PandoraPartyProject
望まぬ再会/望んだ再会
望まぬ再会/望んだ再会
冷たい、冷たい、余りに寒い――
「変わらないね、この夜は」
全く同じ言葉は丁度一年振りに発せられたものだった。
――貴方ならば、これを止める力さえ持つから。
細い、細い糸のような道筋だ。
思えばそんな『不確か』だけに縋られて、随分と無責任に期待されたものだった。
思えば驚く程愚直に――そんな契約とさえ呼べない契約を守ってきたものだった。
『悪魔の類に神への奉仕をさせるだなんてそんな事、確かに聖女以外の誰にも出来そうもない事だった』。
近くて遠い、始まりにして果ての場所。
原罪(つみ)と原罪(ばつ)が踊った古い、古い戦場は永遠の牢獄となった。
分不相応に全てを望み、同時に有り得ない程清廉に全てを捨て去った女は自嘲する原罪の『友人』だ。
望みの静寂と願いの零下。純白以外を許さないかのような雪原で眠る彼女の放つ光の色は去年よりもずっと眩しく。絶大な魔性で『静寂なる永遠』を守る悪魔の力でさえ誤魔化しようも無い程に強くなっていた。
「僕は確かに原罪だ。この世界に僕より強い魔種なんていないだろう。
君が望み望まぬ零落を果たした所で同じ事。
君のマスターが僕ならば君を防げるのはおかしくない。
だから――君の計算は、君の論理は確かに正しいものだったんだろう」
原罪は溜息に似た調子で重い言葉を吐き出した。
白い息が雪原に解ける。吹き付ける冷たい風は身を切るような冷たさを帯びている。
「『だからこそ』」
もうどうしようもない位の力を帯び続ける封印(クリスタル)を温く眺め、原罪は独白を続けた。
「君は僕を買い被り、同時に理解していない。
君が理解していないのは僕であり、君自身だ。
流転する運命を前に愛し子を二つも失い、唯一の友は言葉をかわす事さえ叶わない。
なぁ、マリアベル? 僕が『ベスト』を尽くしたのは疑いようもなく本当だぜ。
君との友情に誓って、原罪は君にも僕自身にも恥じるべき『手抜き』なんて一つもしていない。
君が永遠の眠りを望んだなら僕は叶えてあげる心算だった。これは間違いなく本当の事なんだ――」
きっと遠い日を夢を見る――聖女(マリアベル)が答えを持たない事を原罪は誰より知っていた。
一年に一度の儀式でも一方的な『会話』は数数え切れぬ程繰り返されてきたのだから。色欲(ルクレツィア)がどれ程に怒っても、原罪は絶対にこの日を邪魔させない。人間流に言うなら『シャイネン・ナハトは静かでいなければならない』。闘争も怒りも忘れて唯穏やかに。
それは原罪が人間と意見を全く同じくするという文字通りの奇跡に違いない。
――でも、貴方は私の友人です――
「……何て杜撰な呪いだったこと。
こんなもの僕に言わされば最も不完全な出来栄えだ。
そんなもので一体どれだけの時間、食い止めた?
長くて短い『時間稼ぎ』に君は感謝するのか、それとも失望するのか」
先に考えた通り、『原罪は全ての魔種を統べるもの』である。その力は間違いなく最大にして最強だ。
『故に聖女を押さえつける事は可能である。自身がそれを間違いなく望んでいる限りは』。
「……今、こうして。幸か不幸か――『こんな事』になってしまったのは。
僕が僕自身知らぬ間に君を求めてしまっていたからなのかも知れない。
僕はこれでも君の安寧を守りたかった。守りたかったんだよ。
でもこうなってしまったなら――そう思う僕と、そう思わない僕が居た事が否めない。
マリアベル、だからきっとおしまいなんだ。僕の独り言も、この長い時間さえも」
原罪の脳裏をくすぐるのはどれだけの時間が経っても色褪せない彼女の懐かしい声だった。
長い黒髪の甘やかさと、怜悧な癖に人好きのする笑顔が思い出された。
一つの利益さえ無く大いなる力を封印に傾けた原罪の限界がそこにあった。
『人なる身を、魔種なる存在さえも最初から超越していた彼でさえ持ち得る限界がそこにあった』。
内部から放たれる聖女の光が別種の何かに変わっていた。
眩しい程の綺羅びやかから重く冷たい暗い光に。
紫色を渦巻いた魔性はその出口を探し、牢獄に無数のヒビを成す。
「……っ……!」
一瞬。一瞬だけ原罪の美貌が歪む。
躊躇するように、彼には珍しく懊悩するように。
『自分を信じた彼女』と『目の前に横たわる不可能という現実』を天秤にかけた。
自分が『本気』を出したなら――出せたなら、まだ救いはあるのではなかろうかと。
だが、永くも感じられたその時間はまるで刹那の呼吸のようだった。
――――キン、と。
冷たく硬質な音が銀世界に弾け、ヒビから光が吹き出した。
物理的な威圧を帯びたそれに飛ばされた無数の破片が無数に妖光を跳ね返す。
それだけで、目を閉じたままの聖女は原罪の前に現れた。
余りにも呆気無く、何事すらも無かったかのようにだ。
水晶の牢獄を隔ててではなく、一体何時振りか――二人は向かい合っていた。
「……」
「……………」
「おはよう、マリアベル」
憑き物が落ちたかのような原罪はその星霜の恨みつらみと最上の親しみさえ込めてそう告げた。
「……………」
「あれから何年経ったかな。おはようって言ったが早くはない。
君は起きる心算はなかっただろうけど――僕も甘いね」
「……約束したじゃありませんか」
漸く返った『マリアベルの声』に原罪――イノリは破顔した。
思い出す。そうだ、実に口が減らない女だった。自分の一番のお気に入りは――唯一の友人は。
だからこんなにも力を貸したのだ。悪魔は人間の望みを正しく叶える存在ではないというのに!
「『原罪』も案外頼りにならないのね。
一人の女を嘘みたいな夢(しあわせ)に――縛り付ける事も出来ないなんて。
それとも――こんな文句を言われても、もう一度私に逢いたかった、とか」
「ああ、うん。そうだ。だったら――最初から全部君が悪いんじゃないか」
イノリはマリアベルの言葉を否定せず、わざとらしく理不尽に冗句めいた彼女に心底楽しそうだった。
「改めておはよう、マリアベル。
シャイネン・ナハトの祈りはもう届かないかも知れないけど――今夜は静かに星でも見よう。
長い時間とこれからの――ひょっとしたらもうすぐかも知れない世界の終わりにシャンパンでも開けて。
……何せ、僕には君に言ってやりたい不満が百とある。今夜は何をする暇もないぜ――」
イノリがそう笑ったら、マリアベルは口角を三日月に持ち上げて幽かに笑い声を上げる。
ただそれだけで、暗く冷たく孤独な世界に――腐った果実の、甘い匂いが遊んでいた。
*シャイネン・ナハトが始まりました!