PandoraPartyProject

幕間

ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。

祓い屋の日常

関連キャラクター:燈堂 廻

《if》燈葬 -02
 さあさあと水の音がする。蛇口から流れ出した水を呆然としながら見詰めることしか出来なかった。簡単なことだ。
 蛇口を捻って水を堰き止めてしまえば良い。そんな容易いことであると云うのに、どうしても明煌は出来やしなかった。それは恐れにも似ていた。例えば、花を手折ることも、蟻の列を踏み付けることだって彼にとっては易い事ではあったが、そうした後に襲ってくる後悔だけはどうしても逃れ得ぬものだったのだ。
 付き纏う深い後悔は己を決して離さぬ泥である。足を掬い縺れさせ、遂には挫くのだ。二度とは立ち上がれぬように。
 深道 明煌という男は飄々と笑っているが、根は臆病なのだと自認する。それは特に、彼には、だ。
 明煌が手にしていたのはイレギュラーズと廻がやって来てから半ば強引に押し付けられた写真であった。日々の思い出として映された其れで随分と不細工な笑顔で自分は立っている。ぎこちない己の笑顔と、満面の笑みの廻、それから、『自分の傍で笑っているはずのない彼』の姿があった。
 朗らかに笑う事を知ったのは最近のことだ。己の傍に居るときに見ていた笑顔とは質が違う、と感じたのは嫉妬の類いなのだろうか。……『あほらしい』とその考えは捨てた。
 血縁者であれど、遠い存在であった暁月と時を共有する日が来るとは思っても居なかった。
(……次は、何処へ行こかなあ)
 柄にもない事を考えて居るとき程、自分の心に誰かを入れてしまったとき程に――悪い知らせはやってくる。

 足元に散らばった写真と、立ち上がってからと言うものの足元まですうと冷たさだけが流れていく。心の臓が押し出した筈の血流は堰き止められ、凍て付く気配だけが全身を直ぐに駆け巡った。
 唇が戦慄いてから、『存在してないはずの眸』がかぁと熱くなったことに気付く。冷ややかさを追掛けた熱は脳を支配し、思考回路さえも焦がした。
「何て?」
 思ったよりも低く、地へと落ちていった声音に臆することなく返された言葉はこの世界で唯一の、有り得てはいけない言葉だ。
 燈堂 暁月が死んだ。不慮の事故だったという。祓い屋家業である以上、そうした機会は何れは訪れよう。誰だって、死が近い事を理解してた筈であるのに。
「……嘘ばっか、言うなや」
 子供の様な癇癪が口をついた。蛇口を捻って水を堰き止めることは怖かった。堰き止めることの出来ない水を眺めて居るのは自分だったからだ。
 何時だって、溢れる水となって彼は領域(となり)から逃げ出して行ってしまう。まるで此方の事なんて気にせずに、悠々と流れを作って、遠く遠くまで離れてしまうのだ。
 分かって居ただろう。だが、分かって居なかったのは誰だ。自分ではないか。彼の欠片にでも触れられた事で自惚れていたのだろう――莫迦らしい『当たり前の日常』という奴に。諦観に僅かな希望を添えてしまったから、怒りと『恐怖』が其処にはあった。
「死ぬわけ、あれへんやろう」
 首を振るな。
「暁月が?」
 困ったように頷くな。
「何でや」
 それ以上は――がしゃん、と音を立てたのは机から落ちた湯飲みが立てた音だった。茫と眺めながら明煌は拾い上げる。指先にちくりと突き刺さり赤い血潮が流れ出た。
 痛みなど気にもしなかった。寧ろ、痛むという事は生きている証左だ。死したというならば、二度とはこの痛みさえ感じる事もないのだから。
 欠片を握り締め、壁へと叩きつける。粉々に崩れて行く其れに人の命も戻らぬものだと嘲笑う者の影を見たような気がした。

 暫しの間、何をしていたかの記憶は無かった。肺を満たす空気が煩わしく、呼吸を行なう浅ましい己の身体を恨んだ。
 あれだけ荒れ狂った心も落ち着いていて、今は凪ぐばかり。もはや、心揺れ動かされるものなど世界には何もないとさえ感じる程に景色は色を失った。
 生きた心地がしないとは正にこの事か。鼻先で笑ってしまいたくもなる。心地がしなくとも、生きている以上は別たれてしまって居るではないか。
 深道 .明煌にとって、燈堂 暁月とは何だったのか。その答えを紐解いてしまえば、二度とは戻れぬ岐路に居る。
 男はそんな雑多な考えを捨ててから、彼の元に向かった。感情を曝け出し、自由に泣くことの出来る『子供』の許に――

 只、一つ、言えるならば。素直に涙を流せていたならば『今の明煌』は無かったのかも知れない。
執筆:夏あかね

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