだ。
「ベロニカ・ブルーの楽譜を奪取せよ……っすか」
 なんのことやら、さっぱりだ。
 さっぱり意味が分からなかったイフタフは、好奇心と不安と、ほんの少しの嫌な予感を胸に抱いて、依頼者の元へ足を運ぶことにした。

「ヴァインカルは、ベロニカ・ブルーに憑かれているのです」
 そう言ったのはシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターを務める初老の男性であった。彼は悲痛そのものと言った表情で、ギリと強く歯噛みする。
「ヴァインカル、って誰っすか?」
「あぁ、失礼。うちのピアニストですよ。肌と髪の白い、枯れ木のようにほっそりとした女性でね……無口で、剣呑で、とっつきづらい奴なんですが一等腕はいいんです。あんなピアニスト、どこを探したっていませんよ」
 困ったような、けれど誇らしさを滲ませた声音で初老の男はそう言った。
 ピアニスト……つまり、先日の演奏でイフタフの喉に剣を突き付けた者だ。もっとも、その剣はイフタフが幻視したものであり、実際にはただピアノを弾いていただけに過ぎない。
 思案するイフタフの様子をそっと伺いながら、初老の男は言葉を続ける。
「ベロニカ・ブルーというのは1年ほど前にヴァインカルが手に入れた楽譜です。誰の曲とも知れない未完成の楽譜なんですが、ヴァインカルはどうもそれに憑かれてしまったみたいでね」
 未完成のベロニカ・ブルーを完成させるべく、空いた時間のほとんどを作曲に費やしているらしい。そして、曲を書き上げては瓶に詰めて海に流す。また、すぐに曲を書き始める。書き上げてはまた……と、そんな生活をもう1年も続けているのだ。それでも未だに、ベロニカ・ブルーは完成してはいないらしい。
 ついにヴァインカルはオーケストラの合同練習にも滅多に顔を出さなくなった。
 顔を出さなくとも、ヴァインカルの演奏は完璧だった。
 オーケストラのメンバーたちは、そんなヴァインカルに憤りと不安を抱いているという。彼女が執着しているベロニカ・ブルーという楽曲。それが完成した日には……否、完成するよりも先に、ヴァインカルが死んでしまうのではないか。
 そんな陰鬱とした未来予想が容易に出来てしまう程度には、今のヴァインカルは常ならない状態にあるという。
「こうなってはもう、彼女のためにベロニカ・ブルーを奪ってどこかへやってしまうほかない。そこで、今回の依頼となるわけですな」
「はぁ……楽譜を奪うぐらい、ご自分たちでやればいいのに」
「それが、ですな。少々、異様な事態となっておりまして……」
 視線を伏せて、初老の男はポツリと呟く。
 そうして語られたのは、なんとも荒唐無稽な話なのである。

 現在、ヴァインカルは海を一望できる丘の上の屋敷を借りて暮らしているという。シラホシ・フィルハーモニー管弦楽団は海洋の各地を旅してまわる楽団だ。それゆえ、ほとんどの場合は大きな宿を貸し切るか、空き家を幾つか借り受けて集団で生活している。
 だが、今回のヴァインカルのようにバカンスがてら個人で別荘を借りて暮らすことも許可されていた。もっともヴァインカルの場合は余人に作曲の邪魔をされたくないというのが理由だろうが。
「楽団の練習にも来ないので、心配して様子を見に行ったんですな。ところが、誰もヴァインカルの借りている屋敷に近づけなかった」
 頬を伝う汗を拭って、初老の男はそう言った。
「あれは、何なんでしょうな。私にはあれがヴァインカルの苦悩の具現のように思えましたが」
「あれって何っすかね?」
「空には黒い太陽。無数の墓が突き立つ大地と、静かに降りしきる雨の幻覚。それから、影……ヴァインカルが弾くピアノの音に導かれるように、我々の進路を影が……騎士か、戦士か、獣のような影が塞ぎましたな。誰もが【暗闇】に捕らわれ、【懊悩】し、【魅了】され……時には【滂沱】と血を流し、1人さえもヴァインカルの元に辿り着けませんでした」
 きっと、それも全てベロニカ・ブルーの楽譜のせいだ。
 そう考えたオーケストラの面々は、楽譜の奪取と廃棄をローレットに依頼したというわけだ。
「そこで“楽譜を燃やせ”って言わない辺り、皆さんもベロニカ・ブルーに憑かれてるんじゃないっすか?」
 どこか呆れたような声音で、イフタフはそう呟いた。

GMコメント

●ミッション
“ベロニカ・ブルーの楽譜”の奪取

●エネミー
・ヴァインカル
白い肌、白い髪、枯れ木のように痩せ細ったピアニスト。
ベロニカ・ブルーの楽譜を完成させるため、憑かれたように作曲を繰り返している。
ここ1年ほどずっと作曲し続けているようだが、未だベロニカ・ブルーは完成に至らず。
現在はシラホシ・フィルハーモニー管弦楽団の練習にも滅多に顔を出さず、個人で借りた屋敷に閉じこもったまま。寝食さえまともにとっていない可能性もある。

・ベロニカ・ブルーの幻影×?
ヴァインカルの屋敷に近づくと現れる騎士か、戦士か、獣のような影。
影に触れれば【暗闇】に捕らわれ、【懊悩】し、【魅了】され、時には【滂沱】と血を流す。
被害に逢った楽団員に死者が出ていないことから、個々の戦闘力は低いと思われる。
曰く、ヴァインカルの苦悩の具現である。

●フィールド
海洋のとある港町。
今回の舞台となるのは、街から幾らか離れた小高い丘の上。
海が一望できる屋敷で、現在は一時的にヴァインカルがレンタルしている。
屋敷に近づくと、ヴァインカルの弾くピアノの音色が聞こえて来るらしい。
そして気づけば、無数の墓が突き立つ大地に立っているという。また、空には黒い太陽が浮かんでおり、静かに雨が降り続けている。その場は果てしなく陰鬱である。
黒い太陽と墓標の大地、降りしきる雨はどうやら幻覚の類のようだが……。

●情報精度
このシナリオの情報精度はBです。
依頼人の言葉や情報に嘘はありませんが、不明点もあります。

  • ベロニカ・ブルーを聴きながら。或いは、果て無き地獄のヴァインカル…。完了
  • GM名病み月
  • 種別通常
  • 難易度NORMAL
  • 冒険終了日時2023年08月22日 22時05分
  • 参加人数8/8人
  • 相談6日
  • 参加費100RC

参加者 : 8 人

冒険が終了しました! リプレイ結果をご覧ください。

参加者一覧(8人)

十夜 縁(p3p000099)
幻蒼海龍
ベーク・シー・ドリーム(p3p000209)
防戦巧者
亘理 義弘(p3p000398)
侠骨の拳
シャルロッテ=チェシャ(p3p006490)
ロクデナシ車椅子探偵
回言 世界(p3p007315)
狂言回し
イズマ・トーティス(p3p009471)
青き鋼の音色
フーガ・リリオ(p3p010595)
君を護る黄金百合
カトルカール(p3p010944)
苦い

リプレイ

●孤独な蛮族
 ピアニストは本質的に孤独で、そして蛮族だ。
 たった1人で、ピアニストだけで演奏が成立するという楽器としての完成度の高さゆえに、そして、観客のためではなくピアニストのためにコンサートが開催されるという特殊性ゆえに、ピアニストの多くは“実戦で鍛え抜かれた鋭い刃”を思わせるほどに実戦慣れしている。
 ピアニストであり続ける限り……ピアニストでありたいのなら、闘争の中に身を置かなければならない。戦い続けなければならない。
 彼女もそうだ。
 ヴァインカルと言うピアニストも、孤独な戦士だ。
 だから、だろう。
 ヴァインカルの心象風景を具現化したであろう障害は、獣や騎士や戦士の姿をしていた。

「命を削ってまで曲を書き上げようとするとは、つくづく芸術家ってのはよくわからねぇな」丘へと向かう坂の途中で、『幻蒼海龍』十夜 縁(p3p000099)は足を止めて、刀を抜く。
 はじめに、幽かな音が聴こえた。
 深く暗い海の底から、泡のように沸き立つような音色に思えた。じくり、と縁の二の腕に生えた鱗が疼く。
 おや? と、思ったのもの束の間、気づけば縁は見知らぬ土地に立っていた。無数の墓が突き立つ暗い大地の真ん中、空には黒い太陽が浮かぶ。
「これで本当にあのピアニストの嬢ちゃんが死んじまったら、めでたく呪われた曲の誕生だ。そうなりゃぁ逆に聞くやつもいなくなりそうなモンだが」
 零れるようなピアノの音が、いつしか冷たい雨へと変わる。
 雨に煙る縁の視界に、黒い影が1つ、2つ……騎士や獣の群れである。
「ふぅむ……まぁ、状況とか前提とかはいまいちわかんないですけど、やらなきゃいけないことは大体わかりますし」
「おぉ、兵隊さんのお出ましだ。ベロニカ・ブルーの楽譜になにかしらあるのか、それともヴァインカル本人の執着が怪異を呼び寄せてるのかわからねえが、やることは簡単だな」
『泳げベーク君』ベーク・シー・ドリーム(p3p000209)と『侠骨の拳』亘理 義弘(p3p000398)が縁に並んだ。
 ベークは旗を、義弘は拳を構えたが、影の軍勢は何の反応も示さない。
 ただ、静々と前進を続けるばかりであった。
 
「騎士に戦士に……良いじゃないか、まるでちょっとした軍隊の様だ」
 影の軍勢を睥睨し、『ロクデナシ車椅子探偵』シャルロッテ=チェシャ(p3p006490)は手を叩く。
 一糸乱れぬ行軍は、なるほど確かに中々どうして壮観だ。
「楽譜が呪われているのか、ヴァインカルにそういう力が元々あったのか……それとも、悪霊の類に取り憑かれたか」
 見たところ、影の軍勢からは意思や感情らしきものは感じられない。『狂言回し』回言 世界(p3p007315)は、今回の一件に至った背景へ思いを馳せた。
 聞いた話では、ヴァインカルに魔術的な素養は備わっていなかったように思われる。だが、周囲を囲む影の軍勢は、明らかに尋常ならざる存在だ。
 例えば、召喚術によって呼び出され、使役されるそれに似ている。
「と、取り憑かれてるって……怖い幽霊は勘弁しろよぉ。どっちにしたっていい大人が食事も睡眠も忘れて作曲とか不健全だって絶対!」
 『苦い』カトルカール(p3p010944)は、しきりに周囲を見回していた。今のところ、影の軍勢が攻撃を仕掛けて来る様子は無い。
 だが、武器を手にしている以上、それはつまり“戦闘行為を想定された”存在であることは明白。きっと、あと数メートルもヴァインカルの館の方へ近づけば、影の軍勢は容赦なく襲い掛かって来るだろう。
「あぁ、ヴァインカルの深層心理の具象化って線もあるか」
 顎に手を触れ、世界は呟く。
 少し考えて、結局、今は目の前の問題を片付ける以外に取れる術がないと結論づけるのだった。

 静かな、けれど壮絶な音色だ。
 ピアニストとして歩んだこれまでの人生を……否、今後、手にするはずの栄光や名声、そして命までもすべてぶちまけるような、静かな激情の音色である。
 例えるのなら、暗い海の底で燃える青い炎。少なくとも、『青き鋼の音色』イズマ・トーティス(p3p009471)はそれを幻視した。
「こんな楽曲と縁ができてしまったら、興味に従うしかないのが音楽家の性だよ」
「おいらも演奏家として、気になる楽曲だが……人が死にかけるのなら、話は別だよな」
 同意を示す『君を護る黄金百合』フーガ・リリオ(p3p010595)がトランペットを唇にあてた。肺いっぱいに空気を吸い込み、晴れやかな音色を響かせる。
 陽だまりにも似た暖かな燐光が、音色と共に周囲に溢れた。
 その音は、仲間たちの傷を癒し、戦う力を補填する。魔力を背中一杯に浴びた義弘が前へ。
 剛腕が唸り、繰り出されるは渾身の殴打。
 まっすぐに、そして容赦なく、義弘の拳が影の騎士の顔面を撃ち抜く。

●音の鳴る方へ
 イズマの腹部を槍が貫く。
 血を吐くイズマのすぐ背後で、フーガがトランペットを吹き鳴らした。
 燐光が、イズマの傷を癒していく。
「無茶しなさんなよ」
「無茶じゃないさ。これが彼女の苦悩と地獄なら、受け止めて理解する必要がある」
 イズマの答えを聞いたフーガは、仕方が無いというように肩を竦めた。
 だが、フーガにも分かっているのだ。
 血を流さなければ、傷つかなければ、理解できないことがあるという真実を。

 他者の接近を拒むかのように、影の軍勢が数を増す。
 無限に湧く、と言うわけでは無いようだが、雨に煙る視界の中に一体、どれだけの騎士や獣が存在するかは把握できない。
「こいつらがどういうものなのかはいまいちわかりませんが」
 義弘が強引に開いた道を封鎖するように、影の軍勢が移動を始めた。
 ベークはそれを確認すると、ゆっくりと旗を高くへ掲げる。
 誇り高き英雄の御旗……見る者が見れば、ベークの姿はそのように映ったかもしれない。
 そして、ふわりと。
 甘い香りが周囲に散った。
 それは焼き立てのパン……否、たい焼きの香り。雨の降る暗い墓所においては、いかにも場違い極まる香りだ。
 けれど、香りの効果は絶大。
 目鼻や口があるかどうかも定かではない影の騎士が、影の獣が、ベークの方へ顔を向けた。
「うっ……」
 一瞬、ベークは呻くように言葉を零して、肩を跳ねさせる。
 影の軍勢たちの姿が、まるで飢えた捕食者のように見えたから。
 だが、予定通りだ。問題はない。
 少なくとも、ベークの意図したとおりに影の軍勢は動いた。
「よし、と。僕が相手です」
 大きく旗を頭上で振った。
 それから、旗を肩に担ぐと真っすぐに影の軍勢を見やる。
 襲い来る剣が、迫る爪や黒い牙が、唸る槍の先端が、ベークの身体を刺し貫いて、斬り刻む。

「これが『ただの』ピアニストのやることか?」
 容赦なくベークを斬り裂き、槍で貫く影の軍勢。
 それを見て、カトルカールは目を丸くする。
 だが、驚いてばかりもいられない。ベークは己の役目を果たした。影の軍勢を、その身を盾に引き付けた。
 斬られる端から、刺された端から、ベークは自身の傷を癒した。甘い香りのするたい焼きも、今だけは難攻不落の要塞と化す。
 ならば、次はカトルカールの番である。
 兎の脚で大地を蹴って、水飛沫を上げ、疾走を開始。
 暗い大地に、青い風が吹き抜けた。
 青き闘気を纏う1羽の兎が、影の軍勢へ飛びかかる。
 そして、蹴撃。
 鎧が砕け、影が飛び散る。
 1体、2体と続けざまにカトルカールは影の騎士を蹴り壊す。
 “壊す”だ。影の軍勢が討ち倒されて潰える様は“壊れる”という表現がふさわしい。そこに、命の輝きは無く、痛みに対する恐怖も見られず、志半ばで命を散らす無念さえも感じられない。
 どこまでいっても無機質な、ただの暴力。或いは、排他の感情のうねり。
「絶対怪しいって、そのベロニカ・ブルーの楽譜ってやつ……!」
 このようなものを発生させるベロニカ・ブルーという楽譜が、碌なものであるはずがない。

 影の騎士の振るう剣は空っぽだ。
 斬れ味は鋭く、剣の腕も上々。
 だが、軽い。
 剣を交えて伝わる感情と言えば、ただただ純粋な“拒絶”だけ。
「さて……お前さん方は、ピアニストの嬢ちゃんの苦悩の具現とやらかい? それとも――あの曲を遺したどこかの誰かの未練ってやつかい?」
 騎士の剣を受け流し、縁は刀を正眼に構えた。
 途端に、地の底から響くような悲しき慟哭が空気を震わす。気圧されたように、騎士たちは身構えた。
 刹那。
 一閃。
 縁の刀が、騎士の肩から腹部にかけてを斬り裂いた。
「……ま、どっちでも構わんがね。生憎と、潮騒を子守唄代わりに聞いて育った身なんでな。音楽の良し悪しがわかるような情緒は持ち合わせてねぇのさ」
 まずは1体。
 けれど、騎士は後から後から湧いて来る。
 斬撃が、縁の肩を斬り裂いた。飛び散った血が、頬を濡らす。
 次いで、刺突。
 脇腹を槍が貫いた。傷は浅いが、それでも数が嵩めば動きも鈍くなる。
 動きが鈍くなれば、縁が受ける傷も増える。
「っと……前に出過ぎたか」
 血を流す脇を押さえて、縁は数歩、後ろへ下がる。
 目を細めた縁は、小さな舌打ちを零した。
 視界の端が黒く染まる。水に落としたインクのように、じわじわと黒が縁の視界を侵食する。
 けれど、しかし……。
「数はそれなりだが大した戦闘力じゃないね、だが搦め手にはよく注意してくれたまえよ」
 縁の手に、シャルロッテの手が触れた。
 嘲るような笑みを孕んだシャルロッテの声が、言葉が、縁の脳裏で何度も響いた。
 じくり、と脳の奥が痛みを発し、次の瞬間、視界を染める黒が消え去る。
「助かるよ。お前さん、嬢ちゃんの方に行かなくていいのか?」
 刺突を刀の先で弾いて、縁はシャルロッテに問うた。
 シャルロッテは目を丸くして、縁の問いに言葉を返す。
「なぜ? 誰が何に魅入られようが、ボクから文句は特にないのだがね?」
 そう言いながら、シャルロッテは視線を通りの奥へと向ける。
 こちらに背を向け駆け去っていく、イズマやフーガの姿が見えた。
「ただ、まぁ……」
 にぃ、と目を細めたシャルロッテは、まるで猫のような笑みを浮かべた。
「楽譜に対して思う所のある仲間も居るらしい、目を離さないようにはするが邪魔もしないよ」
 
 ベロニカ・ブルーという楽譜について、判明している事実は少ない。
 ヴァインカルというピアニストが、どこからか手に入れた未完成の楽曲。ヴァインカルは、ベロニカ・ブルーの完成に取り憑かれ、寝食さえも後に回して作曲に勤しんでいるという。
「そして、書き上げた曲をわざわざ海に流すと」
 ベロニカ・ブルーは未だ完成していない。ヴァインカルが海に流した楽譜はつまり、失敗作の楽曲である。
 失敗作なら捨てればいい。
「なのに、そうしないのは……彼女なりの考えがあってのことに思えるんだが」
 そう呟いて、世界は顔に手を触れる。
 広げた人差し指と中指の間から、影の軍勢を睥睨する。
「さておき、依頼は完遂せねばならない」
 影の軍勢は、ヴァインカルの苦悩の具現だ。
 だとするならば、こうして相対することで、ヴァインカルの思想の一端が垣間見えることもあるだろう。
 ひとつ、小さな吐息を零した。
 世界の背後に、ゆらりと数多の剣や槍が現れる。実態を持たない、霞にも似た幻想の武器だ。その刃に込めた呪詛が、黒い煙のように漂っているのが見える。
 パチン、と。
 指をひとつ弾けば。
 10を超える幻想の武器は、並ぶ影の軍勢目掛け一斉に襲い掛かるのだった。

 拳を振るう。
 身体を盾に、戦士の刃を受け止める。
 そうしながら義弘は、イズマとフーガを館の前へと送り出した。
「音楽は専門外だからよ、曲を完成させるというなら任せるぜ」
 殴打。
 殴打、殴打。
 鋼のような義弘の拳が、剣を砕いて、獣の牙を叩き折る。
 道の真ん中に仁王立ちした義弘の横を、影の軍勢は1体たりとも通過できない。館への接近を阻む影の軍勢が、反対に足止めされているのだ。
「あぁ、やってみるよ」
 短く、けれど確かな意思の籠ったイズマの言葉を耳にして、義弘は満足そうに頷いた。
「曲が完成して全てが丸く収まりゃあそれでよし」
 ベロニカ・ブルーが完成するかどうかは不明だ。
 そもそも、完成してもしなくても、義弘の仕事には何の関係も無いことだ。
完成しなくとも問題は無い。その時は、無理矢理にでもベロニカ・ブルーの楽譜を奪って、燃やしてしまえばそれでいい。
 もっとも、そんな真似をすればヴァインカルの恨みを買うことになるのだろうが……。
「たとえどんなに嘆かれようと恨まれようとも、生き死にに関わってくるならば仕方ねえやな」
 命あってのもの種だ。
 ベロニカ・ブルーがいかなる名曲だったとしても、死んでしまっては意味がない。
 だから、義弘は拳を振るった。
 近づく影の軍勢を相手に、1歩も退かずに拳を振るった。
 雨に濡れ、血を流し、それでも佇む彼の姿はまるで仁王のようだった。

 静かな音色が鼓膜を震わせ、脳髄の奥に染みわたる。
 脳を、心を、鋭く尖れた刃で傷つけられるかのような、冷たい熱がイズマの胸を震わせる。
「ヴァインカルさん……この鋭さ、流石だな。執念と本気の証拠だ」
 館の扉を開け放つ。
 音の波が、イズマとフーガを飲み込んだ。
 廊下を進む。広いホールの真ん中に置かれた1台のピアノと、その前に座る1人の女性。髪は乱れ、頬はこけ、血走った目で譜面と鍵盤を睨みつけ、細い指先でピアノを鳴らす彼女の視界に、イズマやフーガは映っていない。
 きっと、2人がそこにいることさえ気が付いていないのだろう。
「やるのかい? 作曲の手伝いになるのなら、演奏してみたい気持ちはあるけど」
 トランペットを構えると、フーガはそう問いかけた。
 イズマは1つ、頷くと壁際にあるヴァイオリンを手に取った。
「俺に剣を向けるなら、その戦い、受けて立つ」
 かくして、ベロニカ・ブルーは奏でられる。

●ベロニカ・ブルーは鳴り止まない
 開幕を告げるトランペットが鳴り響く。
 その音色は、ほんの一瞬、ヴァインカルの弾くベロニカ・ブルーを掻き消した。暖かく、陽気な旋律が、暗い世界に一条の光を降り注がせる。
 黒い太陽が消え去って、暖かな日だまりがそこに生まれた。
「この景色そのものが、ヴァインカルの心象風景ってやつなのかねぇ?」
 黒い騎士を斬り伏せて、縁はそう呟いた。
 獣の相手をしていたベークが、旗を降ろして肩を竦めた。
「どうでしょう? 音楽のことはあまりよくわかりませんしね」
 分かるのは1つ。
 イズマとフーガが、ヴァインカルの元に辿り着いたことだけ。

 ピアノの音色のすぐ下に、ヴァイオリンの音をそっと潜り込ませた。
 旋律は重なり、絡み、そして高くへ駆けあがる。
 曲のテンポがほんの僅かに速くなる。相変わらずヴァインカルは、イズマたちの方に視線を向けないが、その口元には確かに笑みが浮いていた。
「遠慮は要らない、好きに奏でろ。何が来ても打ち返してやる」
 不協和音が跳ねる。縦横無尽に、音の波が跳ねている。
「……楽しもう!」
 イズマの額に汗が滲んだ。
 紅潮した頬、緩んだ口もと。けれど瞳には熱い想いが。
 決闘を楽しむ戦士のような面持ちだと、フーガはそう感じたはずだ。

 トランペットに息を吹き込みながらフーガは、ヴァインカルを注視していた。
 ピアノとヴァイオリンの音色が絡み合うのを、重なり合って、ぶつかり合うのを、フーガはトランペットの音色で支えていた。
 ベロニカ・ブルーの主役はあくまでピアノの音色だ。
 ヴァイオリンも、トランペットも、彩を与えるための要素の1つに過ぎない。
 けれど、やがて……。
 楽しく、そして痛ましい決闘は終わりを迎える。
 長く伸びたピアノの音色。それが、プツンと途切れて消えた。
 それと同時に、ヴァインカルは床に倒れる。体力が尽き果てたのだ。
「……大したもんだ」
 フーガの背後で声がした。
 壁に体を預けながら、義弘がそこに立っていた。傷は決して浅くは無いが、彼がここにいるということは影の軍勢は消えたのだろう。
 言葉ではなく、笑みを返して。
 フーガはピアノに近づくと、ベロニカ・ブルーの楽譜をそっと取り上げる。

 義弘に次いで、部屋に駆け込んで来たのはシャルロッテと世界、そしてカトルカールの3人。まっすぐにヴァインカルの方へと駆けて行った世界は、シャルロッテの身体を仰向けにした。
「息はある。息はあるが……嘘だろ。演奏を続けようとしてるぞ」
 その執念に戦慄せずにはいられない。
 よほどにベロニカ・ブルーの完成を望んでいるのだろう。未完成の楽譜を海に流したのは、自分以外のどこかの誰かが「自分の代わりにベロニカ・ブルーを完成させる」ことを願ってのことだったのかもしれないと、衰弱したヴァインカルを見て、世界は悟った。
「精神の方もだが……身体的なダメージも相当なものだね」
「消化にいいもの作って食わせて寝ろ!」
 冷静にヴァインカルの状態を分析するシャルロッテ。一方、カトルカールはと言うと、一目散にキッチンの方へと駆けていく。
「母親のようなことをいうね」
「うるせー誰がママ適正だ! 身体壊したら演奏もできなくなるだろ! ピアニストになるほど好きなんだろーが!」
 死なせない。
 そんな想いに突き動かされるカトルカールの瞳は、澄んだ涙に濡れていた。


成否

成功

MVP

フーガ・リリオ(p3p010595)
君を護る黄金百合

状態異常

亘理 義弘(p3p000398)[重傷]
侠骨の拳

あとがき

お疲れ様です。
ベロニカ・ブルーの楽譜は回収されました。
ヴァインカルさんは、しばらく病院のベッドの上で過ごすことになるようです。
依頼は成功です。

MVPは、戦闘および演奏を支えたフーガさん。
この度はご参加いただき、ありがとうございました。
縁があれば、また別の依頼でお会いしましょう。

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