PandoraPartyProject

幕間

ストーリーの一部のみを抽出して表示しています。

とある絵描きの記憶

関連キャラクター:ベルナルド=ヴァレンティーノ

心に遺る、幽かな幸福と
 それは初夏に描かれた、たったふたりだけの秘密だった。

 久し振りの晴れ空が徹夜明けの目を遠慮なく刺す。
「青。青か……」
 ベルナルドにとってそれは特別だ。同じ画家の友人から言葉を尽くして褒められた色で——鮮明に蘇るあの日の記憶は睡魔で意識が飛びかけているのか、ただの回想なのか、頭は区別してくれない。そんな状態で背後から声を掛けられたら勘違いもするだろう。
「……おにーさん。おにーさんってば」
「なんだ。また林檎の描き方を、いや誰だ?」
 振り返った先にいたのは彼が養っている少年——ではなかった。まるっきりそうだと思い込んでいたものだから、警戒するのが遅れに遅れた。
「勝手に入ってごめんなさい。どうしても描いて欲しい絵があって」
 絵の依頼。そう理解すれば幾分か思考もクリアになった。
「お金なら言われただけ用意するから、出来るだけ急ぎで……その、もう時間がなくて」
 少年から青年へ移り変わる頃合いの少し掠れた声が必死に続ける。
 取り出したのは片手には余るサイズのテディベア。綿が草臥れて右へ傾きがちながら、整えられた毛艶を見れば愛着の表れだと知れる。目の前の彼の髪に似た淡い金色が眩しい。
「この子を絵に残したいんだ。画家さん、お願いできないかな?」
 身形は良いからどこぞの御子息様か。それなら代金の心配も、深い事情を聞き出すのも藪蛇だろうと追及を放り投げた。キラキラと嵌められた硝子玉と揃いの青い瞳で懇願されたせいでは、多分無い。

 澄み渡る青空を収めた窓辺でレースのカーテンが心地好い風に靡く。並べた椅子にちょこんと座ったテディベアは笑っているようにも見えた。
 アンタは入らないのか、と問えば静かに首を振られた。あくまで主役はあのクマであるらしい。
「大事な人からもらった、とっても特別な子なんだ」
 体が弱くて外に出られなかった幼少期からずっと家庭教師をしてくれた男性との思い出話。集中し出したベルナルドは相槌くらいしか返さなかった。それでも依頼主は気にせず、まるで自分の心の整理をするように語り続けた。

「完成したぞ」
 ぼんやりとした頭で絵具で汚れた指を拭いながら室内を見渡しても姿が無い。ここ数日、呼ばれずとも勝手に通ってくるおかげですっかり気配を気にしていなかったが、知らぬ間に帰ったのだろうか。
 お疲れさん。なんだかんだ愛着が湧いてきてしまったモデルにも声を掛ければ、椅子と背中の間に封筒が挟み込んであるのに気づいた。宛名を確認して封を切る——『ベルナルドさんへ』。

『本当は最後まで見届けたかったけど。
 残念、僕の時間は少しだけ足りなかったみたいだ。
 お別れの挨拶が手紙になってしまってごめんなさい。

 この子の瞳と首飾りは【アクアマリン】です。
 出所は確かだから、いい値段で売れるはず。
 代金として受け取ってください。

 もうひとつ、もし叶えてくれるなら。
 完成した絵を送ってほしい人がいます。
 住所はメモを同封してあります。
 きっと何も言わなくても伝わると思うから。
 勿論、一緒に売ってしまってもいいよ。

 依頼を受けてくれてありがとう。
 貴方に描いてもらえてよかった。さようなら』

「……売れる訳が無いだろ」
 絵の中の空。手の中のぬいぐるみ。【聡明】だがまだ幼げな瞳の色に宿った、ささやかな【幸福】。たくさんの青に呻いたベルナルドはスキットルの中身を空になるまで呷り、それから送り先を調べ始めた。

 ——後日、家庭教師だったと聞かされた男の元を訪ねた折、依頼主が数ヶ月前に亡くなっていたと聞いた時には別の意味で青くなったが。
執筆:氷雀

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