PandoraPartyProject

幕間

アルトバ文具店(営業中)

関連キャラクター:古木・文

踊るペン先、綴る言葉
 棚に並んだ硝子瓶には一つ一つ丁寧にインク名が書かれたタグがかけられている。
 少女は一つ手にしてはまた棚に戻し別の瓶を手に取る……それをずっと繰り返していた。
 声をかけるべきか否か。文が決めかねるうちに、どうやらこれとインクを決めたらしい少女が万年筆を並べた一角で本格的に悩みはじめたようだ。
「試筆しますか?」
 薄桃軸と白軸にラメが散ったもの、どちらかで思案する少女に、そう声をかけた。
 いいの? と驚く少女に頷いてテーブルへ案内する。
 試筆用のインクに白軸の万年筆の先をつけ紙の上をさらりと滑らせる。
「どうぞ」
 尻軸を少女へ向け手渡すと恐る恐る紙の上を走らせる。その間に薄桃軸の用意をし次はこちらと差し出した。
「こちらは小振りですが女性の手に馴染みやすいです」
「本当だ、書きやすい……」
 少し短いそれは軽く重心も安定している。実際に書き心地を確かめて納得したのか彼女は薄桃軸に決めたようだ。
「どなたかにお手紙ですか?」
「はい。大切な人へ」
 はにかんだ少女になるほどと思案して文は便箋を幾つか見繕う。上質な紙で、少女が選んだインクが滲みにくく裏抜けしないものを。
「ああ……」
 会計後、丁寧に包まれた紙袋を手にし、少女は和かに笑ってこう言った。
「アルトバ文具店に来て本当によかった」
執筆:いつき
リコレクション・ブルー
●青い海

 きょろきょろと店内の棚に処狭しと並んだインクを眺める女性客が一人。
 棚の上から下まで右往左往し、随分と熱心だ。その割にサングラス着用なのが聊か違和感を感じる。じっと手元の何かを見つめ、それからカウンターに座る文の元へ歩いてきた。
 これは『何々ありませんか?』と聞かれるパターンだと経験で悟る。
「すみません、この色のインクを探しているのですがお取り扱いしていますか」
 女性から差し出されたのは見知らぬ男と共に眼前の女性が海を背にして映った笑顔の写真。時間帯は夕暮れ、沈む夕日に海面は紫に染まり、天は朱と紺のグラデーション。
「どちらの色をお探しですか」
「どちらの?」
「はい。海か空か、もしくは太陽の色ですか?」
 しばらく黙する女性に、文は答えを待つ。こういう『訳あり』っぽい客も随分と慣れた。意を決したのか女性は困った様に笑い返す。
「ごめんなさい、わかりません」
「わからない?」
「私、色の区別が出来なくて。この写真も辛うじて陰影を区別出来るくらいで……あっ、探しているのは海の色です。海は青、でしたよね。爽やかな色だとか」
「……此方に」
 インクを案内すると、即座に購入し一礼。
「ありがとうございます。これで――彼の棺に手紙を入れられます」

 ――彼女に渡したインクは、浅葱色した晴れやかな……。
ミルクの微笑み
「おや」
 くりくりとした愛らしい目と視線が交差した。店に置いてあるインクの色に喩えるならば檳榔子黒が近いだろうか。
 えーと……と棚を見ている母親の背中に背負われた赤子が文を真っ直ぐに見つめている。ふくふくした頬と手足は丸みを帯びて可愛らしい。小さく手を振ると、にへぇと楽しそうに笑って足をバタつかせた。と、同時に。
 ガチャンっ、ドササっ。
「あっ」
「え? あ?! ごめんなさい!!」
 近くにあった筆のコーナーが赤子の足に蹴られ派手な音とともに落下した。事態を察した母親が真っ青な顔で慌てて拾っている。
「べ、弁償します……!」
「大丈夫ですよ」
 拾いながら筆の状態をチェックするが、幸いにも傷ついたものはない。何度も頭を下げる母親にどれも傷ついてないからと言えば漸く安堵した表情を見せる。
 そんな母の気も知らず赤子は満足そうに文を見て笑っていた。
「可愛らしいですね、おいくつですか?」
「つい先日、半年になったばかりで」
「ああ、それは可愛い盛りだ。良かったらこの子見てますから、ごゆっくりお探しくださいね」
「ありがとうございます……!」
 母親から赤子を受け取ると、暖かさと適度な重みに口元が緩む。
「君も大きくなったら、うちの店に来てくれよ?」
「あぅ」
 伸ばされた小さな手はほんのりミルクの香りがした。
執筆:
ゆくえ
「あれ? 古木先生?」
 この店では聞き慣れぬ響きに、棚の整理をしていた文は思わず振り返った。
「君は――」
 滑らかに来客の名前が口から飛び出る。けれども、目の前の彼女とはそう交流があった訳ではなかった。
 希望ヶ浜学園の一生徒と一教師。何度か古文の質問を尋ねられた思い出はあるけれど、それだけだ。彼女が高校を卒業した後は、自然と姿を見かけることは無くなった。文自身も、すらりと彼女の名を呼べたことが、少し意外に思えた。
「びっくりしちゃった。先生、お店やってたんだね。……あ、先生って呼ばない方がいい?」
「ううん。呼びやすい方で構わないよ」
 彼女は控えめに頷き、ぽつぽつと求める文具を告げる。文も丁寧に応じ、希望に合う品々を見せていった。学園にいた時のように、質問と返答が往復する。
 いかなる経緯で彼女は幻想風の衣服に身を包んでいるのか、なぜこの店を訪れたのか。多少の好奇心は存在したが、彼女の人生に踏み込む権利は無いと、文はすぐに頭を振った。
 やがて彼女は一本の万年筆を手に取り、はにかんだ。漆黒の胴に金色の手毬が舞う、古風な一品だ。
「今日はありがとうございました。……がんばってね。先生も、何か夢があってここにいるんでしょ?」
 嬉しそうに万年筆を携えて、去りゆく彼女の背中は――いつかの職員室の時よりも、大人びて見えた。
執筆:
赫赫
「なあ、此処は手紙の代筆は頼めるか」
 左手に薔薇の花束を抱えた男が、意を決したという様に文に聲を掛けて右手に持った便箋を差し出して来た。其れは此の『アルトバ文具店』の品揃えの中では程々に高価な代物である。
「大切な方へのお手紙ですか?」
「ああ、俺は昔から文字がからっきし下手でね。花束は買った、身請けするだけの金も貯めた。後はプロポーズをしてハッピーエンドって訳」
「身請け?」
「彼女は場末の酒場の『歌姫』でね、そう云えば聴こえは良いが唯の雑用さ。もっと大きな所で唄いたいってのを叶えてやりたくて」
 鼻息荒く捲し立てるのを『まあまあ、』と宥め、『其れでしたら』と試筆用のガラスペンに洋墨を浸け手渡して。『話は聴いていたのか?』とギョっとする男に笑い掛けた。
「其れなら尚更の事、貴方の文字で貴方の言葉を書くべきです。代わりに、アドバイスは致しますよ」
「お、おう……」
 腑に落ちないと云わんばかりの男の厳つく働き者である事が窺える手がペンを握る。手紙に落とすのは、薔薇よりも尚濃い血の様な赫だった。

 ・
 ・
 ・

『なあ、アンタ聴いたかい? 何でも店の『歌姫』をよ、買おうとした男がオーナーと揉めて殺しちまったって。而も女には他に男が居たって話だぜ』
「そうですか、其れは中々報われない話ですね――……」
執筆:しらね葵
涼やかなる

「おにいさん、おにいさん」
「あ、また来てくれたんだ。元気?」
「うん!」
 作業台に背伸びしてひょっこりと顔を出す少女は、まだ小学生にもなっていない近所の常連さんの一人娘。
 時折ふらりと現れては、お菓子の差し入れを持たされて『お茶会しましょ!』なんて洒落たお誘いをくれるものだから、そのお言葉に甘えている。
「おにいさん、レモンケーキはすき?」
「ああ、一等ね。また貰いすぎてるような……お母さんには『もう十分です』って伝えておいて?」
「おかあさまはきっとよろこんでるから、だめだとおもう」
「そっか」
 常連さんということもあって些細な身の上話なんかも少々。夏場になると腐りやすいけれど、この子はそれを防いで手早く持ってきて、お茶会の誘いをくれる。
 作業は一旦中断。小さなレディを椅子へエスコートし、本日もお茶会が開催される。
「おにいさん、またあたらしいものしいれたの?」
「ああ、うん。『どう』かな?」
「……あれは、だめかも。憑いてる、かな」
「そっか、ありがとう」
 また墓前に供えられていたの、なんて寂しげに笑う少女は。遠い夏の日に置き去りにした母親を忘れられずに、時々此処に通っている。
「おかあさまに、美味しかったって伝えておいて」
「だめだよ。それはちゃんと自分で、ね」
「……手紙を書けって?」
「うん」
執筆:
涼やかなる・二頁

「文くん、文くん」
「あ、こんにちは。また来てくださったんですね、お元気ですか?」
「ふふ、うん! 最近は暑いわね」
 扉からひょっこりと顔を覗かせた女性はくすりと微笑んだ。近所の常連の一人でもある彼女。
 時折ふらりと現れては、お菓子の差し入れを持ち『お茶会しましょ!』なんて洒落たお誘いをくれるものだから、そのお言葉に甘えている。
「文くん、確かレモンケーキ好きだったわよね」
「ええ、とびきり。でも最近頂きすぎてますよ、もう十分です」
「ふふ、だめよ。若い子は沢山食べてくれなきゃ!」
「そうですか」
 真夏になれば思い出す。血濡れのひまわり、蝉の声。彼女と話す『今日』のこと。
 作業は一時中断。レディを椅子へエスコートし、本日もお茶会が開催される。
「文くん、また新しいものを仕入れたの?」
「はい。もしかして気に入ってくださったとか?」
「ふふ、そうなの。バレちゃった? あの子が好きそうだなって」
「……ええ、そうですね。お包みしましょうか?」
「うん、お願い。後でほかも見たいから、お会計は待ってね」
「わかりました」
 命日のひと月後だと少女は語っていたか。彼女は決まってその日に現れる。
「レモンケーキ、美味しかったです」
「ふふ、それはよかった」
「……それから、お手紙も預かってるんですが。どうでしょう?」
「まぁ、素敵!」
執筆:
妻への返事
「便箋と硝子ペン。それからインクを頂けますか」
 品の良い老紳士だった。
「妻に手紙の返事が書きたくて」
 その眼が酷く寂し気だったので文は声をかけた。
「ここで書いていかれますか、よければ話相手になりますよ」
「ああ、そうだなあ。恥ずかしながら今まで手紙なんて書いたことがないものだから」
 文具屋さんが傍に居てくれるなら安心だと、老紳士はペンを取った。

「妻に不自由をさせたくなかったんです」
 貧しい頃からずっと傍にいてくれた妻。
 化粧品一つ満足に買ってやれなかった。
『私には似合いませんよ』
 笑っていたが、赤い口紅の広告を時折眺めていた。

 ――なんて自分は情けないんだろう。

 そう思って朝から晩まで働いた。
 気づけば口紅どころか大半の物は買えるくらい裕福になっていた。

「これでやっと妻が欲しがっていた口紅を買ってやれると思ったんです」
 ただいまと開けたドアの先に、床に倒れ伏した妻が居た。
 口紅はぽっきり折れてしまった。
「部屋の整理をしている時に私宛の手紙が見つかりまして」

『あの人が傍に居てくれなくて寂しい、口紅なんて欲しがらなければ良かった』

「……今更な気もしますが、こう、して、返事、を」
 ぽたりと雫が便箋に落ちてインクが滲み、手が震えて文字が乱れていく。
「……今更なんてこと、ありませんよ。大丈夫」
 
 
執筆:
青か緑か。いいえ、青とも緑とも。
●碧に至る
「あのー、この植物って飾りモンですよね? 売ってます?」
「申し訳ございませんが販売はしておりません」
「ですよねー。そしたらこれの名前教えて貰えませんか。自分で花屋に行くんで」
 はて、此処はあくまでも文具屋。観葉植物も多少は飾っているがそれは主でなく引き立て役。清涼な雰囲気を出すものに過ぎない。当然だがこのような客は殆どいないし、居ても「季節の花が綺麗ですね」と話のタネになるくらい。
「こちらは■■■と言いまして……花屋よりは園芸用品を取り扱う大型店に行くと見つかりやすいかと」
「あざーす」
 奇特な青年は植物の名前を乱雑に紙に記し、次に並べられたインクのコーナーに行く。そこではインクの色を見て、数字と記号の羅列をメモしていた。インクには名前が付いているのに、まるで暗号のよう。
「さーせーん」
 青年は沢山のメモを取り、最後に文を呼んで、鞄から取り出したスケッチブックに描かれた『真夏の青々とした草がボーボーに生えた絵』を見せて尋ねる。
「この色、ないっすかね」
「……ええと、何処の色でしょうか……?」
 乱雑に、丁寧に、複雑に、凄まじい密度で描かれた草が絡み合う絵。どこの色を指しているのか分からない。
「――それを俺も探してるんッス」
 ニっと笑った青年は、楽しく困った顔だった。
今月のインク
「文さん、文さん」
「――ん、ああ。もうインクがなくなりそうですか?」
 本から顔を上げれば、顔なじみの青年が居た。呼ばれないと気付かれないのは彼の気配があまりにも希薄なのだ。たまに仕事中も見つけて貰えないのだと彼は笑って話していたことがある。
「そうなんだよ。まあ、仕事してるって感じがするよね」
 からりと笑う青年は代筆屋を営んでおり、アルトバ文具店で扱うインクが好きだからと遠路はるばるやってきては何種類かのインクを纏めて買っていく。大体ひと月に一度程の頻度だ。
「今回はそうさなあ。団栗色と、モミジ色と――」
 彼が挙げていく色はどれも秋らしい。少しだけ季節を早取りしておけば、代筆した手紙が届く頃に丁度良い季節というわけである。誰しもがあっという間に大陸の端から大陸の端へ、さらにその先の離島へなど行けるはずもないのだから。
「はい」
「ありがと文さん。季節の変わり目は体調に気をつけてね」
「幽さんこそ。根を詰めすぎないようにしてください」
 勿論だとも、と胸を張った幽(ユウ)が片手を挙げて去っていく。もう暫くしたら、あのインクでしたためられた手紙が世界中へ運ばれていくことだろう。
執筆:
拝啓、あなたへ
「文さーん! シーリングスタンプちょうだい!」
 元気な声で古木・文はそちらに顔を向けた。
 そこにいたのは近所のパン屋の看板娘。元気で器量よしと評判の少女だ。
「封蝋ですか」
「そそ、最近流行ってるんだあ」
「そうなんですね」
 接客スキルのなさゆえか途切れる会話。少女は気にすることなく棚に並んだ封蝋を眺め始めた。

 封蝋とはいえ形も色も様々だ。
 彼女が求めているのはどのようなものだろうか、と文が眺めているとふと気づく。
 封蝋を丁寧に見つめる彼女の瞳が愛おしいものをみる眼をしていることに。
「お手紙ですか?」
「え。う、うん! どうしてわかったの!? そんなに顔に出てたかな!?」
 自分の頬に手を当てる彼女は可愛らしく、そしてまた文の質問が図星であることを指していた。
「あの、あのね。素敵なシーリングスタンプは恋の御守りなんだって。だから私も、遠くにいる好きな人に手紙を書きたくて」
 彼女にとって封蝋は自分の想いが無事に届くための御守りでもあるのだろう。
 そう思った文は僅かに頬を緩めた。
「それは素敵なものを選ばなければなりませんね。私にもお手伝いさせてください」
 いいの!? と喜ぶ彼女にもちろん、と呟いて。
 願わくば。手紙を守る封蝋が彼女の大切な恋を運んでくれますようにと。
 そっと願いを込めた。 
執筆:凍雨
大切なスタンプ
「おにいさん、おにいさん。これとおんなじの、ない?」
 今日のお客は小さな女の子だった。走って来たらしく息を切らせて、どこか泣きそうな顔で聞いてくる。文が差し出された手を見やると、そこには小さなスタンプがあった。インクを付けて押すタイプのものだ。だが木でできたそれは真ん中からぱっきり折れてしまっている。
「探してみますね」
 確かにこれでは使えないな、と納得したように頷いて同じようなものを探す傍らで女の子が言う。
「たからものなの。プレゼントでもらって、だいじにだいじにつかってたのに、おとして、こわしちゃった」
 泣くのを我慢しているような声、それを聞いて文の手が止まった。大切なそれの代わりに同じものを用意するのはなんだか躊躇われて。
「それ、借りてもいいですか?」
「いいけど……」
 だから、壊れたスタンプの持ち手の部分だけ変えることにした。作業場に行ってスタンプの部分だけ元の部分から切り離し、新しい持ち手となるものとくっつけてあげたらすぐだ。

 新しい持ち手になったスタンプが帰ってきて、女の子はとても喜んだ。
 買おうとしていたスタンプの代わりに花のスタンプと紫陽花色のインクを買って帰っていったという。
執筆:心音マリ
ある日の文具店
 夏の盛り、午後の眠気が誘う時間にその婦人は店に来た。
「失礼、ガラスペンは置いているかしら?」
「いらっしゃいませ、ガラスペンですね。お待ちください」
 眠気と戦う準備中だった文は意識を切り替えて白手袋を嵌める。
 それからビロードケースにガラスペンを並べて置き、婦人の前におく。
「当店では、この4種を扱っています」
 シンプルにガラスを捻った作られたもの、色ガラスで作られたもの。
 それに細かな総称を施したものに、形に工夫を凝らしたもの。
 それらを並べたケースの隣に試し書き用のインクと紙を用意する。
「そうね、どれにしようかしら」
 婦人はそれぞれの握り混み具合やインクの入り方をじっくりと吟味しているようだった。
 やがて形に工夫を凝らしたものを手に取ると、これにするわと告げた。
「これが1番、私の手と相性が良いみたいでしたの」
「そうですか、それは良かった。ありがとうございます、またお越しを」
 なんだか不思議な婦人だったなと思いながら、文は彼女を見送ったのだった。


執筆:桜蝶 京嵐
旧き友へ
「なあ、店員さん」
 昼下がり、杖をついた老爺の客が、何かを探し求める調子で文に尋ねた。文は商品棚の配置を頭の中に思い描いたが、続く言葉は意外なもので。
「この辺りに薬局ってなかったかい?」
「薬局? あ、もしかして」
 アルトバ文具店は最初から文具屋として建てられたのではなかった。元々とある老夫妻が営んでいた薬局を改装して生まれた店だ。今は建物ごと文の家であり店でもあり、老夫妻は息子の家に居を移している。
「……という訳なんです」
「そうだったのか。彼らは元気にしているかい?」
「ええ、お元気ですよ」
 老爺は柔らかな思い出に浸るように目を細める。だが、お会いしたいなら話を伝えておきましょうか、という文の提案には、首を振った。
「たまたま通りがかって、顔を見せようかと思ったぐらいさ。気遣いは……ああ、でも――」

 後ろ姿を見送って、文は受け取った手紙を眺めた。真新しい白の便箋。その中には、買いたての洋墨で、旧友への言葉が綴られていることを文は知っている。届けるのを忘れないようにと念じながら、彼は手紙を仕舞った。
 いつか、この文具屋もまた別の誰かに受け継がれ、あるいは別の店となる日が来るのだろうか。それでも今日のように、覚えてくれる人が居るのだろうか。
 そんな未来を考えて、文は少し照れ臭く笑みを零した。
執筆:

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