PandoraPartyProject
ワルツの終わり、メヌエットの始まり
「まあ! まあまあまあ! とっても愉快奇天烈な絵本の用意をしてくれましたのね。
宜しくてよ。人間同士が自己の欲求で互いに憎しみ合う……有り得ざる万能薬(エリクサー)に溺れる様は見惚れてしまう程でしてよ」
「お喜び頂けたのなら光栄ですよ、オーナー」
「ええ。此れで面白くも無い物語など紡ごう物なら私ったら、つい癇癪を起こしてしまったかも。
……乙女はドラマチックなお話を好みましてよ。それは貴方もご存じでしょう? ねえ、リュシアン――」
幼い美貌に享楽的な笑みを浮かべて満足であったと微笑んだのは『七罪色欲』ルクレツィア――リュシアンと名乗る少年の『飼い主』である。
彼女は酷く感情的で酷く危険な悪名高い危険な女ではあるが、リュシアンにとっては自身が目の敵にする『博士』への対抗手段を与えてくれた恩人でもある。
だが、前述するように彼女は『感情的で気分屋さん』なのである。僅かでも機嫌を損ねれば自分の首が胴と離れてしまう可能性は否めない。
「残念ながら博士は逃して――」
そこまで言ってから、リュシアンはルクレツィアが浮かべた笑みの意味を察したように「いいえ」と首を振った。
そもそも、ファルベライズと博士が関連している事を教えてくれたのは彼女だったではないか。ならば、それも全てお見通し。彼女の掌の上でのんびりとワルツを躍らされて居たに過ぎない。
――さあ、リュシアン。お散歩なら行っていらっしゃい。
ええ、ええ! 女の束縛ほど嫌われるものはありませんものね!
僅かに苛立ち、今すぐその女の首に手を掛けたい程であったが少年は利口である。微笑みを絶やす事無く「オーナー、お客様がいらっしゃったようですよ」と頭を下げた。
「私を呼び出すとは随分と偉くなったものだな。言っておくが、貴様が呼び付けたから来た訳ではないぞ」
「ええ、知っていますわ。オニーサマがお呼びでしたものね?
けれど、レディには『キミの為に来たよ』位は仰った方がよろしくてよ」
鼻を鳴らしてそっぽを向いたのは『七罪傲慢』ルスト・シファーであった。複翼の男は蔑む様にルクレツィアを見遣る。
対するルクレツィアは気に止めること無く微笑むだけである。それもこの場に着く前に『愛しいオニーサマ』との逢瀬を楽しんだからだろう。
「それで、何だ?」
「私の子飼いが楽しい楽しいお遊戯をしてきましたの。普段ならば砂漠の――ええ、オジサマがお食事を楽しむオアシスで起こって居た事が私の遊び場に流れてきたのだけれど……。
どうやら、私の遊び場に仔猫が紛れ込んで居るみたいですわぁ。ご存じ?」
「端た者を気に止めるとでも?」
「ペットの面倒は見るものでしてよ。オニーサマが遊ばせてやりなさいと言うからレディの部屋に土足で踏み込んだことは赦してあげますわ」
冠位魔種――七罪と称される彼女たちは其れ其れが担当する『エリア』を持っている。
このルクレツィアはイレギュラーズ達が最初に相対することとなったサーカズ事変と呼ばれた一件の黒幕である。担当箇所は其処から幻想で在る事が推測された。
妖精郷の一件で顔を出したブルーベルが『怠惰』であったように深緑は怠惰の領域であり、海洋は『絶望の青』の澱に沈む嫉妬のアルバニアが担当していた。
ならば、ルスト・シファーはと言えば彼は嘗ては『強欲』なる女が散った神の国――天義を自己の領域としている。
天義の外で『強大な力を持つ自信の配下』が動き回っているとしても、傲慢な男は知らん顔だ。ルクレツィアのお咎めなど何ら頓着していない。
「貴様も『冠位』ならば下賤の者になど一々目くじらを立てるな。品位を持て」
「……あら? 乙女は悪戯めいて我儘な方が可愛らしいのでは無くって?」
ああ、相性が悪い――リュシアンは二人の様子を見ながらそう感じていた。帰りたくて、帰りたくて仕方が無い。勝手に席を外せば後々が怖い事など分かっている。
「ならば、なんだ? 幻想で私の子飼いが暴れているとでも言いたいのか?」
「ええ。ええ。そうですわぁ。けれど、好きにさせてあげましてよ。
それで、撤退させられたらどうしましょう? 貴方、前に仰ってましたわよねえ……『滅びの運命(けってい)を覆す』存在では無いって。
オニーサマの言いつけを守って戦略的撤退をした私を小馬鹿にしていたようでしたけれど……?」
「神託(あれ)が滅びの運命(けってい)を覆す事はあるまいよ。
『誰かを犠牲にして永らえる』その合理性(いきぎたなさ)は知っているが……全て偶然だ」
「まあ! 他の兄姉が死んでしまったと言うのに。冷たい男ですわぁ」
「ベアトリーチェが脆弱だっただけだろう?
私を他の者と同じように扱うな。塵芥になどにこの私が遅れを取る等、億が一にも有り得ん話だな。
そしてそれは別に人間――特異運命座標に限らぬ事を忘れるなよ。
圧倒的な上位者を前にしたなら、もう少し利口な振る舞いをする事だ、妹(ルクレツィア)よ?」
「これですもの」
男の傲慢さにルクレツィアは肩を竦めてみせる。
しかし、その表情は如何にもにんまりとした微笑みだ。
ルストの声色が荒れたという事は『効いている』という事に他ならず――
――そう、彼女は実に執念深い。
何時かの日の『戦略的撤退』を小馬鹿にされた事を根に持っている。
故に、幻想王国で騒ぎ立てる一件が彼の表情をどのように歪めるかが楽しみで楽しみで堪らないのだ。
(はあ……帰りたいな。オーナーの話は何時も長いんだよな……。もう疲れたんだけどさ……)
リュシアンはぼんやりと考えた。彼等『兄妹』の緩衝材であったアルバニアの死後、ますます喧嘩が絶えない家庭になってしまったと――