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クリスマスパーティー⑥
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――クリスマスパーティーをしないか。
ペットの豚である『むぎ』に餌をやりながら天川は晴陽へとそう問い掛けた。
「クリスマス、ですか」と問うた晴陽は何処か擽ったそうな表情をして居た。天川が思った通り、晴陽はあまりイベント事には慣れていない。
クリスマスパーティーなども幼い頃に『家の用事』で訪れた事があったそうだが楽しむよりも努力しなくてはならないと幼少期の輝かしい思い出は明後日において来ていた。天川は折角ならば探偵事務所にも遊びに来る近所の子供達と水夜子、それから龍成を呼ぼうと提案した。
「龍成も呼んで良いのですか?」
「勿論だ。その為に先生には手伝って欲しいことがあるんだが――……」
ある程度の食糧品の買い出しを終えていた天川はウキウキとした表情でやって来た晴陽に頷いた。
手伝って欲しいこととはクリスマスパーティーの準備である。エプロンは天川が用意した。何とも言えない不細工な猫の柄のものである。勿論、晴陽は「素晴らしい猫ですね」と販売店を問い掛け、何かしらのグッズを買い求めるつもりらしい。
「エプロン、気に入ってくれて良かったぜ。早速だが調理に取り掛かろう」
食事はある程度の品を購入したが切り分ける他、温め直しや飾り付けが待っている。クリスマスケーキは後ほど予約した店舗に取りに行く予定だ。ローストビーフを切り分ける天川の隣で晴陽はクリームシチューを温めながら妙な気分になった。
(……人と料理なんて、久しぶり)
母に料理を教わっていた懐かしい時代を思い出す。院長に就任してからというもの、食事を誰かと用意する機会はなかった。言葉を交さずとも淡々と調理が進んで行く。天川も晴陽もその空間が妙に心地良かった。
「天川さんはお料理がお得意なのですね」
「包丁が扱えるのが意外か?」
「ええ。奥様に教わりましたか?」
何となく妙な顔をした天川は頬を掻いた。キッチンに立っていた晶もシチューを温めながら他愛も無い話をしていたか――そしてその隣には息子が背伸びをして笑っていた事を思い出す。
「……ああ、そうだったかもしれないな」
日が落ちるのが早い。足りない食材やケーキ、飾り付けの品を買い出しに出た二人は雪のちらつく街を歩く。大荷物を持っている天川は『子供達へのプレゼント』としてラッピング済みの文房具などを下げ、やや急ぎ脚に事務所を目指していた。
気付けば傍らに立っていたはずの晴陽が居ない。「先生?」と呼びかければ晴陽は雑貨屋のショーウィンドウに釘付けであった。
「あ、ああ、すみません……」
「どうした? 気になるのか」
「あ、はい。また今度、訪れようかと思って。可愛らしくありませんか? あの兎……」
まじまじと眺めていた晴陽に「確かに良いな」と天川は頷いた。彼女の影響を受けて『ゆるキャラ』『ぶさかわ』に最近妙に心を惹かれるようになってしまった『おじさん』なのである。自覚している天川は晴陽の影響を大きく受けていることに気付いて口許に小さく笑みを浮かべた。
「先生、それもいいがあっちはどうだ?」
「あっち――あ……クリスマスツリーですか」
天川の指し示した先には見上げる程のクリスマスツリーが存在した。雪のちらつく街でライトアップされたそれを見上げて晴陽は「何だか新鮮です」と呟く。
「再現性東京で育ったんだ。見慣れた景色かと思ったが、違うか?」
「……はい。クリスマスと言えど平日であれば勤務がありましたし、出来れば子供の居る看護師や医師は休みを取って欲しかったので」
クリスマスの夜に外出することは無かったと晴陽は呟いた。今日は皆とパーティーだと何処かで耳にした看護師達が休みを進めてくれた事もあった。晴陽は今晩の休みを楽しみにして居たのだ。天川の気遣いには感謝ばかりだ。
弟がこの後、一緒にパーティーを楽しんでくれるのだという。水夜子は必ず連れていきますと笑っていた。失っていた時間の穴を埋める様に、共に過ごすことが出来ればどれ程嬉しいだろうか。
「さ、戻りましょう。冷えてきました」
「……ああ、そうだな」
頷いた天川はゆっくりと歩き出した。煌めくクリスマスツリーをもう一度振り返った晴陽は「本当に綺麗ですね」と微笑んで。
探偵事務所に戻ってから早速飾り付けを行なった。ツリーには装飾を施し、室内にもサンタクロースやトナカイを並べていく。
料理をテーブルに置き、子供達が動きやすいようにある程度のスペースを用意した。飾り付けの際には晴陽は「先程予習をしたので完璧です」と胸を張っていたが――成程、予習というのはツリーへの飾りの配分であったか。
「真面目な先生らしい」と笑った天川に晴陽はぱちくりと瞬いてから「こういうのはしっかりと装飾するのが大事でしょうから」と胸を張った。
子供達の声が聞こえ始め、晴陽が慌てた様に隠したのはプレゼントである。長靴にそれぞれ入れたプレゼントは菓子や文房具をセットし『サンタクロースが置いていった』という設定であると天川に聞いていた。
「先生、慌てなくていいぜ?」
「ですが……サンタクロースの夢というものは大事でしょう。特に龍成は――」
流石に龍成はサンタクロースを信じていないだろうが彼女の中ではまだまだ子供なのだと思うと可笑しくなった。
――クリスマスパーティーを終え、プレゼントを『渡し合った』二人は帰路に着く。
晴陽を一人で返すわけには行かないと天川は彼女を気遣った。晴陽もその気遣いに今は心地の悪さを感じていない。当たり前のように共に並んで雪の街を歩く。
「ドームだってのに雪も降るんだな」
呟いた天川に晴陽は少しばかり目を丸くしてから「そうですね」と小さく笑う。この雪も人工だと思えばこそ、だ。燦々と降り積もる雪を眺める晴陽に傘を一つ差しだした。
「先生が風邪を引いちゃ困るだろう」と告げれば「有り難うございます」と彼女は目を伏せる。
人間関係に臆病な彼女が一つ傘の下に収まってくれるのは、それだけの信頼があるからなのだろう。天川にとっても彼女がどの様な存在であるかは分からない。義弟の面影を重ねているのか、それとも。どうにも脳裏に過るのは妻の晶の姿だ。
――気にせず好きに動いて良いんですよ、と背を押してくれる晶を思いながらも天川は傍らの晴陽を眺めた。
「天川さんも風邪を引いてしまいますよ。傘を持ってくるのを失念してしまいましたね」
「子供達に傘を貸したからだな……一本しか残っていない。俺のことは気にしないでくれ」
「いえ、ご一緒に……風邪を拗らせた方が大変です」
天川は「そうさせて貰うか」と白い息を吐いた。街中はクリスマスムードに溢れている。眩い光の街に鳴り響いたクリスマスキャロル。その中を進む楽しげな人々の声。
当たり前のように訪れた『クリスマス』。小さな子供が両親に手を引かれて走って行く。「パパ、ママ」と呼んだ少年の声に天川は思わず顔を上げた。
笑い合う三人家族。そんな『憧れた風景』を眺めてから唇を噛んだ。
「天川さん」
呼ばれ、首を振る。自身は守れなかったが、彼女達は別たれることはない。家族が揃って楽しげに沢山の幸せを享受できるはずだからだ。
「天川さん?」
「ああ、大丈夫だ」
歩き出す天川にほっとしたように晴陽は胸を撫で下ろした。『カウンセリング』を行なったこともあって弱い部分は良く分かられているのだろう。心の柔い部分を察された気もして天川は肩を竦めた。柔らかに笑みを浮かべてみれば晴陽は安堵したように頷いた。
「さあ、行きましょ――」
ふと、彼女の足元が滑る。雪道を歩き慣れていない晴陽があわや転倒し掛けた時、天川は慌ててその体を支えた。
「おっと、……大丈夫か、先生」
「あ、は、はい。すみませ……」
背を支えられ、晴陽は天川を見上げてからぽかんと口を開いていた。しっかりと支えられた事で転倒の衝撃こそ無かったが――人の体温が近い事に晴陽は余りに不慣れだ。支えた腕の逞しさも、近い体温も、転びそうになった自分という存在にも。晴陽は乱れた髪を抑えるように頭へと掌をやった。
「先生?」
「あ、だ、大丈夫です……あの……はい……」
顔から火が出そうだと晴陽は長い髪で己のかんばせを隠した。はあと息を吐いてから目を伏せる。
少し驚いてしまっただけだ。当たり前のように支えられるから、つい――
その後は終始無言になってしまったが天川は何も気にする事無くいつもの通り晴陽を送り届ける。怪我が無いかと気遣う彼の一言だけに答えてから晴陽はやや俯きがちに隣を歩いてきた。
(……お礼を、言わなくてはならないのに)
転んでしまったから。そんな恥ずかしさか、それとも。何が何だか分からないが、どうにも気恥ずかしくて顔を真っ直ぐに見ることが出来なかったのだ。
マンションのエントランスに入る前に、天川は踵を返した。ひらりと手を挙げて歩き出す。
「それじゃ、先生。おやすみ」
「あ、はい。おやすみなさい」
咄嗟に手を振り返して返事をしたが――晴陽は慌てた様に「あ、あの」と天川の背中を呼び止めた。
「さ、先程は有り難う御座いました。すみません、直ぐにお礼を言うべきでしたのに……驚いて、しまって」
唇を震わせれば天川は「大丈夫だ、足元には気をつけてくれ」と揶揄うように笑った。
満足げに歩いて行く晴陽を見送ってから天川は暫く歩いてから煙草に火を付けた。
クリスマスパーティーを楽しんだ。それは良いことだ。晴陽もそうだが、皆、笑顔であった。
そう思えば亡くした家族が頭に過るのだ。
妻も、子供も生きていたかっただろうに。だからこそ、彼女達の仇は取った『筈』だった。だと言うのに――仇が此方に居た。
その事実が天川を酷く掻き乱した。早くあいつを殺さなくてはならない、そればかりが頭を占める。
だが、その中に僅かだけでも彼女の姿が浮かんだ。晴陽の無事を保証しなくてはならない。自身に関わったが故に危害が及ぶ可能性だってある。
天川は晴陽に対して尊敬なのか、不正なのか、愛情なのか、自身でも名前を付けることは出来なかった。
妻と息子のことが浮かんだ。負い目か、それとも――それ故に、天川は彼女への感情を見ない振りをしていた。
転んだときに受け止めた彼女が余りにも軽かったこと。華奢で、直ぐに折れてしまいそうだと不安に感じたこと。
その体の細さに頼りなさと、危機が迫った際に直ぐに脳裏に過る『死』という文字列。
その感情に名前を付けることは出来まい。付けてはならないと自戒するように煙草を灰皿に押し付けてから俯いた。
嗚呼、厄介なことだが護ってやりたいという感情は確からしい。
見ない振りにした感情を口にはしない儘、天川は冬の街を歩き出した。
SS担当:夏あかね
挿絵情報
- SS『淡雪粧い』