PandoraPartyProject

幕間

とある絵描きの記憶

関連キャラクター:ベルナルド=ヴァレンティーノ

雨と鉛筆と石膏像
 鉛筆を縦、横に向きを変え比率を測り紙の上へ落とし込む。
 少しずれたら修正して、測り直してを繰り返して漸くベルナルドは目の前の石膏像を写し取り始めた。
 今日一日はデッサンをすることに決めていた。
 外に出かけて風景をスケッチしようかとも思ったが、あいにくの雨だったのでそれはまた後日。

 静かな空間の中でぽつぽつと雨が降る音と鉛筆を走らせる音だけが響いて、逆に集中力を高めている。
 手を動かしてスケッチブックに線を重ねていく。
 最初は唯の線にしか過ぎなかったものが、ベルナルドの手によって形ある者へ徐々に変化していく、
 少し描いては石膏像を見て、石膏像を見ては少し描くを何度も繰り返した。
 デッサンに於いては『描く』ことより『視る』ことが重視されている。
 目の前の対象物を正確に『捉える』訓練。それがデッサン。
 絵画の様に鮮やかな色がある訳でも、華やかなモチーフが描かれているわけでもない。
 絵を描かない者からすれば「つまらない」と感じるかもしれないが、デッサンは絵を描くうえで非常に重要なのだ。
 絵画が女優の美しい顔(かんばせ)だとすれば、デッサンはそれを形作る骨だ。
 骨が不格好であれば当然顔も歪んだものになる。それくらいデッサンというのは絵の根幹を担っている。

「……少し休憩するか」
 丸みを帯びてきた鉛筆の芯をカッターで削ろうとして、目に入った時計の針が随分進んでいた。時間を忘れてしまう程に集中していたらしい。
 このまま鉛筆だけでも削ってしまおうか?
 否、削ったらまた作業に戻ってしまうのが目に見えている。
 適度な休憩は必要だと、早く描きたいと喚く自身の心を宥めつつ鉛筆をケースへ一旦仕舞い込んだ。
執筆:
心に遺る、幽かな幸福と
 それは初夏に描かれた、たったふたりだけの秘密だった。

 久し振りの晴れ空が徹夜明けの目を遠慮なく刺す。
「青。青か……」
 ベルナルドにとってそれは特別だ。同じ画家の友人から言葉を尽くして褒められた色で——鮮明に蘇るあの日の記憶は睡魔で意識が飛びかけているのか、ただの回想なのか、頭は区別してくれない。そんな状態で背後から声を掛けられたら勘違いもするだろう。
「……おにーさん。おにーさんってば」
「なんだ。また林檎の描き方を、いや誰だ?」
 振り返った先にいたのは彼が養っている少年——ではなかった。まるっきりそうだと思い込んでいたものだから、警戒するのが遅れに遅れた。
「勝手に入ってごめんなさい。どうしても描いて欲しい絵があって」
 絵の依頼。そう理解すれば幾分か思考もクリアになった。
「お金なら言われただけ用意するから、出来るだけ急ぎで……その、もう時間がなくて」
 少年から青年へ移り変わる頃合いの少し掠れた声が必死に続ける。
 取り出したのは片手には余るサイズのテディベア。綿が草臥れて右へ傾きがちながら、整えられた毛艶を見れば愛着の表れだと知れる。目の前の彼の髪に似た淡い金色が眩しい。
「この子を絵に残したいんだ。画家さん、お願いできないかな?」
 身形は良いからどこぞの御子息様か。それなら代金の心配も、深い事情を聞き出すのも藪蛇だろうと追及を放り投げた。キラキラと嵌められた硝子玉と揃いの青い瞳で懇願されたせいでは、多分無い。

 澄み渡る青空を収めた窓辺でレースのカーテンが心地好い風に靡く。並べた椅子にちょこんと座ったテディベアは笑っているようにも見えた。
 アンタは入らないのか、と問えば静かに首を振られた。あくまで主役はあのクマであるらしい。
「大事な人からもらった、とっても特別な子なんだ」
 体が弱くて外に出られなかった幼少期からずっと家庭教師をしてくれた男性との思い出話。集中し出したベルナルドは相槌くらいしか返さなかった。それでも依頼主は気にせず、まるで自分の心の整理をするように語り続けた。

「完成したぞ」
 ぼんやりとした頭で絵具で汚れた指を拭いながら室内を見渡しても姿が無い。ここ数日、呼ばれずとも勝手に通ってくるおかげですっかり気配を気にしていなかったが、知らぬ間に帰ったのだろうか。
 お疲れさん。なんだかんだ愛着が湧いてきてしまったモデルにも声を掛ければ、椅子と背中の間に封筒が挟み込んであるのに気づいた。宛名を確認して封を切る——『ベルナルドさんへ』。

『本当は最後まで見届けたかったけど。
 残念、僕の時間は少しだけ足りなかったみたいだ。
 お別れの挨拶が手紙になってしまってごめんなさい。

 この子の瞳と首飾りは【アクアマリン】です。
 出所は確かだから、いい値段で売れるはず。
 代金として受け取ってください。

 もうひとつ、もし叶えてくれるなら。
 完成した絵を送ってほしい人がいます。
 住所はメモを同封してあります。
 きっと何も言わなくても伝わると思うから。
 勿論、一緒に売ってしまってもいいよ。

 依頼を受けてくれてありがとう。
 貴方に描いてもらえてよかった。さようなら』

「……売れる訳が無いだろ」
 絵の中の空。手の中のぬいぐるみ。【聡明】だがまだ幼げな瞳の色に宿った、ささやかな【幸福】。たくさんの青に呻いたベルナルドはスキットルの中身を空になるまで呷り、それから送り先を調べ始めた。

 ——後日、家庭教師だったと聞かされた男の元を訪ねた折、依頼主が数ヶ月前に亡くなっていたと聞いた時には別の意味で青くなったが。
執筆:氷雀
親子の肖像
 が、がりがりがりがり。
 一回だけ無意識に止めていた呼気を吐いて吸う。
 それからモデルに向き合って筆を走らせる。
 ──依頼された絵のモデルは、震えるほど美しい人形と作者の老人だった。
 思わず依頼人に「生人形か?」と言ってしまったほどだ。
 依頼人でありモデルの1人は違う、とハッキリ言った後に「そうであれば良かったがな」とも言った。
 全身に白粉を塗ったかのような肌。
 特徴的な化粧はしかし、触れ会う事を誘う色気。
 その癖、蒼い瞳は遠くを見つめて全くつれそうにない。
 長く艶々とした黒い髪から香料の香りを思わす。
 デコルテのみを露出させ、それ以外を重い布に封じた服の清らかさ。
 均等に揃えられた爪に宿る繊細さ。
「この人形は本当に凄いな。一体どうしたんだ?」
 一息ついてくれ、と彼が昼食を持ってきたので聞いてみた。
「あれは娘なんだ。現実の、じゃない。俺の手から生まれたもんだ」
 彼は人形作家だった。
 けれど少し前に天義の新たな神託を巡る戦いの時に棲む家を追われた。
 モデルの人形は美術館に貸し出していて無事だったが、彼自身は怪我をした。
 逃げる時に転げ、手首を折ってしまった。
 もう歳で治るのが遅い。これ以上の人形は作れそうにない。
「だから絵画、写真、文章……。遺せる全てに俺が父親で作者だと遺すんだ」
 俺という1人の人形作家、その姿を。

 絵画が完成して、俺は果たして自分の姿を作品として遺したくなるかどうかを考えていた。
執筆:桜蝶 京嵐

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