PandoraPartyProject

幕間

子竜伝幕間

関連キャラクター:シラス

修辞学とは
 高級レストランを一軒貸切り、著名人を大量に呼びつけたパーティーは果たして気軽なパーティーと呼べるのか。
「命題だな」
 金の額縁に収められた油彩の貴族画を見上げながら、言葉の難しさについてシラスは思いを巡らせていた。
 薄灰のシャツにミッドナイトブルーのスリーピーススーツはシラスの黒髪とも馴染み、上手くこの場の雰囲気に溶け込んでいる。
 固過ぎることも無ければ軽過ぎることもない。
(いちゃんもんつけられる理由は一つでも少ない方がいいからな)
 なのに、傲慢な貴族の若者たちはあれやこれやと文句の種を見つけては突っかかってくる。
 彼らの態度に辟易し始めていたシラスに、新たなる声がかけられた。
「ちょっと、そこの。黒髪の」
 嘲笑の混じった声は明らかにシラスへと向けられていた。
 高慢さが滲んだ女の口元から企みめいた仄暗さも感じる。
「何でしょうか」
 今夜何件目だろうか。
 シラスの予感は当たりやすい。
 天啓的な危険察知から戦場での戦況分析まで、あらゆる場所で発揮される観察眼は、情報や経験の集積によって最近精度が増してきた。
 爽風の微笑みを浮かべながらゆっくりと振り返り、目の前の女性をカテゴリーBに分類する。
 即ち「レベルの高い厄介ごと、警戒態勢へ移行」の意味だ。
「麺麭と清羹を取ってきて下さるかしら」
「……」
「あら、聞こえなかったのかしら? 私は、麺麭と清羹を取ってこいと、言ったのよ」
 クスクスと亡霊のような笑い声がそこかしこから聞こえる。どうやらシラスの失態を見たい人間は一人ではないらしい。
「それとも、こんな簡単な言葉の意味も分からないの?」
「はいっ、どうぞ!」
 そんな悪意の檻を壊したのはプラチナブロンドの声だった。
「……は?」
「パンとスープです。拙者が取ってきたものでよろしければ、どうぞ」
 檸檬色のイブニングドレスに身を包んだ夢見ルル家の、麦穂の如く豊かな睫毛に縁取られた片の緑眼が輝く。
 皿を差し出す太陽に似た笑みは柔らかく陽射しのように穏やかだ。
 相手もルル家が出てくる事態は想定していなかったのだろう。憎々し気に歪んだ顔を扇で隠している。
「お一人だと大変なことも多いでしょう」
「しっ、失礼させてもらうわ!」
 わざわざ他人に声をかけないと食事も運んでもらえない可哀そうな人なんですね、をオブラートに梱包しまくったルル家の言葉は下手なまじないよりも悪意に効くようだ。
「本日のシラス殿は厄介人ホイホイでも装備しておられるのですか?」
「俺もそれを今、疑い始めたところだ」
 純粋なルル家からの質問にシラスはわざと儚く笑って見せ、そのまま声を潜めた。
「悪いな、助かった」
「どういたしまして。難しい言葉は豊穣で鍛えられましたからな」
 拙者がピンチの時は助けてくださいねと言い残し、ルル家はシャボン玉のようにふわりと、再び人垣の中へ溶けて行った。
執筆:駒米
Repose with Rain
 細雨の中に黒い傘の花が咲いている。
 濡れた灰色の石碑を取り囲むように黒の群れが蠢き、鎮魂の祝詞と共に土の中へと沈められる棺桶を見守っている。
 産まれた時から自分の入る墓を用意されている人生とは如何なるものか。
 いつかはこの土とこの石の下に埋められるのだと、文言に栄誉が刻まれるような生き方をせよと、幼い頃から言い聞かせられる。
 そいつは何とも恵まれた人生だとシラスは思う。
 スラムでのたれ死ねば、身包み剥がれて、はい終わり。
 動かなくなった塵を埋めるような手間、誰もかけてはくれやしない。
 それに比べ、産まれた時から自分を悼む場所が用意されるのだから何と贅沢な事か。
「シラスさん、大丈夫ですか」
「ん?」
 喪服を纏ったリースリットの表情は、帽子から垂れた黒いベールに遮られてはっきりとは伺えない。
 けれども気遣わし気な声色は、柔らかな慈雨のようにシラスの耳へと届いていた。
「悪い、少しぼうっとしてた。仕事に手は抜いていないから安心してくれ」
「……はい」
 何か言いたげなリースリットにむかってシラスは丁寧に微笑んだ。
 全身を黒で統一したリースリットは珍しい。
 黒は死者を悼む色。
 シラスは髪色で、貴族の葬式警備に選ばれた。
 その事に関して思う所はない。自分の目の色であろうが髪の色であろうが、使えるものは皆武器だ。
 雨にけぶった世界で黒のスーツに身を包み、影のように立ち尽くしている。
「しかし葬式に厳重な警備が敷かれるってのも可笑しな話だよな」
 葬儀に参列した黒服の内、親族は一握り。後は全て参列者へと偽装した護衛の兵である。
「婚礼と葬儀は親族が集まりますからね。貴族にとっては暗殺される可能性が高い、危険な日でもあるんです」
 寂し気に目を伏せたリースリットは胸に一輪の百合を抱いている。
「それでも出るのか」
「お見送りですから」
「そんなもんか」
 降り注ぐ雨と共に乱雑に墓穴へと投げ込まれていく白い花は、一輪だけで三日分のパンが買える値がするのだろう。
 白百合を投げ込む墓穴も残飯を投げ込む塵穴も大して変わりはしないというのに。
 シラスとリースリットは最後の一組として傘の中へと進み出た。
 体温が仄かに移った献花をリースリットが手放すと、棺桶を白が埋め尽くす。
 ――ッ。
 背をむけた相手から首筋にひりつくような殺気を感じ、シラスは準備運動するように指を軽く動かした。
 黒が奔る。緋色を宿した魔晶の細剣が翻り、雷光の如く踏み込んだシラスの影と交差する。
 一つの刃先はこめかみへ、一つの手刀は喉元へ。
 参列者の悲鳴と共に、出遅れた護衛達が己の仕事を思い出し動き始めた。
「爆発物の持ち込みとは穏やかじゃねえな」
「少しでも動けば命の保証はしません」
 シラスは不敵に、リースリットは真摯に相手に敗北を宣告する。
「墓掘りに残業させるのは止めてやれ。なにせ今日は雨だ」
執筆:駒米
諷忌写本について
 貴族の有形財産といえば土地屋敷に宝飾美術、そして書物が挙げられる。
 書斎の壁を埋め尽くす本棚があれば合格。図書室があるのならば有力。更に資料室があれば一流。
 最低でも貴族年鑑、家系図が目の届くところに掲げられているのがフィッツバルディ派貴族の邸宅であった。
 己が血を誇っているのだ。目立つ場所に掲げるのは当然と言えば当然だった。 
 黄金色の調度品が眩しい玄関ホールに掲げられたタペストリーに織り込まれているのは樹形図のような家系図だ。
 屋敷の中に一歩足を踏み入れた瞬間、熟れた苺のような眼差しがそれを凝視する。月長石の髪を持つ華奢な幻想種――ドラマ・ゲツクだ。
「お客様?」
 案内を務めるメイドが困惑したようにドラマへと呼びかけた。
「気にしないで。仕事に取り掛かっているだけだから」
 木漏れ日のように柔らかな眼差しでマルク・シリングが告げた。
「……それでは依頼品を持って参ります」
 メイドが去って行ったことを確認すると。
「よく飽きずに眺めていられるよな」
 俺には何のことやらさっぱりだと言いながら、シラスはドラマの視界の邪魔にならぬように後ろへと下がった。
 貴族が率先して本を集めている時には大抵二種類が考えられる。
 一つは稀覯本、貴重書に学術的価値を求めている場合。もう一つは有形財産としての価値を求めている場合である。
 ドラマ、マルク、そしてシラスの三人は後者タイプの貴族に招かれた。
 家名、オーゲルミール。
 ローレットの情報屋曰く「稀覯本の一部をとある商会に売ることにした。書物の扱いと知識が豊富な、或る程度の信がおける者を家までよこせ」という依頼らしい。
 要するに使い走りだが怒らせると怖い幻想貴族。相手の満足する人選に決まるまで少しの時間がかかったが、これ以上ない面子が揃った。
 書を愛するドラマに学者肌のマルク。
「そこに何故俺が加わるんだ? 浮いてるだろ」
「そんなことないよ」
 声に呆れが滲むシラスにマルクは微かに笑った。
「相手方からの条件に『信がおける者』と入っていたから、僕たち二人の監視役として呼ばれたのかもしれないね。この家の人とローレットを仲介した人物が君を推薦したのかも」
「お待たせしました」
 ドラマが二人の元へと戻ってくる。
「何か分かった?」
「はい。お名前は全て古い時代の文字で刺繍されておりスペルミスもありません。歴史ある有力貴族と言うのは間違いないようです」
 穏やかな羊雲のようにふわりとドラマは告げる。
「その割には家名に聞き覚えが無いんだよなぁ、おっと」
「お待たせしました」
 戻ってきたメイドが焦茶色のレザートランクを恭しく差し出した。
 シラスが受け取ったそれは意外と重く、揺らしても重心が動く気配がない。
「これを指定された商会まで届ければ良いんだな?」
「左様でございます」
「中身は一冊?」
「お答えできません」
「書斎や図書室は見られないのですか?」
「ご主人様はそれをお望みではないようです」
 締め出されるようにして屋敷を後にした三人は煮え切らない表情で互いを見つめた。
「取り敢えず指定された場所に届けるか」
「そうですね」

 三人が依頼を遂行した数後日、新聞に「強盗か、商会員惨殺」の見出しが小さく踊る。
 見覚えのある商会の名にシラスは眉を顰めた。

執筆:駒米

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