幕間
ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。
おいしいはなし
おいしいはなし
関連キャラクター:ニル
- 飴細工師と月下香
- 黒髪の女が、屋台で気だるげに扇をあおいでる。
夕方になって涼しい風が吹き込んできたが、それでも一足早い夏の気配は豊穣特有の湿った暑さをもたらしていた。あまりにも暑いので、女が髪にさしている白い造花が、ニルには萎れて見えるほどであった。
「お嬢ちゃん、買っていくかい?」
見れば、女の広げている店には、華奢な飴細工がいくつも並んでいる。兎、小鳥、蝶といった小型のものから、大輪の花や翼持つ馬といった大型のものまで。
「これ以外にも、欲しければ作るよ」
ニルは考え込む。
「それなら、お花は出来ますか? その、髪にさした花みたいな、花びらの多い、白い花」
女が髪にさした大輪の白い花をニルはじっと見つめる。女は居心地悪そうに少し顔をそむけた。
「あー、花ねぇ。花に関してはあいつの方が作るのは十倍は上手いんだけどさ」
「どんな方なんですか?」
「腐れ縁の、まあ、『いい人』さ……あいつめ、ちょっと晩飯買ってくるといって……どこまで行ったんだか……」
女は、屋台に備え付けてある飲食用の椅子に、ニルを誘うように手招いた。
「ま、お茶くらいは出すよ。あいつが来るまでちょっと待ってくれないかい?」
月下香、と女は造花をさしていった。
「夜になるとそりゃあいい香りを出す花でさ。あたしが身に着けていたのを見て、あいつが飴細工の花を作って渡したのがことの始まりだ」
女の出した茶は変わったもので、湯の中で乾燥された花の蕾がふわりとほころんでいくものであった。
「もうこれは作って時間が立つからさ、タダでいいよ」
渡されたのは小鳥型の飴。それを舐めながら、ニルは女の話を聞く。
飴の味。そして、女の身の上話の苦さ。何度も女の話に姿を現す『あいつ』は、女の語りに光の様なアクセントを残す。
「この世なんて滅茶苦茶になればいいといってたあたしに、あいつは沢山の飴細工を渡してくれた。あいつと会うまで、飴細工が好きだったことを思い出すことすらなかったっていうのに」
「幸せをくれたのです?」
「ああ、最初はかご一杯の飴細工。そしてそれを一緒に食べる時間。売り歩く時間。段々あたしも飴の作り方を覚えていってさ」
「それが、この味ですか」
小鳥は女が作ったものだという。
「そうだ。幸せなものだといいけどねえ……ああ、あいつめ、ようやく帰ってきた!」
立ち上がって手を振る女に、食べ物の包みを抱えた善良そうな年下の若者が駆け寄っていった。
彼女の人生は苦く、しかし、その後に手にした幸せは甘く、確かに彼女の飴はニルにとって愛おしく「おいしい」ものであった。 - 執筆:蔭沢 菫