幕間
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女王の憂鬱
女王の憂鬱
関連キャラクター:善と悪を敷く 天鍵の 女王
- 過日の水面を眺むる
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この英雄は、人を疑うことを知らぬ男であった。
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レジーナ――レジーナ・カームバンクルは、本名を『善と悪を敷く天鍵の女王』という。このような名であるのは、この混沌へ招かれる以前の彼女がTCGのキャラクターであったからであるが、実体化した本人に言わせると、「自身はその世界とは関係がない」そうだ。
しかしながら、どれほどそれを貫いたとて、そこで描かれた『設定』というものは、彼女にとって『過去』である。その証左として、彼女は過去に由来する『男性不信』であった。
さて、では何故、レジーナは男性から距離を取るようになってしまったのか。
彼女の持つ『設定』としての伝説の一つに、こんな話がある。
とある国で水害が起こった。詳細は省くが、レジーナ――ここではそう呼ぶ――が与えたわけでもない、神託と偽った神官たちの謀りにより、その国の民と王は、「これは神の怒りに触れたからに違いあるまい」となった。ここでせめて、神官たちの謀りを暴くことの出来る賢者の一人でもいたならば、この伝説は生まれなかったのであろうが、生憎とそれが可能であったろう国一番の賢者は、災害の最中、神官たちの手により水の底へと沈められていた。
大雨は止まず、作物や家々は水の中へと腐ってゆく。この惨状に困り果てた王は、一人の英雄を選び出し、神の怒りを鎮めて来るように命じた。英雄は健康で、美丈夫であり、智慧にも優れてはいたが、如何せん、人を疑うことを知らなかった。あるいは、英雄とは元よりそういった存在であるのだろうか。いずれにせよ、英雄は王命によって選ばれ、彼の捧げた祈りによって、レジーナもその存在を知ることとなった。彼女は事の次第を知り、英雄へと神官に神託を与えたことはない、おそらく彼らの謀りであろうと伝えた。しかし英雄がそれを信じることはなかった。むしろ、レジーナが言葉を与えたことにより神託を益々信ずるようになった。元より人を疑うことを知らぬ男は、同時に、大層前向きに物事を捉える男でもあった。
そういうわけであったから、英雄は最初に、レジーナへと今後どのようにすればよいかを乞うた。しかしレジーナの本分は戦神であり、水害の対処は己の裁量の範疇を超えている。彼女は水を司る神と対話し、水害の原因となった魔物を討伐するよう英雄を導いた。戦神であるレジーナの導きは、易々と英雄に魔物を屠らせた。おかげで水害は治まったが、焦ったのは神官たちである。英雄は勇気と慈愛の代わりに無垢を手にしたような男であるから傀儡によいとしても、背後にレジーナがいたままでは、神託を偽ったことがいずれ明るみに出てしまうやもしれぬ。幸い、英雄は未だ神官たちを疑ってはいない。神官たちは英雄に、神託と称して、不可能に思える困難を与えた。両者の間に綻びを生むためである。英雄は一たびそれを与えられると、レジーナへ真摯に祈り、導きを求めた。求められるままに、レジーナは英雄に困難への対処を教えた。そう言ったことが二度三度と続くうち、彼女は英雄が不憫に思えてきた。必死に戦う姿に恋心さえも芽生えてきた。男のひたむきに立ち向かう姿が、どうにも愛おしく思えるようになっていたのである。
虚偽の神託による四度目の困難を導く中で、レジーナは英雄に、神官が嘘を吐いていると再び伝えた。五度目でも伝えた。六度目で、賢者の死も伝えた。己が裁定者の領分によって天罰を下さなかったのは、ひとえに『戦神の領分ではなかった』からに過ぎなかった。
英雄はそんな彼女の言葉をどう捉えたか。
――この英雄は、『【人】を疑うことを知らぬ男』であった。
七度目に至り、レジーナは、六度目までにも伝えた神官の嘘と賢者の死に加えて、国の裏で蠢く悪徳の気配を伝えた。
英雄は、それを信ずることができなかった。
男が真実『英雄』であったが故にである。
政をするが英雄ではない。悪徳を正すも、謀りを暴くも、英雄の領分ではない。無論神官の領分も謀略や悪徳ではないのだが、彼らは最早真実神官と呼ぶには魂が腐っていた。英雄は王と神官にレジーナから教えられたことをそのまま伝えた。神官たちは予定調和として、彼女を悪とした。八度目の困難は、レジーナを封ずることであった。不幸にも、七度の困難を乗り越えた英雄は、彼女を封ずるに十分な力を人の身で得てしまっていた。
人を信じた英雄は、かつての水害にて生まれた湖に、レジーナを封じた。
英雄を信じていた彼女は、英雄を愛していた彼女は、英雄を殺してまでその封印から逃れることなどできなかった。
かくして、主神の権能さえ持つ、裁定者たる天鍵の女王は、裏切りの痛みと共に水底へと沈んだ。
所詮人による封印である。さして永い時ではなかった。その間に、英雄も、神官たちも、王も国も何もかも、レジーナを謀った罪により水神に国ごと流された。封印が解けて戻った時、そこには何も残ってはいなかった。神たる彼女を取り巻く時間の中で、英雄と過ごした時間は極々僅かなものに過ぎなかった。
彼女が抱いた恋と、痛みさえも。
けれども、それらは――彼女の奥底に、不信を植え付けるのに十分なものであった。
だから彼女は、男性から距離を取る。
何故なら未だ、ふとした折に。
ぷつりと開いた傷口から、真っ赤な血潮が膨らんで、大地へと滴るように。
あの昏く冷たい湖水が、胸の底から滲むのだ。
- 執筆:桐谷羊治