幕間
ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。
ブルービート・ダイアリー
ブルービート・ダイアリー
関連キャラクター:イズマ・トーティス
- 潮騒の歌が聞こえる。或いは、果て無き地獄を歩んだ末に…。
- ●嵐の後に
イズマ・トーティスは楽譜が読める。
ある嵐の翌日、海岸に流れ着いていたのは紫色のガラスの瓶だ。
潮騒に耳を傾けながら、砂浜を歩くイズマがそれを発見したのは、偶然なのか、はたまた何かの導きか。
ガラス瓶の中には、丸められた紙が詰められていた。瓶の蓋には蝋が塗られて、紙が濡れることの無いよう防水処理が施されている。
周囲を見回しても、人の姿はない。
紫の瓶は、きっと海を流れて来たのだろう。手に取って、瓶中の紙を取り出してみれば、それはどうやら楽譜のようだ。
五線譜の上を踊る音符に視線を走らせ、イズマは思わず息を飲んだ。
それと同時に、暗い夜空を幻視する。
気づけばイズマは、月の無い夜に立っていた。
足元には荒れ果てた道。どこかの街の交差路だろうか。だが、周囲には家屋の1つさえもない。ただ、闇だけが、夜の闇だけが無限に広がっている。
静かな世界だ。
何も無い。
だが、ある瞬間に水の弾ける音がした。
それから、闇夜に光が差した。太陽を間近で見たのなら、きっとこんな風だと思えるほどに眩い光である。
そして、風が吹く。
雨が降る。
強い雨が降りしきる。
あっという間にイズマの身体はびしょ濡れになった。青い髪が頬に張り付く。けれど、不快だとは思わない。
光も、風も、雨も、何もかも……それは音だ。
濁流のように浴びせかけられた爆発的な音の散弾に撃ちのめされて、イズマは立ち尽くすことしかできないでいた。
曲としての完成度は、決して高いとは言えない。
高度な演奏技術が必要なほどに難しい曲でも無い。
音楽に精通する者がその楽譜を見れば、10人中10人は「未完成の楽曲だ」と評価するだろう。
けれど、10人中10人が「この楽曲は素晴らしい」と言うはずだ。
その楽譜は、確かに未完成で、未熟なものだ。
だが、熱がある。
命の輝きがある。
例えば、暗闇の中で血反吐を吐き散らし、命を削り、狂いそうになるほどに、何度も挫折しそうになるほどに音符を書いて、消して、塗りつぶして、また書いてという工程を繰り返した果てに、永遠とも思える地獄を経た果てに、やっとたどり着き、書き上げた楽譜なのだろう。
怖気が走る。
その執念に、頭が下がる。
拍手喝采を送ることさえ、失礼に思える。それは、命を削って書き上げた楽曲にとってノイズにしかならないからだ。
それゆえ、イズマは闇を幻視した。
頼る者もいない。演奏を聴く者もいない。誰もいない、静かで孤独な暗闇を幻視した。
この楽譜を書いた者が、一体、何を考え、どんな地獄を歩んだのかを想像するだけで身震いがする。呼吸をすることさえ忘れ、イズマはただ音の濁流に身を任せていた。
「……一体、誰が、どういうつもりで」
楽曲の全てを読み終えて、イズマはやっと言葉を吐き出す。
暗闇は晴れ、砂浜にいた。
タイトルは書かれていない。
作曲者の欄には“V”とだけサインされている。
少しだけ思案し、イズマは楽譜を懐へと仕舞った。 - 執筆:病み月