幕間
ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。
灰翼の栞
灰翼の栞
関連キャラクター:チック・シュテル
- 瑠璃が褪せるはなにゆえか
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――いたい、いたい、いたい。
燃え盛る家から逃げ出した。仲間が殺されている場所から逃げ出した。
自らを追い立てる者たちから遠く離れた場所に辿り着いても、みすぼらしい姿を草叢に隠して震え続けていた。
追手に付けられた傷が、逃げる過程で付いてしまった傷が痛む。それを癒す術を『その当時』持たぬ彼女は、ただひたすら逃げ惑うことしか叶わなかった。
遮二無二木の実を頬張り、川の水を口にし、ただ歩き、時に走り、遠く遠くへと逃げ続け、時として物乞いや空き巣まがいのことすら手を出して。
けれど、それも長くは続かなかった。
負った傷口から生じたのであろう風土病が彼女を蝕んだのだ。人里を遠くに置いた山の中で彼女は倒れ、人も通らぬその場所でただ死を待つのみとなった彼女は、最早泣くことしか叶わず。
(どうして、私は傷つくの?)
意識は朦朧とする。熱病らしきそれに抗う術も見いだせず、取り留めも無い思考が我が身を苛むばかりで。
(どうして、私は追われるの?)
己の身の不幸を、ただ嘆きながら緩やかに死んでいく彼女を。
……けれど、その時一つの手が掬い上げた。
●
目を覚ます。
過日の記憶を夢に見たプティ=エンゲルベルトは、住まう一室のベッドから起きては荒ぐ呼吸を落ち着かせた後、自らの翼と髪色が褪せていることに気づいて、慌てて自らのギフトに意識を傾けた。
『虚飾で彩られたカラス』……自身の体色を変更するギフトを以て、己の翼と髪色を蒼穹の如きそれに変化させた彼女は、軈て日が差し始めた窓を開き、今現在自らが仮宿としている町を視界に収める。
仕入れ先へと歩く商人、畑仕事に精を出す農夫。その何れもが姿を現したプティを見つければ軽く手を挙げ挨拶する姿に、彼女もまた笑顔を以てそれで応ずる。
……夢で見た記憶の後。山菜狩りの過程で偶然彼女を見つけた町人たちによって命を救われ、以降この地に住まう彼女へと、周囲の人間は現在も優しく接してくれている。
それは、彼女にとって最も「望ましい」こと。
何時か、自らの素性が割れ、再び追手の憂き目に遭うとき、彼らは自分を庇ってくれることだろうという、浅ましい考えを根底に、プティはこれからも「愛されるべき姿」を演じ続ける、けれど。
――いたい、いたい、いたい。
けれど、時々、嘗ての言葉を思い出すのだ。
身に付けられた傷はもう癒えたのに。痛みに呻いていたあのときと同じ言葉を。
……誰かを欺いているとき。誰かの想いを無下にしていると、彼女が密かに思った、その時に。 - 執筆:田辺正彦