PandoraPartyProject

幕間

祓い屋の日常

関連キャラクター:燈堂 廻

《if》燈葬
 煌浄殿に灯された篝火が揺らぐ。焔によって作られた影はのっぺりと壁際に伸びていた。
「出てはならないよ」
 言い付けた明煌の声が幾許か震えていたのは気のせいではなかった。
 廻とてそれ程に鈍くはない。素直ではない人だが、彼の声色の違い位、十分に理解出来るようにはなって居た。
「どうして……何時もより強く言い付けるんですか? 外で何か」
「廻」
 低く、地を這うような声だった。廻はひくついた喉に無理矢理、酸素を通してごくりと音を立てる。踏み締めた畳がぎしり、と鳴った。飛び出した先の冷たい床にぺたりとついていた左脚の親指から力が抜ける。真っ直ぐに、均等に、立っていられる平衡感覚を保っていられた自分を褒めてやりたい程だった。
 苦々しい声音。絞り出す表情に言葉を当て嵌めることが出来たならば拍手してやりたい。その感情の意味を理解してやれるほどに燈堂 廻――いや、『廻と名付けられた』青年は、深道 明煌を理解しては居なかった。

 ――暁月が、死んだ。

 時間とは二度とは戻ることがない水だ。濁流のように流れ落ち、排水口に吸い込まれていく。その刹那を堰き止めた一瞬だけを僕達は見ている。
 堰き止められたのは只の一瞬、指先の一つでも動かせば簡単に擦り抜けて行くのだ。二度とは戻らぬ象徴。そんな水音さえも聞こえぬその場所で耳を塞いで生きているのはどれ程に心地良いだろうか。時計の針は知らず知らずに何時だって駆け回る。鼠が天井の梁を走るようにリズミカルな音を立てて、いつの間にか意識の外に抜けて行ってしまうのだ。
「行ってきます」と口にした時、苦しげに笑った愛しい人達に後ろめたさが無かった訳ではない。ただ、一つだけ、我が侭が言えるならば大人びている振りをしてうんと子供なあの人を誰か支えてやって欲しかった。そんなことを言わなくったって、あの人の傍には沢山の人が居て、朗らかに笑っているのだろうけど――けれど、あの人は強がりで臆病だから、夜毎、魘されるその姿を誰にだって見せやしないのだ。眠りながら抱き締めて、大丈夫だと背を撫でる事が出来ないことだけ苦しくて「暁月さん」と呼ぶ事だって躊躇った。躊躇った事ばかりが後悔の波となる。

「ど、して、ですか」
「……」
「なんで……? 暁月さんが、そんな……何があって……」
「祓い屋って言うんは、そういうもんや」
「そう、そうじゃなくって――」
 明煌はそれ以上は言わなかった。全容を語らず、直隠し、目を逸らしたその人に掴み掛かりたい衝動で廻は立ち上がった。
 襟刳までは届かず、胸元に拳をぶつけた。遣る瀬なさと、不甲斐なさと、何も知らぬままのうのうと生きてきた自分という存在の莫迦らしさが喉につっかえる。
「どうしっ、」
 呼吸までもままならなかった。僅かに呻いた明煌は無言の儘で廻を見下ろしている。
「なんでッ――!」
「……そういう、もんや」
 崩れ落ちたならば早かった。止め処なく流れ落ちる涙を堪えることは出来ずに地に蹲った。
 指先が掻くことの出来ない固い木の床も。目の前の人から漂った嗅ぎ慣れてしまった香の薫りに混じった血のにおいも。何も気にならなくなるほどに胸の奥がぎゅうと痛い。
 目を閉じれば何時だって、あの人が笑っていたのに。思い出せば呼ぶ声だって――聞こえてきてくれるはずだった。離れた時間が長くなるほどに、あの人の声が遠ざかる。
 記憶から消えていく、優しい廻と呼ぶ声に縋るように「暁月さん」と呼び掛けた。目の前に居るその人は、暁月の面影ばかりを持っている癖に、全然、彼とは違うのだ。
 今ばかりはなり損ないと叫びたかった。彼の面影を纏って居るくせに、彼の思い出一つ呼び起こせないような、その人は明かりの下に影を伸ばして佇むだけだ。
「教えて下さい」
 廻の唇が震えた。吐出した声が余りに冷たかったことに、青年も内心で驚いた。
「何があったのか、教えて下さい」
 自身は、暁月の家族というだけではない燈堂の門下生なのだ。知る権利はあると強い語調で告げた。
 だが――
「教えへん」
「どうして!」
「聞いてどうするつもりや」
「それは……ッ」
 死の理由に行き着いて、待ち受ける未来なんて想像に易い。易いからこそ彼は冷たい声で拒絶するのか。遣る瀬なさばかりに廻はただ俯いた。
 地に零れた涙はインク溜まりのように痕を残す。悄然と地を見下ろすことしか出来ない青年に「話は、以上や」と冷ややかな声で言った彼は直ぐにその場を後にした。
執筆:夏あかね
《if》燈葬 -02
 さあさあと水の音がする。蛇口から流れ出した水を呆然としながら見詰めることしか出来なかった。簡単なことだ。
 蛇口を捻って水を堰き止めてしまえば良い。そんな容易いことであると云うのに、どうしても明煌は出来やしなかった。それは恐れにも似ていた。例えば、花を手折ることも、蟻の列を踏み付けることだって彼にとっては易い事ではあったが、そうした後に襲ってくる後悔だけはどうしても逃れ得ぬものだったのだ。
 付き纏う深い後悔は己を決して離さぬ泥である。足を掬い縺れさせ、遂には挫くのだ。二度とは立ち上がれぬように。
 深道 明煌という男は飄々と笑っているが、根は臆病なのだと自認する。それは特に、彼には、だ。
 明煌が手にしていたのはイレギュラーズと廻がやって来てから半ば強引に押し付けられた写真であった。日々の思い出として映された其れで随分と不細工な笑顔で自分は立っている。ぎこちない己の笑顔と、満面の笑みの廻、それから、『自分の傍で笑っているはずのない彼』の姿があった。
 朗らかに笑う事を知ったのは最近のことだ。己の傍に居るときに見ていた笑顔とは質が違う、と感じたのは嫉妬の類いなのだろうか。……『あほらしい』とその考えは捨てた。
 血縁者であれど、遠い存在であった暁月と時を共有する日が来るとは思っても居なかった。
(……次は、何処へ行こかなあ)
 柄にもない事を考えて居るとき程、自分の心に誰かを入れてしまったとき程に――悪い知らせはやってくる。

 足元に散らばった写真と、立ち上がってからと言うものの足元まですうと冷たさだけが流れていく。心の臓が押し出した筈の血流は堰き止められ、凍て付く気配だけが全身を直ぐに駆け巡った。
 唇が戦慄いてから、『存在してないはずの眸』がかぁと熱くなったことに気付く。冷ややかさを追掛けた熱は脳を支配し、思考回路さえも焦がした。
「何て?」
 思ったよりも低く、地へと落ちていった声音に臆することなく返された言葉はこの世界で唯一の、有り得てはいけない言葉だ。
 燈堂 暁月が死んだ。不慮の事故だったという。祓い屋家業である以上、そうした機会は何れは訪れよう。誰だって、死が近い事を理解してた筈であるのに。
「……嘘ばっか、言うなや」
 子供の様な癇癪が口をついた。蛇口を捻って水を堰き止めることは怖かった。堰き止めることの出来ない水を眺めて居るのは自分だったからだ。
 何時だって、溢れる水となって彼は領域(となり)から逃げ出して行ってしまう。まるで此方の事なんて気にせずに、悠々と流れを作って、遠く遠くまで離れてしまうのだ。
 分かって居ただろう。だが、分かって居なかったのは誰だ。自分ではないか。彼の欠片にでも触れられた事で自惚れていたのだろう――莫迦らしい『当たり前の日常』という奴に。諦観に僅かな希望を添えてしまったから、怒りと『恐怖』が其処にはあった。
「死ぬわけ、あれへんやろう」
 首を振るな。
「暁月が?」
 困ったように頷くな。
「何でや」
 それ以上は――がしゃん、と音を立てたのは机から落ちた湯飲みが立てた音だった。茫と眺めながら明煌は拾い上げる。指先にちくりと突き刺さり赤い血潮が流れ出た。
 痛みなど気にもしなかった。寧ろ、痛むという事は生きている証左だ。死したというならば、二度とはこの痛みさえ感じる事もないのだから。
 欠片を握り締め、壁へと叩きつける。粉々に崩れて行く其れに人の命も戻らぬものだと嘲笑う者の影を見たような気がした。

 暫しの間、何をしていたかの記憶は無かった。肺を満たす空気が煩わしく、呼吸を行なう浅ましい己の身体を恨んだ。
 あれだけ荒れ狂った心も落ち着いていて、今は凪ぐばかり。もはや、心揺れ動かされるものなど世界には何もないとさえ感じる程に景色は色を失った。
 生きた心地がしないとは正にこの事か。鼻先で笑ってしまいたくもなる。心地がしなくとも、生きている以上は別たれてしまって居るではないか。
 深道 .明煌にとって、燈堂 暁月とは何だったのか。その答えを紐解いてしまえば、二度とは戻れぬ岐路に居る。
 男はそんな雑多な考えを捨ててから、彼の元に向かった。感情を曝け出し、自由に泣くことの出来る『子供』の許に――

 只、一つ、言えるならば。素直に涙を流せていたならば『今の明煌』は無かったのかも知れない。
執筆:夏あかね
《ある青い春》図書館の思い出
 高校に入学してから人月が経過した。五月になってからも心咲は変わることなく詩織と共に過ごしている。
「春の遠足って、しおりんは何処に行った?」
 菓子を囓りながら心咲はそう言った。堂々と座っているが、此処は図書室。菓子を食べるのは厳禁である。
「えー……何処だったかな。大きな公園に散歩したってイメージ……」
「美術館と公園でオリエンテーションだっただろうに」
 呆れた顔をした暁月に「そうだった!」と詩織は朗らかに笑みを浮かべて頷いた。
 5月には春の遠足と称してオリエンテーションが開催される。先輩後輩である詩織と心咲は同行することは出来ないが、先輩であるからこそ『前は何したの?』を聞きに来たのだろう。
 読書をしていた暁月の隣で堂々とチョコレートを摘まんでいる詩織は「美術館、行ったっけ?」とぱちくりと瞬いている。
「……行った」
「覚えてないかも」
 美術館で散々楽しんだ後、公園で思い切り走り回っていたのだからそうした感想が出るだろうと暁月はため息を吐く。何だかんだで、クラスメイトにも人望の厚い詩織はイベント毎が盛りだくさんなのだ。
「美術館かー。特別展って何か遣ってたかなあ。あー……んー……掛け軸……?」
「え、面白そう。どう思いますか? 実況解説の暁月さん」
「どうして実況解説なのかは分からないけど、面白そう。今度行こうか?」
 やったーと手を上げて喜ぶ詩織に暁月が『図書館ではお静かに』を指差した。詩織と心咲は慌てたように口を噤んで笑う。
「これならはるひめも好きそう。あ、でも、今年の一年って同じ場所に行くの?」
「さあ……違う場所でも休日に一緒に行けば良いだろうし、考えなくて良いんじゃないかな」
「流石、実況解説の暁月さん」
 だからどうして、と言い掛けた暁月ははっと顔を上げてから『自分は何も悪くはない』と言いたげに首を振った。
「どうしたの? あかつっきー先輩」
「暁月?」
 顔を見合わせた詩織と心咲は暁月の視線を辿ってから――はっと息を呑んだ。
 表情筋はそれ程動いていないがその雰囲気から『うるせえ!』と言う怒りが滲み出ている晴陽が立っている。
「はるちゃん……」
「はるひめ……?」
 どうにも怒り心頭の晴陽は「お静かに」ととげとげとした声音を投げ掛けた。
「どうしてはるちゃんが図書委員みたいなことして……」
「あ、夜善のせいかも」
 詩織は思い出す。隣のクラスに居る晴陽の元婚約者だという彼は図書委員だ。朗らかで明るい彼は性格で誤解されるが其れなりに勉強が出来る。
 晴陽が先日、元婚約者に勉強を教わりに来ていた事を思い出した。曰く、『使える者は使うべき。中間テストの過去問題を寄越せ』との事だった。
「しおりんはそういうの残して無さそう」
「暁月に頼ってるから」
「……」
 どうして、と言いたげな暁月に心咲が腹を抱えて笑った――そして晴陽の冷たい視線がもう一度寄越される。
「はるひめは真面目だからなあ」
「まあ、はるちゃん、学年一位じゃないと腹切りそうだしね」
「確かに……」
 楽しげに笑っている二人を見詰めながら暁月は『本棚の裏から此方を見ている』晴陽に気付いてから後が怖いなあ等と考えて居たのであった。
執筆:夏あかね

PAGETOPPAGEBOTTOM